朝のバンコク、フワランポーン駅に到着した夜行急行
←泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~からの続き
2008年9月14日
ノーンカーイ発EXP70列車は、定刻より30分ほど遅れて午前7時頃、終着のフワランポーン駅に到着した。
昨夜は「アジアの洗礼」を受けて酷い夜になったが、それでも夜半過ぎには症状が治まりベッドに戻って少し眠ることが出来たので、体調もやや回復した。相変らず、腰に力が入らないので難儀するが。
「ああ~、バンコクに帰って来たぞ~!」
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寝台車から手早くリネンが降ろされる。夜行列車の旅が終わっていく。
ベンチに座ってそれをボンヤリ眺める。
「さて、これからどうするかね…」
台北行きの飛行機でタイを離れるのは明日の昼過ぎ。
それまで、予定が何もない。とりあえず、今夜の宿を確保しないといけないが、まだ早朝でチェックアウトタイムにも早いし、どこかで時間を潰さないと…
とか思いながらプラットホームを散歩していると、構内に留置されている客車に目が止まった。
「あれは…日本のJRの客車だ!ブルートレインの寝台車じゃなくて、座席車だな。12系客車、オハ12だ!」
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ブルートレイン客車と違って全面的に再塗装されて車体色が変わっているが、一昔前のJR四国の車輌とよく似た色合いに塗られているので違和感がない。
それにしても、古い客車から新しい客車、さらにJRの中古車と、タイの線路の上には各種の日本の車輌が目白押しじゃないか。
まだ昨夜の余波で時々腰が抜けそうになるので、暫らくプラットホームに座って列車を見ていたが、フワランポーン駅に出入りする列車は実にバラエティ豊か。日本の車輌以外にも、突然イギリス製と思しき下膨れのディーゼルカーが現れたりして見ていて飽きない。
しかし陽が高くなると容赦なく暑い。このまま汗だくになって座っていても仕方がないので、覚悟を決めて腰に力を入れて歩き出す。
駅を出て、ホテルを探さないと…
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駅近くはチャイナタウンになっていて、安宿が多数あると「ロンプラ」には書いてあるが、やたらと路が曲がりくねっていて分かり難い。
それにチャイナタウンは世界中どこでもたいがいはガラが良くない物騒な地帯なのであまり気が進まないが、いい加減疲れたし何より暑いし早いとこ休みたいからな…
で、結局何をトチ狂ったか、聳え立つ超高層の超高そうなシティホテルに飛び込んでしまった。でも、値切り倒す気満々で宿代を聞くと、案外安いじゃないか。
日本だとビジネスホテル程度の価格で、エアコンのガンガンに効いた広々ツインルームのシングルユース、そしてこの眺望。バンコクは泊まるのにいい街だ(我ながら現金…)
シャワーを浴びて、しばらく昼寝するとすっかり体力が回復した。何より、窓に広がるバンコクの甍を見ていると、はやくあそこに飛び出したくて旅行人の血が騒ぐ。
今日はバンコク最後の日だ、人並みに観光に繰り出そう!
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まずはワット・ポー(ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム=ラーチャウォーラマハーウィハーン…二度と言えなさそうなこれが正式名称)。
王宮に隣り合って立つ大寺院は、何よりも先ず涅槃寺として知られている(実はタイ式マッサージの家元としても有名らしいんだけど)。
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そしてこちらが、涅槃さん。
頭のてっぺんまでの高さが20メートル位か。これ程大きいと、最早スペクタクルだ。
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タイ名物の果物の魔王、ドリアン…ではなくて、涅槃仏の後頭部。
螺髪が手枕に食い込んで痛そうだな…などと考えてしまう不覚悟な僕なのであった。
でも、涅槃とは即ち「死にゆく釈尊」であり、これは究極の悟りの姿なのだななどと想いながら見ると不信心を地で行くような僕でも心に感ずるものがある。
「僕は死ぬ時、こんなに穏やかに笑っていられるかな?
…未練がましく泣き言を云いそうだな。。。」
結局、僕は雨の降り出したワット・ポーの庭で陽が暮れるまで過ごした。
陽が暮れてから、行ってみたい場所がバンコクにはある。
バックパッカーの聖地とも称される世界一有名な安宿街、カオサン・ロード。
この通りの名を初めて知ったのは、王道とも言うべき沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだ時だったか。確か大学生の頃に、北海道をワイド周遊券で鉄道漂流旅行中に釧路かどこかの駅前の古本屋で買った文庫版の「深夜特急」を網走行き夜行特急「オホーツク9号」の車内で徹夜で読んだんだ。
あの頃はカネも語学力もない自分がこんなスタイルの所謂「バックパッカー旅行」が出来るとは思っていなかったし、ただ面白い旅行記だなと思って一気に読んだだけなのだが、その強烈な読後感は唐辛子ソースのように心の奥底に染み込み沈殿していた。
そして今、とうとう僕はカオサンへと行ける。
10年越しの、聖地巡礼である。
カオサンへはチャオプラヤー・エクスプレスで行こう。
カオサンの最寄となるバンランプー桟橋へと向かう船上で、若いタイ人女性から英語で「どこへ行くか?」と声を掛けられる。「カオサン・ロードだよ」と言うと「奇遇だ、私もカオサンへ行く。案内してあげる」などと言う。
…怪しい。
典型的な「恩を売って、ぼったくる店に連れ込み詐欺」の手口だ。いつもなら適当に誤魔化してまくところだが、何故か「詐欺師に案内されてカオサンへ行くのも面白いかも知れん」などと考えてしまい、笑ってついて行くことにする。
なに、いざとなれば大通りへ走って逃げればいいのだ。いくらなんでも危害は加えんだろう…
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その女性、僕が腹の底で目一杯疑ってるのを知ってか知らずか、チャオプラヤー川の水上から見えるバンコクの名所を紹介してくれたりして実に親切だ。
ついつい「この人、ホントにいい人なんじゃないかな…」などと気を許しそうになる自分に喝を入れ、顔で笑って心で距離を置く実に疲れる船旅になってしまった。
バンランプーに上陸するとまた雨が降りだし、折り畳み傘を半分女性にさしかけながら歩く。「スケベ心を出すとコロッと騙されるパターンだな」などと考えていると、「ちょっと待って。あそこに知り合いがいるから」と客待ちしているトゥクトゥクの運ちゃんに声をかける。
来たな、知り合いのトゥクトゥクに乗せて法外な値段を取ろうというんだろう、その手に乗るものかと心を奮い立たせながらも、笑顔でトゥクトゥクの運ちゃんと挨拶。
「日本人なの?オー、日本人はグッドなお客さんだよ、お得意様だよ!」
「そうだろうね、知ってるよ」などと、狐と狸の化かし合いのような会話をするも、
「どこ行くの?カオサン?乗って行かないか、彼女はオレの友達なんだ」
「うん、NoThankYouだよ。歩いていくから」と言うとしつこく食い下がられることも無く案外あっさり「あっそう、じゃあまたね」ということになった。
トゥクトゥクおやじと別れて、「もうすぐカオサンだよ、このすぐ近くだよ」と言う彼女について歩く。
「私、この先の店にあなたを連れて行くとマージンが貰えるんだ」
いきなり白状された。やっぱりそうだったのか。
「そうなのかい。でも、悪いけど僕は買い物はしないよ。」とキッパリ告げると「いいよ、どうせ私もおなかが空いてて、カオサンに食事に行くとこだったんだ。一緒に食べる?」などと実にあっけらかんと答える。
カオサン・ロードに着いて、彼女と一緒に通りの一番奥まで歩く。ホントに空腹らしく、屋台でスイカを買って頬張りながら「食べるか?」などと聞いてくる。
「…ひょっとして、本当に親切な人だったんじゃないか?おなかが空いてるのにカオサン・ロードの端から端まで案内してくれたし、店のマージン云々も強要しようとはしなかったし…」
じゃあね、Goodbye!と手を振りレストランに駆け込んでいくタイ人女性に笑顔で手を振り返し、ありがとうと言いながら僕は少し心が痛んだ。
それが僕の、初めてのカオサンの想い出になった。
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独りになって、改めてカオサンを歩く。
ここが世界中の若い貧乏旅行者が集まるバックパッカーの聖地…なのだが、僕は一巡歩いただけでかなり幻滅していた。
そこは、最早単なる騒々しい観光地だった。
薄暗い安宿や怪しい格安エアチケット屋、大衆食堂などのかわりに、小奇麗で馬鹿高い宿泊料(何と僕の泊まっている超高層シティホテルより高い!)を提示した“ブティックホテル”や相場の数倍の値を付けていると思しき土産物屋と大音量で音楽やスポーツ中継を流すこれまた高そうなクラブやレストランが並んでいた。
「いかがわしくて胸が締め付けられるような安宿街のカオサンは幻想だったんだな…」
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雨上がりのカオサン・ロードを歩く。もう思い残すことはない。
「日本に帰ろう!」
振り返ると、カオサンに夕焼けの虹が掛かっていた。
「聖地というのは、結局自分のココロの中にしかないのだろうね。だから、僕はがっかりしてまた次の聖地を探すしかないんだ。
そうやって、終わることなく何かを追い求めては失望する。その繰り返し…
それでも、僕は飽くことなく何かを探し求めて、また旅に出てしまうんだ、きっと」
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再びチャオプラヤー・エクスプレスに乗って、チャイナタウンのホテルへ戻る。
夜のバンコクのウォーターフロントは都会的な風情があり、陽が完全に沈んでしまうまで桟橋から水面に映る東南アジアのメガロポリスのシルエットを眺めていたくなる。
そして、今夜も路地裏の屋台へと足を運ぶのだった。
「せっかくチャイナタウンに泊まってるんだ、今夜は中華だー!中国本土の食品は何が入ってるか分からんから恐いけど、在外華僑の作るチャイニーズフードなら多分大丈夫だろう!」…ホントに全然懲りないな我ながら。
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ホテルの斜向かいの路地で、勤め帰りのおっちゃん達が群がり無言で何かを掻き込んでいる屋台があったので飛び込んでみる。
「これ一体何?」
店員は「カレーだよ」と言うが、絶対違うだろ!!
「何かのごった煮かけご飯」としか表現しようのない食い物だが、でも美味い!
それに自分が一体何を食べているのかよく分からないという体験も、なかなか出来るものではないので楽しい!
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屋台をハシゴして、「本格中華らしいの」をさらにもう一杯。
これは何なのかすぐに分かる。何しろ屋台の看板に派手にあひるの絵が描いてある。
「北京ダッグ風家鴨肉乗せ米麺」は、実に本格的な味。これは美味い!
昨日のノーンカーイ駅前大衆食堂で食べたビーフンと同じ要領で、テーブルに大量に常備されたナンプラーや各種スパイスと砂糖を継ぎ足しかけ回しながら麺を啜る。
「僕もだいぶ、タイ式の屋台の食事に慣れてきたなぁ!」
上機嫌でホテルへ戻った僕が再び強烈な「洗礼」を受けたのは、シャワーを浴びてそろそろ寝ようかとしていた時だった。
今夜もまた、インドシナの眠れぬ夜が続く…
→泰国鐡路漂流記~6、再び台湾。そして旅の終り~に続く
←泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~からの続き
2008年9月14日
ノーンカーイ発EXP70列車は、定刻より30分ほど遅れて午前7時頃、終着のフワランポーン駅に到着した。
昨夜は「アジアの洗礼」を受けて酷い夜になったが、それでも夜半過ぎには症状が治まりベッドに戻って少し眠ることが出来たので、体調もやや回復した。相変らず、腰に力が入らないので難儀するが。
「ああ~、バンコクに帰って来たぞ~!」
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寝台車から手早くリネンが降ろされる。夜行列車の旅が終わっていく。
ベンチに座ってそれをボンヤリ眺める。
「さて、これからどうするかね…」
台北行きの飛行機でタイを離れるのは明日の昼過ぎ。
それまで、予定が何もない。とりあえず、今夜の宿を確保しないといけないが、まだ早朝でチェックアウトタイムにも早いし、どこかで時間を潰さないと…
とか思いながらプラットホームを散歩していると、構内に留置されている客車に目が止まった。
「あれは…日本のJRの客車だ!ブルートレインの寝台車じゃなくて、座席車だな。12系客車、オハ12だ!」
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ブルートレイン客車と違って全面的に再塗装されて車体色が変わっているが、一昔前のJR四国の車輌とよく似た色合いに塗られているので違和感がない。
それにしても、古い客車から新しい客車、さらにJRの中古車と、タイの線路の上には各種の日本の車輌が目白押しじゃないか。
まだ昨夜の余波で時々腰が抜けそうになるので、暫らくプラットホームに座って列車を見ていたが、フワランポーン駅に出入りする列車は実にバラエティ豊か。日本の車輌以外にも、突然イギリス製と思しき下膨れのディーゼルカーが現れたりして見ていて飽きない。
しかし陽が高くなると容赦なく暑い。このまま汗だくになって座っていても仕方がないので、覚悟を決めて腰に力を入れて歩き出す。
駅を出て、ホテルを探さないと…
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駅近くはチャイナタウンになっていて、安宿が多数あると「ロンプラ」には書いてあるが、やたらと路が曲がりくねっていて分かり難い。
それにチャイナタウンは世界中どこでもたいがいはガラが良くない物騒な地帯なのであまり気が進まないが、いい加減疲れたし何より暑いし早いとこ休みたいからな…
で、結局何をトチ狂ったか、聳え立つ超高層の超高そうなシティホテルに飛び込んでしまった。でも、値切り倒す気満々で宿代を聞くと、案外安いじゃないか。
日本だとビジネスホテル程度の価格で、エアコンのガンガンに効いた広々ツインルームのシングルユース、そしてこの眺望。バンコクは泊まるのにいい街だ(我ながら現金…)
シャワーを浴びて、しばらく昼寝するとすっかり体力が回復した。何より、窓に広がるバンコクの甍を見ていると、はやくあそこに飛び出したくて旅行人の血が騒ぐ。
今日はバンコク最後の日だ、人並みに観光に繰り出そう!
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まずはワット・ポー(ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム=ラーチャウォーラマハーウィハーン…二度と言えなさそうなこれが正式名称)。
王宮に隣り合って立つ大寺院は、何よりも先ず涅槃寺として知られている(実はタイ式マッサージの家元としても有名らしいんだけど)。
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そしてこちらが、涅槃さん。
頭のてっぺんまでの高さが20メートル位か。これ程大きいと、最早スペクタクルだ。
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タイ名物の果物の魔王、ドリアン…ではなくて、涅槃仏の後頭部。
螺髪が手枕に食い込んで痛そうだな…などと考えてしまう不覚悟な僕なのであった。
でも、涅槃とは即ち「死にゆく釈尊」であり、これは究極の悟りの姿なのだななどと想いながら見ると不信心を地で行くような僕でも心に感ずるものがある。
「僕は死ぬ時、こんなに穏やかに笑っていられるかな?
…未練がましく泣き言を云いそうだな。。。」
結局、僕は雨の降り出したワット・ポーの庭で陽が暮れるまで過ごした。
陽が暮れてから、行ってみたい場所がバンコクにはある。
バックパッカーの聖地とも称される世界一有名な安宿街、カオサン・ロード。
この通りの名を初めて知ったのは、王道とも言うべき沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだ時だったか。確か大学生の頃に、北海道をワイド周遊券で鉄道漂流旅行中に釧路かどこかの駅前の古本屋で買った文庫版の「深夜特急」を網走行き夜行特急「オホーツク9号」の車内で徹夜で読んだんだ。
あの頃はカネも語学力もない自分がこんなスタイルの所謂「バックパッカー旅行」が出来るとは思っていなかったし、ただ面白い旅行記だなと思って一気に読んだだけなのだが、その強烈な読後感は唐辛子ソースのように心の奥底に染み込み沈殿していた。
そして今、とうとう僕はカオサンへと行ける。
10年越しの、聖地巡礼である。
カオサンへはチャオプラヤー・エクスプレスで行こう。
カオサンの最寄となるバンランプー桟橋へと向かう船上で、若いタイ人女性から英語で「どこへ行くか?」と声を掛けられる。「カオサン・ロードだよ」と言うと「奇遇だ、私もカオサンへ行く。案内してあげる」などと言う。
…怪しい。
典型的な「恩を売って、ぼったくる店に連れ込み詐欺」の手口だ。いつもなら適当に誤魔化してまくところだが、何故か「詐欺師に案内されてカオサンへ行くのも面白いかも知れん」などと考えてしまい、笑ってついて行くことにする。
なに、いざとなれば大通りへ走って逃げればいいのだ。いくらなんでも危害は加えんだろう…
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その女性、僕が腹の底で目一杯疑ってるのを知ってか知らずか、チャオプラヤー川の水上から見えるバンコクの名所を紹介してくれたりして実に親切だ。
ついつい「この人、ホントにいい人なんじゃないかな…」などと気を許しそうになる自分に喝を入れ、顔で笑って心で距離を置く実に疲れる船旅になってしまった。
バンランプーに上陸するとまた雨が降りだし、折り畳み傘を半分女性にさしかけながら歩く。「スケベ心を出すとコロッと騙されるパターンだな」などと考えていると、「ちょっと待って。あそこに知り合いがいるから」と客待ちしているトゥクトゥクの運ちゃんに声をかける。
来たな、知り合いのトゥクトゥクに乗せて法外な値段を取ろうというんだろう、その手に乗るものかと心を奮い立たせながらも、笑顔でトゥクトゥクの運ちゃんと挨拶。
「日本人なの?オー、日本人はグッドなお客さんだよ、お得意様だよ!」
「そうだろうね、知ってるよ」などと、狐と狸の化かし合いのような会話をするも、
「どこ行くの?カオサン?乗って行かないか、彼女はオレの友達なんだ」
「うん、NoThankYouだよ。歩いていくから」と言うとしつこく食い下がられることも無く案外あっさり「あっそう、じゃあまたね」ということになった。
トゥクトゥクおやじと別れて、「もうすぐカオサンだよ、このすぐ近くだよ」と言う彼女について歩く。
「私、この先の店にあなたを連れて行くとマージンが貰えるんだ」
いきなり白状された。やっぱりそうだったのか。
「そうなのかい。でも、悪いけど僕は買い物はしないよ。」とキッパリ告げると「いいよ、どうせ私もおなかが空いてて、カオサンに食事に行くとこだったんだ。一緒に食べる?」などと実にあっけらかんと答える。
カオサン・ロードに着いて、彼女と一緒に通りの一番奥まで歩く。ホントに空腹らしく、屋台でスイカを買って頬張りながら「食べるか?」などと聞いてくる。
「…ひょっとして、本当に親切な人だったんじゃないか?おなかが空いてるのにカオサン・ロードの端から端まで案内してくれたし、店のマージン云々も強要しようとはしなかったし…」
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それが僕の、初めてのカオサンの想い出になった。
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独りになって、改めてカオサンを歩く。
ここが世界中の若い貧乏旅行者が集まるバックパッカーの聖地…なのだが、僕は一巡歩いただけでかなり幻滅していた。
そこは、最早単なる騒々しい観光地だった。
薄暗い安宿や怪しい格安エアチケット屋、大衆食堂などのかわりに、小奇麗で馬鹿高い宿泊料(何と僕の泊まっている超高層シティホテルより高い!)を提示した“ブティックホテル”や相場の数倍の値を付けていると思しき土産物屋と大音量で音楽やスポーツ中継を流すこれまた高そうなクラブやレストランが並んでいた。
「いかがわしくて胸が締め付けられるような安宿街のカオサンは幻想だったんだな…」
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雨上がりのカオサン・ロードを歩く。もう思い残すことはない。
「日本に帰ろう!」
振り返ると、カオサンに夕焼けの虹が掛かっていた。
「聖地というのは、結局自分のココロの中にしかないのだろうね。だから、僕はがっかりしてまた次の聖地を探すしかないんだ。
そうやって、終わることなく何かを追い求めては失望する。その繰り返し…
それでも、僕は飽くことなく何かを探し求めて、また旅に出てしまうんだ、きっと」
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再びチャオプラヤー・エクスプレスに乗って、チャイナタウンのホテルへ戻る。
夜のバンコクのウォーターフロントは都会的な風情があり、陽が完全に沈んでしまうまで桟橋から水面に映る東南アジアのメガロポリスのシルエットを眺めていたくなる。
そして、今夜も路地裏の屋台へと足を運ぶのだった。
「せっかくチャイナタウンに泊まってるんだ、今夜は中華だー!中国本土の食品は何が入ってるか分からんから恐いけど、在外華僑の作るチャイニーズフードなら多分大丈夫だろう!」…ホントに全然懲りないな我ながら。
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ホテルの斜向かいの路地で、勤め帰りのおっちゃん達が群がり無言で何かを掻き込んでいる屋台があったので飛び込んでみる。
「これ一体何?」
店員は「カレーだよ」と言うが、絶対違うだろ!!
「何かのごった煮かけご飯」としか表現しようのない食い物だが、でも美味い!
それに自分が一体何を食べているのかよく分からないという体験も、なかなか出来るものではないので楽しい!
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屋台をハシゴして、「本格中華らしいの」をさらにもう一杯。
これは何なのかすぐに分かる。何しろ屋台の看板に派手にあひるの絵が描いてある。
「北京ダッグ風家鴨肉乗せ米麺」は、実に本格的な味。これは美味い!
昨日のノーンカーイ駅前大衆食堂で食べたビーフンと同じ要領で、テーブルに大量に常備されたナンプラーや各種スパイスと砂糖を継ぎ足しかけ回しながら麺を啜る。
「僕もだいぶ、タイ式の屋台の食事に慣れてきたなぁ!」
上機嫌でホテルへ戻った僕が再び強烈な「洗礼」を受けたのは、シャワーを浴びてそろそろ寝ようかとしていた時だった。
今夜もまた、インドシナの眠れぬ夜が続く…
→泰国鐡路漂流記~6、再び台湾。そして旅の終り~に続く