天燈茶房 TENDANCAFE

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どれからなりとおためしください

泰国鐡路漂流記~5、バンコク。寺院、河。カオサンの虹~

2008-10-02 | 旅行
朝のバンコク、フワランポーン駅に到着した夜行急行

←泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~からの続き

2008年9月14日
ノーンカーイ発EXP70列車は、定刻より30分ほど遅れて午前7時頃、終着のフワランポーン駅に到着した。
昨夜は「アジアの洗礼」を受けて酷い夜になったが、それでも夜半過ぎには症状が治まりベッドに戻って少し眠ることが出来たので、体調もやや回復した。相変らず、腰に力が入らないので難儀するが。

「ああ~、バンコクに帰って来たぞ~!」




寝台車から手早くリネンが降ろされる。夜行列車の旅が終わっていく。
ベンチに座ってそれをボンヤリ眺める。
「さて、これからどうするかね…」
台北行きの飛行機でタイを離れるのは明日の昼過ぎ。
それまで、予定が何もない。とりあえず、今夜の宿を確保しないといけないが、まだ早朝でチェックアウトタイムにも早いし、どこかで時間を潰さないと…
とか思いながらプラットホームを散歩していると、構内に留置されている客車に目が止まった。
「あれは…日本のJRの客車だ!ブルートレインの寝台車じゃなくて、座席車だな。12系客車、オハ12だ!」

ブルートレイン客車と違って全面的に再塗装されて車体色が変わっているが、一昔前のJR四国の車輌とよく似た色合いに塗られているので違和感がない。
それにしても、古い客車から新しい客車、さらにJRの中古車と、タイの線路の上には各種の日本の車輌が目白押しじゃないか。

まだ昨夜の余波で時々腰が抜けそうになるので、暫らくプラットホームに座って列車を見ていたが、フワランポーン駅に出入りする列車は実にバラエティ豊か。日本の車輌以外にも、突然イギリス製と思しき下膨れのディーゼルカーが現れたりして見ていて飽きない。
しかし陽が高くなると容赦なく暑い。このまま汗だくになって座っていても仕方がないので、覚悟を決めて腰に力を入れて歩き出す。
駅を出て、ホテルを探さないと…


駅近くはチャイナタウンになっていて、安宿が多数あると「ロンプラ」には書いてあるが、やたらと路が曲がりくねっていて分かり難い。
それにチャイナタウンは世界中どこでもたいがいはガラが良くない物騒な地帯なのであまり気が進まないが、いい加減疲れたし何より暑いし早いとこ休みたいからな…
で、結局何をトチ狂ったか、聳え立つ超高層の超高そうなシティホテルに飛び込んでしまった。でも、値切り倒す気満々で宿代を聞くと、案外安いじゃないか。
日本だとビジネスホテル程度の価格で、エアコンのガンガンに効いた広々ツインルームのシングルユース、そしてこの眺望。バンコクは泊まるのにいい街だ(我ながら現金…)

シャワーを浴びて、しばらく昼寝するとすっかり体力が回復した。何より、窓に広がるバンコクの甍を見ていると、はやくあそこに飛び出したくて旅行人の血が騒ぐ。
今日はバンコク最後の日だ、人並みに観光に繰り出そう!


まずはワット・ポー(ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム=ラーチャウォーラマハーウィハーン…二度と言えなさそうなこれが正式名称)。
王宮に隣り合って立つ大寺院は、何よりも先ず涅槃寺として知られている(実はタイ式マッサージの家元としても有名らしいんだけど)。


そしてこちらが、涅槃さん。
頭のてっぺんまでの高さが20メートル位か。これ程大きいと、最早スペクタクルだ。


タイ名物の果物の魔王、ドリアン…ではなくて、涅槃仏の後頭部。
螺髪が手枕に食い込んで痛そうだな…などと考えてしまう不覚悟な僕なのであった。
でも、涅槃とは即ち「死にゆく釈尊」であり、これは究極の悟りの姿なのだななどと想いながら見ると不信心を地で行くような僕でも心に感ずるものがある。

「僕は死ぬ時、こんなに穏やかに笑っていられるかな?
…未練がましく泣き言を云いそうだな。。。」

結局、僕は雨の降り出したワット・ポーの庭で陽が暮れるまで過ごした。

陽が暮れてから、行ってみたい場所がバンコクにはある。
バックパッカーの聖地とも称される世界一有名な安宿街、カオサン・ロード。
この通りの名を初めて知ったのは、王道とも言うべき沢木耕太郎の「深夜特急」を読んだ時だったか。確か大学生の頃に、北海道をワイド周遊券で鉄道漂流旅行中に釧路かどこかの駅前の古本屋で買った文庫版の「深夜特急」を網走行き夜行特急「オホーツク9号」の車内で徹夜で読んだんだ。
あの頃はカネも語学力もない自分がこんなスタイルの所謂「バックパッカー旅行」が出来るとは思っていなかったし、ただ面白い旅行記だなと思って一気に読んだだけなのだが、その強烈な読後感は唐辛子ソースのように心の奥底に染み込み沈殿していた。
そして今、とうとう僕はカオサンへと行ける。
10年越しの、聖地巡礼である。

カオサンへはチャオプラヤー・エクスプレスで行こう。
カオサンの最寄となるバンランプー桟橋へと向かう船上で、若いタイ人女性から英語で「どこへ行くか?」と声を掛けられる。「カオサン・ロードだよ」と言うと「奇遇だ、私もカオサンへ行く。案内してあげる」などと言う。
…怪しい。
典型的な「恩を売って、ぼったくる店に連れ込み詐欺」の手口だ。いつもなら適当に誤魔化してまくところだが、何故か「詐欺師に案内されてカオサンへ行くのも面白いかも知れん」などと考えてしまい、笑ってついて行くことにする。
なに、いざとなれば大通りへ走って逃げればいいのだ。いくらなんでも危害は加えんだろう…



その女性、僕が腹の底で目一杯疑ってるのを知ってか知らずか、チャオプラヤー川の水上から見えるバンコクの名所を紹介してくれたりして実に親切だ。
ついつい「この人、ホントにいい人なんじゃないかな…」などと気を許しそうになる自分に喝を入れ、顔で笑って心で距離を置く実に疲れる船旅になってしまった。
バンランプーに上陸するとまた雨が降りだし、折り畳み傘を半分女性にさしかけながら歩く。「スケベ心を出すとコロッと騙されるパターンだな」などと考えていると、「ちょっと待って。あそこに知り合いがいるから」と客待ちしているトゥクトゥクの運ちゃんに声をかける。
来たな、知り合いのトゥクトゥクに乗せて法外な値段を取ろうというんだろう、その手に乗るものかと心を奮い立たせながらも、笑顔でトゥクトゥクの運ちゃんと挨拶。
「日本人なの?オー、日本人はグッドなお客さんだよ、お得意様だよ!」
「そうだろうね、知ってるよ」などと、狐と狸の化かし合いのような会話をするも、
「どこ行くの?カオサン?乗って行かないか、彼女はオレの友達なんだ」
「うん、NoThankYouだよ。歩いていくから」と言うとしつこく食い下がられることも無く案外あっさり「あっそう、じゃあまたね」ということになった。

トゥクトゥクおやじと別れて、「もうすぐカオサンだよ、このすぐ近くだよ」と言う彼女について歩く。
「私、この先の店にあなたを連れて行くとマージンが貰えるんだ」
いきなり白状された。やっぱりそうだったのか。
「そうなのかい。でも、悪いけど僕は買い物はしないよ。」とキッパリ告げると「いいよ、どうせ私もおなかが空いてて、カオサンに食事に行くとこだったんだ。一緒に食べる?」などと実にあっけらかんと答える。
カオサン・ロードに着いて、彼女と一緒に通りの一番奥まで歩く。ホントに空腹らしく、屋台でスイカを買って頬張りながら「食べるか?」などと聞いてくる。

「…ひょっとして、本当に親切な人だったんじゃないか?おなかが空いてるのにカオサン・ロードの端から端まで案内してくれたし、店のマージン云々も強要しようとはしなかったし…」
じゃあね、Goodbye!と手を振りレストランに駆け込んでいくタイ人女性に笑顔で手を振り返し、ありがとうと言いながら僕は少し心が痛んだ。

それが僕の、初めてのカオサンの想い出になった。

独りになって、改めてカオサンを歩く。
ここが世界中の若い貧乏旅行者が集まるバックパッカーの聖地…なのだが、僕は一巡歩いただけでかなり幻滅していた。

そこは、最早単なる騒々しい観光地だった。
薄暗い安宿や怪しい格安エアチケット屋、大衆食堂などのかわりに、小奇麗で馬鹿高い宿泊料(何と僕の泊まっている超高層シティホテルより高い!)を提示した“ブティックホテル”や相場の数倍の値を付けていると思しき土産物屋と大音量で音楽やスポーツ中継を流すこれまた高そうなクラブやレストランが並んでいた。

「いかがわしくて胸が締め付けられるような安宿街のカオサンは幻想だったんだな…」

雨上がりのカオサン・ロードを歩く。もう思い残すことはない。
「日本に帰ろう!」
振り返ると、カオサンに夕焼けの虹が掛かっていた。

「聖地というのは、結局自分のココロの中にしかないのだろうね。だから、僕はがっかりしてまた次の聖地を探すしかないんだ。
そうやって、終わることなく何かを追い求めては失望する。その繰り返し…
それでも、僕は飽くことなく何かを探し求めて、また旅に出てしまうんだ、きっと」





再びチャオプラヤー・エクスプレスに乗って、チャイナタウンのホテルへ戻る。
夜のバンコクのウォーターフロントは都会的な風情があり、陽が完全に沈んでしまうまで桟橋から水面に映る東南アジアのメガロポリスのシルエットを眺めていたくなる。

そして、今夜も路地裏の屋台へと足を運ぶのだった。
「せっかくチャイナタウンに泊まってるんだ、今夜は中華だー!中国本土の食品は何が入ってるか分からんから恐いけど、在外華僑の作るチャイニーズフードなら多分大丈夫だろう!」…ホントに全然懲りないな我ながら。


ホテルの斜向かいの路地で、勤め帰りのおっちゃん達が群がり無言で何かを掻き込んでいる屋台があったので飛び込んでみる。
「これ一体何?」
店員は「カレーだよ」と言うが、絶対違うだろ!!
「何かのごった煮かけご飯」としか表現しようのない食い物だが、でも美味い!
それに自分が一体何を食べているのかよく分からないという体験も、なかなか出来るものではないので楽しい!


屋台をハシゴして、「本格中華らしいの」をさらにもう一杯。
これは何なのかすぐに分かる。何しろ屋台の看板に派手にあひるの絵が描いてある。
「北京ダッグ風家鴨肉乗せ米麺」は、実に本格的な味。これは美味い!
昨日のノーンカーイ駅前大衆食堂で食べたビーフンと同じ要領で、テーブルに大量に常備されたナンプラーや各種スパイスと砂糖を継ぎ足しかけ回しながら麺を啜る。
「僕もだいぶ、タイ式の屋台の食事に慣れてきたなぁ!」
上機嫌でホテルへ戻った僕が再び強烈な「洗礼」を受けたのは、シャワーを浴びてそろそろ寝ようかとしていた時だった。

今夜もまた、インドシナの眠れぬ夜が続く…


→泰国鐡路漂流記~6、再び台湾。そして旅の終り~に続く

泰国鐡路漂流記~4、再び国境。驟雨。インドシナの闇の底を、夜汽車は走る~

2008-10-02 | 旅行
タイとラオスの国境にて、イミグレーションに並ぶ行列。

←泰国鐡路漂流記~3、国境。ノーンカーイ・ターナレーン、そしてラオス~からの続き

ターナレーン駅から歩いて国境まで戻ってきた。

入国する時は気が付かなかったが、国境のイミグレの裏にはさながら小さなショッピングモールのような免税店街があり、ついさっきまで歩いていた素朴そのものの農村風景とは対極の、日本人の僕から見ても高額過ぎる値が付いた外国製品、酒、タバコ、化粧品にブランド品がエアコンの効いた店内に並んでいる。
郷愁の世界からいきなり現実に引き戻されてしまい、少々感傷的になる。
「田園の夢は覚めた…タイに帰ろう。」

さっきのラオス入国の時と逆の手順で出国手続きを済ませ、今回もキッチリ国境税を取られ(でも何故か15バーツしか取られなかった。タイとラオスの物価の差か何かを考慮しているんだろうか?)、バス屋のオヤジに10バーツのバス代を渡すと
「満席になったから、あれに乗ってくれ」とオンボロのマイクロバスに案内される。
そのマイクロバスも既に満席で、どうするんだよと思っていると運ちゃんが助手席のドアを開けて「ここに乗りな」と手招きする。
僕が助手席に座ってドアを閉めると同時に、マイクロバスは友好橋に向かって走り始めた。

助手席に押し込まれたのはラッキーだった。来る時は殆ど見えなかった友好橋の車窓がよく見えるのだ。
早速、携帯電話のビデオを起動して録画開始。

という訳でラオス側からタイ側へ、完全ノーカットのタイ・ラオス友好橋を渡る国境バスの車窓動画をご鑑賞下さい。

出発してすぐに交差点のようなものがあるが、これはラオス国内は右側通行なのに対してタイ国内では左側通行なので、友好橋のラオス側の袂で上下の車道が交差している部分であるということを帰国してから知った。
また、ラオスの国旗がはためいている友好橋の橋上に出る直前に左側から鉄道線路が合流してきて、そのまま路面電車のように上下車線の中央部に線路が敷かれている様子がハッキリと確認出来る。線路の敷設は既に友好橋上の全区間で完了しており、鉄道は道路と同じ友好橋を渡ってラオスとタイ両国を結んでいたのだ。

途中でカメラを右側に振って、メコンの流れを眺めているが、本当に何という大河なのだろう。この紅い河は遠くチベットから延々と流れてきたのだ。雄大すぎる風景に旅心を揺さぶられると同時に、この河の源流で行われているチベット弾圧に胸が痛んだりもする。
いつの日か、自由と平和の戻ったメコンの源を訪れてみたいと強く願った。

タイ国旗の翻る地上部分に入ってすぐ、線路は再び左側に別れて行く。
タイ国内へと続く線路を仕切るフェンスを見て、一瞬背筋が寒くなった。
「あれは…午前中にノーンカーイ駅から線路を歩いて到達したフェンスじゃないか!…乗り越えたりしなくて良かったー!!あぶなくタイから密出国するところだった!!」

タイ側のイミグレーションオフィス前でおんぼろマイクロバスから降りて、いつものように天下御免の日本国旅券を提示してタイに入国しようとすると、珍しく入国審査官から質問を受ける。
「タイ国内での滞在先は?どこのホテルに泊まるんだ?」
どうやら、今夜はどうせまた夜行列車に乗るので面倒臭くて入国カードの滞在先アドレスの欄を記入しなかったのがまずかったらしい。
「滞在先は…今から列車に乗ります。nighttrain,sleepingtrain,Tonight… to Bangkok!」
「Bangkok?」
「Yes…Hualamphong Station.」
「Hualamphong?」
「Yes.」
案外しつこく聞いてくる。
「それで、バンコクのフワランポーン駅に着いたらどうするんだ?」
「駅の近くのホテルに泊まります」
「どの位?」
「え~っと、帰国する日まであと何日だっけ…アバウト、3days(実際は2日だった)」
散々しぼられて、ようやく入国スタンプを貰うことができた。


国境から歩いて、ノーンカーイ駅から延びる線路の踏み切りに戻ってきた。
「この線路の先、フェンスの先の友好橋を渡った先に、ラオスがあった。僕は、そこへ行って戻ってきたんだ。ああ、またラオスに行きたいな。はやくこの線路にターナレーン駅行きの国際列車が走り出さないかな!今度は、列車でメコンを渡るぞ!」


今夜の、折り返しバンコクへと戻る夜行急行EXP70列車の発車までまだ暫らく時間があるので、踏切を越えてそこら辺を散策してみる。
ノーンカーイ郊外の閑静な住宅地といった感じの地区で、トゥクトゥクもしつこく客引きしないので情緒のある乗り物に見える。




親水公園のような池と寺院があった。
時折、通り雨のようにさっと雨が降る。ノーンカーイはメコンとモンスーンに育まれた美しい水の街だった。




駅に戻って、EXP70列車が予定通り18:20に発車することを確認して、まだ時間があるので駅前の大衆食堂に入る。
今日は、よく考えたらお昼に何も食べていなかったんだ。

地元の家族連れが賑やかにビールを飲んでいる食堂で、さて何を食べようかねと思って並んだ食材を眺めていると
「ヌードル?」
とおばちゃんに言われ、おおいいねぇタイの麺食おうというんで「Yes!ヌードルヌードル」と答えると、何とカップラーメンにお湯を入れようとするので
「ちょっと待ったー!!何でタイの国境地帯まで来てカップ麺食わんといかんのだ。他に何かないの?」と身振り手振りでアピールすると、
「じゃあこれにする?」とビーフンのような乾麺の玉を取り出す。
「何だよ、ちゃんとした麺があるじゃん。最初からそれを出してよ~」
よく、東南アジアで本場の「ベトナム式コーヒー(と言うんですかね?小さなポットで細かく挽いた粉を煮詰める奴)」を飲もうと喫茶店に入ると何故か自分にだけネスカフェを出されてガッカリした、という話を聞くが、ここら辺ではインスタント式の方が高級品なのかな?よく分からんが。

さて、お待ちかねのビーフンみたいなベトナム麺が出来上がり、それと一緒におばちゃんが持ってきたのは、噂に聞くエスニックなスパイスと調味料各種の山。
有名なナンプラー以外にも、チリソースに唐辛子と酢が数種類、何故か日本でも御馴染のメーカーのウスターソース、そして何と砂糖!
どういう組み合わせだと仰天するが、面白いのでどんどん入れて味を試す。
周りの客も「日本人はどうやって食うんだろ?」という感じで笑いながら見ていて、僕が唐辛子をタップリ入れようとすると「Hot!Hot!」と制止しようとしたりする。スパイスを入れる度に味の加減が変わって、色々な味が楽しめるのでこれは面白い!
意外だったのが砂糖。ビーフンにこんなもの入れたらくどくて食べられなくなりそうだが、砂糖を入れると味がビシッと決まる感じがするのだ。日本に帰ってから試してみようかな、汁かけ麺に砂糖。

おいしいおいしいと麺をすすっていると、周りの客から「味はどうよ?うまいか?」って感じで話しかけられたり。これだから海外の大衆食堂は楽しいんだよな。

楽しく腹ごしらえも済んで、さあ列車に乗ろう。夜汽車でバンコクに戻ろう。

今夜の宿となる1等個室寝台車は、昨夜乗ってきたのと同じ車輌。同じ列車の編成の折り返し便で、1等車は1輌しかつないでいないので当然だが。
乗務するスタッフも列車と一緒に折り返すローテーションのようで、再会した列車ボーイのおっちゃんや若い車掌が僕の顔を見て「あれ?今夜も乗るの?」と大笑いする。
早速、おっちゃんが「今夜は何を食べる?」とルームサービスのメニュー表を持ってくる。さっきビーフンを食べたばかりだが、メニュー表にタイ料理の世界三大スープ「トムヤムクン」があるのを発見して、思わずオーダー。
タイ国鉄の車内ケータリングのトムヤムクン、これは是非食べてみたくなるってもんでしょ?

「…失敗した!」
見事にまったく味も素っ気もない、ただピリピリ辛いだけのトムヤムクンだった。
いつもなら列車内で出る食事だからこんなもんさと気にもならなかったろうが、さっき駅前食堂でおいしい麺を食べたばかりなので余計に無念なり。

さて今夜は2人部屋の1等個室には同居人がいる筈なのだが、始発駅のノーンカーイを発車した時点ではまだ乗って来ていない。
今のうちに、部屋に荷物を置いて昨夜は見て回れなかったこの夜行急行列車の車内を一通り見て回ることにする。
今乗っている1等個室寝台車は韓国のDAEWOO社製(台湾の『病院の待合室みたいな電車』を造ったメーカーだ)だが、隣に数輌連結されている2等寝台車は日本の東急車輛製だった。





2等とはいえ、日本ではA寝台で採用されている2段式プルマンスタイルとなっている。
尤も、線路のゲージが狭軌の日本よりさらに狭いメーターゲージのインドシナ仕様の小振りな車体のため、ベッドも日本の寝台車より一回り小さいようだが、それでもまあまあ快適そうだ。
2等寝台車は更に車内構造は同じだがエアコン車とファン(扇風機)車に等級分けされており、ファン車の車内は窓から夜風が流れてくる。風情があっていいが、今夜は雨が降ったり止んだりなので雨が吹き込んだり湿気で寝苦しいだろうな。


エアコン2等寝台車のベッドを見ていて、大発見!
このカーテンの生地、JR北海道の気動車併結用寝台車のカーテンと同じものだ!
東急車輛とJR北海道がたまたま同じ業者からカーテン記事を購入したのだろうか。
この模様を見ていると、先月乗り納めをした北海道最後の寝台車付き夜行特急「まりも」の想い出が甦る。
学生時代、一体何晩この模様を眺めながら眠ったことか…

何輌かつながった2等寝台車を通り抜けると、
「あれ?食堂車がある!」
例の愛想のいい列車ボーイのおっちゃんがウェイターをやっていて、僕の顔を見るとおどけて敬礼する仕草をする。

「こんな立派な食堂車があるなら、最初からルームサービスじゃなくてここで食事したかったよ。」
食堂車は中々の盛況で、皆大いに飲んだり食べたりして盛り上がっている。
こうなったら、僕も素通りする訳にはいかない。おっちゃんにメニュー表をもらって、
「何だ、ルームサービスと同じメニューじゃないか。ここの厨房で調理して個室寝台まで持って来てくれてたんだな。
とりあえず、LEOビール。大瓶で!それから、つまみはアラカルトの一品料理を適当にでいいや。」
…この適当に頼んだアラカルトのせいで、この後七転八倒の苦痛を味わうことになることなど、この時の僕が知る由もない。


「タイに渡ったブルートレインに乗ることは出来なかったけれど、会うことは出来た。メコン川を渡って、ラオスに行くことも出来たしこれからの駅を見ることも出来た。…心構えも無く何の準備もせずに、勢いと思いつきで始めたタイ乗り鉄旅行だけど、それなりに、有意義な旅になっているんじゃないかな」


リズミカルな揺れと、タイ式にグラスに氷をたっぷり入れたアルコール度数高めのLEOのせいですっかりいい心持になった。
適当に運ばれてきたシーフードサラダは激辛の唐辛子ソースのせいで舌が焼けるようだったが、熱く湿ったインドシナの夜にはそれも心地良い。


食堂車の酔いを醒まそうと編成をさらに進むと、食堂車の先は座席車ばかりが連結されていた。どうやら食堂車を境に寝台車と座席車が区切られているようだ。
座席車もリクライニングシートの2等エアコン車と同じく2等ファン車、さらに直角ボックスシートの3等ファン車と等級分けされているが、いずれも寝台車と比べると随分古い車輌を使っているようで、薄暗い客室や走行中も開きっぱなしのデッキドアの雰囲気は日本の旧型客車か台湾の平快車のようだ。それもその筈、車端部の壁の上塗りされたペンキで塗りつぶされたメーカーズプレートをよくよく見ると薄っすらとKINKIというローマ字が読み取れた。この座席車は、近畿車輛製の正真正銘の日本の旧型客車だったのだ。
「何というか…参ったね。ブルートレインに乗りに来たけど、気が付けば古き良き旧型客車に乗ってタイを旅していたなんてね。旅の目的は、違うかたちで成就してしまったじゃないか!」

旧型客車の車内をどんどん進んでいくと、編成の最後尾のデッキに出た。
真っ暗なインドシナの夜の闇が、恐ろしい勢いで流れていく。
時々、彼方の雲が稲光で照らされ、湿りを帯びた平原が一瞬浮かび上がる。驟雨。闇の底を、夜汽車は走って行く。
凄まじい夜の眺めに圧倒され、思わずデッキの手摺を強く掴むと、隣に立っていた日本のアニメキャラクターと日本語のロゴが描かれたTシャツを着た若い男がニヤッと笑いながらこちらを振り返る。
「何かもう…たまらんなぁ、タイって国は!」
そして僕は通り雨に濡れながらデッキから身を乗り出し、カーブに身をくねらせ疾走するEXP70列車の編成と闇を切り裂く電気式ディーゼル機関車の前照灯を睨んだ。
あっぱれな、威風堂々とした夜行列車が僕を乗せて疾走して行く。
「タイに夜汽車あり!!」
さて、そろそろ部屋に戻ろう。今夜は同居人もいることだし。

今夜、僕と同じ部屋で寝泊りする乗客はウドンターニーから乗り込んできた真面目そうなビジネスマン風のおじさんだった。
僕がいい気分に出来上がって部屋に戻ると、ブリーフケースから書類を出して目を通していたりするので何だか申し訳ない気分になる。
そのうち、若い車掌氏が「チョットスミマセーン」とか言いながらベッドを作りにきた。おじさんはすぐに下段ベッドに横になり寝てしまったので、僕もさっさと寝てしまうことにする。
今日は色んな事があって、結構ハードだったしね…

激しい腹痛と悪寒が襲ってきたのは、上段ベッドに横になりうつらうつらし始めた時だった。
「やられた…人生初めての、これが『アジアの洗礼』か…駅前食堂のビーフンを食べても何ともなかったのに、これはさてはさっき食堂車で食べたサラダの激辛唐辛子ソースにやられたな?」
結局、僕は腹の底に澱のように溜まった恐ろしい唐辛子ソースをすべて下してしまうまで、トイレに籠って列車の揺れに身を任せることになったのである。

これでまた少しだけ、アジアの真髄に近付いたような、そんな夜だった。

→泰国鐡路漂流記~5、バンコク。河、寺院。カオサンの虹~に続く