熊本県八代市、松浜軒 雨の庭園から白菊の間を望む
僕は勤め先の茶道サークルで茶の湯の真似事のようなことをやっているのですが、教えに来て頂いている先生のお誘いで今日は秋の茶会に行ってきました。
稽古が足りなさ過ぎるので御作法もまだまだ未熟なので、真似事みたいな感じだったんだけどね。
会場はここ、地元八代市にある国指定の名勝「松浜軒(しょうひんけん)」。
元禄元年、御当地の領主松井家の当主が母親の為に創建した大名庭園で、かつては白砂青松の不知火海の浜辺にあったことから「浜の茶屋」とも呼ばれている。
不知火海が干拓された現在では一体は八代市街地となり、マンションがすぐ隣りにあったりするんですが、それでも今尚豪奢な庭園がそのまま残り市街地の中に残された異空間になっています。

秋の雨に沈む見事な庭園。
初夏には「肥後花菖蒲」が咲き乱れるそう。


庭に張り出した御座敷「白菊の間」で、濃茶を戴きました。
濃茶の作法は全然知らないから、後ろに先生に付いていて頂いて一々やり方をカンニングさせてもらってしのいだ始末で、付け焼刃もいいところなんだけど、浮世離れした雅な空間で楽しかった!
濃茶は飛び切り上等な抹茶を文字通り「練り上げた」もので、濃厚そのもの。茶会の参列者の皆さん数人で回し飲みします。
その感覚は飲み物というより食べ物(まるで流動食?)に近かったけれど、美味しかった。
ところでこの松浜軒、実は先の大戦の終戦後暫らくの期間に旅館として営業していた時期があり、まあ元は大名屋敷なんだからとんでもない高級旅館だから当然だろうが、昭和天皇はじめやんごとなき方々が訪れているそうな。
そんな松浜軒に宿泊した名士達の中に、作家の内田百(うちだ・ひゃっけん)の名がある。
夏目漱石門下生である文豪百先生、実は(恐らく日本で最初の)鉄道オタクであり、終戦後間もない昭和20年代から日本全国を「乗り鉄」して回ってその行程を代表作である「阿房列車(あほうれっしゃ)」シリーズとして書き上げておられるのだが、何故か松浜軒が大のお気に入りで度々八代まで足を延ばしておられるのだ。
そう思って座敷からお庭を眺めると、「ああ、この池と松林を“鉄オタの神様”百先生も見られたんだろうな」と感慨ひとしお。
帰り際に、玄関脇の小さな資料館に収蔵された松井家の茶道具を眺めて、受付の女性に「あの~、内田百先生についての資料はありますか?」と訪ねると「最近、内田百さんについて訪ねて来られる方が多いんですよ」と松浜軒と内田百の関わりについて記載された頁のある小冊子を手渡された。東京や北海道から来る人もいる、とのこと。
「僕も、今日は茶の湯で来たんですが実は鉄道オタクでして。松浜軒と百先生の関係も『阿房列車』で知ったんですよ。きっと、百先生について訪ねて来る人たちにも鉄道オタクが多いと思いますよ(笑)。
ところで、百先生の泊まられた部屋はどこになるんでしょうか、今でも当時のままですか?」
「ええ、内田百さんがいつも泊まられたのは奥の『白菊の間』です。ちょうど今日のお茶会の会場になっていますね」
何ですとーーー!?
「僕は、まさに百先生の部屋でお茶を戴いたのか…!うわー、感激です!」
鉄道好き冥利に尽きるとは正にこの事!
…「大きな池が座敷の前庭にひろがり、折れて座敷の廻り廊下に沿い、向うの出島の裾を洗って、まだ続いた先が一番広い。広い所の池心へ伸びた八ツ橋があり、狭く括れた所に出島へ渡る一枚岩の石橋がかかっている。出島は小さいけれど大木が繁り合い、鬱蒼とした森林の景を呈する。池の水面に浮き草が浮かんで、向う岸の浅くなった所には睡蓮が咲いている。」(鹿児島阿房列車後章)
…「鳥栖で鹿児島本線の下リ三五列車「きりしま」に乗り換えて、八代に向かった。午後二時二十一分八代駅着、宿の女中頭御当地さんが出迎えた。(中略)お庭は蒼蒼として平澄、池を隔てた吹上に突兀と聳え立つ老松は、いつ来ても微かな松韻をかなでている。」(長崎の鴉 長崎阿房列車)
僕は勤め先の茶道サークルで茶の湯の真似事のようなことをやっているのですが、教えに来て頂いている先生のお誘いで今日は秋の茶会に行ってきました。
稽古が足りなさ過ぎるので御作法もまだまだ未熟なので、真似事みたいな感じだったんだけどね。
会場はここ、地元八代市にある国指定の名勝「松浜軒(しょうひんけん)」。
元禄元年、御当地の領主松井家の当主が母親の為に創建した大名庭園で、かつては白砂青松の不知火海の浜辺にあったことから「浜の茶屋」とも呼ばれている。
不知火海が干拓された現在では一体は八代市街地となり、マンションがすぐ隣りにあったりするんですが、それでも今尚豪奢な庭園がそのまま残り市街地の中に残された異空間になっています。

秋の雨に沈む見事な庭園。
初夏には「肥後花菖蒲」が咲き乱れるそう。


庭に張り出した御座敷「白菊の間」で、濃茶を戴きました。
濃茶の作法は全然知らないから、後ろに先生に付いていて頂いて一々やり方をカンニングさせてもらってしのいだ始末で、付け焼刃もいいところなんだけど、浮世離れした雅な空間で楽しかった!
濃茶は飛び切り上等な抹茶を文字通り「練り上げた」もので、濃厚そのもの。茶会の参列者の皆さん数人で回し飲みします。
その感覚は飲み物というより食べ物(まるで流動食?)に近かったけれど、美味しかった。
ところでこの松浜軒、実は先の大戦の終戦後暫らくの期間に旅館として営業していた時期があり、まあ元は大名屋敷なんだからとんでもない高級旅館だから当然だろうが、昭和天皇はじめやんごとなき方々が訪れているそうな。
そんな松浜軒に宿泊した名士達の中に、作家の内田百(うちだ・ひゃっけん)の名がある。
夏目漱石門下生である文豪百先生、実は(恐らく日本で最初の)鉄道オタクであり、終戦後間もない昭和20年代から日本全国を「乗り鉄」して回ってその行程を代表作である「阿房列車(あほうれっしゃ)」シリーズとして書き上げておられるのだが、何故か松浜軒が大のお気に入りで度々八代まで足を延ばしておられるのだ。
そう思って座敷からお庭を眺めると、「ああ、この池と松林を“鉄オタの神様”百先生も見られたんだろうな」と感慨ひとしお。
帰り際に、玄関脇の小さな資料館に収蔵された松井家の茶道具を眺めて、受付の女性に「あの~、内田百先生についての資料はありますか?」と訪ねると「最近、内田百さんについて訪ねて来られる方が多いんですよ」と松浜軒と内田百の関わりについて記載された頁のある小冊子を手渡された。東京や北海道から来る人もいる、とのこと。
「僕も、今日は茶の湯で来たんですが実は鉄道オタクでして。松浜軒と百先生の関係も『阿房列車』で知ったんですよ。きっと、百先生について訪ねて来る人たちにも鉄道オタクが多いと思いますよ(笑)。
ところで、百先生の泊まられた部屋はどこになるんでしょうか、今でも当時のままですか?」
「ええ、内田百さんがいつも泊まられたのは奥の『白菊の間』です。ちょうど今日のお茶会の会場になっていますね」
何ですとーーー!?
「僕は、まさに百先生の部屋でお茶を戴いたのか…!うわー、感激です!」
鉄道好き冥利に尽きるとは正にこの事!
…「大きな池が座敷の前庭にひろがり、折れて座敷の廻り廊下に沿い、向うの出島の裾を洗って、まだ続いた先が一番広い。広い所の池心へ伸びた八ツ橋があり、狭く括れた所に出島へ渡る一枚岩の石橋がかかっている。出島は小さいけれど大木が繁り合い、鬱蒼とした森林の景を呈する。池の水面に浮き草が浮かんで、向う岸の浅くなった所には睡蓮が咲いている。」(鹿児島阿房列車後章)
…「鳥栖で鹿児島本線の下リ三五列車「きりしま」に乗り換えて、八代に向かった。午後二時二十一分八代駅着、宿の女中頭御当地さんが出迎えた。(中略)お庭は蒼蒼として平澄、池を隔てた吹上に突兀と聳え立つ老松は、いつ来ても微かな松韻をかなでている。」(長崎の鴉 長崎阿房列車)