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2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 9:ザグレブ散歩~トラムに乗って現代美術館へ

2015-09-27 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:MUZEJ SUVREMENE UMJETNOSTI ZAGREB(MSU)/ザグレブ現代美術館


8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラからの続き

ザグレブ技術博物館では数々の宇宙展示やカールツァイスのプラネタリウムを堪能し、天才発明家ニコラ・テスラの世界にも浸り、更には博物館のボランティアスタッフが「せっかくだから参加しなさいよ」とわざわざ呼びに来てくれたので「クロアチアの鉱物資源と鉱山の展示コーナーのガイドツアー」にも連れて行ってもらって(←この鉱山のガイドツアーは博物館の地下フロアに組まれた広大な鉱山の地下坑道を模したコースを歩いて見て廻る、実に本格的で興味深いものだった!) 、大満足で見学を終えた。

…実のところはもっと見ていたかったのだが、今日は日曜日なので昼には博物館を閉めてしまうとのこと。名残惜しいが、博物館のボランティアスタッフの皆さんに礼を言ってザグレブ技術博物館を後にする。

さて、午後は何をして過ごそうか。
せっかくのいい天気だし、トラム(路面電車)の一日乗車券も持っているので、ちょっとピクニックがてらザグレブの郊外にトラムで繰り出すことにしよう。

…という訳でトラムに乗って、サヴァ川を渡った市街地の南側に広がるノヴィ・ザグレブ(ザグレブ新市街地区)にやって来た。
ここには、MUZEJ SUVREMENE UMJETNOSTI ZAGREB(MSU)ザグレブ現代美術館がある。



2009年に完成した、まだ新しい建物のザグレブ現代美術館は、大型ショッピングモールやマンションが立ち並ぶザグレブ新市街地区ニュータウンのランドマーク的な施設で、大変充実した展示を誇る(館内は撮影禁止だったようなので写真は撮っていないが、ユーゴスラビア解体とボスニア・ヘルツェゴビナ紛争をテーマにした壁一面を覆う巨大なタペストリー作品が印象的だった)。
クロアチアの新しい文化的シンボルである。



ザグレブ現代美術館でコンテンポラリー・アートを堪能した後は、大通りを挟んだ斜向かいにある大型ショッピングモールでウィンドウショッピング。

“市場を見ればその国が解かる”とはよく言われる事だが、郊外型のショッピングモールの館内はクロアチアでも日本でも雰囲気はほとんど同じ。つい二十年ほど前にユーゴ紛争を経験したこの国も、今では順調に経済発展を遂げて豊かな消費生活を送っているということが見て取れる。

…などと偉そうに経済論を述べながらも、もう昼過ぎだ、今日は朝に寝台列車LISINSKI号の車内で小さなパンとお茶の朝食プレートを食べただけなのでお腹が空いて足元がフラフラする(笑)
せっかくなのでショッピングモールの中のスーパーマーケットで何か買って食べよう。


という訳で、スーパーマーケットで買ってきたのはJAPANが世界に誇る国際食SUSHI!
ちゃんと日本語のひらがなでどうぞめしあがれと書いてあるぞ。ちなみにこれはOSAKAというセットですが、ちゃんとTOKYOもありました。

“SUSHIを食べてみればその国の食文化と食生活レベルが解かる”というのは僕の持論だが、クロアチアのSUSHIは米の炊き方がふっくらとしていてかなりの上出来でとても美味しかった。
お見事な寿司でした、あっぱれクロアチア!

寿司を食べたらついでに夕食の買い出しも済ませて、スーパーマーケットの買い物袋を提げてトラムに乗って中央駅前のビジネスホテルに帰る。




シャワーを浴びて汗と街の埃を洗い流してから、スーパーマーケットで買ってきたパンとチーズにトマトで夕食。

真夏のヨーロッパではなかなか日が沈まない。
もう夜8時過ぎなのだが、ザグレブ中央駅前はまだ明るい。ホテルの部屋の窓の下を、さっきザグレブ新市街地区から乗って帰ってきた水色のトラムが夕陽を浴びながら行き交う様子が見える。

  

ようやく日が暮れて辺りの熱気が薄れ、涼しい夜風が吹き始めたらさぁザグレブの夜の街に繰り出そう!
…という体力は残念ながら残っていなかった。
何しろよく考えたら、昨日(実際には時差があるので実質2日前)に日本を出て以来、飛行機と寝台列車を乗り継いでずっと移動していたのだ。更に今日は一日精力的に博物館と美術館を巡ったので身体の疲労もピークに達している。

食事を済ませて歯を磨くと、そのまま自動的に身体がベッドに潜り込んだ。ああ、2日ぶりの動かないベッド…
おやすみなさい。
今夜はぐっすり寝て体力を再チャージしたら、明日はいよいよ朝から列車でボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボに向かう。

10:ザグレブ発サラエボ行き397列車の旅 前編に続く

2015夏 ドイツ/クロアチア/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紀行 8:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラ

2015-09-27 | 旅行記:2015 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ
Photo:ザグレブ技術博物館のニコラ・テスラ像


7:ザグレブ技術博物館の宇宙科学関連展示からの続き

ザグレブ技術博物館の1階展示フロアの奥の方、鉄道車輌や飛行機の展示の陰に隠れるように、その部屋はあった。





“電気の魔術師” と称され、発明王エジソンの最大最強のライバルでもあった天才発明家、ニコラ・テスラ

交流電気の活用により世界中の人々の暮らしを一変させたばかりでなく、21世紀の今日でも社会の基盤となっている交流モーターをはじめ無線技術や高周波装置、蛍光灯にラジオ放送からブレードレスタービン、果ては未だ実現されていない無線送電技術を発展応用した地球規模での究極の総合情報通信ネットワーク構想である「世界システム」までを提唱していた恐るべき男は、今を遡ること一世紀以上前の1856年7月10日にここクロアチアに生まれたセルビア人だった。
ザグレブ技術博物館には、「祖国の偉人」であるテスラの功績を讃える専用の展示室が用意されていたのである。


展示室の入口では、テスラのファンにはお馴染みの「送電線がつながっていないのに妖しく輝く無線電球を手に佇むテスラ」の姿をかたどった像が出迎えてくれる。





テスラ展示室内には、天才発明家の生い立ちから栄光と波乱に満ちた生涯、そして孤独と悲劇に彩られた死とその後の再評価までが一覧できる資料が並ぶ。





ニコラ・テスラの象徴である「テスラコイル」と、交流モーターに関する詳細な展示品。
これらについては学芸員による実演説明も行われた。


交流モーターの回転磁界で金属製のタマゴがくるくる回る「コロンブスの卵」。
世界中の科学館で見かけるこのポピュラーな科学マジックも、その元祖は1893年のシカゴ万国博覧会でのウェスティングハウス・エレクトリック社とテスラの共同展示である。


音叉を使った「共振」の実験中…なのだが、よく見ると音叉が置かれているのはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでテスラが公開実験を行った無線操縦ボートのレプリカのようである。

そして、テスラといえばやはり放電照明とテスラコイルの空中放電!





人類の歴史を変える偉大な功績を残しながらも、やがて波乱万丈の人生の波に飲み込まれ、それでも発明を諦めず見果てぬ夢を抱き続けながらも、誰からも理解されず最期は狂人扱いされたまま孤独のうちに世を去った悲劇の人物でもあるニコラ・テスラ。
だが今、テスラの先見性と天才的な発明の数々は年々再評価が高まり、彼の孤高でドラマチックな人生に憧れ慕う人々は世界中に増え続けている(もちろん僕もその一人だ)

死後半世紀以上を経てようやく正当な評価と、ある種熱狂的な人気をも得たユーゴスラビアの偉人には、彼の地元にある博物館の展示室で会うことが出来る。

9:ザグレブ散歩~トラムに乗って現代美術館へに続く