超お勧め!! ポジティブの教科書 武田双雲著 定価940円税別
前向きに生きる教科書って言うか、とても読みやすくてやってみようって気持ちになりやすいなあと思った本でした。Takedaさんに会った人は幸せになっていく、そんなことが最初に書いているので、えーほんとかなあって疑いの眼でいましたが、読んでみて、この人と出会ったら幸せになるわって思える内容で感動しました。
この手の本は色々読んできたのですが、この本に比べると理屈っぽい本が多いもんだなあと思える感じ、すごく自然とは行ってくる感じでした。日本人の感性で書かれている感じがとても読み心地がいいのかも知れません。
是非、何度も読んで欲しいと思える本でしたー。もう27万部になっているって。すごっ。
最初の方に書いている、恩返しスタイル、感謝メガネってのもとっても共感しました。講演会でも引用しようと思います。
そのなかで、あーやっちゃってるなあって思うところをご紹介したいと思います。みんなにこうやって欲しい、こうやってくれないから上手くいかないなんて結構思っちゃってるなあって、反省しきりでした。楽しく思えるようにいろんなコツも書いているのでとても楽しく取り組めそうなこともたくさん書いています。
90 何を与えられるだろうか
僕がサラリーマンだった頃のことです。同僚で「給料がもっと高ければいいのに」とか「会社はもっと社員にこうすべきだ」と言うことを最もらしく言う人が、かなりの数いました。僕は、この思考はとても危険だと感じていました。
たとえば夫婦関係で、「妻は僕にもっと与えるべきだ」というように「相手が自分に何を与えるか」という思考でいる夫って、家庭を壊していく傾向に有ると思うのです。
妻が、自分のために何もしてくれない。
会社が、自分のために何もしてくれない。
国が、自分のために何もしてくれない。
親が、子供が、上司が、先生が、生徒が、友達が、恋人が。。。。と求めまくる人。
求めている人は、逆に文句を言っている相手に貢献できたのでしょうか。
貢献度が小さいのに要求ばかりする人は、相手からすれば煙たい存在です。だから相手の態度を固くさせ、さらに不満がつのるというマイナススパイラルに陥るのです。そうならないためにも、自分が何を与えられているかを客観的にチェックする癖をつけていきたいです。
例えば、普通の良い夫であれば、「僕は妻に何を与えられるだろう」という思考が基本となっています。それと同じで、「私は会社に何を与えられるのだろう」という問いを投げかけながら行動している社員は確実に伸びます。
僕が会ってきた成功者(多くの人に支持される人)たちは、みな必ず、「自分は社会に何を与えられるだろう」という問いをずっと持ち続けていました。こんなシンプルな「与える思考」を人間は意外にも忘れがち。いつのまにか「周りはなぜ僕に、何も与えないのだろう」と「思考が逆流」してしまいます。そうなってしまっては、マイナスのスパイラルの始まり。生きるのが苦しくなってきます。
「苦」の反対は「楽」。「楽」を得るためには、「与える」ことが最短の道なのです。誰もが楽したいし、苦しいのは嫌ですよね。楽するためにも、いろんな人に与える方が圧倒的に効率的なんです。
91 「与える」と「見返り」の関係
「与える」という言葉を「犠牲」ととらえる人がいます。
与えると犠牲は違うものです。犠牲にしなくても与えることは、どれだけでも可能です。例えば自分でいらなくなったものを、あの人にあげたらすごく喜んでくれたとか、楽しく笑顔で仕事をしていたら、いつのまにか、まわりまで明るくして、みんなから感謝されていたとかも犠牲でない「与える」ですよね。
その共通点は、犠牲どころかプラスばかりです。自分にもプラスで周りにもプラスになります。与えることを喜び、喜んでくれたことを喜び、感謝されて喜び、さらに与えたくなる。この喜びの循環をつくっていくこと、自分もみんなもハッピーになれる流れを作ることが、正しい「与える」ことだと思います。
そこで、やっかいなのが、「見返り」です。せっかく与えたんだから何かお返しがほしいと思うのは、人間の正しい欲求です。ただ、「見返り」を意識すると、「見返り」が見込めない相手には「与えない」という結果になってしまいます。
そこでお勧めしたいのが「見返りを求めない方法」です。
まず、自分を一つのコップだとします。そして、その中に水が入っています。その水があふれた分だけで人に与えれば、見返りはいりません。だって溢れている分ですから。逆に余っているものを受け取ってもらえたら、嬉しいですよね。例えば引っ越しの時にいらなくなった不要品を引き取ってもらえるのと似ています。あげるほうも、もらうほうも嬉しい状態ですね。
でも、溢れていない状態の時に与え続けたら、苦しくなります。一番大切なのは、自分の水を常に溢れている状態に保つことです。自分という器が大きくなれば、入ってくる量も溢れる量も多くなるので、より大きい貢献が出来ます。しかも溢れている分だから、いつのまにか気づかないうちに人が喜んでくれています。
水が少ない時は、人のことよりまずは自分が溢れる状態になるために動きます。水が溢れていれば、与えようと考えなくても、「いつのまにか」与えています。
人間というのは、そういう生き物です。人のためのと書いて「偽」と書きます。人のためにと無理にがんばるより、溢れる状態をどれだけ作り出せるかが大切なのです。