そういえば、このブログで紹介していなかったので。
6月27日に紹介した作品『カリガリ博士』。
映画好きの方は皆知っている、あるいは気になる作品だと思います。
1919年に制作され、ドイツでは1920年に公開、日本でも1921年に公開され話題となりました。
活弁を観にきたお客さんの中には、この「カリガリ博士」という名前から「コメディだと思ってました」という方もいますが、
れっきとした「表現主義映画」の代表作です
表現主義―見たままを客観的に描く写実主義、自然主義の反対。
「既成の価値観に対する反発」から生まれ 、「おれには世界がこう見えてんだよ!」という主観で、極端に誇張、デフォルメしたり、象徴的に簡素化して作品世界を創造するのが表現主義。
この手法で人間の精神的不安や闇、恐怖を描くことに成功した『カリガリ博士』は、第一次世界大戦で敗戦した直後でありながら「ドイツ映画ここにあり!」とその存在感を世界に知らしめた、映画史的にも重要な作品です。
表現主義ってどんなもの?って知りたかったら、この映画を見るのが早い、というくらいの作品ですね
また、「古典怪奇映画の代表作」でもあります。
世界を席巻した最初のホラー映画 といっていいと思います。
★ストーリー
もともとの骨子は、小さな村の祭りに現れた奇妙な見世物師の「カリガリ博士」が、23年も眠り続けるという「眠り男 チェザ―レ 」を操って連続殺人を犯す。カリガリ博士は、精神に異常をきたした精神科医だった―という話です。
それが登場人物の一人である青年フランシスの回想という形で語られています。
★背景
この作品が制作された1919年は、第一次世界大戦が終結し、ドイツが敗戦国となった年です。
家族、友人知人が戦争に駆り出されて亡くなったり、家を焼かれ土地を失ったり、とにかく国力、経済力、国としての誇りも地に落ちて、ドイツは疲弊していました。最初は「国を守るため、愛するものを守るため」と思って戦地に行っても、戦争を支持しても、結局無差別に殺しあうのが戦場ですから。恐怖と狂気、不条理です。国民は、終わってみれば、行き場のない憤りと、貧困、喪失感、敗北感の中で生きる苦悩を抱えて、とにかく狂気的な混沌の中にいました。
(そんな歪んだ世界を表す手法として、もっとも適していたのが表現主義)
★脚本
脚本を書いた二人、ハンス・ヤノヴィッツとカール・マイヤーは、復員した後に、「どうしてオレ達はこんなことになったんだ」と、戦争への憎悪や権力への反発で意気投合しました。
ヤノヴィッツが経験した「奇妙な殺人事件」
マイヤーが受けた「精神科の軍医からの侮辱」
これが結びついて、最初の脚本が生まれました。
戦争に駆り立てる国家の指導者や権力を(=)「カリガリ博士」に見たて、弾劾する。
「眠り男、夢遊病者のチェザ―レ」が(=)、盲目的に戦争で人殺しをさせられる国民ですね。
全く自分の意思がなく、操られて殺人を重ねるのが「眠り男 チェザ―レ 」ですから、戦争に加担した愚かな国民をも批判しているといえるかもしれません。
そして自らの欲望で眠り男に連続殺人を行わせた精神科医「カリガリ博士」は、精神異常殺人鬼で、最後には裁かれるという筋でした。
しかし、映画化に際して、この脚本は、
「そのままでは、あまりに権力主義批判が露骨すぎる。戦勝国からも反発があるかもしれない。商業的に売れないかもしれない」と製作側からクレームがつきました。
「だいたい筋が単純すぎる」という見解もあり、
結果的に、フランシスという青年の回想という形でプロローグとエピローグが付け加えられて
「すべては、フランシスの妄想だった。彼こそが精神異常者だった」という、さらに恐いオチになりました。
★ 作品の見どころ、魅力
① セット美術が何もかも歪んでいる「歪んだ世界」
最初と最後のフランシスが語る精神病棟だけは実際の建物や庭ですが、それ以外は、部屋の中のシーンも、外のシーン…山も街も、すべてハリボテとペンキで処理した書き割りのセットです。
曲線はほとんど使われていない、直線で構成された歪んだセット、平衡感覚もない、遠近感もめちゃめちゃな不安定な構図、これが全編にわたって、非現実的な奇妙な空間を作り出していて、そして実に魅力的なんです。
たとえば、原題でもある「カリガリの箱」。つまりツェザーレの眠る棺ですが、それすら、長方形ではなく、いびつな形をしています。でもそれもまたデザインがイケてる。
この映画の美術に起用されたのは、当時のドイツきっての表現主義の画家3人でした。(ヘルマン・ヴァルム、ヴァルター・ライマン、ヴァルター・レーリヒ)もう、どこを切り取っても、一枚一枚が表現主義絵画!という味わいがあります。
まあ、ハリウッドのような大資本で豪華絢爛な映画を製作できなかった貧乏敗戦国ドイツ、だからこそ産み出せた世界観ですね。
② 恐怖を煽る光の演出
…といえば、ヒッチコックですが、そのヒッチコックにも影響を与えたのがこの作品です。
眠り男チェザーレが、人殺しをする、ジェーンを襲うシーン。
ナイフを振りかぶる姿が、シルエットだけで表現されています。
静かで、美しくて、怖い。
ヒッチコック映画や、ほかの犯罪映画、ホラー映画などでもよくみられる手法ですが、最初に試みたのがこの『カリガリ博士』だと思われます。
(△太陽の光まで照明で作られていて、白と黒のコントラストを強調)
③ オカルト的要素
人間、ちょっとオカルトチックなもの、神秘的な、超常的なものになんとなく惹かれるものですよね。
日本でいえば鬼や妖怪や幽霊の世界。架空とはいえ、伝説的なものへの恐怖と、でも覗き見たいという感覚、どこか親しみを感じてしまう心理、ありますよね。奥底にそういうものがあるから『鬼滅の刃』もあれだけヒットするのだと思います。
ドイツは、古くから、呪術や錬金術、魔術などが文化歴史の中に息づいている土壌があります。
この作品もそう。
カリガリ博士は、ある古い書物から「11世紀にカリガリという不思議な修道士がいて夢遊病者を操って旅をしながら無差別殺人を行った」という記録をみつけて、「自分にも、夢遊病者を自在に操ることができるだろうか、もしかしたら殺人も…。そうだ、私はカリガリだ、カリガリになるのだ!」と、ほとんど憑依したように「カリガリ」になってしまうんですね。
そのシーンの字幕の使い方も秀逸なのですが、こういったオカルト的要素もこの作品の大きな魅力になっているのだと思います。
③ 出演俳優の魅力
出演俳優たちの独特のメイクや風貌、大げさな演技も、表現主義ならではの魅力を放っています。
〇チェザーレの不気味な濃いアイメイク、インパクトありますよね。
1990年の大ヒット映画『シザーハンズ』のメイクもチェザーレメイクの影響を受けているといいます。
それと、チェザーレの全身タイツのような黒い衣装、棺から出たひょろりとした立ち姿も脳裏に残ります。
ツェザーレ役のコンラート・ファイトは、不健康な男を演じたらピカ一!という性格俳優。痩せぎすで色白で目がぎょろりとしていて、見るからに不健康。1919年の『他の人々とは異なって』という映画では、おそらく映画史上初の同性愛者を演じていますし、26年の『プラーグの大学生』では、悪魔に影を売り渡す青年、28年 ヴィクトル・ユゴー原作の『笑う男』では醜いサーカス芸人として主演、癖のある役どころで見事な演技を見せています。(私生活ではナチスに反発して33年にイギリスへ移住、その後帰化しています)
42年のアメリカの名作『カサブランカ』では、ナチスの少佐役で出演。往年の映画ファンで記憶に残っている方、多いのではないでしょうか。
〇そして「カリガリ博士」。
山高帽に、シャーロックホームズばりのインバネスコート、もっさり伸びた白髪に丸メガネというこの容貌もまた、とてもインパクトがあります。
演ずるのはヴェルナー・クラウス。(もともと舞台俳優で1915年頃から映画出演しはじめ、)生涯100本以上の出演作を持つ名優。この作品に出演した時は35歳でした。
・怪しい見世物師のカリガリ
・ツェザーレを自分の欲望を満たすものとして偏愛する異常者カリガリ、
・殺人鬼としての顔を直接は見せない殺人鬼カリガリ、
そして最後に、
・妄想に捕らわれたフランシスを拘束して、にやりと不気味に笑う精神科医カリガリ―
これらを、すばらしい存在感で非常に印象的に演じています。
(〇フランシス役のフリードリヒ・フェーヘルは、俳優だけでなく、のちに監督としても活躍した人です。晩年はアメリカへ渡り、音楽指揮者になっています。)
(〇ジェーン役のリル・ダゴファーは、この作品で注目されてから40年以上スター女優として活躍しました)
★敏腕プロデューサーの存在
ヒットの要因はいろいろありますが、エリッヒ・ポマーという敏腕プロデューサーの存在は大きかったと思います。
ドイツ映画の数々の名作…たとえば『ニーベルンゲン』(1924年/フリッツ・ラング監督)『最後の人』(1924年/F・W・ムルナウ監督)『メトロポリス』(1927年/フリッツ・ラング監督)、ドイツ初のトーキー映画『嘆きの天使』(1930年/スタンバーグ監督)など、どれもそのうち紹介したい名作ですが、軒並み彼のプロデュース作品です。
この『カリガリ博士』も、最初はフリッツ・ラングを監督にと声をかけたのですが、ラングが忙しかったため、ロヴェルト・ヴィーネに依頼しました。
しかし、ラングも多少脚本に関わっており、最初の「カリガリ博士の犯罪ストーリー」を「すべて精神異常者の妄想」にした、このどんでん返しも、結果的に当たりました。
”商業的にも成功させながら芸術性の高い作品を創る”エリッヒ・ポマーという稀有な名プロデューサーの手腕が光った一作と言えます。
最後に
主人公の「カリガリ」というちょっとポップな名前は、フランスの文豪スタンダールの作品に出てくる将校の名からとったものです。
そして「チェザ―レ」ですが、そのスペルはイタリア語のCesare(チェーザレ)。イタリア語でチェーザレといえば、普通は古代ローマ帝国の「カエサル」を指します。(私たちがジュリアス・シーザーとして知っている支配者です。)そして、この「カエサル」という名は、もとは帝政初期ローマ皇帝の称号で、ドイツ語のKaiser(カイザー)やロシア語のцарь(ツァーリ)など、「皇帝」を表す言葉の語源でもあるんです。
「眠り男チェザーレ」は、「皇帝」の存在も暗喩していて
皇帝ですら、軍部の圧力やあるいは世界情勢の中の強大な力によって(軍部の権力、世界情勢の中の強大な魔力=カリガリ博士)、盲目的に戦争という大量殺戮に駆り立てられてしまうという皮肉が込められているのかもしれません。
映画って、多分に時代の空気をまとっています。
繊細な方の中には、この映画を見て鬱がひどくなった気がするという方もいます。
敗戦後の混沌とした、狂気の世界、人間や世の中に対する不信がベースになっていますから、
その認識をした上で、俯瞰してご覧いただくといいのではと思います。
★下記のYouTubeでは、ハイライトシーンの活弁も少しばかりご覧いただけます。
★私の著書『カツベンっておもしろい!~現代に生きるエンターテインメント「活弁」』(論創社)の中には、
『カリガリ博士』の私の活弁台本をすべて収録しております。
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