6月、ポレポレ東中野で、ドキュメンタリー映画『ひめゆり』の手話弁士付き上映を拝見いたしました。
手話弁士付きなんて初めてのこと。場内は、ろう者健聴者入り混じって満席でした。
手話弁士は、米内山明宏さん。この映画は、ほとんど、ひめゆり学徒の生存者の方々によるインタビューで構成されています。ナレーションもインタビューも、字幕で説明が入っているのですが、手話のほうが慣れているろう者の方々は、スクリーンの横で手話で説明してもらったほうが分かりやすいらしいのです。
私が弁士を務める際のように、スクリーン横に米内山さんが立ち、一人一人の証言を手話で伝えます。辛い、できることなら思い出したくないような体験を語るひめゆりの女性たちは、だいたいの方が、怒りや悲しみの感情をふつふつと内に燃え立たせながらも淡々と語っています。
米内山さんの手話と表情は、その感情を代弁するかのように雄弁で、彼女たちの苦しみや葛藤が迫ってくるようでした。
アフタートークにも参加。
耳の聞こえない方も、文字文化中心に生活を送る方と、手話文化で生活している方とに分かれるそうです。いつ聞こえなくなったかによっても違います。
映画も、できるだけ字幕でなく手話説明で観たいという方もいらっしゃいました。
米内山さんは、手話説明向きの作品とそうでないものがあると言います。
一人一人が独白する今回のようなインタビュー作品は、向いているものです。しかし、展開が早く、登場人物やシーンが入り乱れるドラマでは、話者を特定するのが難しいようです。
手話弁士も、活動弁士も、ある意味作品の意訳家です。自分が作品をまず受け取って、それを観客に自分の表現手段で伝えます。いろいろとお話できて、とても有意義な出会いとなりました。以前、無声映画の手話説明の経験もおありとのこと、秋に活弁×手話活弁のコラボが実現しそうです。
手話弁士付きなんて初めてのこと。場内は、ろう者健聴者入り混じって満席でした。
手話弁士は、米内山明宏さん。この映画は、ほとんど、ひめゆり学徒の生存者の方々によるインタビューで構成されています。ナレーションもインタビューも、字幕で説明が入っているのですが、手話のほうが慣れているろう者の方々は、スクリーンの横で手話で説明してもらったほうが分かりやすいらしいのです。
私が弁士を務める際のように、スクリーン横に米内山さんが立ち、一人一人の証言を手話で伝えます。辛い、できることなら思い出したくないような体験を語るひめゆりの女性たちは、だいたいの方が、怒りや悲しみの感情をふつふつと内に燃え立たせながらも淡々と語っています。
米内山さんの手話と表情は、その感情を代弁するかのように雄弁で、彼女たちの苦しみや葛藤が迫ってくるようでした。
アフタートークにも参加。
耳の聞こえない方も、文字文化中心に生活を送る方と、手話文化で生活している方とに分かれるそうです。いつ聞こえなくなったかによっても違います。
映画も、できるだけ字幕でなく手話説明で観たいという方もいらっしゃいました。
米内山さんは、手話説明向きの作品とそうでないものがあると言います。
一人一人が独白する今回のようなインタビュー作品は、向いているものです。しかし、展開が早く、登場人物やシーンが入り乱れるドラマでは、話者を特定するのが難しいようです。
手話弁士も、活動弁士も、ある意味作品の意訳家です。自分が作品をまず受け取って、それを観客に自分の表現手段で伝えます。いろいろとお話できて、とても有意義な出会いとなりました。以前、無声映画の手話説明の経験もおありとのこと、秋に活弁×手話活弁のコラボが実現しそうです。