akikoの「活動」徒然記

活動弁士佐々木亜希子の身の周りの出来事やふと感じたこと

明日は鈴本へ

2007-06-26 | 映画・芸術・エンターテインメント
上野の鈴本演芸場で、古今亭菊千代さんの落語会がございます。
菊千代バラエティー笑!』開場17:30 開演18:00
9条に捧げる新作落語など菊千代師匠ならではのネタと笑いが披露されます。

菊千代さんとは2年前にこれも船で水先案内人としてご一緒したのがご縁。
とにかく面倒見がよく、志の高い方です。韓国語によるコリアン落語や、最近は正蔵師匠も取り組んでいる手話落語にも早くから取り組んでこられました。

明日は私も客席からエールを送りつつ、楽しませていただきます。
明日、都合のつく方はぜひ鈴本へ。
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ともがら

2007-06-25 | FAMILY
母の編集する家族新聞『ともがら』121号(3月号)、122号(4月号)が届いた。離れ離れに暮らす家族のその月の出来事をまとめて作るので、いつも発行は2、3ヶ月後だが、もう十五年以上続けているのだからすごい。この家族新聞のおかげで父母や弟妹、親戚の近況や活躍を知ることも多い。いつから始めたのだったか…、二児の母となっている妹が中学1年の時に『ともがら』という題材で作文コンクールで受賞していたから、そのくらいの年月は経っているということだ。様々な仕事をしながら、よく続けてきたものだと娘ながら感心する。

この春の大きなトピックは、母の「労働基準監督署勤務終了」と、弟の「3年生担任終了。卒業生全員を就職と進学に送り出す」だった。母は、酒田監督署廃止に伴い3月31日、総合労働相談員を満了退職。2年前から務めた職場で、最初は労働基準法と格闘しながらだったが、やりがいのある仕事で本当に充実していたようである。
70歳を機に退職を申し出ていた父はあと一期、公民館長と地域振興会長を務めることになった。
妹家族のことや義妹の活躍、父母の旅行記、新年度スタートに当たってそれぞれに対する父母からのふたり言も記される。

個人的に一番ヒットだったのは母に送られた「退職慰労会のご案内」の転載。
ー佐々木和子様 三月末の監督署相談員退職ご苦労様でした。二年前は不安そうでしたが、最近はすっかりいたについておりました。(中略)これまでのがんばりに心から敬意を表します。今後は健康に留意し旅行や趣味など自分の人生を謳歌してほしいと思います。10日、花月にて二人で会食とします。進

進?父からの「ご案内」かい!
そしてあとがきには、原爆資料館の真面目な感想等と並んで、
ー進さんご招待の会食いい雰囲気でしたね。かずこ

父と母らしい。とつぶやきながら実家に電話する。
この気まぐれに数カ月分まとめて送られてくる家族新聞『ともがら』は私の楽しみの一つなのでありました。
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大人の活弁ワークショップ

2007-06-24 | 活弁
昨年の夏よりとりあえず試験的にスタートした一般向け活弁ワークショップもまもなく1年。
一年の集大成の意味も含め、7月にワークショップ公演を行います。
今日は、一ヶ月前の練習。それぞれに自分の作成してきた台本で担当作品のリハーサル。完成度90%の人からまだ40%ほどの人まで様々ですが、いや、嬉しいですねえ、なかなかの出来です。

一人一作品の他に、ワンシーンを数パターン語るコーナーは必見!!
あの名作のあの名シーン、こんなに何種類も味わえるなんて!?王道の麗しい語りから、抱腹絶倒のコント?まで。各々のセンスが光るワンダフルな活弁ショーをお見逃しなく。

7月8日が、今期最後の稽古となります。8月からまた新たにスタートいたしますので、興味のある方は、まず、7月22日の発表公演を観にいらして下さいね。

◆7月22日(日)
活弁サマーフェスティバル

会場の北とぴあプラネタリウムホールも、素敵です。出演するみんなの良さを最大限に出して、会場のみんなで楽しめる公演にしたいと思います。きっと、楽しんでいただけます!
限定150名、御予約はお早めに。
予約申し込み info@mokuren.gr.jp
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こども活弁教室

2007-06-23 | 活弁
午前午後、北区のこども活弁教室。
毎回毎回、子どもたちの成長、進歩が嬉しい。別に、活弁がうまくなること、ではなくて、
声が出るようになるとか、シーンのセリフや語りにその子なりの感性が出て来たとか、生徒どおしが仲良くなってお互いに言葉をぶつけられるようになってきたとか、そういった小さなことである。

今日はTBSラジオの取材が入る。番組のテーマは「今、大切なもの」。
「なぜ今、活弁をやっているのか」活弁を通して大切なものを私自身がいろいろと教わっているからかもしれない。
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やぐちひとり(C)#12、13

2007-06-21 | 映画・芸術・エンターテインメント
20日はやぐちひとり(C)#13のナレーション収録。
19日深夜放送の#12では、春樹(劇団ひとり)監督による携帯ムービーシネマが披露されました。その名も「プロボーズ大作戦」ならぬ「エレベーター大作戦」…。携帯で撮った作品ですが、これがなかなかキレイ。何より、それをやぐっちゃんに覗き観てもらうための段ボール箱映画館がめちゃイケてました。主演に…いつもナレーション収録の際「は~い、佐々木さん、オッケ~で~す!」と指示を出してくれているディレクターの久保さん。久保さん、次回26日放送の回にも出演しています

<やぐちひとり(C)#12 紹介映画&DVD>
DVDケビンコスナ-主演『守護神』
DVD黒木和雄監督『紙屋悦子の青春』
DVDマイケル・アリアス監督『鉄コン筋クリート』

<やぐちひとり(C)#13 紹介映画&DVD>
映画『ダイハード4.0』6/30公開!
ハリポタシリーズ最新作『ハリ-ポッタ-と不死鳥の騎士団』7月公開!DVDでおさらいも。
映画『シュレック3』6/30公開!
DVDドキュメンタリー映画『ダ-ウィンの悪夢』☆個人的にオススメです
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中日新聞の取材~(株)テクノコア「AXIZ」

2007-06-20 | 取材・メディア
19日、中日新聞の取材を受ける。
文化面の『私を決める』というコーナーで、先日の大手町カフェ活弁ライブへいらして下さった記者の野村由美子さんがインタビューして下さった。今の自分の仕事に大きな影響を与えたものや出来事、おおげさにいえばターニングポイントを一つあげ、今の自分との関わりを語るというコーナーに、私は2001年の「下呂温泉チャップリン映画祭」をあげた。私にとって初の出張公演であり、その時の想いと体験が今の活動の礎になっているからである。掲載は7月上旬の朝刊とのこと。今秋には、浜松や岐阜でもまた活弁公演をさせていただくので、中日新聞の読者の方々に興味を持って頂けたら幸いである。

その後、(株)テクノコアを訪問。いつも私の活動を応援下さっている社長の鎌田修さんと、NPOニュースタートのスタッフ栗原隆志さんを引き合わせる。

(株)テクノコアは、システムの受託開発を行うIT企業で、数年前から事業の一つとしてIT技術者の教育を行っている。全くの未経験者でも「1から技術を身につけてIT企業に就職し、この業界で働きたい」と望む人、また、「スキルアップをはかりたい」という意欲的な技術者のために門戸を開くIT技術者養成スクールAxiZである。他にはない真摯で労苦の多い先駆的な試みは帝国データバンクNEWSに掲載された記事のとおり。

NPOニュースタートは、ニートや引きこもりの若者の再出発を支援する団体である。今年の年初に放送されたNHK土曜ドラマ「スロースタート」は、このNPOニュースタートの実話をモデルにしたもので、近年増えてきたこうした団体の中の先駆者である。
まずは、家庭でのひきこもりから、寮での共同生活へ誘導。人とのコミュニケーションの中で少しずつ社会に出て行くためのリハビリをする「学校ではない学びの場」「会社ではない働きの場」を提供している。最終的には、いわゆる社会人として自立してもらうことが目標である。
一人の人間の厚くなった殻を破るのは、容易なことではない。本人が自分の殻を破るために、早いうちに外側から手助けしてくれる人があるにこしたことはない。放置する環境にあっては、何もなさぬまま、時だけが過ぎて、殻は厚くなっていく。
同じような境遇にあった者どおしが集まる寮生活は、多分、最初は安心感が得られたり、共感を得られたりするだろうが、さらにそこから自信を持って社会へ出て行くためには、逆にそこが、妥協とあきらめに陥りやすいぬるま湯的環境になりかねない。60人もの寮生とともに生活しながら、サポートしている栗原さんは、「自立して社会に出て行くまでには、それぞれに段階があり、非常に時間のかかる支援作業」という。

自分に自信が持てない、目標ややりたいことが見えない、人と関わりたくない、どうしてもマイナス思考になる、それは、おそらくほとんどの人間が経験することだ。でも、なんらかの、そして何度かのきっかけがあって、自分に自信が持てるようになり、やるべきことが見え、もがいてやっているうちに一つ一つハードルを越えている。そんなもんじゃないか。
環境も大きい。自分が日常置かれている環境、周りにいる人々。何が「自分にとっての当たり前」になるか。

AxiZに来る入校生は、いわゆるフリータ-だったり、職場を転々としてきたり、学校を中退してなんの資格もなかったり、といった中で自分で再出発を決意した人たちばかり。年齢的体力的な限界を感じ、IT業界への確実な転身のため、ここを選んだアスリートもいる。彼らが、みんな、2、3ヶ月、必死で勉強し、お互いに励ましあい、だんだんと自信を持つようになって、企業に認められ、また自分の行きたい企業がみつかって就職していくのを、社長の鎌田さんは、厳しく温かく導く。これまで正社員として就職した卒業生は140人ほど。就職率100%、企業の信頼性も高い。

鎌田さんの言葉には迷いがない。
「技術以上に必要なのは、人間性と協調性。仕事や課題に真摯に取り組み、情熱とマナーがあること」だから、最初の面接から本人の姿勢に対しては厳しいし、入校したら徹底して面倒をみる。
リスクを背負いながらの教育事業への投資。「企業に対しては、技術、人格ともに望まれる人材を。若者に対しては、IT企業への技術者としての就職を望む人全てに、確実な道とチャンスを!」。会社の経営だけを考えたらやる必要のない事業だった。眠れない日々が続いた1年目、2年目、だが、巣立っていく卒業生の溌溂とした顔を見ながら、信念と情熱を傾け続け、徐々に事業も軌道に乗り始めた。

ニュ-スタートには、コンピュータ関係の仕事を請け負う関連会社もあり、その中で仕事をするうちにスキルアップと企業就職を考える人も出てくるという。「AxiZ」が、そういう人たちの選択肢の一つになったらいい。

継続的に自分を奮い立たせ、前に進み続けるのはたいへんなことである。「絶対にできる」そう思わせてくれる存在が身近にいることがエネルギーになったりする。
もう一つ。「人は『誰かに必要とされている自分、役に立っている自分』を感じて自己の存在価値を肯定できた時が転機になっていたりするよね」と、栗原さんと二人お茶しながら。「そうですね、多分、意識が自分の内側から外側に向く、ターニングポイントですよね。それが皆に早く訪れてくれるといいんですけど」
私自身も、多くの尊敬する人たち、周囲の応援してくれる人たちのおかげで、今立っている場所があり、前を向いている気がする。まだまだ、心配も迷惑もかけているが。
明快な鎌田さんの言葉の数々に、私も、栗原さんも、たくさんの刺激をいただいた。お忙しい時間を割いていただいたことに感謝するとともに、このパワーがニュースタートの寮にいる皆さんにも届く事を願う。

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豊田直巳「戦火の子どもたち」写真展

2007-06-19 | 映画・芸術・エンターテインメント
18日は夕方『やぐちひとり(C)』のナレーション収録。いつもなら前の週の水曜日なのだが今回は特別。ナレーション少なかったこともあり、収録はあっという間に終わる。

その後、豊田直巳「戦火の子どもたち」写真展&トークショーへ。豊田さんとは一昨年ピースボートで水先案内人として御一緒してからの御縁。神楽坂の会場は、入りきれないくらいの人で熱気にあふれていた。

豊田直巳さんは、イラクやパレスチナ、アフガニスタンなど、戦争や紛争の中で生きる、あるいは死んでいく市井の人々を撮り続けるフォトジャーナリストである。1983年に、初めて訪れたパレスチナ難民キャンプで「この現状を日本の人たちに伝えてほしい」そう言われてから、民族紛争の中、戦火と占領の中、貧困と蔓延する感染症の中、必死に生きる人々の姿を写真に収めてきた。
そこには、戦争の残酷さとともに、どんなに傷ついても「生きる」ことに真直ぐで無垢な命が写し出されている。悲惨なだけではない、豊田さんの彼らへの愛情と平和への願いと暴力への怒りが込められていて、一枚一枚が重厚なメッセージを投げかけてくるのである。

豊田さんは、いくつもの「現場」を歩き続けてきた。不都合な部分は隠蔽され、歪曲されて、真っ当に報道されない現実を目の当たりにしながら、そこに体を張って立ち向かっている一人である。

イラク戦争下、昼夜を分かたず振り注ぐ米英軍の無差別爆弾で犠牲となったのは、老若男女、多くの武器を持たない市民。爆撃で肉体も生活も友人肉親も奪われ、さらに劣化ウランが原因と思われる難病、奇病、ガンや白血病に苦しまなければならない。彼らは、民主主義の対極にある暴力の現場で、逃げることもできず、犠牲と恐怖を強いられ続けている。
同じ民族同士の終わらない紛争も、彼らが殺しあいたくなくても、軍需産業でうるおう他国から次々に銃が供給されてくる。そしてそこに武器がある限り、人々は脅かされ、血で血を洗う紛争が続く。

日本は銃を保持することが法律で禁じられているから安心していられるのだ。もし、個人で誰でも所有できるようになったら、忽ち日常生活は脅かされるに違いない。

人を殺すための武器などいらない。
他人を、他国を、犠牲にし破壊して利益を貪る人間という生き物は、地球上でもっとも質の悪い動物である。そして一番怖いのは、そうではないつもりで知らず知らずのうちにそこに加担していることである。文明は発達し、世界は格段に狭くなったのに、人間の意識はどれだけ変わったか。

息苦しくなる想いとともに、世界と自分をみつめさせられる。豊田直巳「戦火の子どもたち」写真展が各地で開催されて、多くの方に観ていただけたらと思う。



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「声の壁~発言できない議員 」

2007-06-18 | バリアフリー映画、福祉
深夜、NNNドキュメント07「声の壁~発言できない議員 」を観た。やるせない憤りを覚え、涙が出る。

がんで声帯を手術し、声を失った中津川市議会議員小池公夫さん(67)。
教員を務めた後、1999年に初当選、2002年にガンで声帯を失うが、翌年再選。だが、声を失ってから4年間、一度も本会議で質問できないまま、この4月に任期を終えた。

彼は、議会事務局員による代読を求めてきたのだが、議会はそれを拒絶し続けた。理由は「本人の努力によって発声できるようにするべき」。市民の署名運動などもありその後小池さん以外の議員たちにより「パソコンの音声変換による質問のみ了承」という取り決めがなされたが、すぐにでも実行できる「代読」は否定され続ける。
岐阜県弁護士会の議会への勧告にも関わらず、「パソコンの機械的な音声では伝わらない。人の肉声で代読してほしい」という小池さんの願いが聞き入れられることはなく、ついに昨年12月、小池さんは岐阜地方裁判所に、議長以下、数名の議員を提訴した。

まず、思いを寄せるのは、突然声を失った人間の悲しみと心痛である。もしも自分が声を失ったらーそう考えると恐ろしい。その苦しみから希望を取り戻し、前に進むのは大変なことである。
そういう彼を支援し、一期目の彼を評価した市民がいて、再選したのだから、それは彼にとっての大きな支えであり責任だったはずである。
発声の訓練や努力をしなかったわけではない。彼の声はどんなに頑張っても、マイクを通して質問ができるほどにはならなかった。頑に「代読」を拒む議員の一人は、「選挙で『声が出ます』って言って当選したんだから、それは公約と同じ。自分でそれを守ってもらわなきゃ」という。だが、彼を支援した人々が「声が出るって言ったのに出ないじゃないの、公約違反だよ」と本人を責めた訳ではない。むしろ、彼に託した市民の声が議会に通らないことに憤りを感じたはずだし、市民の一代表である彼にも他の議員と平等の発言が保証されて然るべきではないか。「声が出ないから」と市民の一代表の発言を切り捨てるということは市民の声を尊重していないということである。
それにもしも、自分が声帯を失って同じ立場になったらどうか。「自分の意志をできるだけ思い通りに伝える」ということを、どれだけ渇望するか。
「代読をしてもらう」、これだけのことが許されない議会。「代読をしてあげる」これだけのことを許せない議会。一人を思い遣ることのできない器の小さな議会が民主主義か。

小池さんが自民党なり多数派の政党だったなら、処遇は絶対に違ったと私は思う。少数派であり、同じ議会内でも立場が軽んじられていた気がするし、大勢側の議員は仮に「代読くらい許可すべき」と思っても長いものに巻かれていたりする。

だから、個人として、確かに真っ当とは言えない議会に反発を抱き、権利を執拗に主張した小池さんの気持ちを思うと苦しい。でも彼は、議会においては市民に選ばれた一代表であり、どんな手段でも市民の声を反映させていくのが第一の使命である。自分の発言方法に関する主張よりまず、口惜しさを飲んででも「パソコンの音声変換による質疑応答」が許された(それもなぜ許されなければいけないんだという憤りはあるが)段階で、それをどんどんすべきだったはず。そうするうちに「やはりパソコンの音声では聞き取り辛い」という意見が出なかったとも限らない。
自分の想いに固執するあまり(確かに、通ってしかるべき人権だと思うが)、壁がどんどん強固で壊しにくいものになってしまった。
この4年間、議会では再三小池さんの発言方法を巡って討議がなされてきたという。そのことにたくさんの時間を費やすことは、市民のための議会ということを思えば、あまり賢いことではない。議会も小池さんもわかっているはず。
人間、意固地になればなるほど、周囲の壁は厚くなり、生きにくくなるし、分かってもらい辛くなる。お互いに。


裁判の行方がどうなるのか。障害を持つ人々の社会生活におけるハンディキャップが少しずつ埋められていくといいのだが。
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「幕末渡世異聞~月太郎流れ雲」2日目

2007-06-17 | 活弁
新宿歌舞伎町大久保公園の巨大特設劇場「幕末渡世異聞~月太郎流れ雲」活弁上映も最終日。
昨日とは全く違うテイストの作品の活弁を2本。
今日は暑かったですし、場内も蒸しましたね。
いらして下さった皆さん、ありがとうございました。

いつも私の活弁公演にいらして下さっている方には、カラーの新作無声映画は異色で新鮮だったことと思います。今日が活弁初体験だった方には、ぜひ、昔の無声映画時代の名作もご覧いただきたいです。

無声映画時代のものも、作品の完成度や出来は様々です。
「作品が云々」というのは簡単なことですが、好き嫌いに関わらず、どんな作品もその作品の良さが伝わるように楽しんでいただける語りをつけるのが活動弁士のとしての役目ですし、また、どんなステージでも、自分が楽しんで語れていないものはお客さんも楽しめはしません。
楽しく語れて良かったですし、「楽しかったです」と言っていただけたのは何よりです。
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酒田東高東京亀城会同窓会

2007-06-16 | 活弁
母校、酒田東高の東京亀城会同窓会。
卒業したばかりの18才から80才までの卒業生が集う年に一度の会でした。

今年はアトラクションとして、私の活弁ライブをということになり、『血煙高田馬場』(昭和3年)と『大学は出たけれど』(昭和4年)を語らせていただきました。
『大学は出たけれど』の活弁台本は、今回のための特別バージョン。東京で苦労し成功してきた先輩たちには懐かしさと敬意を、大学に入ったばかりの後輩たちには励ましを送るつもりでー
酒田中学校(現酒田東高)を卒業して上京し、大学を出た(けれど就職できない)主人公の物語に。野本徹夫(高田稔)も、許嫁町子(田中絹代)も、上京してくる母親も、庄内弁で、会社での面接シーンなどは、少し訛りの抜けきらない共通語にしてみました。
もう普段は使わないような方言もあえて使ってみましたが、皆さんよく笑って下さっていたので、ほっとしました。

大河内伝次郎、田中絹代、飯田蝶子らの登場に、すぐに反応して下さるのは古参の大先輩たち。旧制酒田中学校の最後の卒業生である東京亀城会の会長さんは、『血煙高田馬場』を、小学校の頃、酒田の映画館で父親と一緒にご覧になった記憶が蘇ったと仰っていました。
皆さんに楽しんでいただけて何よりでしたし、こうした機会を与えていただいたことに感謝しています。

終了後は、同期や後輩たちと「『大学は出たけれど』に出ていた公園だよの~」などと日比谷公園を歩き、松本楼、銀座で杯を交わして帰りました。
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『ドルフィンブル-』

2007-06-15 | 映画・芸術・エンターテインメント
真夏のような陽気の一日でした。朝から、美容院へ行きクリーニング屋さんへ行き、映画の試写会へ行き、仕事の打ち合わせをして、友人のお父様が出展している芸術協会展で絵画を見て、リハーサル。そして、軽く?一杯。

今日の試写会は『ドルフィンブルー~フジ、もう一度宙へ』。沖縄ちゅら海水族館のイルカ「フジ」の実話を基にした物語。

原因不明の病気になったイルカ「フジ」。尾ビレの壊死した部分を切り落とし、一命はとりとめた。だが泳ぐことができず浮いているだけの死んだも同然。「フジをなんとかしてやりたい!」一人の獣医の熱意から、世界初の人工尾ビレを得てフジの命は輝きを取り戻していく。

イルカは動物の中でも、もっとも人なつっこく、人間と意志の疎通ができると言われますが、その愛らしい姿を観ているうちに、自分も作品中のイルカたちと親しくなっていくような気がして、どんどん愛着が湧いてきます。
また、この映画は、イルカの再生物語であると同時に、それを必死に願う人々の、成長物語でもあります。子供から大人への脱皮、親へのわだかまり自分の殻からの脱皮、自己満足の仕事からの脱皮。それぞれが、フジの生命力とフジへの愛情の中で、気付かされ、癒され、成長していく、優しさのあふれる感動のストーリーです。この夏、ぜひ子どもから大人まで多くの人に観ていただきたいと思います。
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ベストハウス123【秘蔵フィルムBEST3】

2007-06-13 | 活弁
今日は、アトラクションで活弁をさせていただく週末の【酒田東高東京亀城会総会・懇親会】の最終打ち合わせに行って参りました。

開催日時:6月16日(土)12:00より(受付開始 11:30)
場所:レストラン「キャッスル」 03-3506-5070 千代田区内幸町2-1-1 飯野ビル9F
会費: 6000円 (但し学生は無料)
活弁上映:『血煙高田馬場』『大学は出たけれど』

帰り道、たまたま車中でフジテレビのザ・ベストハウス123を観ていると。
あれ?観た顔が…。
お世話になっている国立近代美術館フィルムセンターの主任研究員岡田秀則さんではありませんか。日本一の所蔵数を誇る施設で、膨大な数のフィルムに全て目を通しているという方。(と紹介されていたのですが、本人曰く「そんなわけないじゃないですか(^^;」)
彼が選んだ
「いにしえの日本が見られる超貴重!秘蔵フィルムBEST3」
の放映なのでありました。すべて明治時代の、古い古~いドキュメントフィルム。

私が普段活弁で上映する作品は大正、昭和の、無声映画時代後期のものばかり。
初めて観るフィルムはとても興味深いものでした。

第3位:偉人が動く!日本最古の探検ドキュメンタリー映像「白瀬中尉の南極探検」
 日本初の南極探検隊の偉業を撮影したフィルム。南極へ向う人々の格好はわりと軽装で、しかも、様々な職種の人たちが参加したと見え、服装もバラバラであります。氷点下25度の別世界南極に降り立ち、右往左往、探検する人々。皇帝ペンギンと日本人の初めての遭遇シーンは、フィルムの回転が早いせいもあるのでしょうが、遊んでいるのか遊ばれているのか、ペンギンたちと戯れる様子が可愛くて微笑ましいものでした。

第2位:動く伝説の巨人!日本最古の大相撲映像「両国大相撲」
 絵でしか見た事のない、明治時代の力士たち。これが意外にも、あまり太っておりません。身軽で、柔道のような投げ技もあり、その取り組みはかなりコミカルで新鮮でありました。今、あんな取り組みがあったら、絶対、湧きます。おそらくやんやの喝采。伝説の力士「大砲(おおづつ)」は身長197cmの大男で、相手の「小錦」がまるで子どもでありました。

第1位:映画の父が撮らせた日本最古の映像「明治の日本」
 シネマトグラフを発明したリュミエール兄弟が、世界各国にカメラマンを送り込み撮影いたしました映像の一つであります。明治時代の銀座や新橋、横浜には、路面電車や馬車が走り、着物姿の人々が闊歩しております。また、一風変わった剣道の稽古シーンが。 一対一ではなく、隣の剣士に面を食らわせ、転んだ相手を上からバンバン叩く。相手が入り乱れ、白熱してくると、太鼓が打ちならされ、ほら貝が吹かれ…(もちろん無声ですが)。「これはもはや日本の武道ではない」演出入りの剣道。リュミエール兄弟が最初に上映した映像も、何気ない日常の一場面に演出を加えたものなのですが、いや、これには笑いました。

フィルムセンターでは、今年の夏も、「子ども映画館」企画で活弁を体験して頂きます。
◆7月28日、8月3日フィルムセンター子ども映画館【活弁と音楽の世界】
毎年、親子でたくさんの方にご覧いただいています。申し込みは20日からとのことです。
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小津映画写真を借りに松竹へ

2007-06-12 | 映画・芸術・エンターテインメント
「小津映画に見る着物」をテーマに、和の情報マガジンSakuraの秋号で特集を組むことになり、編集者の栗山さんとともに松竹へ使用のための写真を借りに行ってきました。

カラーになってからの作品も、貸し出しのスチール写真は皆モノクロで、残念。
映画の中の、このシーンが写真であったらなあと思っていても、そううまくはいきません。限られた写真の中から、『麦秋』の原節子さんと淡島千景さん、『彼岸花』の山本富士子さんや田中絹代さんの写真をピックアップ。

私はこの企画のおかげで、4月から5月頭にかけて、現存している小津映画を全作もう一度観直すという機会に恵まれました。「着物」という視点から観ていくと、また非常に面白いのです。
小津監督が映画を撮った35年の間、戦争を経て、人々の生活は大きく変わりました。女性の服装が和装から洋装になっていった時代の変遷が、特に後期ほぼ一年一作の小津作品を順に観て行くとよくわかります。立場によって、時と場合によって、年令によって、女性のキャラクターによってと、衣装へのこだわりに、新たな発見がいろいろとありました。

栗山さんが書いているさくらblog。私が手にしている手前の写真、ぼやけているけど、誰だか、わかりますか?
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『明け行く空』花咲爺の集いin南魚沼

2007-06-11 | 活弁
日本ふるさと塾」主催の街起こしフォーラム【ー震災復興祈念ー第20回花咲爺の集いin南魚沼】が1日から3日間に渡って開催され、全国から百数十名が新潟県南魚沼市に集結。様々なプログラムの中の一つとして、2日(土)、私は昭和4年の松竹作品『明け行く空』を語らせていただいた。

4年前の2003年に、合併して南魚沼市になる前の六日町で「水島あやめ生誕百周年記念公演」に佐藤忠男先生と一緒にお招きいただいたのが最初で、3年前にも招聘いただき、この地で『明け行く空』を語るのは3度目である。今回は特筆すべきことが。

『明け行く空』は、喜劇の神様斎藤寅次郎が監督を務め、現在の南魚沼市出身の日本最初の女性脚本家、水島あやめが脚本を手掛けた作品である。
「水島あやめ」について、おそらく日本でもっとも詳細に研究なさっている方が、彼女の親族である因幡純雄さん。現在、情報誌「シナリオ」で「水島あやめの生涯」について連載中である。その因幡さんがこの度、『明け行く空』の挿入歌のハーモニカ演奏の楽譜をみつけて下さった。
実は、これまで、私も含め何人もの弁士がこの作品を語ってきたが、皆主題歌のメロディがどんなものかはわからずにいたのである。
この昭和4年という年は、爆発的にレコードが売れ出した年で、そのため、日本映画には主題歌が付き、『東京行進曲』など小唄映画がたくさん作られるようになった。ラストシーンやクライマックスシーンには主題歌の歌詞が字幕で挿入されていて、そのシーンになるとやおらステージに歌手が出てきて生で歌ったりしていたのである。
この『明け行く空』も、途中とラストに歌の歌詞が挿入されている訳だが、曲はわからず、無声映画伴奏者柳下美恵さんと共演した時も「こんな感じのメロディだったのかしらね」と想像するばかりだった。

今回、楽譜が手に入った、とのことで(五線譜ではなく数字譜だが)、FEBOの二人がそれをもとに演奏を録音下さり、ラストシーンで流していただくことができたのである♪(パチパチ)おそらく戦後初のこと。活弁自体が初めてで感激された方が多かったので、主題歌がどうこうはそうたいした関心事ではなかっただろうが、ちょっとした発見は嬉しいもの。想像以上に朗らかな曲だった。

レコードはコロンビアから発売、楽譜は昭和4年9月に松竹キネマ楽譜出版社から発行されたもの。第1編が『蒲田行進曲』、第2編が『山の凱歌』、そして第3編が『明け行く空』(作詞畑耕一、作曲高階哲夫)、その後も『進軍』などの話題作が続く。当時、『明け行く空』の作品自体のバリューが高かったということだろう。

水島あやめさんは、母モノ等の新派悲劇を得意とし、本人も「お涙頂戴ものばかり、と言われますが、それが書いていて気持ちがいいんです」というほど。この作品もしんみりした母と娘と祖父(母の舅)の涙の物語なのだが、これをナンセンス喜劇の才人斎藤寅次郎が監督したから、ただの悲劇では終わらない。この正反対な二人のテイストが混ざって、重苦しいテーマが、温かく笑いあり涙ありの作品になっているのである。(これを溝口健二監督がやっていたら…と考えると面白い)
究極は、身を引いて汽車で去っていく母を、祖父と娘が馬車で追い掛けるシーン。追い付く訳のないシチュエーションだが、馬車はなんと汽車に追い付いてしまう。そして母との感動の対面。思わず吹き出した後、ほろりと泣かせる。予期せぬ二人のコンビネーションの賜物である。今回も会場には笑い声が上がり、最後は「涙腺の掃除になりました」という感想も。

本来気質も方向性も違うあやめと寅次郎の共同作業はきっとたいへんだっただろうと思っていたのだが、今回、ちょうどそのへんの苦労を綴った水島あやめのエッセイを因幡さんが古い映画雑誌の中に見つけて下さり、クライマックスで何度も書き直しをさせられて執筆に苦悩するあやめの姿を垣間見ることができた。

「喜劇監督斎藤寅次郎の真骨頂は、無声映画時代のスラップスティックコメディ」というのは定評だが、現存する無声作品は数少ない。私ももうかなり語っている『子宝騒動』(昭和10年)が一番ポピュラーで、彼の面白さが出ている作品だろう。『モダン怪談100,000,000円』もかなり面白い。『明け行く空』は彼の作品としては評価されていないに等しかった(シリアスな異色作と言われていた)。だが、2004年、こちらも「斎藤寅次郎生誕100年」を記念して生地の秋田コメディ映画祭で語らせていただいた際は、娯楽映画研究家の佐藤利明氏が「マイナーだと思っていたけど、こんなに面白い作品だったのか」と驚いたし、六日町公演での佐藤忠男先生もしかり。「あまり評価していなかったけれど、これは非常にいい作品ですね」と評した。今失いつつある日本の美しさが詰め込まれた良質な作品であり、その面白さとともに、再評価されておかしくないものである。

ちなみに、映画評論家田中真澄さんは著書の中で1930年代からの名監督10人に斎藤寅次郎をあげ、そのオススメ作品3作に、『明け行く空』と『子宝騒動』を入れている。トーキーに入ってからのものは駄作だが、サイレント時代のものは本当に面白い、という彼の評。
子どもたちと、そして昭和初期が懐かしい年輩の方々と、広い世代に一緒に観てほしい一作である。

そしていつか、以前共演した友人のハーモニカ世界チャンピオン大竹英二さんの主題歌演奏で『明け行く空』をご覧いただけたらと秘かな期待を膨らませつつ。

花咲爺の集いにお招き頂き、ありがとうございました。私も、町から町へ、花咲婆…になるまで、活弁でたくさんの笑顔を咲かせていきたいと思います。

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第3回霧笛楼活弁公演

2007-06-10 | 活弁
横浜元町の仏蘭西料亭霧笛楼での活弁と料理の会も、昨日、3回目を迎えました。
いらして下さった皆様、そして霧笛楼の皆様、本当にありがとうございます。

しっとりと落ち着いた雰囲気の霧笛楼での公演は、毎回、洋画の名作をチョイスしていただいております。今回の『サンライズ』(27)も、当時「アメリカ無声映画史上、最後の傑作であり芸術作品」と高く評価された作品です。
原作が、『肉体と悪魔』と同じく、ヘルマン・ズーデルマン。彼の筋は、キリスト教的貞操観念が強く、いたってシンプル。それを芸術作品にしているのは、やはり、監督ムルナウと、第一回アカデミー賞撮影賞をとったカメラの力、そしてジャネット・ゲイナ-、ジョージ・オブライエンらの演技です。

おそらくこの作品は、女性の方が共感できるものだと思うのですが、やはり、終了後、「また泣いてしまいました」と仰る女性が何人かおりました。「都内まで出向けないからこの霧笛楼公演が楽しみで」と仰るお客様もいらして嬉しく思います。
前回私が『サンライズ』を語ったのは2年くらい前だったか…。台本もずいぶん変わりました。そして、永田雅代さんのグランドピアノとキーボードの演奏がとにかく素敵でした。

昼前のリハーサルの時は、雷、どしゃぶりで、「嵐のシーンの効果音、いらないかもね」などと笑いつつ、いらっしゃるお客様が大変だなと心配していたのですが、公演前には雨も上がり、ほっといたしました。この映画の物語に合わせたかのような「嵐の後の幸せ」。お天気にも感謝でした。

その後の季節のお料理がまたいつも大好評。私たちはいつも、リハーサル後、本番前にお食事をいただくのですが、本当に、盛り付けも美しく、味も上品で美味しいのです。
元町散策の際は、霧笛楼でのお食事をオススメします。

また御会いできます日を楽しみにしております。
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