後藤健二氏が殺害された。これほどまで残虐な悲しい死があるのだろうか。彼らには人の心が無いのだろうか・・・。(中日)新聞の紙面を読みながらも、赤の他人である爺さえも憤りを禁じ得ない。
だが、健二さんのお母様はコメントされました。
健二は旅立ってしまいました。あまりにも無念な死を前に言葉が見つかりません。今はただ、悲しみ悲しみで涙するのみです。
しかし、その悲しみが「憎悪の連鎖」となってはならない と信じます。
「戦争のない社会をつくりたい」「戦争と貧困から子どもたちのいのちを救いたい」との健二の遺志を私たちが引き継いでいくことを切に願っています。
このコメントを新聞で読んだとき、法然さんのお父上の遺言を思い出しました。お父上は、夜討ちにあって、その怪我で亡くなられました。臨終の際に家族たち、そして幼き法然さんにむかって言われました。「われこのきずいたむ。人またいたまざらんや。われこのいのちを惜しむ。人あに惜しまざらんや」と。難しい言葉ですが、つまり、強く仇討ちをいましめられたのでした。
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わが父が亡くなって15年になる。戦争を体験した世代だ。戦争のことはほとんど語らなかった父だが、唯一私に語ってくれた話がある。終戦の時の話だ。
終戦の時、わが父の部隊は今の北朝鮮(満州だったかも)に居たそうだ。敗戦の報を聞いた部隊長は即座に命令を変更した。北に向かって進軍していた部隊を180度方向を変え、南に向かうよう命令を出した。つまり、南朝鮮へと向かわせた。それは、日本へ帰るという事であった。
南朝鮮に向かう途中、いくつかの部隊とすれ違ったそうだ。満州を目指して行軍する部隊がまだまだ多くあったそうだ。父は敗戦後比較的早く帰ってくることができた。方や、終戦後も満州に向かった部隊は、ひょっとしたら、満州で捕虜になって、シベリアに送られたかもしれない。捕虜にならずとも、帰国が大幅に遅れたかも・・・。あの時の部隊長の判断があったからこそ生きて日本に帰ることができたのかもしれない、と・・・。
「テロに屈しない」「罪を償わせる」と安倍さんは言う。その通りだ。だが、それで良いのだろうか?人道的支援は誤りでない(池内恵東大准教授)とも書かれている。このまま人道的支援を続けるならば、イスラム国からは、日本は欧米(キリスト教国家)に与する国家とみなされ、テロのターゲットになることは明白となってきた。終戦後も満州に向かった部隊は、勇ましかったかもしれない。だが、大本営からの命令が無いと、惰性(?)で満州に向かったリーダーの判断で、それぞれの部隊の兵士のその後の運命が180度違ったのも事実である。
安倍首相は国会答弁で言った。集団的自衛権の行使に言及した。欧米とりわけ米国が武力攻撃された時、日本は自衛隊を紛争地帯に送るという事につながる。安倍はリーダーとしてふさわしい人物なのだろうか?
米国によるイラク戦争が「イスラム国」という常識の通じない、残虐な組織をつくり出した。今回の件が起きたのは、米国の間違った中東政策のツケ。安倍首相が「テロとの戦い」を訴え、米国の終わりのない、勝てない戦いに付き合っても、問題が解決しないのは明らか。
悲惨な戦争を二度と起こさないという憲法9条の理念を追い続けるのか、冷戦が終わったのに米国との同盟関係を優先するのか、日本の良識が問われている。
日本は欧米の旧帝国主義と「イスラム国」のどちらにもくみしないというスタンスを明確にする必要がある。武力行使は役立たないと提唱し、今こそ憲法9条を守ることが日本のとるべき唯一の道だ。
・・・・・天木直人(元駐レバノン大使)氏の話
欧米に与せず人道的支援を行うことはできないだろうか? 「憎悪の連鎖」の無い支援は無いだろうか? 不可能という方もいらっしゃるかもしれないが、あえて、理想を追い求めても良いのでは・・・。後藤健二さんの遺志を継ぐという意味においても! 孫を戦地に送りたくはない!!
後藤さんの冥福をお祈りします。 (合唱)
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