年の瀬・12月に入ると恒例の「今年の流行」や「流行語大賞」など一年を流行や販売番付などが話題となり、特集記事や年末特番があちこちで組まれている。その中で、「仏像ブーム」がランクインしていた。
仏像や仏教が興味を持たれているとは、嬉しいことだ。とりわけ仏像一番人気は「阿修羅」だそうだ。爺も好きな仏像の一つでもある。ところが、その理由はと聞けば、かっこいいとか、彼氏にしたい感じなど・・・思わず「へエ~」としか言いようがない理由だ。確かに「阿修羅」の正面のお顔は闘争を好む鬼神とは到底思えぬ優しい顔である。平安の美少年と言われるように、イケメンである。
そんな阿修羅像を初めて見たのは記憶は定かでないが、確か間もなく成ろう大学4年の時であったと思う。40年近くも前の昔のことだ。高校2年の夏から爺の古寺巡礼は始まった。本格化したのは大学生になってからだ。主に春休み(夏休みも時にはあった)一週間から10日間ほど京都・奈良の安宿をベースにカメラと「大和古寺風物詩(亀井勝一郎著)」なる単小本を持ってうろついたものだった。
興福寺に入山した時、実は何となく嫌であった。何が否かというと商い上手な感じがしたからだ。当時、薬師寺もそうだったが大寺は殆ど拝観料だけでなくいろんな手段で収入を増やしていたようだ。撮影禁止が殆どだったから少し高価なカメラを買った。F1.2・ASA400のフィルムを入れ、フラッシュなしで隠れてカメラのシャッターを切ったものだ。だが、阿修羅はダメだった。監視の僧が居たからだ。仕方なく八切りの写真を買ってきた。当時は白黒写真であった。ず~と、爺の部屋に飾ってあった。
そんな仏教に興味を持ち、その後も仏像の本を多数買い込んで読んだだものだった。
如来・菩薩・明王・天部と大きく4つに大別される。この阿修羅は、天部に入るのだろう。明王迄は男女の区別は無いとされている。表現としては、如来は実在した釈迦をモデルにしているので男性的である。菩薩すなわち観音様などは女性的に表現されている。明王は憤怒の形態という表現が普通だから男性的である。また、明王は如来の化身であるとも言われている。
天部は大部分がヒンズー教などの神々が仏教にとりいれられたものだそうだ。毘沙門天は男性で奥様は吉祥天である。また、梵天の妻は弁財天とも言われるように、男女の性が存在する(婚姻関係の記憶は間違っているかも)。
阿修羅はもちろん男性である。自分の娘が帝釈天の妻になるということに、当初反対はしていなかった。だが、帝釈天は順を踏まずに、娘をさらうようにつれて行き自分のものにしたという。怒った阿修羅は帝釈天に戦を挑むことになった。そこから戦いの場や血生臭い場面を「修羅場」というようになったそうだ。男親は娘が可愛いものだ。婆と娘は時に女同士の戦いをする。「まあまあ」と婆をなだめると「あんたは娘に甘い!」と一喝される。
そんな時は消えゆるように婆の前から逃避する。風呂にゆったりと入って、今ならムートンの敷かれたベッドに潜り込むのが最善策となる。掛け布団はまだ合い掛である。ベッドの中は爺にとっては「往生極楽院」といった所だ。
おやすみなさい。 否、朝だ。極楽から娑婆世界へ。これが現実だ。
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