さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

金持ちとラザロ(1)―起―

2007-05-13 21:55:28 | Sunday 聖書
(写真は、イスラエルと同じ中東の、とある伝統的住居の中庭)


こんばんは。この前「金持ちとラザロ」という単語がでてまいりましたので、簡単にご紹介しようと思う次第(しだい)。まあ、どんな話だろうと興味ある方は、ちらりと覗いていくのもよし。それでは、始まり始まり


○金持ちとラザロ


  或(ある)富める人あり、
 紫色の衣(ころも)と細布(ほそぬの)とを着て、日々奢(おご)り楽しめり。

  又ラザロといふ貧しき者あり、
 腫物(しゅもつ)にて腫(は)れただれ、富める人の門(かど)に置かれ、

 その食卓から落つる物にて飽(あ)かんと思ふ。
 而(しか)して犬ども来たりて其(そ)の腫物を舐(ねぶ)れり。

                       (文語訳聖書・ルカの福音書16章19節~21節)



 Once upon a time...(昔昔)、あるところに、金持ちさんがおりました。貴重で高価な紫色の着物やら細布やらで着飾って、毎日ぜいたくに遊び暮らしてりました。

 そんな金持ちさんの家の門のところに、全身できものだらけの醜(みにく)い貧乏人(乞食?)が寝ています。犬がときどきやってきては、ペロペロとなめていきます。金持ちさんのお屋敷から出る残飯で、飢えを満たす毎日。その名を、ラザロと言います。

 金持ちさんとラザロさん―
 フツウ、金持ちさんのほうが名前が出そうですが、名はわかりません。貧乏人を門の前から追い出したりしているわけでもないし、残飯とはいえ、施しているようなのですが、お名前はわかりません。
 逆に、貧乏人で、何ら働いていないようなラザロさん。こちらのほうが名前がでかでかと出ていますが、この「ラザロ」という名、「恵(めぐ)み」という意味だとかという話もお聞きします。いやいや、その当時すでに「ラザロ」=「恵み」という意味であったのか、それとも、後世において「ラザロ」→「恵み」と言う意味が付加されたのか、キャベツには、ようわかりません。

 わかるのは、ともかく、金持ちさんとラザロさんがいたということ。

 そして、次に、二人にあることが起こったということです。(続く

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金持ちとラザロ(2)―承―

2007-05-13 21:54:43 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(1)―起―の続きです)

 金持ちさんとラザロさん、このあとに ある同じことが起こります。


  遂(つい)に この貧しきもの 死に、御使(みつかい)たちに 携(たずさ)へられて アブラハムの懐裏(ふところ)に 入れり。

   富める人も また 死にて 葬(ほうむ)られしが、
   黄泉(よみ)にて 苦悩(くるしみ)の中(うち)より 目を挙(あ)げて、遥(はるか)に アブラハムと 其(そ)の懐裏(ふところ)に をるラザロとを見る。

                    (文語訳聖書・ルカの福音書16章22節~23節)



 ラザロさんも金持ちさんも、ある日、死んでしまいました。

   ラザロさんはお葬式もお墓も用意してもらえなかった様子。
   逆に、金持ちさんは荘厳なお葬式をしていただけたのかも。今のキリスト教圏であれば、ゆりの花が飾られそうですが、この当時、この地方ではどんな葬式だったのでしょう(?)

   それにしても、不思議なことがその後にあったものです。

   生前、無価値だったようなラザロさんが御使いたちに連れられて、天国に行き(注;「アブラハムの懐」=「天国」)、

   反対に、金持ちさんは、黄泉 1)でもがき苦しむ状況。

   その金持ちさんがふと見上げてみると、かの有名な祖先アブラハムが見えました。
 しかも、自分の門のところでうちの残飯食っていた、あのラザロが、アブラハム 2)と一緒に。


  (…ああ、死んでも、誰が誰なのか分かるのね...見たことがなくても「アブラハムさんだ」って、分かるのねんw cf.ルカ9:28~,コリント第一13:12)


 Q!さて、そんな光景を見た金持ちさんは、はたして何を願うのでしょう?


 A-1.あのラザロが天国にいるのはけしからん! こっちで苦しめ!!
   2.オレを天国に連れていってくれ
   3.ここを酒池肉林(しゅちにくりん)にしてほしい。
   4.苦しい! のどが渇いた!!
   5.クモのいとをたらしてほしい。


   答えは、お次。




【注】
1)黄泉:ここで「黄泉」と訳されている元の言葉「αδηs(語頭の気息記号は‘なのでhで始まる;ハデス,Hades)」は、簡単に「肉体の死の後に移される所」を指し、「最後の裁きのあと、罪人が入れられる苦しみの場所」は「ゲヘナ」とされている。
    が、ここでは、もう金持ちさん、苦しんでいる…


金持ちとラザロ(3)―転―に続く)

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金持ちとラザロ(3)―転―

2007-05-13 21:53:17 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(2)―承―の続きです)


 黄泉にいる金持ちさんは、こんなことを願います。

 乃(すなは)ち 呼びて 言ふ
  「父アブラハムよ、
    我を憐(あはれ)みて、ラザロを遣(つかは)し、
    その指の先を水に浸(ひた)して我が舌を冷(ひや)させ給(たま)へ、
    我(われ)はこの焔(ほのほ)のなかに 悶(もだ)ゆるなり」

  アブラハム言ふ
  「子よ、憶(おも)へ、
   なんぢは生ける間 なんぢの善(よ)き物を受け、
   ラザロは惡(あ)しき物を受けたり。
   今ここにて彼は慰(なぐさ)められ、汝(なんぢ)は悶(もだ)ゆるなり。

   然(しか)のみならず、此処(ここ)より汝らに渡り往(ゆ)かんとすとも得ず、
   其処(そこ)より我らに来たり得ぬために、
   我らと汝らとの間に 大いなる淵(ふち) 定(さだ)めおかれたり」

                     (文語訳聖書・ルカの福音書16章24節~26節)



 金持ちさん、1とか2とか思う余裕はなさそうです。
 あの全身できものだらけのラザロさんを天国から遣わして、その指先から冷たい水を飲みたいというほどですから、
 ―何も指先でなくたって、この当時とは言え、コップはなくても何か器(うつわ)はあるだろうに
 よほど、しんどいらしい、、、

                       そんなわけで、答えは4。


 そんな金持ちさんに、アブラハムは、こんな返答をしています。
 「思い出してみなさい。
  生きている間、君は良い思いをしていたが、ラザロはそうではなかった。
  今は逆に、ラザロは慰められて、君は苦しむことになったのだよ」

 「それにね、
  こっちとそっちとの間は行き来できないようになっているのだよ。」


 なんとな~く、このあたりまでを話して、金持ちさんたちに貧乏人に施して、「天に宝を積むように」(cf.マタイ6:1~4,19~20,19:16~21)すすめるような「お・し・ま・い」ということもありそうですが、どっこいそれでは尻切れトンボ。なんで、自分がこっちにいるのか、どうやら金持ちさんは分かっていたようです...

      (続く

 

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金持ちとラザロ(4)―結―

2007-05-13 21:52:59 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(3)―転―の続きです)


 思いもよらぬ、金持ちのことば。彼は、どうすればいいか分かっていたような。


 富める人 また言ふ
 「さらば父よ、
 願はくは 我が父の家に ラザロを遣(つかは)したまへ。

 我(われ)に五人の兄弟あり、
 この苦痛(くるしみ)のところに来たらぬやう、彼らに證(あかし)せしめ給(たま)へ」


 アブラハム言ふ
 「彼らには モーセと預言者(よげんしゃ)とあり、
   之(これ)に聴くべし」


 富める人言ふ
 「いな、父アブラハムよ、
  もし死人の中(うち)より 彼らに往(ゆ)く者あらば、悔(くい)改(あらた)めん」


 アブラハム言ふ
 「もしモーセと預言者とに聴かずば、
   たとひ死人の中より甦(よみが)へる者ありとも、其の勧(すすめ)を納(い)れざるべし」

                        (文語訳聖書・ルカの福音書16章27節~31節)




 天国に行くことも苦しみを和らげることもできないとわかった金持ちさん、お次は、まだ生きている自分の兄弟(残り5人とは・・・おや、キャベツのところと同じだ)のことを考えました。(なんて優しいんだ!!)

 そして、アブラハムにこう願ったのです。「ラザロが生き返って死後のことを伝え、悔(く)い改(あらた)めて、こっち(ハデス)に来なくていいようにさせてください

 が、アブラハムはこう答えるのです。
 「聖書(注;モーセと預言者=旧約聖書。この当時成立していたのは、旧約聖書のみ)があるじゃないか。そこに書いてあるのだから、それに耳を傾けるべきだよ」
 耳を傾ける・・・昔、会堂で毎週、モーセの律法や預言者たちのことばは朗読されていました。聴こうと思っていたら、わかるはずだ、とアブラハムは言っているのです。

 それでも、金持ちさんは必死です
 「いいえ、誰か死んだものが生き返ったら、悔い改めます!! お願いします

 ですが、アブラハムが言った事は、そんな楽観的な願いを一蹴する厳しい現実的な答え...
 「もし聖書が言っていることを聴かないのならば、誰か死人が甦って勧めたとしても、聞く耳は持たないだろう」
 というもの。

  確かに、もともと死後の世界があると思いもせず、さばきがあるとも頭の片隅にさえなければ、
 死人が甦ったとしても
「ほんとか~ 眉唾(まゆつば)モンじゃね~の!? 頭、おかしいんとちゃう!!?」と、ケタケタと嘲笑(わら)いそう
 (加えて、現代ならば、死人から甦った人(仮死状態からではなく、本物の甦った人)がいた場合、そのことばを聴くより、「なぜ、そういうことが起こったのか」、実験台にされそうです・・・。)


  まあ、そういう話もありますよってことで、お覚えくださいな。

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