現在、借りているもの。
・同居人からは、
『博士の愛した数式』。なかなか読む時間を作れず、進まない。

80分しか記憶が保てない初老の元数学者「博士」が、家政婦で語り部の「私」の息子を「ルート」と命名したあたりが、美しいと思う。
頭のてっぺんが、ルート記号のように平らだった、と聞くと、私の頭の中には、チェルノブイリ後の黒海沿岸での奇形児(無脳症などもあった)や、ベトナム戦争の枯葉剤による
無脳症児のホルマリン漬けが、真っ先に思い浮かんでしまうのだが、「博士」は

「君はルートだよ。どんな数字でも嫌がらず自分の中にかくまってやる、実に寛大な記号、ルートだ」
と名づける。
彼にとって、
「息子はただもうそこにいるだけで、抱擁(ほうよう)すべき相手だった」。
私も、うちのおチビちゃん達や久々に会った友人、疲れ切った友人をHugしたい気分になる。

2年半前のときで、少々アメリカナイズされたかな?
・知人からは『痛みと麻痺を生きる -脊髄損傷と痛み-』。
読みやすいのだが・・・遅々として進まない

研究計画書作成済んだら(今週は、具体的な方法が決まればオンの字…恐いなぁ…)、早速がっちり読むつもり。申し訳ない、あともう少し、貸してくだされ。
・神様からは
時間と全て。
本来、生まれるハズのなかった者、
生まれながらにして、後ろ指を指されても仕方のなかった者なんだが。
何が秀(ひい)でているわけでもないのに、

価値があるわけでもないのに、

今も生きて、
食べ物

も、仕事も、寝床も、

風呂も、しびれるような美しいものを見ることも、

音楽に触れることも、

友情も、みことばに思いを潜めることも、四季の移ろいも味わい、楽しむことが許されているとは。
一体、何のタラント 1)が与えられているかわからないが、
お返しするとき、叱られるより、喜ばれるような形になっているといいのだが。
【注】
1)タラント;昔のイスラエルでは、「1タラント=6,000デナリ」。そして、「1デナリ=1日分」の給料。
イスラエルでは、週末は絶対に働いてはいけなかったので、1週間6日とすると、
1タラント =6,000(デナリ) ÷ (365-52(日))
=19.169(年分の給料)
となる。タラントのたとえ話はいくつかあるが、ここでは「賜物(たまもの)」という意味。ちなみに、英語ではtalentと言えば
「才能」という意味もある。