さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

0.05の世界

2007-10-16 22:46:30 | Tuesday 病院
 こんばんは。
 こちら、キャベツです。
 数日間、「0.05の世界」におりました。

 ええ、さっぱり見えなかったんですわ。

 夜のライトは、すべて丸く、
 歩行器の緑と人型のランプは、亀の甲羅(こうら)のよう。

 点滴の名前と内容を確認するときは10cmくらいまで近づけないと見えず、
 患者さんのベッドサイドに行った際には必ず種々様々確認していくのですが、それさえ思うようにいかず、
 サーフローはうまく入らず、
 カルテを見るにもにらめっこでした。

 メガネを作ったとき、
 (出来上がるまで不便だろうから、と)
 貸しメガネを…とお店の人が見つけたメガネは、まるでセルマ 1)のメガネのような、
黒くて太い縁取りに、牛乳瓶の底のような分厚いもの。
「これはちょっとね・・・」とお店の人がためらうようなものだったので、お借りしなかったのですが、それでさえ、あとから欲しがりたくなるくらい、
見えないというのはつらかったものでした。

 夕方、学校帰りの同居人に、新調したメガネを病棟まで届けて頂き(Thanks)、
 晴れやかな気分となり、
 夜仕事を続け、
 このあとも下手な文章書きが続きます。
 (今年、看研メンバー故
  さぁて、ガンバロウ)


   *****************
   

 恐らく、経験したことのない方には、見えない、というのがどれだけつらいのかわからないでしょう。
 私自身、全く見えない、ということを経験したことはございません。
 生まれつき、見えない、ということがどういうことか、思い巡らしたとしても、
 本当に理解できるわけではありません。


 ただ、ふと思うんです。
 長い長い間、生まれつき盲目であった人が、
 見えるようになったとき、
 恐らく、めまいのするような色彩の洪水と共に
 嬉しさでいっぱいになったのではないだろうか、と。
 もしくは、とまどいでいっぱいだったのだろうか、と。
 自分が、見える、と実感し、
 触れているものを、目でも見れるのを味わったとき、
 どんなに嬉しかったのだろうか、と。

 その昔、イエスによって、シロアムの池で目が開かれたある人を
 思い出してしまうのです。


 近所の人たちや、前に彼がこじきをしていたのを見ていた人が言った。
 「これはすわって物ごいをしていた人ではないか。」

 ほかの人は、「これはその人だ」と言い、
 またほかの人は、「そうではない。ただその人に似ているだけだ。」と言った。
 当人(とうにん)は、「私がその人です。」と言った。

 そこで、彼らは言った。
 「それでは、あなたの目はどのようにしてあいたのですか。」

 彼は答えた。
 「イエスという方が、泥(どろ)を作って、私の目に塗(ぬ)り、
  『シロアムの池に行って洗いなさい。』
  と私に言われました。
  それで、行って洗うと、見えるようになりました。」


   ・・・・・・・・・・

 しかしユダヤ人たちは、目が見えるようになったこの人について、彼が盲目(もうもく)であったが見えるようになったということを信ぜず、ついにその両親を呼び出し・・・

           (新約聖書・ヨハネの福音書 9章8節~)


  


 


【注】
1)セルマ:「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(Dancer in the Dark,ラース・フォン・トリアー監督、ビョーク主演2000年制作のデンマークの映画)
      の、遺伝的な眼病で徐々に失明しつつある主人公。愛する一人息子のジーンにも病気が遺伝していることを知り、せめて息子だけでも失明から救い出そうと手術費用をコツコツと貯め込んでいたが、・・・。色んな感想が出てきそうな作品でした。できるなら、もう見たくない。


【引用】
・聖書 新改訳,日本聖書刊行会,1987年

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