さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

訪タイ記 4)難民キャンプε (仕事があること、時間があること)

2014-11-15 20:31:58 | ところ変われば
 


 いつから、人は、「笑顔」から「無気力(アパシー)」になるのだろう?





  
  (空は真っ青だった)

    
       (カレン族の家は、高床式)


(家々の間を、てくてく歩く)


 あるご家庭に、訪問させていただいた。

 ご夫婦と生後1か月の赤ちゃんのいるご家庭だった。

 奥さんは、10年前の10歳の頃、病気をもっているご両親と一緒に逃げてきた、という。

 赤ちゃんはすやすや眠っている。

 仏教徒だそうで、そのための神棚?のようなものがあった。

 奥さんは日中、育児をしたり調理をしたり(隣の部屋に調理コーナーらしきものがあった)

 旦那さんは、洗濯をしたり、水浴びをしたりして過ごす、という。


 私は、ここに来るまでに会った、

 小さな子どもたちの笑顔、

 熱心に仕事を身に付けようとしていた少女のまなざし、

 そんな光景ばかり見てきたためか、

 目の前にいる人の表情に、何と言ったらよいか戸惑ってしまった。

 ・・・無表情、なのだろうか。

 ・・・あきらめの表情、なのだろうか。

 ・・・それとも、これが「フツウ」なのだろうか。


 軽いことから始めて、いろいろと教えていただきたいことはあったが、ちょっと聞きにくい雰囲気だった。

 加えて、たとえ、何か要望があったとしても、私に何かできるわけでもない。


 家庭訪問させていただいたことがご迷惑だったかな、と思ったが、

 (一応)そういうわけではない、ただ、お菓子も出せず申し訳ない、というお返事だった。


 そこで、私は、ふと、あまり無さそうな質問をした。

「難民キャンプにいて良かった点はありますか?」

(これがない、あれがない、だけではなく、今の状況でありがたい(感謝できる)点をもっていたら-。
 キャンプ外にいて、スモーキーマウンテンのように、ゴミをあさらなければならない人々よりは、ここにいる人々は援助があるわけだし、銃撃戦もないわけだし・・・)

 すると、それまでうだるそうな様子だった奥さんが、激しく声を発した。

 カレン語ができない私でさえ理解できる程、それは激しい否定だった。

 さっきまでの、無気力な、なげやりな感じがうそのように。


 少し間を置いて、旦那さんは言った。

 皆で助け合えることは、イイことだ、というようなことを。

 でも、仕事がない。

 稼ぎがない。

 アメリカに第三国定住したい。

 そうすれば、子どもに教育をさせてあげられるのに、と。


      **************


 私たちには仕事がある代わりに、時間がなく、

 彼らには時間はあるが、仕事が無い。

 「仕事がない」という時間の間は、その代わり、「何かをできる時間」は持っているわけだが、

もしかすると、この暑さでは、何かをする元気も出ないのかもしれない。


 (いや、そもそも・・・。 1))





 ・・・私は、彼らに英語を勉強しているのかどうかさえ、聞くことができなかった。

 難民キャンプ内なら無償で教育を受けられるが、外では必ずしもそうではないことも。




 私は、ただ、手土産に持ってきたお菓子をそっと渡し、そこをお暇(いとま)した。


   (彼女の目には、何が映っているのだろう)





1)→ このとき、マクロでもミクロでも次々に色んなことが
浮かび上がったが、今は何とも言えない。



      (続く)

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