さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

「犠牲」と言っている間は

2013-10-03 19:10:43 | 日々の雑感

 あなたの心が、それを望んでいない、ということを暗に示している。


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 むろん、何かを選んだら、他の選択肢を捨てなければならないことは多くある。
(また、何らかの競技、何らかを追い求めるためには、他の選択肢を犠牲にしなければならないことは、往々にしてある。)

 だが、「それ」を選んだこと自体を「犠牲」と言い、かつ「それ」が大事なんだ、「それ」を喜んでいるというのは自己欺瞞だ。Hosea 6:6

 喜んでいないのに尊重していないのに自分をも偽って、喜んでいる尊重しているつもりになっている人は、とても不自然であり、

 加えて、周りにも、その欲求不満を伝染させる/強いるため、はた迷惑であったりする。


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 だから、

 先ず、「自分」が何を感じているのか、認めてください。

 どんな感情であれ、「自分」を受け入れてください。



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 実のところ、あなたの心が「これは良い!」と本当には思っていないのに、そう思っているつもりになって、他者に押し売りするのは、ご遠慮願いたいのです。
(場合によっては、自分がそう思っていないということを自覚しているほうが、まだ救いがあるかもしれない)

 わからない? そんなはずはないでしょう。

 もし、本当に、あなたの心が、「それ(事・人問わず)は、そうするだけの価値がある」と思っていたら、あなたは、

「○○や××の選択肢もあったが/犠牲にしたが、

      それ以上に、これには価値があるんだ。大切なんだ

と、前者ではなく、後者を強調するでしょう。Philippians3:8-9


(わがままで、負担を強いる恋人や伴侶に、理解してもらいたいときならいざ知らず)「オレはこれだけ犠牲を払ってきたんだ」「それは犠牲だ」と連呼している時、本当に、あなたの心は、それを望んでいるのでしょうか。喜んでいるでしょうか。
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