先週の休日のことでした。
近所のデパートを歩いていると、どこからともなくかぼそいソプラノが聞こえてきました。
ちょうど、広場で何かしている様子。
アマチュア声楽家が歌を披露(ひろう)しているのかと思いきや、それらしき華麗な女性は見当たらず、
年配のおじいさんが、何かを弾いているのでした。
そのおじいさん、
太ももの間に、薄い鉄板をはさみ、
左手にその鉄板の先をつかみ、
右手で弓を持ち、
その鉄板の側面に当てて、
ヴィブラート 1)のかかった高い優しい音色(ねいろ)を奏(かな)でていました。
ちょうど「埴生(はにゅう)の宿」を
ミュイイ~ンというか、ヒュイ~ンというか
まあ、そんなかぼそいささやきが静かに伝わってきます。
そして、その横の垂れ幕(?)にはこう書いてありました。
のこぎり演奏。
よくよく見てみると、確かにのこぎりの刃のような形です。
「刃」の部分に弓を当てたら弓がダメになるのは当たり前なので、
「峰(みね)」の部分に弓を当てているのでしょう。
ちなみに、弓はチェロの弓を使っていたそうな
さらに観察してみると、右足が小刻みに貧乏揺らしをしています。
・・・・これがどうやらヴィブラートが出る元らしい。
少なくとも「のこぎり」からは想像もできなかった、透明で繊細(せんさい)な調(しら)べが流れてくるのです。
そうそう・・・あとで調べたところ、ハチャトゥリアン 2)ものこぎりのための曲を作っていたとか。おもしろい
【今日読んだ箇所から】
罪過(ざいか)のためのいけにえ 3)は愚か者 4)をあざけり、
正しい者の間には恩恵がある。
Fools make a mock at sin: but among the righteous there is favour.
心がその人自身の苦しみを知っている。
その喜びにもほかの者はあずからない。
The heart knoweth his own bitterness; and a stranger doth not intermeddle with his joy.
悪者の家は滅ぼされ、
正しい者の天幕(てんまく)は栄(さか)える。
The house of the wicked shall be overthrown: but the tabernacle of the upright shall flourish.
人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。
There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.
笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。
Even in laughter the heart is sorrowful; and the end of that mirth is heaviness.
旧約聖書・箴言14:9-13
*新改訳聖書、KJV(King James Version:欽定訳(きんていやく))使用。
【注】
1)ヴィブラート(イタリア語: Vibrato):演奏・歌唱で、音を震わせること。(←かなり乱暴で短い説明)
2)アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(1903~1978年):アルメニア人であり、ソビエト連邦の作曲家、指揮者。
プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソヴィエト3巨匠の1人と称された。
作品の中でも、バレエ組曲「ガヤネー(ガイーヌ)」のハイライト部分である「剣の舞」がよく知られている。
3)罪過のためのいけにえ:罪(つみ)を犯したとき、その贖(あがな)いのために神様にささげるいけにえのこと。旧約聖書のレビ記には、具体的な規定がある。
また、イザヤ書53章(53:10)には、のちのメシヤ(=救世主)の預言の中に同じことばが使われている。
そして、これは、今の新約の時代、イエス・キリストを意味する。
4)愚か者:ここで言われる“愚か者”は、頭がいい/悪い、という意味の愚かではないらしい
【えいご~】
欽定訳の英語は古い英語であるため、よく分かりません。(日本語で言うと、文語体みたいなものです)というわけで、どなたかシェークスピアや欽定訳聖書で用いるような英語について分かりやすいサイトがあったら、教えてください
近所のデパートを歩いていると、どこからともなくかぼそいソプラノが聞こえてきました。
ちょうど、広場で何かしている様子。
アマチュア声楽家が歌を披露(ひろう)しているのかと思いきや、それらしき華麗な女性は見当たらず、
年配のおじいさんが、何かを弾いているのでした。
そのおじいさん、
太ももの間に、薄い鉄板をはさみ、
左手にその鉄板の先をつかみ、
右手で弓を持ち、
その鉄板の側面に当てて、
ヴィブラート 1)のかかった高い優しい音色(ねいろ)を奏(かな)でていました。
ちょうど「埴生(はにゅう)の宿」を
ミュイイ~ンというか、ヒュイ~ンというか
まあ、そんなかぼそいささやきが静かに伝わってきます。
そして、その横の垂れ幕(?)にはこう書いてありました。
のこぎり演奏。
よくよく見てみると、確かにのこぎりの刃のような形です。
「刃」の部分に弓を当てたら弓がダメになるのは当たり前なので、
「峰(みね)」の部分に弓を当てているのでしょう。
ちなみに、弓はチェロの弓を使っていたそうな
さらに観察してみると、右足が小刻みに貧乏揺らしをしています。
・・・・これがどうやらヴィブラートが出る元らしい。
少なくとも「のこぎり」からは想像もできなかった、透明で繊細(せんさい)な調(しら)べが流れてくるのです。
そうそう・・・あとで調べたところ、ハチャトゥリアン 2)ものこぎりのための曲を作っていたとか。おもしろい
【今日読んだ箇所から】
罪過(ざいか)のためのいけにえ 3)は愚か者 4)をあざけり、
正しい者の間には恩恵がある。
Fools make a mock at sin: but among the righteous there is favour.
心がその人自身の苦しみを知っている。
その喜びにもほかの者はあずからない。
The heart knoweth his own bitterness; and a stranger doth not intermeddle with his joy.
悪者の家は滅ぼされ、
正しい者の天幕(てんまく)は栄(さか)える。
The house of the wicked shall be overthrown: but the tabernacle of the upright shall flourish.
人の目にはまっすぐに見える道がある。
その道の終わりは死の道である。
There is a way which seemeth right unto a man, but the end thereof are the ways of death.
笑うときにも心は痛み、
終わりには喜びが悲しみとなる。
Even in laughter the heart is sorrowful; and the end of that mirth is heaviness.
旧約聖書・箴言14:9-13
*新改訳聖書、KJV(King James Version:欽定訳(きんていやく))使用。
【注】
1)ヴィブラート(イタリア語: Vibrato):演奏・歌唱で、音を震わせること。(←かなり乱暴で短い説明)
2)アラム・イリイチ・ハチャトゥリアン(1903~1978年):アルメニア人であり、ソビエト連邦の作曲家、指揮者。
プロコフィエフ、ショスタコーヴィチと共にソヴィエト3巨匠の1人と称された。
作品の中でも、バレエ組曲「ガヤネー(ガイーヌ)」のハイライト部分である「剣の舞」がよく知られている。
3)罪過のためのいけにえ:罪(つみ)を犯したとき、その贖(あがな)いのために神様にささげるいけにえのこと。旧約聖書のレビ記には、具体的な規定がある。
また、イザヤ書53章(53:10)には、のちのメシヤ(=救世主)の預言の中に同じことばが使われている。
そして、これは、今の新約の時代、イエス・キリストを意味する。
4)愚か者:ここで言われる“愚か者”は、頭がいい/悪い、という意味の愚かではないらしい
【えいご~】
欽定訳の英語は古い英語であるため、よく分かりません。(日本語で言うと、文語体みたいなものです)というわけで、どなたかシェークスピアや欽定訳聖書で用いるような英語について分かりやすいサイトがあったら、教えてください