さすらうキャベツの見聞記

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キリスト集会(2)

2008-03-23 23:58:59 | Sunday 集会・生活
「キリスト集会(1)」の続き)

では、なぜ「キリスト集会」? 「教会」ではないの?

 と言われたら、簡単に1つ。


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 1.もともと、日本語で「教会」と訳されていた原語(「εκκλησια エクレシア」@古代ギリシア語)の意味が

    「集会」 1)という

   意味だった、という点。

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 (ちなみに、もうひとつには・・・この集まりが、「キリストの御名(みな)のもとに集う」ものだから。

  「ふたりでも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいる
              (新約聖書・マタイの福音書18章20節)」


   と、イエス・キリストが約束なさったが、事実、クリスチャンは他の誰のことでもなく、ただキリストにあって集まり、祈り、礼拝するものだから


 そんなわけで、「教会」というより「(キリスト)集会」といい、
 中には、「○○(地名)にあるキリストの御名に在って集まる集会」というように、長くご丁寧な名を示されるところもございます 3)。

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 そして、基本は新約聖書の使徒行伝2章にあるとおり、悔い改めて救われた者たちが、

 教えを堅く守り、
 交わりをし、
 パンを裂き、 2)
 祈りをしていた』


 という感じデス。



 ともかく、素朴ながら、神様中心、聖書中心に忠実に歩んでいこうとするクリスチャンの集まりってことでご了承ください。



                       


【注】
1)もっと厳密に言うと「呼び出されたもの」(←昔は議会などの集まりは「召集されて」行われていた)。

2)パンを裂く:パンとぶどう酒をもって、キリストの十字架の死と復活を記念して行うこと。パンはキリストのからだを、ぶどう酒はキリストが流された血潮を象徴して


3)少なくとも、日本に存在しているキリスト集会(と称している群れ)の99.5%が、本部や中央組織を置かず、それぞれの地域に独立して存在している。交流はあっても、それぞれがそれぞれを支配することは、聖書的ではないと考えているため。

 というわけで、たとえば、ひとつの集会が、全国のあちらこちらに支部を設けていることは、本来ありえない。

 また、そこで現されるべきは「主(しゅ)」(=救い主,神様,キリスト)であり、人間を現すべきではない、という点から、どんなに賜物があり用いられている 4)人物であろうと、特定のクリスチャンについて紹介するのは眉をひそめられることもある(「『○○さんの集会』ではなくて、『主の(御名のもとに集う,or主のご臨在なさる)集会』だ!」ってね)。

 (だから、たとえば、HP上で大々的に特定の人物の名を挙げて紹介している集会
    (←そもそも、実は、けっこう古くから存在している集会の過半数は、
      まだHPをもっていないし、インターネットの利用に対しては慎重...)
  があると、「あそこ、大丈夫かなぁ・・・」「変な感じになっていないかしら」と、それだけで心配されることもある。)

 (逆に、人の名がとんと出てこないので、世間一般の方は「姿がわからない」と不安がるかもしれないけれど

 (また、責任の所在という点などから、名をちらっと出すところもある。)


4)賜物(たまもの)がある  =才能、能力などなど。
 用いられている       =活躍している。


                                             
 
【参考・引用文献】
◇聖書(新改訳),第2版,日本聖書刊行会,1987年
◇J・B・カリー編;集会の真理と行動,伝道出版社,1975年
◇台豊著    ;Q&A 聖書が語る「教会」の姿,牧草社,1999年
◇滝川晃一著 ;暗闇から光へ,伝道出版社,1998年


                          
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