さすらうキャベツの見聞記

Dear my friends, I'm fine. How are you today?

金持ちとラザロ(3)―転―

2007-05-13 21:53:17 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(2)―承―の続きです)


 黄泉にいる金持ちさんは、こんなことを願います。

 乃(すなは)ち 呼びて 言ふ
  「父アブラハムよ、
    我を憐(あはれ)みて、ラザロを遣(つかは)し、
    その指の先を水に浸(ひた)して我が舌を冷(ひや)させ給(たま)へ、
    我(われ)はこの焔(ほのほ)のなかに 悶(もだ)ゆるなり」

  アブラハム言ふ
  「子よ、憶(おも)へ、
   なんぢは生ける間 なんぢの善(よ)き物を受け、
   ラザロは惡(あ)しき物を受けたり。
   今ここにて彼は慰(なぐさ)められ、汝(なんぢ)は悶(もだ)ゆるなり。

   然(しか)のみならず、此処(ここ)より汝らに渡り往(ゆ)かんとすとも得ず、
   其処(そこ)より我らに来たり得ぬために、
   我らと汝らとの間に 大いなる淵(ふち) 定(さだ)めおかれたり」

                     (文語訳聖書・ルカの福音書16章24節~26節)



 金持ちさん、1とか2とか思う余裕はなさそうです。
 あの全身できものだらけのラザロさんを天国から遣わして、その指先から冷たい水を飲みたいというほどですから、
 ―何も指先でなくたって、この当時とは言え、コップはなくても何か器(うつわ)はあるだろうに
 よほど、しんどいらしい、、、

                       そんなわけで、答えは4。


 そんな金持ちさんに、アブラハムは、こんな返答をしています。
 「思い出してみなさい。
  生きている間、君は良い思いをしていたが、ラザロはそうではなかった。
  今は逆に、ラザロは慰められて、君は苦しむことになったのだよ」

 「それにね、
  こっちとそっちとの間は行き来できないようになっているのだよ。」


 なんとな~く、このあたりまでを話して、金持ちさんたちに貧乏人に施して、「天に宝を積むように」(cf.マタイ6:1~4,19~20,19:16~21)すすめるような「お・し・ま・い」ということもありそうですが、どっこいそれでは尻切れトンボ。なんで、自分がこっちにいるのか、どうやら金持ちさんは分かっていたようです...

      (続く

 

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金持ちとラザロ(4)―結―

2007-05-13 21:52:59 | Sunday 聖書
金持ちとラザロ(3)―転―の続きです)


 思いもよらぬ、金持ちのことば。彼は、どうすればいいか分かっていたような。


 富める人 また言ふ
 「さらば父よ、
 願はくは 我が父の家に ラザロを遣(つかは)したまへ。

 我(われ)に五人の兄弟あり、
 この苦痛(くるしみ)のところに来たらぬやう、彼らに證(あかし)せしめ給(たま)へ」


 アブラハム言ふ
 「彼らには モーセと預言者(よげんしゃ)とあり、
   之(これ)に聴くべし」


 富める人言ふ
 「いな、父アブラハムよ、
  もし死人の中(うち)より 彼らに往(ゆ)く者あらば、悔(くい)改(あらた)めん」


 アブラハム言ふ
 「もしモーセと預言者とに聴かずば、
   たとひ死人の中より甦(よみが)へる者ありとも、其の勧(すすめ)を納(い)れざるべし」

                        (文語訳聖書・ルカの福音書16章27節~31節)




 天国に行くことも苦しみを和らげることもできないとわかった金持ちさん、お次は、まだ生きている自分の兄弟(残り5人とは・・・おや、キャベツのところと同じだ)のことを考えました。(なんて優しいんだ!!)

 そして、アブラハムにこう願ったのです。「ラザロが生き返って死後のことを伝え、悔(く)い改(あらた)めて、こっち(ハデス)に来なくていいようにさせてください

 が、アブラハムはこう答えるのです。
 「聖書(注;モーセと預言者=旧約聖書。この当時成立していたのは、旧約聖書のみ)があるじゃないか。そこに書いてあるのだから、それに耳を傾けるべきだよ」
 耳を傾ける・・・昔、会堂で毎週、モーセの律法や預言者たちのことばは朗読されていました。聴こうと思っていたら、わかるはずだ、とアブラハムは言っているのです。

 それでも、金持ちさんは必死です
 「いいえ、誰か死んだものが生き返ったら、悔い改めます!! お願いします

 ですが、アブラハムが言った事は、そんな楽観的な願いを一蹴する厳しい現実的な答え...
 「もし聖書が言っていることを聴かないのならば、誰か死人が甦って勧めたとしても、聞く耳は持たないだろう」
 というもの。

  確かに、もともと死後の世界があると思いもせず、さばきがあるとも頭の片隅にさえなければ、
 死人が甦ったとしても
「ほんとか~ 眉唾(まゆつば)モンじゃね~の!? 頭、おかしいんとちゃう!!?」と、ケタケタと嘲笑(わら)いそう
 (加えて、現代ならば、死人から甦った人(仮死状態からではなく、本物の甦った人)がいた場合、そのことばを聴くより、「なぜ、そういうことが起こったのか」、実験台にされそうです・・・。)


  まあ、そういう話もありますよってことで、お覚えくださいな。

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ドア、開いています

2007-05-10 22:54:08 | Thursday 生活
昨日、暑い日差しの中―職場のロッカーの鍵を忘れたことに気付き―、引き返したキャベツの目には、ぶらんぶらんと開いている家のドアが見えた。どうやら、ドアがきちんと閉めていなかったらしい。あちゃ~(>_<)!


 ん、鍵ですか?


 え、え~~とですね、
 (ここだけの話ですが・・・あまり鍵閉めないんです。特に、家にいるときには

 多分、こんなことが知られれば、同居している兄弟以外の家族・親戚・心配した方々から言われるかもしれないんですが、どうやら、これには二つのモデルがあったようです


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 一つ目は、母方の祖父母。
 いつなんどきでも、家には鍵がかかっておりません。
 誰でも、いらっしゃい
 なのか、平和な片田舎だからなのか定かではありませんが、
 いつでも開いている、というのが、ある種、感覚として、わが身に受け継がれているようです。両親は、しっかり鍵をかける方々なんですがねf(^^;)

 他の家でも「そういえば、おばあちゃんの家とかって、鍵がかかっていなかった~」という話はちらほら聞くことなので、あまり珍しいことではないのでしょう。



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 もう一つは、…昔「レ・ミゼラブル」で―「レ・ミゼラブル」というのは、端的に、一片のパンを盗んだために、19年間監獄生活を送ることになった男、ジャン・ヴァルジャン+αの物語―、こんなくだりがあったため。

 (ジャン・ヴァルジャンが釈放されてから出会った、ある司教 1)さんの住まいの描写の一部である)


「家には鍵(かぎ)のかかったドアは一つもなかった。

  前にも述べたように、いきなり大聖堂の広場に出られる食堂のドアには、以前は監獄の戸のように錠前(じょうまえ)と閂(かんぬき)がついていた。司教はこうした金具をみんなはずさせてしまったので、ドアは昼も夜も、掛け金がかかっているだけだった。通りがかりの人は誰でも、どんな時間でも、押しさえすればよかった。
  初め、二人の婦人 2)はいつも戸締(とじま)りをしていないドアを非常に不安がった。司教殿は彼女たちにこう言った。
  「そうしたかったら、あなたたちの部屋に閂をつけさせなさい」
  しまいには彼女たちも彼と同じように安心したか、少なくとも安心したようなふりをした。
  マグロワール夫人だけは、ときどきこわがった。
  司教はといえば、聖書の余白に彼が書きつけた次の三行の中に、その考えが説明されている、少なくとも示されている。
  「ここに微妙な差がある。
   医者のドアは決して閉ざされてはならない。
   司祭 3)のドアはいつも開かれてなければならない。」

  別の『医学の哲理』という本には、別の書き込みがしてあった。
  「わたしも彼らのように医者ではないだろうか? わたしにも患者がいる。
   第一に、彼らの患者、医者が患者と呼んでいる病人がいる。
   第二に、わたしの患者、わたしが不幸な人と呼んでいる病人がいる」

  さらに他のところではこう書いている。
  「宿を求めて来る者に、その名を尋ねるな。
   名のりにくい者こそ、避難所を必要とする人だからである」
 
  こんなことがあった。
  ある日、クルブルーの司祭だったか、ポンピエリの司祭だったか忘れたが、立派な司祭が、たぶんマグロワール夫人にそそのかされたのであろう、誰でも入りたいと思う人の思うままに、ドアを昼も夜もあけておいても、ある意味では軽はずみにならないと確信するのですか、またこんなに戸締りの悪い家で何か不幸が起こるのを恐れませんか、と司教に尋ねた。
  司教は優しみのこもった重々(おもおも)しさで相手の肩に手をおいて、ラテン語 4)で言った。
  「主 5)が家を守ってくださらなければ、人がいくら守ったところで益(えき)はありますまい」
  それから、彼は話題を変えてしまった。

  彼は好んでこう言っていた。
  「竜騎兵(りゅうきへい)の隊長の勇気があるように、司祭の勇気というものがある。ただ」
  と彼はつけ加えた。
  「われわれ司祭の勇気は、静かでなくてはならない」


            ―――――――――――――――(「レ・ミゼラブル」 6)ビクトル・ユーゴー作、佐藤朔訳)
  

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 そんなこんなで、openなキャベツ家。もし東京で泊まるところを探していたら、おもてなしはさっぱりだが、キャベツの家もありますよって言っておこう。友人各位。

  いつでも、開いていますからって。


  それは、たぶん・・・鍵をかけるのが面倒だから・・・デハナイw。

 
                                           


【注】
1)司教:ローマ・カトリック教会で、司祭の上に立つ聖職。司教区の首長。
     ここで描かれている司教は、自分の家(司教館)を隣の病院の方々に与え、自分は、その病院だったところに住む、風変わりな人である。(フィクションです)

2)二人の婦人:司教の妹バチスチーヌ嬢と、女中のマグロワール婦人

3)司祭:キリスト教の聖職の一つ。ローマ・カトリック教会では司教の下位、ギリシア正教・聖公会では主教の下位にあって、教会の儀式・典礼(てんれい)をつかさどる。祭司。
  ちなみに、新約聖書において、クリスチャン=祭司(ペテロ第一 2:5「聖なる祭司」)という側面も記されている。もちろん、救われたてクリスチャンになったら、誰でも勝手なことをしゃべっていい、というわけではない。
  分かりづらいかもしれないが「聖霊の働きに導かれて」という事が、あるのですよ。(ああ、これ、とてつもなく、知らない人には分かりにくい内容だ…

4)ラテン語:その昔、ローマ帝国の共通語となっており、20世紀初頭までカトリック教会の公用語であり、また、中世以来学術語として使用されてきた。フランス語やスペイン語、イタリア語の元となる言語。

5)主:神様のこと。 


6)そういえば、今年、「レ・ミゼラブル」のうち「コゼット」編が、アニメになるとかならないとか。昔、ハウス食品の「世界名作劇場」を兄弟で見ていた身としては、これからもそういうのがあると嬉しい限り。

 P.S-「アニメ版レ・ミゼラブル」、もうon airしていたんですね。
     どんな作品になるかと思いきや、なかなか見れるものでほっとしました(絵は、「名探偵コナン」ばりですね―同じ人が作成しているんかな?)。
     
     最近の放映された部分だけですが、こちらにて無料で見れるようです↓

     世界名作劇場 レ・ミゼラブル 少女コゼット






                                     

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言葉にできない(1)オーソドクス編

2007-05-07 22:35:53 | Monday ゆかいな言葉たち
こんばんは。
 今日は、「Blue Monday(ブルーマンデー 1))」
という友人知人その他様々いらっしゃるようで。

 こちら、そんなものとは無縁(むえん)の生活ゆえ、うらやましいような、気の毒なような…。しかし、いやはや、ホント連休明けはきついものです。



 ま、そんなときは、少し、笑っていきましょう


   言葉にできない 


内容は、以前にも既述したものですが、どうぞw 画面が出たら、左側にある三角をポチッと押してくださいね。


【注】
1)Blue Monday:休日明けで、仕事や学校に行くのが億劫(おっくう)な月曜日。

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ラ・フォル・ジュルネ(熱狂の日)

2007-05-04 23:59:59 | Friday -news-
「LA FOLLE JOURNE(ラ・フォル・ジュルネ,LFJ;熱狂の日) au JAPON 音楽祭2007」なるものがこのGW中あったそうなのですが、残念! 気付くのが遅かった・・・来年もし時間があったら、一度行ってみたいキャベツなり。
 ちなみに、本日東京26.1℃(平年よりも4.6度高い)、また北京(ペキン)では昨日31.9℃(過去40年で最高)。確かに暑い日でした。


        ********************

 さてさて、世界最大のソフトウエアメーカー、米マイクロソフト(MS)と、インターネットポータル(玄関)サイト最大手の米ヤフーが合併交渉に入った(4日)というニュースもありますが、「暑い日」ということで、こんな↓ニュース。

 温暖化で1日が短く?地球の自転に影響…独チーム予測

 地球温暖化によって世界の海水の分布が変わり、地球の自転が速まるという予測を、独マックスプランク気象研究所のチームがまとめた。
 大気中の二酸化炭素などがこのまま増え続けた場合、2199年には1日の長さが10万分の12秒短くなるという。米専門誌「ジオフィジカル・リサーチ・レターズ」に掲載された。
 海水は温暖化によって体積が膨張(ぼうちょう)するが、緯度(いど)や水深、海底の地形などによって、水量が増える所と減る所がでてくる。研究チームが計算した結果、海水は全体として南半球から北半球へ移り、特に北極海(ほっきょくかい)沿岸の浅い海域で増えることが分かった。膨大な海水の重みが、地球の自転軸に近い位置へ移動することになるため、自転が速まるという。(増満浩志,2007.05.04)

 ふ~ん・・・このままCO2が増えた場合、あと190年後に12/10,000秒、一日が短くなるんですか・・・。
 ちなみに、最後がよくわからなかったのですが・・・そもそも、自転の速さって、どういう要素で決まるものなんでしたっけ?(知っている人いましたら、よろしくf(^^;))


        ********************


 そういえば、そろそろ「母の日」ですね。

 主婦業、年俸1600万円に相当

 専業主婦がこなす炊事洗濯や育児などの家事は、年俸13万8095ドル(約1660万円)に相当-。13日の「母の日」を前に、主婦の重労働ぶりを再認識するきっかけにしてもらおうと、米人材情報会社サラリー・ドット・コムがこんな試算をまとめた。
 同社は、子供の送迎を「運転手」、調理を「料理人」、家族の悩み相談を「カウンセラー」などと家事を10項目に分類し、それぞれをプロに任せた場合の料金を積算した。主婦の作業時間は週92時間で、うち52時間を残業として割り増し計算したという。今年の年俸は前年に比べ3%上昇した。
 職業を持つ母親についても、家事に対する報酬(ほうしゅう)として年8万5939ドル(約1030万円)の「ボーナス」受給資格があるとはじき出した。(時事通信社 2007.05.04)


 ほォ~~。「お母さん業」が一日13時間とした場合で、年間1600万円ですか。さらに、生まれた場合の赤ちゃんがいるお母さんは、本当に24時間勤務状態でしょうに...全国のお母様、お疲れ様デス。



       ******************************


 
 ちなみに、本日キャベツは、朝は弟分(?)を引き連れて、東京最大の公園のラジオ体操に参加をするところから始まり、最後は、頂いたケーキ―アップルとレーズンのしっとりしたスクエアケーキ―をうまうまとほおばる、平和な一日でした。ありがたや。

 が!

 ここ最近、通読を怠けていることが著明(ちょめい)となり、自分自身ため息をつくキャベツ。
 (むろん、読んでいないわけではないのですが...)
 通読しなければならない(義務)というわけではないのですが、やはり聖書=みことばを読むというのは、クリスチャンにとって心の栄養のようなもの。
 ええ、身体(からだ)が食物を欲(ほっ)するように、心にだって食物が必要なんですよ。血の通った温かな友情や愛情、芸術、、、何よりも神様からの食べ物(マナ 1))が。


【注】
1)マナ:その昔、イスラエル人がエジプトを脱出し、カナン(今のイスラエル、パレスチナ地方)に向かって40年間歩んでいたとき、空から朝はマナというパンが降り注いだそうな。

  見た目は白い霜(しも)のようなもの(旧約聖書:出エジプト記 16章14節)―なにやらよくわからないのですがコエンドロの種のようなもので―、味は蜜(みつ)を入れたせんべい(同上・16:31)。むろん、「せんべい」と言ったって、日本のせんべいとは違って、多分ナンのようなものが近いのではないかと思いますが また、これをなべで煮て、パン菓子のようにするとおいしいクリームの味(旧約聖書:民数記11章8節)。じゅるる。ちょいと食べてみたいものです。

 ちなみに、これ、詩篇では御使(みつか)いのパン(78篇25節)とも、新約聖書のある箇所では御霊(みたま)の食べ物(コリント第一 10章3節)とも言われています。
 で、御使いっていうのは、いわゆる天使のこと。
  そんな、フツウだったら味わえないようなものを食べることになったのは、人はパンだけで生きるのではない、人は主(しゅ)の口から出るすべてのもので生きる(旧約聖書・申命記8:3)ということを学ぶためだったからだ、とも記されている。

 そんなこんなで、「マナ」=「みことば」という意味も含まれたりする。



                          
コメント (6)
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あしあと (1)

2007-05-02 23:50:49 | Wednesday 芸術・スポーツ
 こんばんは! 皆様、GW(ゴールデンウィーク 1))いかがお過ごしですか?

 上の写真は、今春、上野の公園 2)からアメ横 3)への道すがら、足元に発見したものです。下を見れば、こんなものがあるのも、なかなか面白い。そして、上を見上げれば、今夜は満月がくっきり。


 それでは、良い休日を(^^)/⌒☆


   




【注】
1)ゴールデンウィーク:(和製英語 golden week)日本において、4月末から5月始めの休日の多い週のこと。今年は、「9連休」「11連休」という声が多いが、キャベツには無縁のことばである。

2)上野公園:上野にある都立公園。桜の名所。東京藝術大学や博物館・美術館・動物園・不忍池(しのばずのいけ)などがある。

3)アメ横:アメヤ横丁(あめやよこちょう)のこと。東京都台東区のJR御徒町駅~上野駅間の山手線の高架(こうか)西側に沿って縦長に伸びる約400mほどの商店街。
     店員との交渉によっては安く買えることもあるのが、アメ横の特徴&醍醐味。



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