仕事を辞めてから1年が経とうとしていますが、一日の時間があまりに早く過ぎてしまい、「何もしないで、時間がどんどん経過していく」ことに焦り?を覚えています。焦りではなく、もっと有意義な時間のすごし方が出来ないものかという疑問を持っているのですが・・・。
考えてみれば、仕事をしていた時も、その仕事が「世のため、人のため」になっていたかというと、はなはだ疑問なのですから、そんなことを考える必要はあまりないのかもしれません。
「自分の老後はいかに過ごすべきか?旅行など自分の趣味など自分だけのために時間を使って良いのか?それとも、もっと他人のためにも時間を使うべきなのか?」を模索しているのですが、あんまり深刻に考えないことだと思います。
まぁ、誰も期待していなし、そんなことを模索しているうちに「あの世」へ逝ってしまうかもしれません。
ところで、日本では家事といいますと「女性」が大きな役割を果たしていると思うのですが、家事にも色々あるんですね。
昔、植木等さんが歌っていた曲(私だけが あなたの妻 丈夫で長持ち 致します テナコト言われて ソノ気になって 女房にしたのが 大まちがい 炊事せんたく まるでダメ 食べることだけ 三人前 ひとこと小言を言ったらば プイと出たきり ハイそれまでヨ フザケヤガッテ フザケヤガッテ フザケヤガッテ コノヤロー 泣けてくる)をご存じでしょうか?
この曲は、青島幸男さんが作詞し、萩原哲晶さんが作曲したものです。曲名は(ハイそれまでヨ)で、括弧書の歌詞は三番です。
なぜ、突然、この歌が出てきたかと言いますと、「女房にしたのが大まちがい」以下の歌詞に女性の役割が描かれているからです。
小生が紅顔の美少年の頃は、この歌詞のように「炊事、洗濯」などの家事は、女性の仕事というのが常識、というと語弊があるかもしれませんが、少なくともなんの疑問も持っていませんでした。
こんな話をしますと「何が言いたいのか」ということですが、それは、家事というのは、やってみると大変なことなんだ!ということです。
それも肉体的にも精神的にもということです。
例えば、炊事ですが、朝早く起きて、家族の朝ご飯を作って、家族が会社や学校へいって「やれやれ」と思ったら、もう昼食の時間が迫ってきます。そうなると、自分だけですから簡単に済ませるということになるのですが、夕食のことを考えなければなりません。
亭主の分は、「一杯やるから、刺身がいいかな。」とか、子どもの分は「栄養を考えて○○がいいな。」とか考えて、材料を仕入れにいくことになります。でも、それが一日だけなら良いのですが、毎日なのですから大変です。
世の奥様方に感謝するのみです。
それにしてもハナ肇とクレージーキャッツ・植木等さんの歌は愉快ですね。思わず笑っちゃいました、全部の歌詞が知りたい?
青島幸男さんは、作詞がうまいですね。感心してしまいます。
♪♪♪銭のないやつあ 俺んとこへ来い 俺もないけど心配すんな 見ろよ青い空 白い雲 そのうちなんとかなるだろう♪♪♪
いかがですか、この歌詞は?(曲名・・・だまって俺について来い)
今よりこの時代の方が人間の温かさが感じられて良かったなと思いませんか。