mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

孔子、人間一生の心得

2010年02月20日 | 本と雑誌

 前回は、渋沢論語の第一章「述而篇」の「1孔子がもっていた偉大な五分の魂!」を竹内先生の解説で紹介しましたが、今日は第二章の「泰伯篇」”能をもって不能に問え!”の1番目「なんと五十年先まで読み実行した泰伯の大陰徳」について紹介します。

 子曰く、泰伯はそれ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以(もっ)て譲る。民得て称することなし。[泰伯]

 

 

 この孔子の言葉に対する渋沢栄一の解説は、次のようです。

 泰伯は周の大王の長男である。大王に三子があり、長男が泰伯、次男が仲雍(ちゅうよう)、三男が季歴(きれき)である。季歴に昌(しょう)という子があって、聖徳が備わっていた。そこで大王は王位を季歴に譲って、さらに昌に継がせようと望んだ。泰伯はこれを知って、弟との仲雍とともに国外に出ていった。そこで大王は季歴に国を譲り、昌に王位を継がせることができた。

 孔子は泰伯が父の意中を知り、王位を継がなかったことをたたえて、

 「泰伯はこの上もない至徳の人である。自分が当然継ぐべき位を譲って父の志を生かし、その譲り方が巧妙で、少しも自慢せず、自分の徳をなるたけ世間に知れないようにして、その形跡を残さなかったから、天下の民は誰一人としてこれを知らず、泰伯を賞賛するものはいなかった。これが至徳の姿である。」

 と言っている。「大功は無名」とか、「大道は称せられず」というのがこれである。

 いまどきの人の思想は、泰伯の時代とは大いに異なり、自分のやったことはなるべく世間に知られて、人から称賛してもらいたい傾向があり、自分の手柄を自分で吹聴する者さえある。これに反して泰伯は、謙譲を主義として徳義を重んじ、自分の功績はなるたけ世に知られないようにした。この点を孔子は称賛したのである。

 

 

と説明しており、さらに「道徳も西洋と東洋ではまるで正反対なこともある!」として次のように説明しています。

 では、この流儀の道徳を今日の世で行うことができるかどうかというと、いまの道徳からいえば、自分の働きは自然と世の中に表れてしまうようになるではないかという議論がある。これは東洋道徳と西洋道徳の違いである。

 西洋道徳の大本は、福音書マタイ伝の中に、「人は自分で善事をするとともに、よいことはなるべく他人に勧めて行わせるのが人の務めである。」というのがある。

 これに反して東洋道徳の大本は、「おれの欲せざる所は人に施すこと勿(なか)れ」というところにある。一方は積極的で、自分が実行するだけでなく、他人にも行わせようとするので、これを能動ということができる。他の一方は消極的で、自分にしてほしくないことは他人にもするなというに止まり、これを「受動」ということができる。根本ですでにこの差があり、その末は千里の差を生じる。

 泰伯のしたことは、東洋道徳の本領を発揮したもので、自分が当然継ぐべき王位を末弟の季歴に譲って善事を行ったが、もしこれが世間に知れると、父も弟の季歴も世人から非難されるに違いない。そこで泰伯は父が弟の季歴に継がせたいという意思を察知して、世間に知れぬように季歴に継がせたのだ。だから人民は泰伯の賢徳を少しも知らずに終わってしまった。もしこのことが世に知れたら、人民は必ず泰伯を慕って季歴を悪く言うであろう。こうなっては泰伯は自分の本意を達せられないことになる。そこで泰伯は巧妙な方法でこのように善処したのである。

 泰伯のこのやり方を学んで日本でこれを実行した人は、徳川家康の第十四男で徳川三家の一つ水戸家の初祖中納言頼房の次男、水戸光圀である。後の水戸黄門で諡を義公という。

 

    という解説ですが、どのように思いますか?小生は、「自分のやったことはなるべく世間に知られて、人から称賛してもらいたい傾向があり、自分の手柄を自分で吹聴する者さえある。」という人間を直接、見たことはありませんが、「自分立場を良くするために人のやったことをトップの前で非難する」とか、「あいつは、上司の家の草むしりや掃除をして、出世した」、「出世のために飲みたくない酒を飲んでご機嫌を取っている」などという話は聞いたことがあります。

  仕事は何のためにやるのかを考え、そして、その成果となった「手柄」を黙ってジッと見つめている自分がいるというのは、超格好いいですね。

 でも、反面、上司や周りの人が気づいてくれないことは、「チョッピリ寂しい」のも事実ですから人間は弱く悲しい存在ですね。(お前だけだ!)

 ところで、黄門様は泰伯の教えをどう実行したのか知りたいものです。