mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

渋沢栄一 「孔子 人間 一生の心得」 

2010年02月18日 | 本と雑誌

 母が亡くなり、仕事がなくなりますと、不思議なもので自分のものも含めて「身の回りでも整理するか!」と考えるようになります。

 先日も使わない電化製品や洋服、本などを市の清掃センターに持ち込んで処分しましたが、なかなか家の中が片づきません。

 中でも、本は狭い本棚に一杯で、「なんとか整理したい」と考えていました。

 一口に本といいましても雑誌、漫画(三国志)、文学全集、推理小説、学術書、旅行誌などがあり、いざ捨てようとしますと、これがなかなか決断できないのです。

 今日もそんなことを考えて本棚を見ておりましたら、タイトルの渋沢栄一「孔子 人間 一生の心得」という本が目に飛び込んできました。

 東京大学の竹内均先生が解説していますが、この本を買った動機は、「人生をどう生きたらよいのか」の答を求めたからだと思います。

 でも、いつ買ったのかまったく記憶がない上に読んだ形跡がないのです。

 なんだか難しそうだし、「捨てようか?」と中身をぱらぱらとめくったのですが、これが結構面白いのです。

 竹内先生の解説によれば、この本は、「自己実現のための最高の実学、人生の指南書」だそうです。

 渋沢栄一が書いたのは「論語講義」だそうですが、そういえば、小生は、若い頃から「孔子の教えとはどんなものだろうか?」と興味津々でした。

 そんなに興味を持っていたものを読まずに捨てるなんて!おかしいですよね。

 「今日は良いものを見つけた」と内心、、ほくそ笑んでいます。

 そこで、最初のページをちょっと紹介したいと思います。

 1 孔子がもっていた偉大な「5分の魂」!

   子曰く、黙してこれを識(しる)し、学びて厭(いと)わず、人を誨(おし)えて倦(う)まず、我に何かあらんや。[述而]

 朱子は、この項を孔子が謙遜して「黙して識し、学びていとわず、教えてうまず、の三徳は私にはない」といったものだと解釈している。

 もし孔子が知識を誇り、学問にあきやすかったり、人に教えるのをいやがるような人であったならば、孔子の孔子たる価値は、まったくなくなってしまう。私が想像するには、この項はおそらく、世間の孔子に対する非難ー「彼はろくに物を識りもせず、学んで研究もせず、また教育者として指定を熱心に指導できない男だ」と論評されたのを聞いて、これに対して反発して答えたものと思う。ひととおりは謙遜の形をとっていても、その底に凛然たる語気が見える。

 学問に精通して物識りになっても、これを胸中に納めて、軽々しく表現しないという人はめったにいないし、ふつうの人は一を知れば、これを十にして使いたがるものである。これを一知半解の人という。一知半解の知識を振り回して高言放論するにとどまるならば、その稚気愛すべしと笑ってすまされるが、反対にその一知半解の知識を悪用して、自分の非道をおおい隠そうとする者もある。近頃の青年で自分の堕落を弁護しようと、生かじりの自然主義や共産主義を振り回しているのがそれである。

 この説明文章(解説)を書いたのが渋沢栄一だと思いますが、孔子の言葉よりも渋沢の言葉「一知半解」の人にならないようにしたいものです。

 このブログで引用すること自体が「もうなっているではないか!」ですか?そうかもしれませんが、自分の非道を覆い隠すためではありませんよ。

 読んでいって面白いところがありましたら、また紹介します。