私は黒崎駅前商店街に近い西神原町に住んていたので同商店街については愛着と問題意識を持ってその成り行きを追って来たものです。
「問題解決のため利用者の代表の意見を取り入れること」
今回の問題に就いて市と商工会議所が連携。地もと中小企業への聞き取り調査に着手と報道されています。然し私は過去からの経緯から考えて、聞き取り調査に利用者、それも発信力、先見性のある代表を必ず入れるべきと思います。
理由は井筒屋の前のそごうの開店に猛反対した地もとの商店街の人達。結局は当時まだ勢いがあった利用者の代表的な製鉄の労働組合の委員長と賛成発言でそごうの開店が決まったこと。
元の市長の末吉さんの商店街の将来の計画提出の要請にも報道によれば無反応。その結果は商店街の真ん前に若い女性の来場などはねつけるような3つの大型パチンコ屋の出現と定着。
その後の後の商店街の中堅のユニード、トポス、長崎屋、井筒屋アネックスの閉店にいずれも無反応。彼らは自分の損得ばかり考えて一番大事な顧客の便などまったく関心が無い(ように見える)からです。
このことは「黒崎地区商業ベンチャー育成事業」にトライして単発に終わったた商工会議所も駅前商店街の問題点が商店街の店主にあること熟知していると思います。
それで私の素人の思いつきを並べて見ましたのご参考にでもなれば幸いです。
「購入者代表を含めた井筒屋との会談要請」
井筒屋の成算があってのそごうからの買い取ったのに失敗したそれなりの理由。その中に購入者の動きの読み違え?それに対する購入者代表の意見。皆北九州市に参考になること。会議の結果とどまれば尚更、そうでなくても長い付き合いの同市への要望も有るはず。井筒屋は北九州市の気づかない大きな情報を持っている筈です。
「自己処理能力不足の黒崎商店街の問題」
もし井筒屋が残れば同社なりの、いやそれ以上の処理能力を発揮すると思いますが、今までの商店街では井筒屋が残っても去っても前述のように自己処理能力は殆どないように見えますし、このままではじり貧になるのは間違いないと思います。そのためには北九州市、商工会議所の関与は残念ながら不可欠になると思います。
「消費者に取って一番の関心事は商店街へのアクセスの良いこと」
私は4日に黒崎まで出たついでに思うところあって駅前商店街を歩いてみました。何時ものように殆ど歩く人が見えないカムズ通り、僅かの飲食店、多くの閉った店、変わっているのはいずれも夜向きの飲み屋。カムズ通りと他の通りを結ぶに小さな通りの店は皆閉店。カムズ通りの一番上の熊手通りのうす暗い入り口。少し行くと何時もの何とか様の両側に蝋燭の火。増えてきた人通り、昔からあった懐かしいから揚げの店や、本屋などなど昔ながらの熊手通りに加えてカムズ通りの大きな写真館も移っていました。詰まりわざわざ井筒屋まで行かなくとも利用者が何とか済ませる店が生き残っているのです。その人達は昔から私どもが来たように、道を一つ横切ってなんとか様の横の路地を降りればもう通り。つまり消費者に取ってアクセスの良さ。勿論この通りも問題が有ります。通りから何本か出ている通りの惣菜など必需品の店は略全滅。最近では通りの上の人は皆スピナで済ませているのでしょう。それと通りから別れた全滅状態の飲み屋街。女性にとって怖い他の通りに抜ける狭くて薄暗い道。
「多くの人が歩いているのに店を閉めるカムズ通りの店主」
そごう開店の後私は出向で西神原町の借り上げ社宅に居た時に驚いたこと。私がカムズ通りを通って帰宅したとき見たこと。多くの人達が歩いているのに、どの店もシャッターを閉め始めてているのです。普通で考えればあれだけ反対していたそごうの閉店時間になった後こそ稼がねばならないのに。私は近所に住む商店街で店を開いていた人に訊くとそんな筈ないと言う答。詰まり早く閉店したのはカムズ通りの商店だけかもと言うこと。カムズ通りの大店(と思っている?)店主の驕り。
「駅前商店街が元気だった頃と今の違い」
当時は黒崎駅の利用者は博多、小倉に続いて3位と言うほど黒崎が元気だったこと。私の言うアクセスも折尾から門司港まで走る西鉄電車が駅前商店街の真ん前に止まるという絶対的な好条件。それと車がそれまで普及して居なかったこと。現在は黒崎駅の利用者は九州で6位前後。西鉄電車廃止。筑鉄電車、西鉄バスセンターは昔で言うと駅前の一つ手前の前「車庫前」と商店街へのアクセスがた落ち。唯一の頼みは小倉方面から来たバスが井筒屋の西端の黒崎駅前で止まること。但し乗客の殆どは橋を渡って井筒屋か駅の方に向かう人ばかり。それと急激な車の普及、それに応える大型スーパー。
筑豊からのもう一つの商店街へのバス停として昔は井筒屋アネックスがあり乗降客のオアシス的な場所でしたが、いまは大英産業のビルが建設中、唯一残ったふれあい通りのバス停の横には大きなパチンコ屋が行き先を塞いでいます。
「駅前商店街へのアクセスを妨げている人口地盤」
これが出来たころ私は倉敷市に住んでいました。同市と岡山市は駅と国道を挟んで立つ商店街を結ぶものとして地下街を開発して、それなりの効果をあげていました。北九州市は駅、バスセンター、商店街と百貨店を結ぶ大きな人口地盤を作りました。
駅に降りた乗客が駅前商店街に行く立場でみるとこの人口地盤は余りにも広すぎます。身体が衰えかけている家内は電車を降りて地盤にあがらぬまま井筒屋に向かっています。勿論駅前商店街など論外。特別なことでも無ければ駅を降りた人が見た感じでは100m近くの何もない平面を歩いて商店街に行く人は居ません。最近市の好判断で地盤上で商行為ができるようになったそうです。今後これを定着化して人が岡山や倉敷と同じように商店街へのアクセスが良くなったと感じるまでにして戴ければ良いと思うのですが。電車、バスで来る人のためには小倉駅北のような「動く歩道」などあれば、車で来る人には後記の「私が見聞きした話」・店主のエゴイズム?で書いた様に、かって計画したことのある大駐車場があれはば、井筒屋、駅前商店街のアクセス問題は一度に解消するでしょうけど。
「駅前商店街の中心のカムズ通り商店街の改善を」
今黒崎駅前商店街の衰退の最大原因でありその象徴がカムズ通り商店街にあると誰でもおもっていると思いますので敢えて問題点を考えて見ました。
・広すぎる道路を活かすこと
前に挙げた熊手通りのように狭い通りでは二三人でも歩いていると何となく心が落ち着きます。カムズの様に広いと同じ二三人でも薄ら寒くなります。増して人口地盤からも見られる広い道路を殆ど何時もと言って良いほど、僅か一人では誰も行く気になりません。賑やかさが人を集めるのです。
対策は広い道の真ん中を何かで埋めることです。出店にするとか、休憩場所を作るとか、通りの中心でスーパーなどでやっている客寄せの行事を開くことです。カムズでも「何とか祭り」を含めて稀にやっています。拙いのはその周知が足りないこと。パコラなどの求人紙などで一枠確保して周知すれば四方から人が寄るのに。そしてスーパー並にイベントの回数をもっと増やせば良いのに。
カムズでも一つ良い所があります。高いアーケード。これを利用して客寄せの夏の七夕飾り、冬のイルミネーショでのの会社、団体、ボランティアの共演。これだげは北九州市の何処のアーケードでも出来ないこと。
・顧客の望む商品、サービスを提供することと、そのための制度作りをすること。
基本の基本にに戻って今のカムズ通りで買いたいもの、利用したい施設がどれだけ在るでしょうか?食堂、夜の飲み屋以外にカムズ通りで殆ど考えつきません。それで人が寄らないのは当然です。それで当たり前過ぎますが、顧客にニーズ応えるものを揃えるのは当然です。
ひょいと思いついただけでも理髪店、美容院、洋品店、百円ショップ、鍵のレスキュー店、工具店、文房具店、近所のサラリーマンのための弁当屋などなど。年寄りの私でも考えつくのですから若い女性からは多くの希望が出るはずです。それに今も残っている食堂、家庭での電気関係の事故処理にも応じる電気屋、角打ち屋。それに近くの商店街の安くて美味いしろやのパン。画廊。手芸専門店などとの協力を考えたカムズ通り中心の街づくり。
上記の内どの様なサーピス、どの様な商品を選ぶかは商店側、利用者代表、市、商工会議所の腕の見せ所と思います。商品・サービスの選定が適切で、通りへのアクセスが改善すれば、カムズ通りの復活、程度の差はあるがそれに繋がる各商店街の復活は間違いないと思うのは楽天的過ぎでしょうか。
言うは易く行うのは難しい(特に人口地盤に動く歩道、大駐車場の設置)と思いますが井筒屋が残れば良し、無くなっても駅前商店街が回復すれば良いと言う私の提案(多分市の方も似たようなお考えと思いますが)もこれくらいしか思いつきません。
年寄りの書くことで記憶違いもあるかも知れませんがお許し下さい。
なお下記の[黒崎駅前商店街が抱えている問題点と提案]就いてネット向きの投稿で、専門家に取っては釈迦に説法ですが、ご参考までに。
その後の細かなことは私の気づいた地もとの人達の考え方を知って戴くために過去の投稿から拾ったものです。
************************
[黒崎駅前商店街が抱えている問題点と提案]、
・基本的なコンセプトが無い?
小倉、博多に流れる客にどのように対応するのか?
どの客層をターゲットにするのか?
・駅前商店街再生の都市計画がないか、不十分?
駅前にでんと居座って客足(特に女性の)を遠ざけているいるパチンコ屋の出店の禁止または制限
崩壊の酷いカムズ通り、新天街の再生と、客足を遠のけている要因の排除
***********************
「私が見聞きした話」
・店主のエゴイズム?
熊手通り近くの天ぷらやで食事をしていた時、熊手通りに繋がる藤田通りの衰退について、両通りの間にあったユニードが駐車場不足で閉店になったのが大きかったと言う話しになった時、店の主人が実は同地域の駐車場不足解消のために、商店街の近くの黒崎小学校のグラウンドの地下に巨大駐車場を作る話が持ち上がったのだが、複数の駐車場業者の反対で中止になったのだと言うのです。(現実は黒崎商店街の尻尾の藤田商店街は全滅状態。当時のそごうからの商店街回遊の通路に自営の駐車場なし。一体何故反対したの?)
・明後日のほうを向いている商店街の店主
旧八幡市の発展の基礎となった、新日鉄の起業祭が11月にたありました。昔程はありませんが、今でも大谷グラウンド、中央区商店街周辺上げての大きな祭りです。ある時駅前商店街が、起業祭と対抗するように、木屋瀬宿場祭りを同時期に開催しました。
念のためいいますが、私もそうですがかっては新日鉄の巨大工場とその関連会社の関係者やその家族達が今の八幡西区やその周辺地域に多く住んでおり、その人達が起業祭の後バスに乗り、当時は駅前商店街前の電車の停車場、バス停でで降りたのに。さすがにこの起業祭の木屋瀬宿場祭りの同時期開催は一度だけでしたが、その時私は黒崎駅前商店街の店主たちの向いている方向が違っていることに気がつきました。駅前商店街の敵は中央区の商店街ではなく、博多や小倉のデパートや商店であり、大事にしなければならぬのは多くの製鉄の関係者を含む消費者であることを忘れていたのです。
・ふれあい通りの核の一つになっていた長崎屋が閉店。その土地を持っていた地場の菅原産業は再開発に就いての地域への問い合わせについて良い返事が得られなかったとしてホテルと駐車場を造りました。結果は店や会社が並ぶふれあい通りで井筒屋アネックスの通むきあった部分だけ駐車場の広い壁が建つというへんてこなふれあい通りになりました。私の団地にいた同社の人に訊くと余りにも酷い返事で経営者が酷く怒っていたそうです。つまり地域の店主は自分の店以外、地域の発展など無関心だったと言うことでしょう。
・旧コムシィテー失敗の原因
開店後私が覗いて直ぐ気がついたのはコムシィテーとしてのコンセプトや戦略が全くないことでした。猛烈な反対運動の中でのコムシィテー。地もとから出店した店主も思い思いにビルの中に店を広げているだけ、全体としてバラバラの店内。あっと言う間の閉店。
・余りにも人物が小さすぎる黒崎駅前商店街の店主
そごう開店反対だけは猛烈にしたが、目の前の損得を除いては大事な顧客始め地域に無関心の黒崎駅前商店街の店主達。彼らの敵は小倉と博多。特に大型商業施設でも次々に受け入れる強敵の博多の店主達。これでは博多との勝負は見え見え。そう言えば最近本屋で「福岡市が地方の最強の都市になった理由」という本を見かけました。黒崎駅前商店街の再生のためには店主達の意識改革は困難でもやるしかない!!希望はそごう反対のころから店主の世代交代が進んだこと。市の関係者の方達のご奮闘を祈っています。
「問題解決のため利用者の代表の意見を取り入れること」
今回の問題に就いて市と商工会議所が連携。地もと中小企業への聞き取り調査に着手と報道されています。然し私は過去からの経緯から考えて、聞き取り調査に利用者、それも発信力、先見性のある代表を必ず入れるべきと思います。
理由は井筒屋の前のそごうの開店に猛反対した地もとの商店街の人達。結局は当時まだ勢いがあった利用者の代表的な製鉄の労働組合の委員長と賛成発言でそごうの開店が決まったこと。
元の市長の末吉さんの商店街の将来の計画提出の要請にも報道によれば無反応。その結果は商店街の真ん前に若い女性の来場などはねつけるような3つの大型パチンコ屋の出現と定着。
その後の後の商店街の中堅のユニード、トポス、長崎屋、井筒屋アネックスの閉店にいずれも無反応。彼らは自分の損得ばかり考えて一番大事な顧客の便などまったく関心が無い(ように見える)からです。
このことは「黒崎地区商業ベンチャー育成事業」にトライして単発に終わったた商工会議所も駅前商店街の問題点が商店街の店主にあること熟知していると思います。
それで私の素人の思いつきを並べて見ましたのご参考にでもなれば幸いです。
「購入者代表を含めた井筒屋との会談要請」
井筒屋の成算があってのそごうからの買い取ったのに失敗したそれなりの理由。その中に購入者の動きの読み違え?それに対する購入者代表の意見。皆北九州市に参考になること。会議の結果とどまれば尚更、そうでなくても長い付き合いの同市への要望も有るはず。井筒屋は北九州市の気づかない大きな情報を持っている筈です。
「自己処理能力不足の黒崎商店街の問題」
もし井筒屋が残れば同社なりの、いやそれ以上の処理能力を発揮すると思いますが、今までの商店街では井筒屋が残っても去っても前述のように自己処理能力は殆どないように見えますし、このままではじり貧になるのは間違いないと思います。そのためには北九州市、商工会議所の関与は残念ながら不可欠になると思います。
「消費者に取って一番の関心事は商店街へのアクセスの良いこと」
私は4日に黒崎まで出たついでに思うところあって駅前商店街を歩いてみました。何時ものように殆ど歩く人が見えないカムズ通り、僅かの飲食店、多くの閉った店、変わっているのはいずれも夜向きの飲み屋。カムズ通りと他の通りを結ぶに小さな通りの店は皆閉店。カムズ通りの一番上の熊手通りのうす暗い入り口。少し行くと何時もの何とか様の両側に蝋燭の火。増えてきた人通り、昔からあった懐かしいから揚げの店や、本屋などなど昔ながらの熊手通りに加えてカムズ通りの大きな写真館も移っていました。詰まりわざわざ井筒屋まで行かなくとも利用者が何とか済ませる店が生き残っているのです。その人達は昔から私どもが来たように、道を一つ横切ってなんとか様の横の路地を降りればもう通り。つまり消費者に取ってアクセスの良さ。勿論この通りも問題が有ります。通りから何本か出ている通りの惣菜など必需品の店は略全滅。最近では通りの上の人は皆スピナで済ませているのでしょう。それと通りから別れた全滅状態の飲み屋街。女性にとって怖い他の通りに抜ける狭くて薄暗い道。
「多くの人が歩いているのに店を閉めるカムズ通りの店主」
そごう開店の後私は出向で西神原町の借り上げ社宅に居た時に驚いたこと。私がカムズ通りを通って帰宅したとき見たこと。多くの人達が歩いているのに、どの店もシャッターを閉め始めてているのです。普通で考えればあれだけ反対していたそごうの閉店時間になった後こそ稼がねばならないのに。私は近所に住む商店街で店を開いていた人に訊くとそんな筈ないと言う答。詰まり早く閉店したのはカムズ通りの商店だけかもと言うこと。カムズ通りの大店(と思っている?)店主の驕り。
「駅前商店街が元気だった頃と今の違い」
当時は黒崎駅の利用者は博多、小倉に続いて3位と言うほど黒崎が元気だったこと。私の言うアクセスも折尾から門司港まで走る西鉄電車が駅前商店街の真ん前に止まるという絶対的な好条件。それと車がそれまで普及して居なかったこと。現在は黒崎駅の利用者は九州で6位前後。西鉄電車廃止。筑鉄電車、西鉄バスセンターは昔で言うと駅前の一つ手前の前「車庫前」と商店街へのアクセスがた落ち。唯一の頼みは小倉方面から来たバスが井筒屋の西端の黒崎駅前で止まること。但し乗客の殆どは橋を渡って井筒屋か駅の方に向かう人ばかり。それと急激な車の普及、それに応える大型スーパー。
筑豊からのもう一つの商店街へのバス停として昔は井筒屋アネックスがあり乗降客のオアシス的な場所でしたが、いまは大英産業のビルが建設中、唯一残ったふれあい通りのバス停の横には大きなパチンコ屋が行き先を塞いでいます。
「駅前商店街へのアクセスを妨げている人口地盤」
これが出来たころ私は倉敷市に住んでいました。同市と岡山市は駅と国道を挟んで立つ商店街を結ぶものとして地下街を開発して、それなりの効果をあげていました。北九州市は駅、バスセンター、商店街と百貨店を結ぶ大きな人口地盤を作りました。
駅に降りた乗客が駅前商店街に行く立場でみるとこの人口地盤は余りにも広すぎます。身体が衰えかけている家内は電車を降りて地盤にあがらぬまま井筒屋に向かっています。勿論駅前商店街など論外。特別なことでも無ければ駅を降りた人が見た感じでは100m近くの何もない平面を歩いて商店街に行く人は居ません。最近市の好判断で地盤上で商行為ができるようになったそうです。今後これを定着化して人が岡山や倉敷と同じように商店街へのアクセスが良くなったと感じるまでにして戴ければ良いと思うのですが。電車、バスで来る人のためには小倉駅北のような「動く歩道」などあれば、車で来る人には後記の「私が見聞きした話」・店主のエゴイズム?で書いた様に、かって計画したことのある大駐車場があれはば、井筒屋、駅前商店街のアクセス問題は一度に解消するでしょうけど。
「駅前商店街の中心のカムズ通り商店街の改善を」
今黒崎駅前商店街の衰退の最大原因でありその象徴がカムズ通り商店街にあると誰でもおもっていると思いますので敢えて問題点を考えて見ました。
・広すぎる道路を活かすこと
前に挙げた熊手通りのように狭い通りでは二三人でも歩いていると何となく心が落ち着きます。カムズの様に広いと同じ二三人でも薄ら寒くなります。増して人口地盤からも見られる広い道路を殆ど何時もと言って良いほど、僅か一人では誰も行く気になりません。賑やかさが人を集めるのです。
対策は広い道の真ん中を何かで埋めることです。出店にするとか、休憩場所を作るとか、通りの中心でスーパーなどでやっている客寄せの行事を開くことです。カムズでも「何とか祭り」を含めて稀にやっています。拙いのはその周知が足りないこと。パコラなどの求人紙などで一枠確保して周知すれば四方から人が寄るのに。そしてスーパー並にイベントの回数をもっと増やせば良いのに。
カムズでも一つ良い所があります。高いアーケード。これを利用して客寄せの夏の七夕飾り、冬のイルミネーショでのの会社、団体、ボランティアの共演。これだげは北九州市の何処のアーケードでも出来ないこと。
・顧客の望む商品、サービスを提供することと、そのための制度作りをすること。
基本の基本にに戻って今のカムズ通りで買いたいもの、利用したい施設がどれだけ在るでしょうか?食堂、夜の飲み屋以外にカムズ通りで殆ど考えつきません。それで人が寄らないのは当然です。それで当たり前過ぎますが、顧客にニーズ応えるものを揃えるのは当然です。
ひょいと思いついただけでも理髪店、美容院、洋品店、百円ショップ、鍵のレスキュー店、工具店、文房具店、近所のサラリーマンのための弁当屋などなど。年寄りの私でも考えつくのですから若い女性からは多くの希望が出るはずです。それに今も残っている食堂、家庭での電気関係の事故処理にも応じる電気屋、角打ち屋。それに近くの商店街の安くて美味いしろやのパン。画廊。手芸専門店などとの協力を考えたカムズ通り中心の街づくり。
上記の内どの様なサーピス、どの様な商品を選ぶかは商店側、利用者代表、市、商工会議所の腕の見せ所と思います。商品・サービスの選定が適切で、通りへのアクセスが改善すれば、カムズ通りの復活、程度の差はあるがそれに繋がる各商店街の復活は間違いないと思うのは楽天的過ぎでしょうか。
言うは易く行うのは難しい(特に人口地盤に動く歩道、大駐車場の設置)と思いますが井筒屋が残れば良し、無くなっても駅前商店街が回復すれば良いと言う私の提案(多分市の方も似たようなお考えと思いますが)もこれくらいしか思いつきません。
年寄りの書くことで記憶違いもあるかも知れませんがお許し下さい。
なお下記の[黒崎駅前商店街が抱えている問題点と提案]就いてネット向きの投稿で、専門家に取っては釈迦に説法ですが、ご参考までに。
その後の細かなことは私の気づいた地もとの人達の考え方を知って戴くために過去の投稿から拾ったものです。
************************
[黒崎駅前商店街が抱えている問題点と提案]、
・基本的なコンセプトが無い?
小倉、博多に流れる客にどのように対応するのか?
どの客層をターゲットにするのか?
・駅前商店街再生の都市計画がないか、不十分?
駅前にでんと居座って客足(特に女性の)を遠ざけているいるパチンコ屋の出店の禁止または制限
崩壊の酷いカムズ通り、新天街の再生と、客足を遠のけている要因の排除
***********************
「私が見聞きした話」
・店主のエゴイズム?
熊手通り近くの天ぷらやで食事をしていた時、熊手通りに繋がる藤田通りの衰退について、両通りの間にあったユニードが駐車場不足で閉店になったのが大きかったと言う話しになった時、店の主人が実は同地域の駐車場不足解消のために、商店街の近くの黒崎小学校のグラウンドの地下に巨大駐車場を作る話が持ち上がったのだが、複数の駐車場業者の反対で中止になったのだと言うのです。(現実は黒崎商店街の尻尾の藤田商店街は全滅状態。当時のそごうからの商店街回遊の通路に自営の駐車場なし。一体何故反対したの?)
・明後日のほうを向いている商店街の店主
旧八幡市の発展の基礎となった、新日鉄の起業祭が11月にたありました。昔程はありませんが、今でも大谷グラウンド、中央区商店街周辺上げての大きな祭りです。ある時駅前商店街が、起業祭と対抗するように、木屋瀬宿場祭りを同時期に開催しました。
念のためいいますが、私もそうですがかっては新日鉄の巨大工場とその関連会社の関係者やその家族達が今の八幡西区やその周辺地域に多く住んでおり、その人達が起業祭の後バスに乗り、当時は駅前商店街前の電車の停車場、バス停でで降りたのに。さすがにこの起業祭の木屋瀬宿場祭りの同時期開催は一度だけでしたが、その時私は黒崎駅前商店街の店主たちの向いている方向が違っていることに気がつきました。駅前商店街の敵は中央区の商店街ではなく、博多や小倉のデパートや商店であり、大事にしなければならぬのは多くの製鉄の関係者を含む消費者であることを忘れていたのです。
・ふれあい通りの核の一つになっていた長崎屋が閉店。その土地を持っていた地場の菅原産業は再開発に就いての地域への問い合わせについて良い返事が得られなかったとしてホテルと駐車場を造りました。結果は店や会社が並ぶふれあい通りで井筒屋アネックスの通むきあった部分だけ駐車場の広い壁が建つというへんてこなふれあい通りになりました。私の団地にいた同社の人に訊くと余りにも酷い返事で経営者が酷く怒っていたそうです。つまり地域の店主は自分の店以外、地域の発展など無関心だったと言うことでしょう。
・旧コムシィテー失敗の原因
開店後私が覗いて直ぐ気がついたのはコムシィテーとしてのコンセプトや戦略が全くないことでした。猛烈な反対運動の中でのコムシィテー。地もとから出店した店主も思い思いにビルの中に店を広げているだけ、全体としてバラバラの店内。あっと言う間の閉店。
・余りにも人物が小さすぎる黒崎駅前商店街の店主
そごう開店反対だけは猛烈にしたが、目の前の損得を除いては大事な顧客始め地域に無関心の黒崎駅前商店街の店主達。彼らの敵は小倉と博多。特に大型商業施設でも次々に受け入れる強敵の博多の店主達。これでは博多との勝負は見え見え。そう言えば最近本屋で「福岡市が地方の最強の都市になった理由」という本を見かけました。黒崎駅前商店街の再生のためには店主達の意識改革は困難でもやるしかない!!希望はそごう反対のころから店主の世代交代が進んだこと。市の関係者の方達のご奮闘を祈っています。