戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
「老いた私」
私は約60歳ころから左派の学者の憲法の解釈、それ信じた日教組の問題など、駄文を投稿してきましたが、何時の間にか卆寿を遥か越すまでに成りました。年をとると思わぬことが起こります。右の耳がバーンと鳴ったのが二回、食事をしているときの何とも言えない違和感、気付けば右の耳が聞こえなくなる。それで後に触れますが「医者が奨める病院」の耳鼻内科に行くと同科だけは受診者が多すぎるので紹介付きでないと拒否。仕方なく息子の嫁に行きつけの病院受診。判ったのは右耳から巨大な「耳くそ」の発見で一発で右耳の聴力回復。詰まり何十年も耳掃除をしなかったことと言う笑い話ですが、考えて見るといつかは私の意見の投稿も出来なくなるのは明らか。それで今まで触れてなかったこと、触れていたがどうしても知って貰いたいことを纏めて皆様に見て頂こうと思いつきましたので宜しくお願いいたします。
「私の略歴」
私は子供のころからの本好きで化学会社の通勤の往復、会社に無断で旧制の高等工業高校に行く間本を読みあさったいました。当時は図書館もなく直ぐに種切れ。それで思いついたのは英語の原書を読む事、判らないときは会社で辞書めくり。何故そうしたかは貧乏家庭で私と二人の弟も会社勤めの給料は全て家に入れ、皆小遣い暮らしだからです。私はその成果を試すために大学程度の英語検定受検、一次は何とか合格したのですが2回の会話は不合格。その後Mコンビナートに転勤、ブラジル出張、下請け企業に出向、イラン、シンガポール出張、出向先退職、海外技術者支援団体支援のグループ参加。80歳で引退、妻死亡で近所の息子夫婦の援助で日々を過ごしています。。
「自分を売り込め」
これからは本題です。私がイランから帰国して間もなく親戚の結婚祝いに呼ばれました。そこで顔見知りの私の会社の人達の間でしばらくざわざわ。その後判ったのは私のイランでの仕事ぶりが有名になっていた事。
そして私の従姉妹の婿のSさんはを知りました。そして彼は高校卒ながら満期後4~5年も会社に残るほどのやり手だったことも。
その彼が私に言ったのはもっと「自分を売り込め」の言葉。
・それで思い出したのは英検の口頭試問の話。
「ウイークポイント」の題で余りウイークポイントばかりの発言で、試験官が自分の良い所はないかと言うと「ザッツ・マイ・ウイークポイント」と発言で皆大笑い。試験官は彼が何故もっと「自分を売り込めないのか」と言っているのです。
私の場合は受検指導書の出そうな課題を見て、たまたまそれに当たったのですが、中途半端の所で時間切れで試験官には私は何を言ってるかわから無かったこと。もし片言でも時間内に話したいことを全て話せたら多分合格かも?多分外人の試験官から見れば皆片言の発音などは目を瞑るしかないと割きっていること(と思いますが今はどうなっているのでしょうか。)
・当時小学校の教頭のお調子の者の私の娘に頼りきって四国から北九州市に来たのに早過ぎる娘の死。頼る人のなくなった彼女にたたまたま私の市内で臨時国語教員募集の案内があったのを国語専門の彼女に紹介、臨時教員となりました。その後本採用の筆記試験は合格したのに口頭試問で不合格の報。私は彼女に討論式なので貴女の現場経験を利用してその経験のない受験者全体をリードしてはと忠告。結果は本採用。
・もう一つは娘の高校卒の夫が裁判官採用の資格の大学卒の資格取得、裁判官の学科までは合格したのに口頭試問で不合格。私達は無職の彼と娘の結婚に、何処かの法律事務所で彼を働かせろ言ったのに、娘は生活費は全て自分出しで良いと頑張って結婚。夫に実地の経験があれば合格したかも知れないのに。
・そう言う私は生来のお人好しで「自分を売り込む」のは大の苦手ですが皆様どう思われますか。
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