戦中派の私から若い方達への申し送りです。どのような事でも世論に流されずに自分の頭で考えましょう。
ネットで「眞子さん苦しめた「平成流」とコロナ禍 天皇制をいま再検討すべき理由とは」と言う政治学者で近現代の天皇制や皇室を研究するはら・たけしさんの記事を見つけました。
その概要です。
改めて、なぜ女性皇族ばかりに批判が向かうのかという気がする。美智子妃は失声症になり、雅子妃は適応障害に長い間苦しみ、眞子さんも複雑性PTSDの状態にあるとされるなど、心身に何らかの深刻な症状が出ている。一方で、皇室をこれからどうするのかという話は、有識者会議でもそう、今後、さらに議論されていくと思う。
こうした点で美智子妃の生き方は、同様にバッシングを浴びた眞子さんの姿勢にプラスの影響を及ぼしているともいえるが、美智子妃は、平成の初期に起こった度重なるバッシングでもつぶれなかった。天皇とともに7週連続で被災地を回った東日本大震災以降、「平成流」を完全に定着させた。2016年8月には、天皇自身が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を発表し、宮中祭祀と行幸ないし行幸啓を象徴天皇の務めの二大柱に位置づけた。「全身全霊をもって」国民のために尽くす、つまり私よりも公を優先させることが皇室の務めだとしたわけだ。 自然災害が起きればすぐに現地に向かったり、福祉施設を訪れたりして国民の一人一人に寄り添おうとする前の天皇と皇后の姿は、いまなお脳裏に鮮明に焼き付いている。ところが、令和になった途端、コロナ禍があって「平成流」が十分にできなくなり、結果として空白が生まれた。平成のときには地方を回って人々に直接会えたのに、令和になった途端にそれができなくなったのは、現天皇や現皇后だけではない。眞子さんもそうだ。そんななかにこの結婚問題が起り、眞子さんの姿がクローズアップされた。それとともに、ネットやSNSでバッシングが高まった。もし、令和になっても平成と同じように地方を訪れ、人々に直接会えていれば、バッシングしているのは一部の人々にすぎないという実感を持てたかもしれない。しかし、コロナ禍によってそれが全くできなくなり、逆比例してネットやSNSでの声ばかりが高まると、まるでそれこそが本当の現実であるかのように錯覚されてしまい、眞子さんを苦しめたように思う。美智子妃が始めた「平成流」は、昭和天皇のように人々から隔絶したスタイルを否定し、戦後の象徴天皇制に見合ったスタイルを模索するなかで生まれたものだった。ところが、それが60年近くも続くことで恐ろしく倫理性を帯びるようになり、変えてはならない規範のように映ってしまった。これもまた、眞子さんにとっては不幸の原因になったともいえるのではないか。「平成流」こそが理想の皇室と考える人々にとっては、彼女の振る舞いはそこからひどくかけ離れたものに見え、「自分の感情を優先させている」と思われてしまったように見えるからだ。
今後の皇室について、原教授はこう考察する。改めて、なぜ女性皇族ばかりに批判が向かうのか、という気はする。美智子妃は失声症になり、雅子妃は適応障害に長い間苦しみ、眞子さんも複雑性PTSDの状態にあるとされるなど、心身に何らかの深刻な症状が出ている。
・ジェンダー平等の件、天皇制なくなるの意見省略(詳細は表記のタイトルで検索してください)
「私の意見」
この著者は美智子様、雅子様の時代と現在と大きく時代が変わっている事に触れていません。美智子様の時代は私の現役時代ですから約60年前で報道は新聞とテレビしかありませんでした。美智子様のご活躍は日本中に報道されましたが、歓迎、感謝こそすれ一般国民からの批判はありませんでした。勿論、新聞報道も美智子様批判など見た記憶もありません。
雅子さまは、これまでのキャリアを生かし、皇室という新天地で活躍することを”決心”していたのにお世継ぎがないことへの批判。という報道。
現在は違います。その例がヤフコメで真子さんの場合は問題だらけの家に嫁ぐ彼女とそれを支えて来た宮内庁への一つの事例で千人を超す批判。
今だったら美智子様のご活躍への賛辞、美智子様批判への総批判。雅子さまの件に対しては大まかいって支持70%が雅子様支持,残りが批判。
著者の原さんはこれらの世の動き,特にネットの動きを無視した発言のような気がします。
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