李韓国大統領の竹島問題に絡ませた、慰安婦問題、天皇陛下の謝罪要求が大きな問題になっています。
その問題が起こった原因となった村山・河野談話の問題点とその談話が出た背景を考えて見ました。
村山談話の問題点
・村山談話で今でも論議されいる箇所は、「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表明したことです。
大戦中に日本軍が中国や東南アジアへの侵攻が侵略か否かは議論の別れるところですが、少なくとも日本が国連を脱退するころの厳しい日本批判の中でも朝鮮、台湾、樺太などの併合、満州での日本の権益確保までは国連から何らの批判もなかったことまで植民地支配として、村山さんは謝罪をしたのです。
米国の原爆投下のように議論の別れるところ、そして国がわに一部の理のあるときは謝らないのが原則なのに、完全に理のある植民地支配まで約束したのは行き過ぎだったと思います。
米国の原爆投下は勿論、総ての国が宣戦布告中の侵攻を侵略と言う国はありません。
・河野談話の問題点
これに就いて多くの批判がありますが、私の感想だけ纏めて見ました。
・戦時中は各工場などまで憲兵人が駐在または巡回するなど、威張っていたしブライドも高かった。その様な人達や当時は教師と同じように市民から尊敬されていた警官が、当時でも軽蔑されていた、女衒(ぜげん)、周旋屋染みたことを直接にする筈がありません。
・当時の日本軍全体としては精強の軍隊だったと思ういますが、国民総動員してかき集めてきた軍隊の中にはにはピンからキリまでいたと思います。
・私の子ども時代に「また負けたA連隊」と言われていた連隊もいたようです。歴史に残る名将もいればそうでもない将軍もいました。私が直接見た「さばの腐ったような眼をした」内地の分隊長もいれば、眼光炯々とした昔の武将のような空軍の将校もいました。
・平成に入って外国で少女買春をしたと得々と語るような人もいましたが、当時そのような兵士も中にいたかも知れないし、そのような首をひねる将校や兵士が生死を賭けた戦いをし、しかも軍規の及ばない最前線で何をしがちになるかは容易に想像できることです。
・その様なごく稀な軍規に反した不祥事を東南アジアで見つけて来た田嶋陽子さんのような人達が鬼の首を取ってきたように軍全体のすべてがそうだといっていますが、河野談話まで何もかも一緒くたにしているようにみえます。
Wikipedia では、 日本政府が実施した調査では、「日本軍が慰安婦の強制連行を行なっていた」とする書類資料は発見されなかったが、河野は強制を認めた根拠として「募集・移送・管理等の過程全体をみてであり、自由行動の制限があったこと」。を挙げています。
厳しい敵地での移送・管理では慰安婦の安全を確保する意味での「自由の制限」は当然で、問題は募集の方法に限られてきます。
私の年代の常識から言えば、ウォールストリート・ジャナルの広告を出した桜井さん達の意見とぼぼ同じで、慰安婦問題は戦争の現地での問題はあっても、そうでない朝鮮での問題は何もないことになります。
だから同じ談話を出すのなら、全体としては特に問題は無かったが、悪徳仲介業者の甘言や半強制があったかも知れないこと、混乱状態の戦地で何らかの軍規にはんした事態が起こり、一部の女性やその家族に迷惑をかけたのをお詫びする程度で済ませれば良かったのです。
たまたま昨日の国会の質疑で自民党から当時の官房副長官は「総合的な判断とは政治的な判断だ」と証言があったことを明らかにしています。
Wikipediaに依れば、彼は
「本人の意に反した強制があったと確信が得られた」「いかなる意味でも、日本政府の指揮命令系統のもとに強制したことを認めたわけではない」と述べていることと、彼の政治的発言、河野談話でわざわざ朝鮮を取り上げた書いてあるのを見ても、韓国がわからの圧力があったのは間違いないでしょう。
村山・河野談話の背景
このような問題だらけの村山・河野談話の背景には戦後以来の日本全国に漲っていた、「一億総懺悔」の言葉が国内に行き渡っていた事、極東国際軍事裁判の準備に備え日本の戦争犯罪を当時の政府・軍のトップに負わせたい、GHQの指導命令・新聞発行停止命令などを使い「一億総懺悔論」の伸張を抑える動き がありました。
一方、戦時中に弾圧されて来た共産党、社会党、日教組などなどの左派の人達、人権団体の人達はGHQの方針に乗って、一斉に声を上げ始めました。
他方、GHQの言う事をそのまま信じ込んだ人を除く、私たちの年代の大部分は敗戦の虚脱といくばくの反省と、GHQや政府の動きに首を捻りながらも、みな黙り込んでいました。
その最たるものは広島の原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれていることです。
誰が考えても過ちは国民が冒したとしか読まれません。当時の広島市長は「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」といっています。 (以上青字は総てWikipediaより引用)
今は余程左翼的な人でないかぎり、米国が一番に謝らなければならないのに、日本は敗戦国だから仕方がないと思うのが大半でしょう。。
そのように、国民も軍も官僚も日本も皆悪いと言うムードが国中に広がり、ノイジイ-・マイノリテーの声だけが聞こえてきたのが、周辺国への「配慮」の他は理屈抜きで何もかも日本が悪いから謝ってしまえと言う、明らかに不合理な村山・河野談話に繋がり、今になっても大きな影響を及ぼす、李韓国大統領の天皇陛下の謝罪要求、慰安婦への賠償発言に繋がっているような気がします。
なお忘れていましたが、桜井、屋山さんの米紙への広告に就いて取り上げた
戦前派が見た慰安婦問題の真実を書いていましたのでご参考までに。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
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追記:阿比留瑠比さんの 「河野談話」作成に当たった石原元官房副長官のQ&A再掲と補充・石原元官房副長官の「河野談話」証言も是非ご覧下さい。 (8月26日7.00)
その問題が起こった原因となった村山・河野談話の問題点とその談話が出た背景を考えて見ました。
村山談話の問題点
・村山談話で今でも論議されいる箇所は、「植民地支配と侵略」によって諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを認め、謝罪を表明したことです。
大戦中に日本軍が中国や東南アジアへの侵攻が侵略か否かは議論の別れるところですが、少なくとも日本が国連を脱退するころの厳しい日本批判の中でも朝鮮、台湾、樺太などの併合、満州での日本の権益確保までは国連から何らの批判もなかったことまで植民地支配として、村山さんは謝罪をしたのです。
米国の原爆投下のように議論の別れるところ、そして国がわに一部の理のあるときは謝らないのが原則なのに、完全に理のある植民地支配まで約束したのは行き過ぎだったと思います。
米国の原爆投下は勿論、総ての国が宣戦布告中の侵攻を侵略と言う国はありません。
・河野談話の問題点
これに就いて多くの批判がありますが、私の感想だけ纏めて見ました。
・戦時中は各工場などまで憲兵人が駐在または巡回するなど、威張っていたしブライドも高かった。その様な人達や当時は教師と同じように市民から尊敬されていた警官が、当時でも軽蔑されていた、女衒(ぜげん)、周旋屋染みたことを直接にする筈がありません。
・当時の日本軍全体としては精強の軍隊だったと思ういますが、国民総動員してかき集めてきた軍隊の中にはにはピンからキリまでいたと思います。
・私の子ども時代に「また負けたA連隊」と言われていた連隊もいたようです。歴史に残る名将もいればそうでもない将軍もいました。私が直接見た「さばの腐ったような眼をした」内地の分隊長もいれば、眼光炯々とした昔の武将のような空軍の将校もいました。
・平成に入って外国で少女買春をしたと得々と語るような人もいましたが、当時そのような兵士も中にいたかも知れないし、そのような首をひねる将校や兵士が生死を賭けた戦いをし、しかも軍規の及ばない最前線で何をしがちになるかは容易に想像できることです。
・その様なごく稀な軍規に反した不祥事を東南アジアで見つけて来た田嶋陽子さんのような人達が鬼の首を取ってきたように軍全体のすべてがそうだといっていますが、河野談話まで何もかも一緒くたにしているようにみえます。
Wikipedia では、 日本政府が実施した調査では、「日本軍が慰安婦の強制連行を行なっていた」とする書類資料は発見されなかったが、河野は強制を認めた根拠として「募集・移送・管理等の過程全体をみてであり、自由行動の制限があったこと」。を挙げています。
厳しい敵地での移送・管理では慰安婦の安全を確保する意味での「自由の制限」は当然で、問題は募集の方法に限られてきます。
私の年代の常識から言えば、ウォールストリート・ジャナルの広告を出した桜井さん達の意見とぼぼ同じで、慰安婦問題は戦争の現地での問題はあっても、そうでない朝鮮での問題は何もないことになります。
だから同じ談話を出すのなら、全体としては特に問題は無かったが、悪徳仲介業者の甘言や半強制があったかも知れないこと、混乱状態の戦地で何らかの軍規にはんした事態が起こり、一部の女性やその家族に迷惑をかけたのをお詫びする程度で済ませれば良かったのです。
たまたま昨日の国会の質疑で自民党から当時の官房副長官は「総合的な判断とは政治的な判断だ」と証言があったことを明らかにしています。
Wikipediaに依れば、彼は
「本人の意に反した強制があったと確信が得られた」「いかなる意味でも、日本政府の指揮命令系統のもとに強制したことを認めたわけではない」と述べていることと、彼の政治的発言、河野談話でわざわざ朝鮮を取り上げた書いてあるのを見ても、韓国がわからの圧力があったのは間違いないでしょう。
村山・河野談話の背景
このような問題だらけの村山・河野談話の背景には戦後以来の日本全国に漲っていた、「一億総懺悔」の言葉が国内に行き渡っていた事、極東国際軍事裁判の準備に備え日本の戦争犯罪を当時の政府・軍のトップに負わせたい、GHQの指導命令・新聞発行停止命令などを使い「一億総懺悔論」の伸張を抑える動き がありました。
一方、戦時中に弾圧されて来た共産党、社会党、日教組などなどの左派の人達、人権団体の人達はGHQの方針に乗って、一斉に声を上げ始めました。
他方、GHQの言う事をそのまま信じ込んだ人を除く、私たちの年代の大部分は敗戦の虚脱といくばくの反省と、GHQや政府の動きに首を捻りながらも、みな黙り込んでいました。
その最たるものは広島の原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻まれていることです。
誰が考えても過ちは国民が冒したとしか読まれません。当時の広島市長は「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」といっています。 (以上青字は総てWikipediaより引用)
今は余程左翼的な人でないかぎり、米国が一番に謝らなければならないのに、日本は敗戦国だから仕方がないと思うのが大半でしょう。。
そのように、国民も軍も官僚も日本も皆悪いと言うムードが国中に広がり、ノイジイ-・マイノリテーの声だけが聞こえてきたのが、周辺国への「配慮」の他は理屈抜きで何もかも日本が悪いから謝ってしまえと言う、明らかに不合理な村山・河野談話に繋がり、今になっても大きな影響を及ぼす、李韓国大統領の天皇陛下の謝罪要求、慰安婦への賠償発言に繋がっているような気がします。
なお忘れていましたが、桜井、屋山さんの米紙への広告に就いて取り上げた
戦前派が見た慰安婦問題の真実を書いていましたのでご参考までに。
このブログを、より多くの人にも見て貰いたいと思っています。どうぞご協力をお願い致します。
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追記:阿比留瑠比さんの 「河野談話」作成に当たった石原元官房副長官のQ&A再掲と補充・石原元官房副長官の「河野談話」証言も是非ご覧下さい。 (8月26日7.00)
ヒゲのオジさん、古思堯というお名前だそうです。
尖閣に上陸した時は、中国を愛していて、
中国の領土を掠め取ろうする日本を許さない!
てな感じで、中国国旗を掲げて、尖閣に上陸した訳ですよね?
ところが、下記の写真を見てください!
あれ?中国国旗を燃やしちゃってる!!
写真は以下で
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/823.html
日本の軍部が、慰安婦狩りをしたわけではない。それは間違いない。だが、朝鮮の売春婦斡旋業者に委託した。彼らは、異氏族の全羅道や済州島の女など、人間扱いしないから、強制的に連行した可能性がある。
吉田が告白したように済州島で日本軍部が強制的に女狩りをしたわけではない。しかし、委託を受けた業者はした可能性がある。
だから、日本軍部には、発注元としての責任があるわけだ。国際社会は、そう見ている。発注元として、下請けの非道を見逃したと。
河野談話は、そういう点を考慮して出された。河野談話を否定する人には、氏族社会韓国の低発展ぶりをどう思うか聞きたい物だ。
現在でも、済州島、全羅道が独立するかもしれない。反日で騒がないと、国が保てないわけだ。
金正日は賢明で、まず、後妻に済州島出身の在日の娘を向かえ、その子を後継者にした。さらに、氏族社会朝鮮は軍部によってしか統一できないと知っていた。だから、先軍政治だった。
桜井よし子は朝鮮社会の構造に無知、バタ臭い人だ。
他人と争うことを極度に嫌う国民性
怠惰で腰抜け町民の國、それが現代の日本だ