三菱航空機が開発中の国産ジェット旅客機MRJが、初めての飛行試験で愛知県営名古屋空港から、午前11時に離陸した。国産旅客機の開発は、1962年8月に初飛行したプロペラ機「YS11」から約半世紀ぶり。「MRJ」の初飛行は、日本の航空機産業史が大きな節目を迎えたことを意味する。
2015年1月末現在の受注機数は、確定223機、オプション160機、購入権(確定発注と同じ条件で購入できる権利)24機だ。確定発注だけでも、YS-11の総生産機数を超えた。
「YS11」は 、日本航空機製造が製造した双発ターボプロップエンジン方式の旅客機で、 第2次大戦後に初めて、官民総出で日本のメーカーが開発に取り組んだ最初の旅客機であり、1964年の東京五輪の聖火輸送にも使われ、「日の丸飛行機」の復活にもつながった。
私にとっても「YS11」には強い思いがある。サラリーマンにとって転勤は宿命ともいえる。古い話だが昭和59年、長崎県の壱岐の島に転勤になった。当時、壱岐に行くにはフェリーで3時間ほどかかった。博多港を立つフェリーは朝9時と午後5時過ぎの2便だけ。随分と不便だった。ところが福岡空港と壱岐空港間で往復1便、「YS11]が飛んでいることを知った。飛行時間は約30分。フェリーに比べれば運賃は随分高いが、何度も利用させていただいた。乗降定員は90人くらいだったろうか。だが、いつも乗客はその半分にも充たない。
福岡空港の「YS11」駐機場所は搭乗口からずいぶんと離れている。壱岐空港もあたらず触らずのところだろう。タラップの下までコンクリートの上を歩くのが大変だった。自家発電の「YS11」では駐機中は電気が使えない。もちろん冷暖房も離陸まではだめだ。暑い夏空のもとで少し歩くと汗びっしょり、客室にはいればもっと熱い。その対策は搭乗口を出る際にうちわを貸してくれる。そのうちわ、今も記念に我が家にある。壱岐には1年いたのだが、赴任して半年もたたないうちにその路線は廃止になった。
「MRJ」の初飛行が無事に終了することを祈りながら、1日も早く世界の空を飛び回ってほしいと願っている。