毎日が日曜日・でも多忙です!

おかげさまで、毎日を元気に楽しく過ごしています。普段の出来事、思いつくことなどフリーの立場で記録したいと思います。

娘の転勤を祝う楽しい家族会議

2016-03-18 14:35:29 | 日記

 2年前に熊本から薩摩川内へ転勤となった娘が熊本に帰ってくる。

 今年初詣で〝わがやの奥さま”が「原発事故が恐ろしい。どこでもよい、原発の町から、1日も早く転勤させてください」とお願いしたところだが、決まった転勤先が元の熊本。嬉しさを隠しようがないようだ。

 辞令が出るのは4月1日。帰省中の大学生の孫は今度の日曜日京都に帰るという。少し早いが、娘の転勤と孫の健闘を祈って、久しぶりに家族会議が計画された。今日も川内の職場に勤めに出ている娘が新幹線で熊本へ着くのは午後6時半ごろ。

 現役を退き毎日が日曜日となってからは、外出する機会が目に見えて少なくなった。たまの外出先はお医者さん。夜外に出ることは皆無と言ってよい。6時半には遅れないようにと午後5時15分のバスで家を出た。

 会場は、肥後の手毬歌 童謡「あんたがたどこさ」で知られる洗馬橋の近くのイタリア料理店。

 我が家の家族は総勢5人。私たち夫婦と娘夫婦に孫1人。

 全員が揃うと、イタリア料理を前にワインを傾け、窓の夜景を眺めながら家族の会話はつきることなく大いに弾む。楽しかった。美味しかった。

 夜の時間は瞬く間に過ぎていった。次の家族会議がもう待ち遠しくなっている。

 


日に日に増える薬の数

2016-03-17 15:55:54 | 日記

 歳とともにお医者様とのお付き合いが多くなる。クリニック通いでこの週の忙しいことと言ったらない。

 14日月曜日は朝ごはん抜き、はかかりつけのクリニックで血液検査と問診を受けた。門前の薬局で、1昨年10月に患った十二指腸潰瘍の予防のための薬と、1月に発症した痛風の予防薬をそれぞれ45日分いただいた。「この薬、いつまでも飲み続けないといけないのでしょうか」とお尋ねすると「飲んでいた方がよいでしょう」とのこと。

 16日の水曜日は耳鼻咽喉科科クリニックで喉頭部にできたポリープの検査。小さなカメラが鼻を通って喉の奥へと進む。あまり気持ちのよいものではない。目の前に設置されているカメラに喉の奥のポリープが大きく映し出された。「前回よりも少し大きくなっていますね」ドクターがいう。さらに「前回の組織検査は良性なので心配はないと思いますが、大きくなればポリープを摘出した方がよいかもわかりませんね」といわれた。

 心配になってきた。「手術はこのクリニックで行うのですか」「メスはどこから入れるのですか」「ツンクさんのように声が出なくなるのでは」「入院するのですか」「その期間は」「ポリープは喉頭ですか咽頭ですか」。怖くてしようがない。質問を連発した。

 ポリープは喉頭にあります。手術は全身麻酔です。ここでは出来ないので専門の病院で行います。3日程度の入院が必要でしょう。その位置から考え手術をしても声帯に影響はありません。手術は口から、食道を通して行います。

 説明を聞いて少しだけ納得がいった。

 さしあたっての治療としては、炎症どめなど3種類の薬を1月分いただいた。家に帰って〝うちの奥さま”に診察の結果を話すと、他のお医者さんにもう1度相談してみてはどうと心配そう。

 朝10時、近くの歯医者さんに出かけた。ところが予約日を間違えていた。本当は明日金曜日の10時だった。近頃何かにつけ物忘れが多い。ボケの始まりではなかろうか。これも不安のひとつ。

 歯医者さんでは、前歯が少し緩んでいて心配だとドクターが心配される。部分入れ歯はここで作っていただいた。治療をうけはじめてから、すでに5年近くがたっている。

 日を追うごとに机の引き出しに薬の数が増えていく。これ以上は増えてほしくないと思うのだが、むなしい願いだろうか。もう年は取りたくないものだ。

 

 


原発の町薩摩川内から娘が帰ってくる

2016-03-15 15:56:09 | 日記

 今年1月1日の初詣で〝うちの奥さま”が、神様にお願いしたのは、原発の町、薩摩川内市の職場に勤める娘の転勤。転勤先は原発の町以外であればどこでもよいという。とにかく薩摩川内の外へ出してほしいと。

 東日本大震災から5年がたつた。警察庁の発表では、震災の死者が15,894人、行方不明者は2,561人。避難生活を送る人は今もなお17万人以上を数えるという。

 九州電力川内原発1号機が再稼働は2015年8月11日、午前10時半より再稼働したものの、10日後の21日には復水ポンプ付近でトラブルが発生、21日に予定していた出力上昇を延期した。冷却水に海水などの塩分が混入した可能性が指摘されている。

 新規制基準による再稼働は全国初めてだったが、その後、新規制基準への異議や避難計画の不備が専門家から続出しており≪川内原発は日本で最も危ない原発の一つ≫と「原子力規制を監視する会」の阪上武さんは述べている。

 また、3月9日には1~2月に再稼働した関西電力高浜原発3、4号機を巡り、福井に隣接する滋賀県の住民の運転を差し止める訴えを大津地裁が認め、2基の運転を差し止める仮処分決定を出した。司法が、福島原発事故の原因が解明されていない中で、地震・津波への対策や避難計画に疑問が残ると判断したものだ。

 また、3月14日の新聞は、川内原発周辺の放射線測定装置、モニタリングポストのほぼ半数が事故時の住民避難の判断に必要な放射線量を測れないことが分かったと報道された。

 サラリーマンにとって転勤は宿命だが、娘が熊本から薩摩川内に転勤になったのは一昨年4月。毎日、熊本から薩摩川内へ九州新幹線で通っている。しかし親としては、5年を経過した福島原発の事故や震災の被害状況など、再稼働した川内原発のずさんともいえる非難計画を聞くたびに、川内原発で事故が起こればと、なおさら娘のことが心配でならない。

 朗報が届いた。昨日、娘から「熊本に転勤になる」と電話があった。〝うちの奥さま”の顔が急に明るくなった。

 だが待てよ、娘の転勤は我が家にとっては朗報だが、もし事故が起これば地元の人たちはどうなるだろう。

 ≪絶対安全≫という原発神話は、福島の事故ですでに崩壊してしまった。それなのに、政府や原子村の人たちは、時がたつにつれ、再稼働を含めた原子力依存社会へと本家帰りを強めている。

 原発について、国を挙げて考えなければならない時期にきたと考えるのは私だけだろうか。

 


秀岳館がんばれ(選抜高校野球組み合わせ決まる)

2016-03-12 15:56:09 | 日記

 第88回選抜高校野球大会(20日から12日間・甲子園)の組み合わせ抽選会が11日、毎日新聞大阪本社で開かれた。

 抽選の結果、史上3校目の春連覇を目指す「敦賀氣比(福井)」は「青森山田」と。優勝候補筆頭の「大阪桐蔭」は「土佐(高知)」と顔を合わせる。20日の開幕が待ち遠しく、また、楽しみでならない。

 熊本県代表の「秀岳館(八代)」は「花咲徳栄(埼玉)」と対戦することが決まった。花咲徳栄のエース左腕の高橋は最速145キロで今大会注目の好投手。対する秀岳館は、長らくNHKの高校野球解説者でパナソニック出身の鍛治舎監督が、就任2年目で九州大会を制し、打率.374の強力打線とエース級3人を抱える強豪チームを作り上げた。昨夏の甲子園8強の花咲徳栄の総合力が上回るとしても、見ごたえある試合となることは確か。予想では秀岳館もダークホースとして名前が挙がっている。さらに鹿児島実業、日南学園、海星の九州地区代表にも大きな声援を送ることとしよう。

 大会初日の始球式も楽しみだ。身体障害者野球チーム「神戸コスモス」の2選手が投手と捕手として夢の舞台に立つ。

 投手を務めるのは、生まれつき右脚に障害がある兵庫県立須磨東高2年の山本大誠さん(17)、捕手は、右半身にまひがある柳学園中2年の小浜素生(そうき)さん(14)。この始球式、例年なら文部科学相や副文科相が務めるが、今夏のリオデジャネイロ・パラリンピックを前に身体障害者スポーツをもり立てようと企画された。テレビの前だがしっかりと応援します。

 


街頭インタビューにしどろもどろ

2016-03-11 15:10:39 | 日記

 今日は3月11日の金曜日。OB会の月1度の碁会が毎月第2金曜日に開かれる。いつものことだが、この日は楽しみでならない。意気揚々と出かけたものの、その成績は散々なものだった。

 東日本大震災が発生したのは5年前の3月11日、この日も第2金曜日、3月の碁会の日だった。家に帰る途中で大地震の発生を知った。急いで家に帰りテレビをつけた。津波の押し寄せる映像が映し出されている。家が流れる。大きな波が田畑を押しつぶして行く。松の木に人が下がっている。目を覆った。この世の出来事とは思えない映像に恐怖が走った。

 警察庁は10日。震災の死者が15,894人、行方不明者は2,561人。避難生活を送る人は今もなお17万人以上を数えると発表した。新聞等を見ると、5年が経過したが復興は遅々として進まぬようである。被災された方々のご苦労がしのばれる。

 地震発生の午後2時46分、サイレンが鳴らされた。家に帰る途中、市役所で用をすまし外へ出た時だった。玄関前で立ち止まり、被災された方々のご冥福をお祈りしようと黙とうした。

 黙とうを終え歩きだそうとした時だった。目の前に大きなカメラが差し出された。「サイレンはおききになりましたか」「何のサイレンかご存知でしたか」「熊本にお住まいのかたですか」次々と質問がとんでくる。街頭インタビューというのだろうか。

 慌ててしまった。とちれてしまい、たくさんの質問に何と答えたかまったく覚えていない。頓珍漢な答えだったろうと思うだけでも冷や汗がでる。どこの放送局だったのだろうか。家に帰っても〝うちの奥さま”にインタビューを受けたこと、恥ずかしくて話せない。

 夜のニュースを見ていた奥さまが「あら、パパが出た」と頓狂な声をあげた。わずか数秒だが私が映った。これは今年2回目。その後で帽子のかぶり方が悪いと奥さまから注意があった。

 お正月の初詣はお城の中の加藤神社だったが、ここで最初のインタビューを受けた。里帰りしていた孫と一緒だったから、その時は無難に落ち着いて応じることができた。1月7日の放送だったが、チョットだけ画面に登場した。

 今年80を超えたが、街頭でのインタビューを受けたのはこの2回だけ。「2度あることは3度」という、冥土の土産ではあるまいが、今年中に3度目のインタビューを受けるかもわからない。

 期待しながら?楽しみにしておこう!