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ジュリーから電話がかかってきた「サブカルチャー史欲望の系譜80年代①」

2023年09月19日 | TV・ラジオ・CM・映画

 

昨日はEテレ「世界サブカルチャー史、欲望の系譜3」、日本は70年代から80年代へ①

もうジュリーの登場はないのかな、80年代半ばまで まだまだ大きな影響力を持っていたんだけど。無くても、この番組は好きなので毎回必ず見ます。

なめ猫が番組冒頭でチラリと映って

私は1981年のTVの公開放送「歌のトップテン」で、本物のなめ猫をみました=^_^=

 

②「ザ・トップ10」なめ猫とス・ト・リ・ッ・パ・ー - Saoの猫日和

1981年の10月頃から、東京区内に住んでいました。前に住んでいた兵庫県の田舎では、TVの公開録画なんてものにはとんと縁がなかったけれど、せっかく23区内にいるん...

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80年代、音楽はテクノポップ、イエローマジックが外国からの逆輸入「TOKIO」

ジュリーのTOKIOをお忘れなく!少なくとも、21世紀の今でもTVで曲が流れるのは、ジュリーのTOKIOの方でしょう。

番組は進んで・・・


新しいカルチャーの出現、その関心は作り手たちへと向かう。
裏方だったCMディレクター、コピーライターが次々にスターになってゆく


中でも飛ぶ鳥を落とす勢いだったのが、数々の有名広告を手掛けた、糸居重里だった。
TVの司会にも進出、人気者になり広告業界にとどまらない活躍の場を広げた。
コピーライター養成講座には林真理子の姿もあった。面白い子がいるから糸居重里に来なさいと言われ、カルチャーの発信源となっていた、業界人が集うセントラルアパートに入ったのが始まり。

(この番組で、70年代からずっと語り続けている、林真理子さん)

その頃は傍観者でしたよ。糸井さんのところに来る有名人をボーっと眺めていたりとか。

えっとね、ジュリー


ジュリーから電話がかかってきたり


その電話は、もしやこの曲の打ち合わせだったのか。
(TOKIOが流れる)
ジュリーこと、沢田研二のヒット曲「TOKIO」

作詞を手掛けたのは糸井だ。YMOの曲と同じく国際都市東京を表現したTOKIO、
糸井はこの曲に込めた思いをこう語る


アメリカを追うのではなく、日本から発信するという、力強い宣言。
その志は軽やかなメロディーと歌声に、オブラートに包まれて、町に流れた。


 

21日の木曜日は大阪フェスで、80年代のオリジナル「TOKIO」をジュリー自身が歌うのを聴いてきます。

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明石城公園、秋のガーデンショー

2023年09月19日 | 花・ガーデニング

毎年恒例 明石城公演、秋のガーデンショー

秋と言うのに、暑い暑い・・

兵庫県とも縁が深い牧野博士の展示もありました。

沢山の蝶々や青虫芋虫にあえるブースで、蝶に蜜やり体験。蜜とはポカリスウェットを綿棒に含ませたもので、蝶々がポカリ好きとは知らなんだ(^^;

蝶の青虫も芋虫もいて、モクモク動いて可愛かったです。

ランチは久しぶりの明石焼き

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