昨日はEテレ「世界サブカルチャー史、欲望の系譜3」、日本は70年代から80年代へ①
もうジュリーの登場はないのかな、80年代半ばまで まだまだ大きな影響力を持っていたんだけど。無くても、この番組は好きなので毎回必ず見ます。
なめ猫が番組冒頭でチラリと映って
私は1981年のTVの公開放送「歌のトップテン」で、本物のなめ猫をみました=^_^=
80年代、音楽はテクノポップ、イエローマジックが外国からの逆輸入「TOKIO」
ジュリーのTOKIOをお忘れなく!少なくとも、21世紀の今でもTVで曲が流れるのは、ジュリーのTOKIOの方でしょう。
番組は進んで・・・
新しいカルチャーの出現、その関心は作り手たちへと向かう。
裏方だったCMディレクター、コピーライターが次々にスターになってゆく
中でも飛ぶ鳥を落とす勢いだったのが、数々の有名広告を手掛けた、糸居重里だった。
TVの司会にも進出、人気者になり広告業界にとどまらない活躍の場を広げた。
コピーライター養成講座には林真理子の姿もあった。面白い子がいるから糸居重里に来なさいと言われ、カルチャーの発信源となっていた、業界人が集うセントラルアパートに入ったのが始まり。
(この番組で、70年代からずっと語り続けている、林真理子さん)
その頃は傍観者でしたよ。糸井さんのところに来る有名人をボーっと眺めていたりとか。
えっとね、ジュリー
ジュリーから電話がかかってきたり
その電話は、もしやこの曲の打ち合わせだったのか。
(TOKIOが流れる)
ジュリーこと、沢田研二のヒット曲「TOKIO」
作詞を手掛けたのは糸井だ。YMOの曲と同じく国際都市東京を表現したTOKIO、
糸井はこの曲に込めた思いをこう語る
アメリカを追うのではなく、日本から発信するという、力強い宣言。
その志は軽やかなメロディーと歌声に、オブラートに包まれて、町に流れた。
21日の木曜日は大阪フェスで、80年代のオリジナル「TOKIO」をジュリー自身が歌うのを聴いてきます。