5月 例年やってくる春から初夏へかけての黄砂でうす曇の日であった。
前日夕刻東京を発って、予定より大分遅れて一夜明けた午前10:40伊万里の町に入った。
夕食や仮眠を取りながら時間調整した成果で、土日の高速道路割引が狙いとおりに効果的な料金をはじき出した。
東京~佐賀(武雄)間で2660円である。ガソリン消費も、愛用のプリウスの実力どおりに、下松SA一回給油の5800円でまだ、充分な残量だ。
同SAでの一光景 福山ナンバー1370、女性親子と小児の3人家族の車が身障者スペースに堂々と駐車
クローバマークは付いていたものの、年長の女性はサングラスにタバコをふかし、どう見てもクローバ対象者ではないようだ。「クローバワッペンは何処でも売ってるしなー。」 最後は市民としての成熟度と人としての良心の問題だ。
九州最初のPAで200円で浴びたシャワーが、半分眠気の残る意識と体をリフレッシュさせてくれた。
伊万里は武雄北方ICを下りて、20分位新緑の匂いの道を過ぎて小奇麗な町並みを見せた。
街路の標識や橋の欄干には陶器が使われていたり、歩道の何気ない舗装に陶器の破片が散りばめられて、如何にも陶器の町なのである。
景観条例でも施行されているのであろうか、気がつくと派手派手しい看板が無いし、街路樹が刈り込まれて人の手が入っている様が感じられ清潔感の有る町である。陶磁器を主産業とする町の佇まいは、技術者から芸術家へ通じる人々が住んでいた町の必然なのであろう。農業者や漁業者の住む町とは明らかに違った風に感じた。 伊万里牛を使った町興しハンバーグの昼食は時間を費やした割には期待はずれであった。 伊万里で訪ねた唯一の伊万里・有田焼伝統産業会館も期待したほどのヒントも資料も得られなかった。 伊万里は隣町の有田から運ばれた陶磁器の積出港という役割が主であった。確かに鍋島藩の御用釜が築かれ、一般に普及されるものではなかった希少性の高い鍋島の産地ではあった。 今回の伊万里訪問の旅の主目的は、古伊万里の積出港の役割とそれに関わる人々の組織や日常の様子を感じたかったのであるが、これは次の機会とした。 有田町は伊万里町から30分程度の行程である。 途上 伊万里酒造元で純米吟醸と純米酒を手に入れた。昼食のレストランのマスターに聞いた酒造メーカーである。九州は焼酎文化が主に思われるが佐賀地方は日本酒が主に占めているそうだ。 有田は県立九州陶磁文化館と陶山神社、泉山磁石場を訪れた。有田歴史民族資料館は残念ながら時間切れであった。 ここでも、江戸末期から明治にかけての陶磁器生産の組織体制や人々の暮らしの日常などを見聞したかったのであるが時間不足である。 有田は古伊万里の生産地であり今でも有田焼陶器市等、大変な賑わいを見せるそうで、町並ぶ陶磁器店は圧巻である。陶石の最初の発見場である泉山磁石場や磁器始祖(季参平)を祭る陶山神社は遥かな歴史を肌に感じる思いがした。 伊万里、有田訪問では、事前の調査と訪問の目的の明確化を怠った反省が大である。再度の訪問を期して、午後5:00過ぎには本日の宿泊地の長崎へと向かった。