一週間ぶりの休日だが、曇天であまりいい景色は臨めそうもないので、近場の境川沿いを走ってみた。
鷹匠橋から走り始めて5km先の遊水地公園で折り返した。
往路は真剣に走ったが復路は寄り道をした。まずは「花應院」へ ここの閻魔大王像が有名なのだが誰もいなくて勝手に本堂内に入るわけにはいかないので見れなかった。
花應院
さらに向かいの「飯田牧場」へ、ここのジェラートが有名なのだが営業時間が10時からなので入れなかった。
飯田牧場
境川に戻ろうとしたら、訳ありそうな碑(瞽女淵(ごぜぶち)の碑)があったので撮ってみた。後で調べてみると下記のようにかわいそうな女性の碑だった。
「瞽女淵(ごぜぶち)とは三味線をひき唄を歌う盲人の女芸人で延宝(1673~1680)にあやまってこの淵に落ち溺れ死んだ、弘化四年(1847年)ある浪人が人柱になり、村人は浪人の志を哀れみ碑を建てて弔いました」
瞽女淵(ごぜぶち)の碑
境川に戻って走って出発点の鷹匠橋の近くにさつきがたくさん咲いていた。また、紫陽花も咲き始めていた。
さつき
紫陽花
「花應院」と「飯田牧場」は、はずれだったが、思いがけずに「瞽女淵の碑」を見つけたり、さつきを見つけたりして意外と充実したランニングになった。
鷹匠橋から走り始めて5km先の遊水地公園で折り返した。
往路は真剣に走ったが復路は寄り道をした。まずは「花應院」へ ここの閻魔大王像が有名なのだが誰もいなくて勝手に本堂内に入るわけにはいかないので見れなかった。
花應院
さらに向かいの「飯田牧場」へ、ここのジェラートが有名なのだが営業時間が10時からなので入れなかった。
飯田牧場
境川に戻ろうとしたら、訳ありそうな碑(瞽女淵(ごぜぶち)の碑)があったので撮ってみた。後で調べてみると下記のようにかわいそうな女性の碑だった。
「瞽女淵(ごぜぶち)とは三味線をひき唄を歌う盲人の女芸人で延宝(1673~1680)にあやまってこの淵に落ち溺れ死んだ、弘化四年(1847年)ある浪人が人柱になり、村人は浪人の志を哀れみ碑を建てて弔いました」
瞽女淵(ごぜぶち)の碑
境川に戻って走って出発点の鷹匠橋の近くにさつきがたくさん咲いていた。また、紫陽花も咲き始めていた。
さつき
紫陽花
「花應院」と「飯田牧場」は、はずれだったが、思いがけずに「瞽女淵の碑」を見つけたり、さつきを見つけたりして意外と充実したランニングになった。