暑いさなかかき氷もとめて彷徨いあるいた「ならまち」・・・
そもそも「ならまち」とは?
奈良の町やからならまちやん、てなもんですが、ひらがなで書く「ならまち」は、世界遺産 元興寺の旧境内を中心とする地域を指すそうです。
古い町屋が残る街並みを生かして、町おこしが行われ、今では押しも押されぬ奈良の観光地になっています。
そして、その元興寺ゆかりの場所もこの地域に点在・・・
この崩れかけた土塀。入ってみることにしましょう。
すっきりした街並みから一歩中に足を踏み入れるとうっそうと茂った木々に、ぼうぼうに伸びた草・・・
寂れた某院のイメージといえばいいかも。
その中にポツリ、ポツリと咲く花あり。今年初見のクコの花も心なしか、色が薄い・・・
なぜかベンチや椅子がところどころに置かれています。
サクラの木も多いので、案外地元の人の憩いの場所なのかもしれません。
さらに進むと、あれもう出口です。少し明るくなってきました。ハナシュクシャの強い香りが辺りに漂っています。
さて、ここはどこ?と思って振り向くと、元興寺小塔院跡の標が・・・なるほど!
改めてネットで調べてみると、桜の穴場スポットなんだそうです。
春はいいかもしれませんね~
ということでさらに古い街並みを歩いていると・・・
また元興寺ゆかりらしき場所を発見!塔の跡だそうです。早速入ってみます。
白毫寺の萩はまだまだ咲いていませんでしたが、こちらの白萩はかなり咲いています。日当たりの関係でしょうか。
こちらはかつて広大だった元興寺境内の東に位置し、最初にご紹介した小塔(西塔)と対になっていたようです。
特にこちらの大塔は高さが57mもある五重塔で、江戸時代までその威風堂々たる姿で名所となっていたそうですが、
安政6年(1859年)の大火で焼失。今はその基壇を残すのみとなりました。
その基壇、横から写したら全然何かわからない・・・
同じく焼失した観音堂を再建した本堂(左)と、よそに移したら夜な夜な鳴動するので元に戻したという伝説のある「啼燈籠」(右)
コスモスはたった一輪だけ・・・
ハギは沢山・・・
東西の塔の跡地、結構楽しめましたが、疲れも限界に近づいて・・・
重い足を引きずって、元興寺(極楽坊)に向かいました。
(ながながと読んでくださってありがとうございます。あと一回続く・・・)
【撮影:2019年9月14日 ならまち】