今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

大脱走再び(前編) ~保護者の責務と長い1日の始まり~

2018年05月09日 | シリーズ完結:大脱走、「ノラと家猫と」
この記事の写真は本文とは関係ありません
(例によって写真を撮る余裕などあるはずもなく・・)

それは前回の記事を書いた日のことでした。
GW最後の日曜日、慌しかった期間が終わりを見せて、店には一段落の雰囲気が漂っていた。でも、ほっとするどころか本当の勝負はこれから。花屋にとって年間最大のイベント、母の日への準備が始まっていたのです。その日曜日は午後からあいにくの暴風雨。20時頃帰宅して簡単な夕食を済ませた。疲れもあって食べた途端にウトウトして、テレビの前で夫婦揃ってうたた寝。22時過ぎに勝手口の方でドタンと音がしたので見に行くと、ドアはしっかり閉まっていた。それでまたうたた寝。

翌日は久々に東京の花市場に同行の日。1年で最も品数の多い日で、下見にも相当時間がかかる。ただでさえ市場同行した翌日は足がつったりふくらはぎが痺れたり、老体には厳しくなっている。うたた寝じゃだめだ、しっかり寝なきゃと起きて家の点検をし、ベットに潜り込む前にニャンコどもの確認をした。気配が少ないので胸騒ぎがしたのです。時間は深夜の0時を回っていた。

1階にみう、2階にリンとキーがいた。3匹とも「どうしたの?」と尋ねるように、神妙な顔をしてこっちを見ていた。以前から思っていたのですが、猫は何か重大なことが起こったことを察知するんですね。特に尋常じゃない形で仲間がいなくなったときは。そう、ニャーとちび太とクウがいなかったのです。一気に目が覚めて、家中探し回った。これだけ一緒に暮らしていれば、彼らの隠れそうな場所の見当はついている。でも、どこを捜してもいなかった。

「ニャーたちがいない!」 妻を起こして一緒に探した。夕食のときは全員いたのに、という妻に心当たりの説明をしたのです。帰宅して直ぐに勝手口から家裏の確認をした。夕方に出した白黄くんと灰白くん用の容器が大嵐でどうなったか。でもその後、おそらくドアラッチがしっかり閉まっていなかった。そのため折からの強風でドアが開いてしまい、再び閉まった。その開いていた時間に3匹が出てしまった。あのドタンという音は、強風で開いたドアが再び閉まった音だったのだ。

ドアラッチの動作不良で勝手口の閉め方が不完全となって、ニャーに脱走されたことが過去に2度あった。(過去記事)  その後あれだけ気をつけていたのに、忘れた頃にまたやってしまったのでした。しかも今回は3匹。ちび太には初めての土地だし、クウは再び連れ戻せるかどうか。

               
         テツの後継的存在になりつつあったニャー(左はリン)
        脱走歴も外経験も多いので行動範囲は広いと予想された

とにかく直ぐに捜しに出ました。大嵐の中、家の周りからお隣へと懐中電灯を頼りに捜して回った。こういうときは時間との勝負だ。時間が経つほど遠くに行ってしまう可能性が高くなる。過去に脱走されたときは直ぐにわかったので見つけることができた。時間がかかったときでも追跡ができた。でも今回は、気付いたのと始動が遅い。手探りの捜索開始でした。大嵐の中、それほど動くとは思えないが見つけ難くもなる。

それに、うたた寝をしていたときに外で猫の喧嘩声がした。また白黄と灰白がやってると思ったけど、あれはニャーかちび太の可能性もあったのだ。何もなければ家の近くにいると思われても、外猫と喧嘩するとまずい。気が動転して思いもかけない遠くまで行ってしまう可能性があるからだ。

風雨に巻かれながら、捜して捜して捜し回った。1時間ほどすると雨が小降りになってきたので家に戻って、まず保護部屋(和室)とリビングを網戸にした。それから風呂場の窓を開け、中の猫が逃げないように洗面所のドアを閉めた。そしてトイレを車の下と家裏のストックヤードに置いた。どの猫がいつ戻ってきてもいいように妻が家に待機し、自分は再び捜索に出た。

しかし、どんなに捜し回っても猫たちの気配すらない。こんなことを考えるのは後回しだとわかっていても、いろんな考えが頭をよぎった。10日ほど前の記事、「ノラたちとの共存を目指して(闘魂編)」で、愛猫を脱走させる保護者の"善意の悪行"について触れたばかりでした。ニャンコにとって1人でも多くの保護者が必要な中で、責めることはできないが、でも何とか脱走させない方法はないものか、そんな思いが滲み出た書き方でした。

果たして自分に、そんなことを言う資格があったのか。そもそもいくら気持ちで頑張っても、注意力の劣った老人にはニャンコを保護する資格なんてないのかもしれない。こうして再び外に放ってしまえば、その子たちはノラよりもつらい生き様を味わうことになる。自分で食料を調達する経験のない(あるいは忘れた)家猫が野に出ればどうなるか。それは"死"に直面した苦労なのです。

家裏で育ったキーとクウがもの心ついて、食料調達に出かけ始めたとき、持ち帰ってくる"戦利品"を見て心が痛んだ。フランクフルトの芯棒だったり、アイスクリームの包装紙だったり。そんなもの食べれないんだよ、お前たち・・・でも彼らは後生大事にしまい込んでいた。そのクウがひとりで生きていけるのか。かつて調べたのは、ノラに生まれても1才生存率は10%強。逆に言えば、殆どのノラの子は1才になることすらできないのが現実なのです。おそらく何らかの形で人の助けがない限り、ノラの子は生きてはいけない。野に放つということは、そういうことなんだ。

               
                     ちび太とキー(右)
          ちび太には家に来て以来初めての外で土地勘もない

夜中の2時を過ぎた頃には雨が上がりました。風は相変わらず強かった。30分ほど捜しては家に戻り、寝ないとまずいよという妻を尻目に再び捜しに出た。公園やバス通り側のアパートや資材置き場など、かつてニャーを保護した場所も何度も捜した。相手も動いている可能性があるので、同じ場所を何度も何度も捜して回った。

と、家の方で猫の喧嘩声が聞こえた。唸り合っているその声のひとつはハスキーで、ニャーの声のように思われた。その時は捜索範囲の中でも家から最も遠い、資材置き場のバス通り側にいた。しかもその時に限ってサンダル履きで、急いで戻ろうにも戻れない。例によって、競歩よりも遅い全速力になってしまった。あまりのもどかしさに妻に電話して確認すると、家裏では誰も鳴いてないと言う。

そんなことあるか! と口論になりかけたが、そうかと思った。あれは家裏ではなかったのかもしれない。家よりもっと自分の近く、公園の当たりで唸り合ったのに違いない。しかし、自分が駆けつけたときは既に猫の気配すらなかった。

家に戻ると、妻が「もう寝るよ」と言って寝に入った。ええ? 何だよ、と言いたげな自分に、「お腹が空けば戻って来るよ」といつもの決まり文句を言った。そこで何か言えば、またいつもの口論になることはわかっていた。直ぐに解消する口論だけど、そのときは止めておいた。実際、GWの間に正社員以上に働いていた妻も体力の限界を超えていたはずだった。

それに何より、妻の言葉は本音そのものだと知っていた。大学に入って家を出るまでの18年間、妻は田舎の里山にある実家で猫たちと暮らしてきた。家の中外で自由に過ごす猫たちといて、何が猫に大事なのかという妻なりのポリシーがあったのだ。猫を愛しお世話に労苦を惜しまない彼女は、自分に懐こうが懐くまいがとにかく猫を信頼しきっていた。その盲信ぶりに自分は時にイライラし、時に癒され、そして何度も救われてきたのだった。

時刻は3時を過ぎていたが、一向に猫の気配すら見当たらなかった。小さな町内とその周辺、40軒くらいの家々の周りを、懐中電灯の明かりを頼りに隅など細かいところまでチェックして回った。さすがに、これでは効率が悪すぎるのではないか。自分の責任を強く感じて、自虐的に苦労して捜しても、当の猫にとっては何の意味もない。それに、自分の気休めにもならなかった。

               
               まったく人に懐かないクウ(一番上)
     それでも本当に少しづつ、家猫っぽい仕草を見せるようになっていた

4時近くになって家に戻った。その日の午後には東京の市場まで行かなければならない。市場では歩き回るし、運転するのは自分だ。さすがに休まなければまずいと。そう思いながらパソコンをつけて、かつてニャーが脱走したときに参考にしたサイトをもう一度見て回った。で、あることを決めたのです。このまま効率が悪い捜し方を続けるよりも、そのときに勝負をかけよう。

ひとつは明け方。潜んでいた猫が動き出す時。もうひとつは6時から7時頃で、外猫たちがご飯をねだりに来るとき。ニャーは家の中にいても外猫の気配に敏感で気にするので、外猫の声を聞けば戻って来る可能性がある。だからその時に賭ける。その方が理に適っている。そう思ってベットに横になった。が、またいろいろなことが頭を過ぎって、そのうち、ある決意をしたのです。

もしニャー、ちび太、クウのうち誰か1匹でも戻らなかったら、このブログを休止しよう。そもそもそんな状態の自分には何も言う資格がないだろうし、ブログを続けても誰にも支持されないだろう。それに自分自身、そんな精神状態で書けるはずがない。先日の記事で突然断筆した庄司薫さんのことを書いたばかりで、まさか自分まで同じことになるなんて、と切なさがこみ上げた。いや待て、見つければいいのだ、勝負はこれからだ・・。

と気を取り直して窓の外を見ると、辺りが白んでいた。慌ててまんじりと覗くと、見える、外がはっきりと遠くまで見える。時刻は4時半。思ったより早い夜明けだった。この機会を逃してはならない。ベットから飛び起きて1階に下り、水を1杯飲んで、うたた寝をしている妻の横を通って、玄関から飛び出した。


※怒涛の後編に続きます。


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