今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

やさしい保護者にやさしい猫 ~オジンの反省文~

2019年04月13日 | ニャー
この正月に膀胱炎と尿路結石で大変な思いをしたニャーのことです。
再発した膀胱炎も治まって、輸液も抗生物質も今月に入って止めました。今は普段と変わらない生活です。先生が推奨する療法食は頑として食べないので、市販の中から探した尿路健康用のカリカリ(ユニチャーム「ねこ元気」)を中心に食べています。ニャーはもともと吐き易い猫で、特にレトルトなどは十中八九食べた途端に吐いてしまうのですが、このカリカリは沢山食べても吐かないので助かります。今のところ再々発はなさそう。抗生物質を長く続けたのと、オシッコがそこそこ出るようになったのが大きかったと思います。


"日光浴"の窓から外を眺めるニャー

それにしても、本人(猫)にとっても保護者にとっても大変な2ヶ月間でした。幸い快方に向かったものの、どんなに後悔してもしきれない結果を招いたかもしれなかった。というのも、ニャーをここまで追い詰めたのは他ならぬ自分だからです。それまでのニャーがどれほどのストレスを溜めていたのか、今ならはっきりとわかるのです。

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ニャーは店時代から利発な猫として評判でした。人の気持ちを読んでそれに合わせて行動する。とっても穏やかで、出会ったときから旧知の仲だったような行動。間違いなく家猫だと思って飼い主を探し続けた。その1年間の、店でのノラ生活はとても安定したものでした。わが家に来たときも落ち着いたもの。お膳の上の食べ物を盗むでもねだるでもない行儀のいい猫です。ニャーを育て、しつけた方の悔恨が推察されました。


レジカウンターで休む店時代のニャー
お客さんに愛想を振りまいて好評だった

店時代のニャーとは自分が一番近い存在だった。その延長で、わが家に来てからも気心の知れた猫として、かつて自分の分身だったテツの後継的存在となったのです。それが、みうと出会った頃に様子が変わった。ニャーが家に来た頃まだ外にいたみうを、脱走したニャーが2度ほど襲った。そしてその半年後、家に迎えたみうをニャーは排除する行動に出たのでした。

ニャーが突然見せた攻撃性に、戸惑ったのはみうだけでなくこの保護者もだ。何とか仲良くさせようと、みうを追うたびにニャーを叱った。保護者との蜜月を望むニャーの心情を慮って、わが家の生活はニャーが中心だった。常にニャーのストレス軽減を心掛けたつもりだった。だけどひとつだけ、ニャーに多頭生活という保護者の都合を理解してほしかったのです。

それから1年半の間に、わが家は8匹まで増えました。どのような基準でそうなるのかわからないけど、ニャーはリンやハリーに対しても排除行動に出た。近付けば眼付けをして、追い回して襲う。平和な猫たちの生活にあってその行動は目立ち、そのたびに緊張感が走った。そのうちニャーを慕っていたちび太までが、リンを追うようになった。

家の猫たち全員が平和で仲良く暮らしてほしい。その願いがニャーへの過剰な制止に転じた。みうやリンを追う度に大きな音を立ててニャーを追い、徹底的に追い詰め、隅で身構えるニャーを大声で叱責した。わなわなと半分涙目で、小さく毛を逆立てて全身を震わせ、身を低くして潰れた声を漏らすニャーを何度も叩いたりもした。「そんなことしても猫にはわからないわよ」「ニャーの性格が変わっちゃう」 妻の悲痛な言葉は頭では理解できても、ニャーが懲りて止めてほしいという願いの方が強かった。

それでも、ニャーのストレスを気にしていた。当時の自分の記事を読み返すと、ニャーのストレスが多頭生活からくるものだと思い込んでいる。何という愚かさだ。自分は本当に、嫌味で最低最悪の保護者だった。猫たちの平和を乱していたのは紛れもなく自分でした。とまどっていたのは、自分じゃなくてニャーの方だったのです。

当時のニャーとは信頼関係が完全に崩壊していたと思います。それでもニャーは、自分が穏やかにしているときはそっと寄り添ってきた。もう怒らないでと、祈るような気持ちで寄り添ってきたに違いない。


当時のニャーの視線は、信頼というより警戒だった?

自分の転機は昨年の9月、「ブログ2周年」の記事の中でその兆候が見られます。でも上から目線で、まだ本気で自分の愚かさと向き合っていない。その後、年末に書いた「気心の知れた猫」の中で、ようやく自分自身が問題の種だったことに気付いたのでした。

しかし、そのときはもう遅かった。ニャーは正月早々災禍に見舞われることになる。それは膀胱炎、急性腎炎、そして尿路結石という生死に関わる病魔でした。そのいずれにも、ストレスが主たる原因のひとつとして挙げられている。そしてそれからの2ヶ月間、ニャーはオシッコが出ないという断末魔の苦しみの中で、この病魔と闘うことになったのでした。  
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今はもう忸怩(じくじ)たる思いでいっぱいです。何より、本当にニャーに悪いことをした。この危機を乗り切ってくれたニャーは自身だけでなく、危うく人の道を外すところだったこの保護者まで救ってくれたのでした。

自分にとって、ニャーはこれまで以上に大切な猫になりました。その思いを行動としてニャーに伝えています。猫はものを言わない。でもコミュニケーションをとることはできる。そのコツは、あらゆる思い込みを排除することなんだと改めて思い知らされました。ニャーは今、かつてのように自分が家にいるときはいつも傍にいてくれます。そして目を細めてじっとこっちを見ている。これまで殆どなかった、自分から膝の上に乗ってくることも多くなりました。


オジンの膝の上でニャーとみう
何と、みうがニャーにくっついて寝てる

そのニャーの最近の変化で特筆すべきは、他の猫たちにやさしくなった(ように見える)こと。みうやリンが近くにいても眼付けしたり追わなくなった。それどころか、みうとはオジンの膝の上に相乗りすることも。懸念されたテンちゃんとの諍いもありません。相変わらず吠えまくるテンちゃんをうまくこなしています。(テンちゃんも吠えるだけで手は出さない。) ニャーは、保護者を見習っているのだろうか。


向き合って休むニャーとテンちゃん
この後、ともにそのまま眠りについた

やさしい猫はやさしい保護者の下で育つ。そんな実感が持てるようになった今日この頃です。

コメント
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