今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

チビ一周忌に想う

2017年09月10日 | (故)チビ 
昨日がチビの一周忌でした。
事故は昨年の9月9日、金曜日の早朝。清掃局に問い合わせてその情報を得たのは月曜日でした。何とか担当した方から直接伺うことができて、チビだと確信するに至ったのです。

昨日は、チビの事故現場に献花しました。
              
                ささやかな献花です

              
             相変わらず交通量の多いバス通り

              
          事故は遊歩道とバス通りの交差点付近でした
 奥に見えるSCの擁壁から落ちて、たまたま水のなかった小川を渡ってバス通りへ
              擁壁の向こうに当お店が見えます

              
    献花は邪魔にならないよう、植え込みの中に1日だけ置きました


チビに関しては同じカテゴリーの、「かわいい理由」や「子ニャンの賛歌~チビ追悼~」で想いを書き留めてきたので、今日は少し違う角度から綴ってみます。ただ、残念なことに使えそうなチビの写真が殆ど残っていません。以下の写真はすべて再掲写真となります。

              
    (再掲)店に出没し始めた頃(3月)のチビ、初めて写真に納まった

チビと同じような境遇の子ニャンはたくさんいる。でも、自分はたまたまチビと出会い、たいした付き合いでもなかったのに、彼は自分の気持ちの中に入り込んでいました。そう、このトシで子ニャンに感化されるなんて、年甲斐もないと言われればそうなんですが。

誰か(何か)を想うことは結局、自分自身の問題なんです。自分は、経済成長期の典型的なモーレツ社員でした。外資系の企業で日本支社の役員にまでなって、人生ゲームには成功したのかもしれないが、社内外の駆け引きの連続に疲れ果てた挙句、早期退職しました。

その後しばらくして、趣味だった植物の知識を買われて今のお店を手伝っています。小さくても家族ムードで競争のない職場は居心地がいい、初めはそう思ったのですが、やはり人間のいるところには常に駆け引きがある。そう、お客さんや業者との駆け引きです。

この年になって、そういうことに巻き込まれるのがほとほと嫌になっていました。当時はそういう目で見ていたせいか、かつてわが家の3匹をはじめニャー、ソトチビやみうにも駆け引きがあるように見えた。自分には、そんな風にしか見れなくなっていたのかもしれません。

              
           (再掲)ニャー(中)、シャッポ(右)とチビ(左)
 3匹が最も平和だった初夏の昼下がり、この平和は長くは続かなかった

そんなときに出会ったのがチビです。当時はテツの体調が最悪で強制給餌を行っていた頃。テツを失いたくなくてすがるような気持ちで介護しながら、もっと多くのニャンコのために何かできないか、なんて考え始めていた頃でした。

チビを見ていて、その一点のくもりもない純粋さに心を洗われた思いだった。いつも一生懸命、そして前向き。嘆いたりふてくされたりやけを起こしたりなんて、ネガティヴな感情そのものがないのです。必要以上に求めない(物欲がない)。自力解決で他に頼らない。なかなか信頼しないが信頼すると裏切らない。とにかく、悪意というものがない・・・。

心を偽ることがなく、ありのままを受け入れるから誤解することもない。大袈裟かもしれないけど、人間社会で言えば仙人か仏様の境地だ。こんなに小さな子猫が、寒い冬を生き抜いてきただけでも驚きなのに、チビは、純粋さが強さなのだということを身をもって教えてくれた。そう思って見ると、他のニャンコも同じだったということに気づいたのです。

ニャンコはツンデレ、人間に媚びないと言われます。でもだからこそ、この純粋さを保っていられるのかな、と思います。きっと人間に関わりのない野生動物ならみな持っている純粋さ。ニャンコは人間の近くにいながらその純粋さを教えてくれる、人間にとってかけがいのない伴侶なのではないでしょうか。

              
              (再掲)休んでるときも鳴きまくり
 運動と冒険の毎日、疲れると事務所の前に戻ってきて休むのが日課だった



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