今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

変わるノラ・頑張るボラさん

2016年12月18日 | ノラたちの幸せを願って
人格(猫格?)を持った大人のノラたちと付き合うようになってから1年3ヶ月。その中のニャーを家に迎えてひと月半になりました。シャッポやおかあさんのように、"外飼い"状態の仲間たちもいます。彼らの里親になるにしても探すにしても、「強制収用」でなく家に迎える方法を模索する日々が続いています。

      
      ニャーに追われて傷心のおかあさん
       今の自分の最大の気がかりです

この間、毎日夜更けまでニャンコの情報を読みまくり、そして、ブログを書くこと同様に読むことの楽しさも知りました。ニャンコに対する愛情に溢れた話を読むのは本当に楽しいし、また哀しい。多くのボランティアさん達が、手が足りず十分に世話できなくて、悔しい思いや哀しい思いをたくさんしながら活動を続けていることも知りました。

それに対して自分の(特にこのカテゴリーにある)記事を読み返すと、何とまあ偉そうに書いてることか。本当に恥ずかしい限りですが、頭が硬くなった年寄りに免じてご容赦下さい。実際は嫌になるほどの優柔不断と思考錯誤(試行錯誤ではなく)の連続で、それは本人が一番よくわかっています。

      
      ダイフク再来で穏やかでないシャッポ

ノラと野生の違い、ノラのプライド、尊重すべき個性、このカテゴリーではいろいろ書いてきました。でも今は、DNAにインプットされた本能とは野生とか個性の話じゃなくて、単に「生きろという指令」なのではないかと思えるのです。

だから生きる。種族保存のために生きる。そして生きるために変わる。ノラは家猫になり、家猫はノラにもなる。よしんば手術されて彼らの世界ではあり得ないことが起こっても、とにかく文句も言わずに変わって順応し、そして生きる。

ノラを家に迎えて一緒に暮らしている人は世の中にごまんといるし、ぐだぐだ考えずにさっさと前に進んでいる。調教によって馬は走り盲導犬は人を助けるのと同じで、環境が変われば彼らはそれに合わせようと変わることができるのだ。

つまり、ニャンコを家に迎えるのは人間の側の問題なのです。ノラは良い人も悪い人も選べないからその自浄作用も人間の問題。先住猫との関係やいろいろなハードルを取り払うのも人間の問題。ニャンコはひたすら、できる限りついて来るだけなんだ。 あーあ、これだけ回り道した割には当たり前のことを言ってるだけだったりして。

そう、結局自分自身の問題なんです。
自分はT(罠で捕まえる)ができないから仲良くなってお迎えする。R(元いた場所に戻す)は絶対にできないから、家猫になってもらうか地域に認められる方法を考える。N(手術)はできればしたくない。本人(猫)にとって命のリスクに見合う価値がある場合だけ、手術を受けてもらおうと思ってます。

ちなみに、わが家の前の3匹は全員手術しました。ハナが季節になると発情しちゃって凄かったので、医者と相談して本人(猫)のために手術しました。完全家猫なので、適わぬ恋に精神を病まないよう、穏やかに過ごしてもらうための処置でした。

      
      ニャー:えっ、去勢済の♂だった??

ノラ達の手術で自分が気になる点;
Nのためにしばし保護すればその間に人の愛を覚え、Rの後にノラとして生きていく能力が弱まって、結果として早死にさせちゃうのではないかと。もちろんTNRがベストじゃなくても、殺処分とか比べればはるかにベターなことは間違いないけど。

そもそも地域猫のコンセプトは行政から発しているが、地域住民の総意形成が基本などと言いながらそれを現場任せにしているところに無理がある。特に個人で頑張っているボラさんに、地域住民の総意を形成しろだなんて無茶苦茶な話だ。行政がもっとしっかり進めなくちゃいけないんだよ、こういう話は。

参考:環境省のガイドライン
環境省「住宅密集地における犬猫の適正飼養ガイドライン」

圧倒的に多いノラの数に対して少ない数のボラさん。みんなその夢(目標)の遠さに途方に暮れながらも日々活動しているに違いない。自分(私)のやり方は悠長でイライラするかもしれないが、このブログを通じて気持ちだけは共有していきたいと思っています。

        
     最近また頻繁に来るようになったダイフク
        まだ近づくこともできません


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