今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

大難は小難に、小難はまた大難に??・・みうの巻

2018年05月18日 | シリーズ完結:大脱走、「ノラと家猫と」
お恥ずかしい限りなのですが、恥を忍んで書きます。
あの大脱走の災禍とハッピーエンドの一部始終を書き上げて気が緩んだのか、その翌朝に今度はみうが脱走しました。それは、油断の一言に尽きた。朝の6時頃玄関からニャーを外に出すときに、後ろからついて来たみうがするするとニャーの横を通って出てしまった。初めはポヤっとしていたみう、しかしこっちもポヤっとしていて、抱き上げようとしたがすっと逃げる。そのうち通りに出てしまった。途端ににみうの動きが変わった。水を得た魚のように素早くなって、しかもちょっと興奮状態に。そうなってようやく、事態の深刻さを認識したのでした。

強くは意思表示しないけど、みうがずっと外に出たがっていることは知っていた。いつも窓から庭を眺めてはキュウキュウ小声で鳴いていた。人の出入りでドアが開けば必ず寄って来る。でもニャー恐怖症のみうは、ニャーの出入りのときは近寄れなかった。それがイエチビを迎えて、さらに最近の大家族化の効果で2匹の関係が変わってきた。みうのニャーに対する恐怖心が少しづつ薄れていたのです。その変化に気付いていながら、しっかり対応できなかった。

みうは家の中でも半ノラ状態。こっちが座っていれば近づいて来るし、スキンシップもお手のもの。でも、こっちが動けばすかさず逃げる。そうなると捕まえることはまず不可能。通りに出たみうは、かつて1年半も家裏で暮らしていたときそのものだった。実は先日、みうを正式にわが家の子として迎え入れて1周年となった。何か書かなければ、と思っていた矢先のことでした。

               
         みうは外を眺めるのが大好き:キー(左),ちび太(中)と

みうはこっちの目と鼻の先を、お隣さんからさらにそのお隣さんへと冒険を始めた。そこで家の人が出てきて、驚いて今度はお向かいさんへ。門を挟んでしばらく対峙。手を伸ばせば届くのだがすっとかわされる。妻がシーバを持ってきたが見向きもせず。やがてみうは、そのお宅の向こう側にある高台へと向かった。回り道すれば4分はかかる。そのお宅の奥さんの協力を得て自分もそのまま高台へと追跡した。しかしその上にあるアパート付近まで来たとき、通り過ぎた車に驚いたみうは駆け足で坂下の方へと消えてしまったのです。

大変なことになった。みうの初めての脱走は、本格的な捜索へと展開したのです。妻が出かけた後、自分は店を休みました。外に出たみうは、よほど落ち着いたときじゃないと保護できない。クウのように自分から家に入ってもらうしかないと思えた。それで中のニャンコたちを部屋に閉じ込めて、玄関と勝手口を猫が通れる分だけ開放した。そして自分はできる限り町内を捜索。保護できなくても、所在だけでも確認したかった。しかし白黄くんと灰白くんが勝手口周辺に陣取ったこともあって、結局ドア解放作戦を諦め、夕方の再捜索に賭けることにしたのです。その日は真夏の炎天下、みうも休むに違いないと。

とは言え断続的に捜索しながらいろんなことを考え、そして調べました。1年間わが家に籠もっていたみうは、果たしてかつて飛び回った町内を覚えているのだろうか。猫の記憶力を調べてみると、よく目にするのは何かのテスト結果で10分だとか16時間だとか、しかし条件設定がいろいろあって当てにならない。飼い主をどのくらい覚えているだとか世間話的なものばかりで、記憶力についての信頼できそうな記述が見当たらない。それでも、みうがこの家に戻って来るという保証を藁にもすがる気持ちで探し続けたのでした。

その点で、その朝見失うまでのみうが、まるでかつて知ったるわが庭みたいな動きだったのは心強かった。最後に見たみうが駆け下りて行った坂の先は、左に回り込めば町内に戻り、右寄りに進めばバス通りへのショートカットで、その先の草原(休耕田)に点在する旧農家さんのいずれかにソトチビがいるはずだ。みうが家裏時代に2日ほど空けたことが何回かあったが、ソトチビの本拠地にお邪魔した可能性もあったのだ。みうはソトチビを覚えているのだろうか。あの坂を下りて、果たしてどちらに向かったのだろうか。

家の中のみうは、何を思って毎日外を眺めていたのだろう。自由がほしかったのか、自分の生活の場に戻りたかったのか、それともソトチビに会いに行きたかったのか。あれだけ仲睦まじかった2匹を引き裂いてしまった贖罪の意識が、またぞろぶり返してくるのでした。

               
            家裏時代:ソトチビとのツーショット(再掲)

それだけではない。自分の罪悪感を煽ることがもうひとつあった。それは妻も指摘していたこと。妻は、みうの保護(室内猫化)には最初から反対だった。家裏で自由に過ごし、食事も寝床もあって、ご近所の人々にもしっかり認知されている。今でこそ1匹だけになってしまったが、かつてこの町内には中外飼いのニャンコが数匹いた。管理もされていたし、猫嫌いのお宅も含めておおらかだった。猫にとってはこの上ない生活条件だったのに、家中に閉じ込める必要があったのか。

しかもだ、ひょんなきっかけでみうより先にニャーがわが家に来た。当初、中のニャーと外のみうはいい雰囲気だったけど、ニャーが脱走した際に何故かみうを追いかけて襲った。さらにそれを繰り返して、ニャーはみうの天敵になった。そのニャーと共同生活を強いられることになったのだ。それはベット下に隠れ、自分の部屋から出れないアンネ・フランクさんのような隠遁生活だった。自分が約束した、自由を奪う代わりの安心、安全、そして平和な生活とは程遠いものだったのです。

実を言うと、みうの保護には自分も迷っていました。しかしシャッポの失踪と、その後の強い後悔が自分を突き動かした。さらにお隣さんのリフォーム工事の騒動で、みうが当家裏に嫌気が挿す前に保護を決行したのでした。その結果、みうは家庭内ノラとなり、ニャーを避けての隠遁生活を強いられることになった。その日の朝垣間見たみうのはつらつとした動き、やはり自分は間違っていたのか。どんなに捜しても見つからないみうに、まるで自分の過ちを指摘されたような気分になるのでした。

みうはもう、帰って来ないかもしれない。ということはこのブログもいよいよ休止だ。あの大脱走の最中に決意したことは変わらない。みうが自ら野を選んだとしても、保護者の責務は消えないのです。

               
             家ではオジンの"くっつき"猫だったけど

日も下りはじめた頃、ニャンコたちの夕食準備へと動き始めた。まずは部屋掃除、トイレ掃除、食器を集めて洗い、外猫たちには早く消えてほしいので一足早く夕食。それから、みうも含めて6匹の食事準備。この一連の行動は一人だとだいたい1時間半くらいかかる。17時にはみうの本格捜索を始めたいので、時間を逆算して動いた。朝と同じように勝手口と玄関を少し開放する。自分がみうを見つけたら、家の方へと誘導する・・。

勝手口の外を確認すると、予定通り外猫たちが消えていた。家のニャンコたちをそれぞれ部屋に閉じ込め、再び勝手口を開けると、みうが現れた。ドアの中を一瞥するみう。ドアの内側に置いておいたみうの好物レトルトを差し出したが、見向きもしない。みうは勝手口を通り越して、かつて自分の生活の場だった寝床のダンボールや棚の上を点検し始めた。盛んに臭いを嗅ぐみう。何か思い出すかと期待したが、やがてその先へと消えた。

やっぱりダメか・・と思う間もなく、慌てて玄関から出てみうの消えた方から裏に回った。しかし、もうみうの姿はなかった。でもまあいいか。とにかく戻って来たのだ。そのうちまた現れるだろう。そう自分に言い聞かせて戻ろうとすると、駐車場の車の下でじっとこっちを見ているみうと対面した。そのみうの顔は、家中に保護する前の顔そのものだった。

ああ、と思った。やっぱりみうはこの家を自分の家だと認識しているんだ。そして、外に出ても自分を保護者だと認識している。それにしてもみうよ、お前はこんなにも自然な、明るい表情をした猫だったのか・・。安堵はしたものの、大きな問題が残っていた。どうやって保護するかだ。 と、そのとき、みうが自分の方に向かってゆっくりと歩いて来た。

慌ててシーバを差し出す。またも無視。朝も食べてないのに、この小食の猫はいったい空腹を覚えるということがあるのだろうか。すると、みうはゆっくりと自分の脇を通って家裏に行こうとした。自分の横に来たとき、咄嗟に背中を掴んだ。 「ギャッ!」と声を立ててみうが暴れだした。今度は「シャーッ」の連発。でもここで離してはならない。何が何でも確保しなければ、と両手でみうを押さえつけた。たちまち両手にできた引っかき傷から血が滲み出す。でも離さなかった。そしていつものみうが慣れた体勢で抱きかかえると、みうは安心したようにおとなしくなった。

まずは洗面所で、泥まみれになっていたみうの手足を洗って身体を拭いた。それから中の猫たちを開放して自分の両手の手当てをしていると、みうと出会った途端のニャーが全速でみうを追った。あわや勃発、という直前で遊び心のちび太が参戦して事なきを得たが、以前のみうに戻っていたことがニャーにはわかったのだろうか。その後しばらく、みうを見るニャーの目つきがかつての獲物を見る目になっていたが、やがてそれも解消した。

               
           ちび太(奥右)がニャー(奥左)との"緩衝材"に

みうは今、脱走劇前の状態に戻っています。自分の後追いで、自分が座れば遮二無二くっついてくる。そのポジションはニャーやリンとの奪い合い。でもお互いに遠慮し合って喧嘩することはありません。その周りをキーやクウ、そしてちび太が飛び跳ねる。家猫になれば、自分の意志に関わらず保護者に従わざるを得なくなる。それでも彼らは文句を言わない。自分が幸せかどうかなんて、考えたこともないだろうから。

このブログにシリーズで書いている「ノラたちとの共存を目指して。」 その予告編に書いたように、ノラの幸せについてまとめ上げる日がいつかやってきます。それが本ブログのテーマなのです。同シリーズを書き始める前から、「ノラの矜持」や「ノラの本懐」など、「ノラたちの幸せを願って」カテゴリーの中で模索してきました。千変万化の猫だから、その本意を見抜くのは難しい。でも、彼らにだって願いや望みはあるはずだ。

日頃おとなしいみうが、思い切った脱走で保護者に教えてくれたこと。 ~わたしはあなたについていきます。だから、わたしのことを忘れないでね。~ みうの願いは、きっとすべての家猫の気持ちに通ずるのだろうと、そう思えてなりません。

               
          懐かしそうに、そして寂しそうに外を眺めるみう
         (みう、お前の願いはしっかりと受け止めたからな)

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大脱走再び(後編) ~帰還、そして信頼と絆~

2018年05月13日 | シリーズ完結:大脱走、「ノラと家猫と」
前編からの続きです
この記事の写真は本文とは関係ありません

~保護猫母さんのオバンへ  母の日に捧ぐ~

前日までとは打って変わった寒い朝だった。
玄関の温度計は9℃。そのとき初めて、自分が薄いズボンに半そでシャツという軽微な服装だったことに気付いた。慌てて冬服に着替え、運動靴を履き、準備万端、やや高ぶった気持ちとともに門から踏み出した。

と、隣家の前の側溝辺りに何かが見えた。その影は自分に驚いたのか、あっという間にその先の角に消えた。 ちび太だ! 間違いない。こんなに早く見つかるなんて。はやる気持ちを抑えて、相手を驚かさないように忍び足で後を追った。角まで来るとその先には何も見えなかった。注意深く隣家の周りを探す。門を過ぎて駐車場の車の下を覗くと、怯えてこっちを見つめるちび太の姿があった。

ちび太は車の下の奥の方で身構えていた。が、3回ほど小声で名前を呼ぶと、こっちが誰だか認識したようだ。急に安堵した表情になって、少し近寄ってからゴロンゴロンと転がり始めた。かつてニャーもそうだった。保護者を認識して安心すると、もっと遊びたくなるんだな。でもこっちは必死だ。目を離せないので妻に電話してちび太の好物を持って来るよう頼んだその時、ちび太が何かを見つけて走り出した。

空を飛ぶ鳥だった。ちび太は向かいの家前の側溝まで追いかけて、消え去った鳥を諦めてウロウロしていた。そっと近づく。そーっとそーっと。まったくこっちを気にしないちび太のお腹に手を回して、ゆっくりと抱き上げた。そして外出の準備をしていた妻の元へと、送り届けたのでした。

          
                天真爛漫のちび太はいまだに赤ちゃん寝相

よっしゃー、でもまだまだ。ちび太の保護で元気も100倍になったオジンは、彼らの好物のシーバ小袋(チーズ味)を手に取って、すぐさま残り2匹の捜索に出たのです。まだ5時前のこと、往来に人影はない。一軒一軒の駐車場の辺りで、小声で声をかけて回った。自分の家の区画、次に公園や隣の区画、貯水池周辺、資材置き場・・・、しかしなかなか見つからない。可能性は低いと思われたが、家から反対方向になる山の手側にも足を伸ばした。が、高台の上から見渡しても何も見えない。

1時間ほど捜しただろうか、外猫が来る前に家に戻らなくては。帰宅途上の坂に差しかかった時、眼下のお宅のブロック塀の上で猫が休んでいるのが見えた。 クウだ! できる限り近づいて垣根の手前から小声で呼ぶと、その猫が振り向いた。そしてこっちをじっと見つめている。その顔がふっくらしていて、クウではなく灰白くんだと気付いたのです。そうだ、灰白くんは山の手の方から来るのだった。

それにしてもクウと似ている。しっかりと見極めるまで、灰白くんとはしばし見つめ合ってしまった。こんな所で何してるんだろう。これから"ご出勤"かな? それとも白黄くんとの鉢合わせを避けて時差出勤の調整中か。

家に戻ると、案の定白黄くんが家裏に来ていた。白黄くんは静かな猫だけど、こっちの姿を見ると甲高い声でキーキーと鳴き始める。その声をニャーに聞かせたくて、ご近所迷惑顧みず、しばし家裏で白黄くんと過ごした。しかしニャーは現れない。結局諦めて白黄くんに朝食を出しました。灰白くんは、やはり来なかった。

さすがに疲れていた。ふと、嫌な思いが脳裡を過った。ニャーはもうこの界隈にはいないのではないか。ニャーとは半分くらい以心伝心、自分を見れば鳴きながら近づいて来るはずだ。呼べば必ず返事もした。それがここまで音沙汰ないとなると、何かあったか、もういないか、普通ではない状態なのではないか・・。

携帯の歩数計は2万歩を超えていた。普段は2千も歩けばいい方なのに。が、店に行くまではまだ時間がある。家の猫どもの食事や掃除を妻に頼んでまた捜しに出ようとしたその時、妻が叫んだ。「いるよいるよ、ニャーがいる。いつものところに座ってる・・・。」

リビングから見ると、リビング前の台の上にチョコンと座って、ニャーが庭を見渡していた。確かにこの時間になると外に出て(リード付)、台の上から見渡すのがニャーの日課だった。まったくいつもと変わらないニャーに呆気に取られたが、玄関から回ってさりげなくニャーを抱き上げた。その途端に、ものすごい安堵感が押し寄せてきて全身の力が抜けていくのを感じたのでした。

          
          最近のニャーの定位置:庭を見渡す(左)と外猫の気配をチェック

さあ、いよいよ問題のクウの番だ。クウは無闇に捜したところで保護できる当てがない。でも、遠くに行くとも思えなかった。とにかくここでクウを諦めてはならない。何が何でも保護すると決めていた。なぜなら最近の記事で、なかなか馴れないクウのことを「困ったちゃん」と書いてしまったからだ。3匹のうちクウだけが見つからなかったとなれば、どんな後ろ指を差されるかもわからない。いや他人のことはどうでも、自分で自分を許せるのか、そして本当に自分を信じきれるのか。

その日は朝から店に行かなければならない。仕事もテンちゃんも待っている。それで、クウ保護のための方策を妻に伝えた。クウの保護は最初にそうだったように、やはり自分から家に入ってもらうしかないだろう。でも最初のとき、リンかキーが中にいないとクウは決して入って来なかった。今はクウが心を開くのはキーだけだが、キーを"呼び水"に使うわけにはいかない。そこだけは、クウの変化に期待するしかない。

つまり勝手口の外を頻繁に確認し、もしクウがいたら、中の猫たちを保護部屋以外の部屋に閉じ込めて勝手口を開放する。クウが入って来て、別の部屋(おそらく保護部屋)に移ったら勝手口を閉める。家に1人の場合はこれしか方法がないように思われた。それと、保護部屋は常に網戸にしてクウたちの臭いを発散させる。寒い日ではあったけど・・。 わかったような最初から諦めているような妻と、悲痛な声をあげてクウを探し回るキーを残して今一度家の周囲を見回り、それから風呂に入って顔を洗って、店へと向かいました。

店からは何度も、しまいに怒り出すまで妻に電話で状況確認した。そして午後になって、店長のYKさんと東京に向かった。下見と言っても、値段に関わらずほしい物があればセリ前に購入して持ち帰ることができる。だから市場に行くときは常にトラックだ。車内には眠らないための準備を万端整えた。眠らないためのじゅ文を常時つぶやき続けた。そしてふと横を見ると、YKさんが居眠りを通り越して熟睡していたのでした。みんな疲れきっていた。自分だけじゃないんだ。

市場は予想以上に大変だった。その日のうちに帰れるのかどうか、圧倒的な品数の前で途方に暮れるほどだった。それでも頑張ってチェックしているうちに、両足太腿の前側に異常を感じた。火を噴いたように熱くなって、触っても感じなくなった。そしてとうとう、歩くこともままならなくなってしまった。歩数計は、3万歩を超えていた。

その後は、YKさんには悪かったけどトラックで休んだ。帰路についたのは21時過ぎ。一度止んだ大嵐がまたぶり返していました。運転は自分が行った。ようやく店に戻ってトラックをしまい込んで家に向かったときは、もう23時近くだった。店に着いた時点で妻に最後の電話。やはりクウは現れてないようだった。

家に保護する直前の頃、クウは消息を絶つことが多くなっていた。長いときは2日も見ないこともあった。だから、まだまだわからない。この嵐が去れば、帰ってくる可能性だって十分にある。自分にそう言い聞かせて玄関を開けると、廊下の奥の方でシマシマ模様の何かがふっと隠れるのが見えた。え!? えっ?えっ? そのシマシマがクウの尻尾のように見えたのです。

えっ?えっ?えっ? ついに幻影を見た? 中に入ると妻が居眠りをしていた。慌ててクウを捜したがやはり見当たらなかった。1階にはニャーとみうとちび太、2階にはリンとキーが寝ていた。着替えて下りていくと妻が起きていた。「またクウの幻影を見ちゃったよ、」と揶揄されるのを覚悟で言うと、思わぬ返事が返ってきた。 「だって、クウいるもん。」

軽い食事をしながら妻から聞いた話です。
自分からの最後の電話の直ぐ後、勝手口を開けるとクウがいた。クウは白黄くんと灰白くんが消えるのを待って、勝手口から中の様子を伺っていたようだ。急にドアが開いて人影に驚いたけど、以前のように一目散に逃げるのではなく、50cmくらい後ずさりしただけで相変わらずドアの中を覗き込んでいる。中に入りたいのは一目瞭然だった。

そこで自分が言ったように、勝手口を閉めて他の猫を別室に閉じ込めてから再び開けるというのは、どうにも現実的でないと思えた。その間クウがその場に居続ける保証もない。幸い1階の猫たちは眠っていたし2階も静かだ。リスクはあったけど、そのまま1mちょっと後ずさりしてみた。すると、クウがドアの隙間から顔を出した。よし、とばかりに手の届くところにあったちび太のご飯を差し出した。小椀の中にはカリカリが5粒ほど。見事にクウに無視された。

それでさらなる冒険を試みた。つまりさらに2mほど、廊下への入口より後ろになるまで下がってみた。 もしその時、中の猫が廊下を回って勝手口に向かったらお手上げだ。クウよ、入って来い。祈るように見つめていると、クウが一気に滑り込んで、一目散に保護部屋に向かった。そこはクウたちの食事場でもあったのです。勝手口を閉めて、妻の役割が終わったのでした。

遅い夕食を終えた頃、2階でクウとキーが再会したらしい。何とも嬉しそうな2匹の声。それから例によってドタバタが始まって、キーとともに、クウがリビングに顔を出した。それは、まったくいつもと変わらない顔でした。

          
           とても珍しい:集団の中央にいるクウ(左)と尻尾を上げたクウ

自分はこの展開に心底感動したけど、妻は、ほら戻って来たでしょう? みたいなしたり顔は一切しなかった。妻にとってはあまりにも普通のことだったのだ。そう、信頼するってことは、感動でも何でもない。それが当たり前のこと。空気を吸うが如く無意識的なことなんだ。むしろ信頼、信頼と何度も気張って書いている自分こそが、本当は信頼の何たるかを知らない、あるいは疑うことしか知らない人間だったのではないか。

もしクウが戻って来なかったら、妻はクウに何かあったと確信するに違いない。それが信じるということなんだ。そのとき自分は初めて、妻と猫たちの間にある絆に触れた思いでした。それはなんともやさしく、自然で、そして心地よいものだった。

その晩、自分は珍しく口に出して妻の労をねぎらい、何度も礼を言いました。何だか本当に素直になれた気がした。 よかったよかった。ニャーは、自分との親交をさらに深めていくだろう。 よかったよかった。ちび太には、チビの分まで幸せになってもらわなければ。 よかったよかった。クウは、これからも家猫修行を頑張るに違いない。 よかったよかった。 よかった、よかった・・。 疲労の極致にあったオジンは、おそらくこの上ない幸せな顔をして、深い眠りについたのでした。

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大脱走再び(前編) ~保護者の責務と長い1日の始まり~

2018年05月09日 | シリーズ完結:大脱走、「ノラと家猫と」
この記事の写真は本文とは関係ありません
(例によって写真を撮る余裕などあるはずもなく・・)

それは前回の記事を書いた日のことでした。
GW最後の日曜日、慌しかった期間が終わりを見せて、店には一段落の雰囲気が漂っていた。でも、ほっとするどころか本当の勝負はこれから。花屋にとって年間最大のイベント、母の日への準備が始まっていたのです。その日曜日は午後からあいにくの暴風雨。20時頃帰宅して簡単な夕食を済ませた。疲れもあって食べた途端にウトウトして、テレビの前で夫婦揃ってうたた寝。22時過ぎに勝手口の方でドタンと音がしたので見に行くと、ドアはしっかり閉まっていた。それでまたうたた寝。

翌日は久々に東京の花市場に同行の日。1年で最も品数の多い日で、下見にも相当時間がかかる。ただでさえ市場同行した翌日は足がつったりふくらはぎが痺れたり、老体には厳しくなっている。うたた寝じゃだめだ、しっかり寝なきゃと起きて家の点検をし、ベットに潜り込む前にニャンコどもの確認をした。気配が少ないので胸騒ぎがしたのです。時間は深夜の0時を回っていた。

1階にみう、2階にリンとキーがいた。3匹とも「どうしたの?」と尋ねるように、神妙な顔をしてこっちを見ていた。以前から思っていたのですが、猫は何か重大なことが起こったことを察知するんですね。特に尋常じゃない形で仲間がいなくなったときは。そう、ニャーとちび太とクウがいなかったのです。一気に目が覚めて、家中探し回った。これだけ一緒に暮らしていれば、彼らの隠れそうな場所の見当はついている。でも、どこを捜してもいなかった。

「ニャーたちがいない!」 妻を起こして一緒に探した。夕食のときは全員いたのに、という妻に心当たりの説明をしたのです。帰宅して直ぐに勝手口から家裏の確認をした。夕方に出した白黄くんと灰白くん用の容器が大嵐でどうなったか。でもその後、おそらくドアラッチがしっかり閉まっていなかった。そのため折からの強風でドアが開いてしまい、再び閉まった。その開いていた時間に3匹が出てしまった。あのドタンという音は、強風で開いたドアが再び閉まった音だったのだ。

ドアラッチの動作不良で勝手口の閉め方が不完全となって、ニャーに脱走されたことが過去に2度あった。(過去記事)  その後あれだけ気をつけていたのに、忘れた頃にまたやってしまったのでした。しかも今回は3匹。ちび太には初めての土地だし、クウは再び連れ戻せるかどうか。

               
         テツの後継的存在になりつつあったニャー(左はリン)
        脱走歴も外経験も多いので行動範囲は広いと予想された

とにかく直ぐに捜しに出ました。大嵐の中、家の周りからお隣へと懐中電灯を頼りに捜して回った。こういうときは時間との勝負だ。時間が経つほど遠くに行ってしまう可能性が高くなる。過去に脱走されたときは直ぐにわかったので見つけることができた。時間がかかったときでも追跡ができた。でも今回は、気付いたのと始動が遅い。手探りの捜索開始でした。大嵐の中、それほど動くとは思えないが見つけ難くもなる。

それに、うたた寝をしていたときに外で猫の喧嘩声がした。また白黄と灰白がやってると思ったけど、あれはニャーかちび太の可能性もあったのだ。何もなければ家の近くにいると思われても、外猫と喧嘩するとまずい。気が動転して思いもかけない遠くまで行ってしまう可能性があるからだ。

風雨に巻かれながら、捜して捜して捜し回った。1時間ほどすると雨が小降りになってきたので家に戻って、まず保護部屋(和室)とリビングを網戸にした。それから風呂場の窓を開け、中の猫が逃げないように洗面所のドアを閉めた。そしてトイレを車の下と家裏のストックヤードに置いた。どの猫がいつ戻ってきてもいいように妻が家に待機し、自分は再び捜索に出た。

しかし、どんなに捜し回っても猫たちの気配すらない。こんなことを考えるのは後回しだとわかっていても、いろんな考えが頭をよぎった。10日ほど前の記事、「ノラたちとの共存を目指して(闘魂編)」で、愛猫を脱走させる保護者の"善意の悪行"について触れたばかりでした。ニャンコにとって1人でも多くの保護者が必要な中で、責めることはできないが、でも何とか脱走させない方法はないものか、そんな思いが滲み出た書き方でした。

果たして自分に、そんなことを言う資格があったのか。そもそもいくら気持ちで頑張っても、注意力の劣った老人にはニャンコを保護する資格なんてないのかもしれない。こうして再び外に放ってしまえば、その子たちはノラよりもつらい生き様を味わうことになる。自分で食料を調達する経験のない(あるいは忘れた)家猫が野に出ればどうなるか。それは"死"に直面した苦労なのです。

家裏で育ったキーとクウがもの心ついて、食料調達に出かけ始めたとき、持ち帰ってくる"戦利品"を見て心が痛んだ。フランクフルトの芯棒だったり、アイスクリームの包装紙だったり。そんなもの食べれないんだよ、お前たち・・・でも彼らは後生大事にしまい込んでいた。そのクウがひとりで生きていけるのか。かつて調べたのは、ノラに生まれても1才生存率は10%強。逆に言えば、殆どのノラの子は1才になることすらできないのが現実なのです。おそらく何らかの形で人の助けがない限り、ノラの子は生きてはいけない。野に放つということは、そういうことなんだ。

               
                     ちび太とキー(右)
          ちび太には家に来て以来初めての外で土地勘もない

夜中の2時を過ぎた頃には雨が上がりました。風は相変わらず強かった。30分ほど捜しては家に戻り、寝ないとまずいよという妻を尻目に再び捜しに出た。公園やバス通り側のアパートや資材置き場など、かつてニャーを保護した場所も何度も捜した。相手も動いている可能性があるので、同じ場所を何度も何度も捜して回った。

と、家の方で猫の喧嘩声が聞こえた。唸り合っているその声のひとつはハスキーで、ニャーの声のように思われた。その時は捜索範囲の中でも家から最も遠い、資材置き場のバス通り側にいた。しかもその時に限ってサンダル履きで、急いで戻ろうにも戻れない。例によって、競歩よりも遅い全速力になってしまった。あまりのもどかしさに妻に電話して確認すると、家裏では誰も鳴いてないと言う。

そんなことあるか! と口論になりかけたが、そうかと思った。あれは家裏ではなかったのかもしれない。家よりもっと自分の近く、公園の当たりで唸り合ったのに違いない。しかし、自分が駆けつけたときは既に猫の気配すらなかった。

家に戻ると、妻が「もう寝るよ」と言って寝に入った。ええ? 何だよ、と言いたげな自分に、「お腹が空けば戻って来るよ」といつもの決まり文句を言った。そこで何か言えば、またいつもの口論になることはわかっていた。直ぐに解消する口論だけど、そのときは止めておいた。実際、GWの間に正社員以上に働いていた妻も体力の限界を超えていたはずだった。

それに何より、妻の言葉は本音そのものだと知っていた。大学に入って家を出るまでの18年間、妻は田舎の里山にある実家で猫たちと暮らしてきた。家の中外で自由に過ごす猫たちといて、何が猫に大事なのかという妻なりのポリシーがあったのだ。猫を愛しお世話に労苦を惜しまない彼女は、自分に懐こうが懐くまいがとにかく猫を信頼しきっていた。その盲信ぶりに自分は時にイライラし、時に癒され、そして何度も救われてきたのだった。

時刻は3時を過ぎていたが、一向に猫の気配すら見当たらなかった。小さな町内とその周辺、40軒くらいの家々の周りを、懐中電灯の明かりを頼りに隅など細かいところまでチェックして回った。さすがに、これでは効率が悪すぎるのではないか。自分の責任を強く感じて、自虐的に苦労して捜しても、当の猫にとっては何の意味もない。それに、自分の気休めにもならなかった。

               
               まったく人に懐かないクウ(一番上)
     それでも本当に少しづつ、家猫っぽい仕草を見せるようになっていた

4時近くになって家に戻った。その日の午後には東京の市場まで行かなければならない。市場では歩き回るし、運転するのは自分だ。さすがに休まなければまずいと。そう思いながらパソコンをつけて、かつてニャーが脱走したときに参考にしたサイトをもう一度見て回った。で、あることを決めたのです。このまま効率が悪い捜し方を続けるよりも、そのときに勝負をかけよう。

ひとつは明け方。潜んでいた猫が動き出す時。もうひとつは6時から7時頃で、外猫たちがご飯をねだりに来るとき。ニャーは家の中にいても外猫の気配に敏感で気にするので、外猫の声を聞けば戻って来る可能性がある。だからその時に賭ける。その方が理に適っている。そう思ってベットに横になった。が、またいろいろなことが頭を過ぎって、そのうち、ある決意をしたのです。

もしニャー、ちび太、クウのうち誰か1匹でも戻らなかったら、このブログを休止しよう。そもそもそんな状態の自分には何も言う資格がないだろうし、ブログを続けても誰にも支持されないだろう。それに自分自身、そんな精神状態で書けるはずがない。先日の記事で突然断筆した庄司薫さんのことを書いたばかりで、まさか自分まで同じことになるなんて、と切なさがこみ上げた。いや待て、見つければいいのだ、勝負はこれからだ・・。

と気を取り直して窓の外を見ると、辺りが白んでいた。慌ててまんじりと覗くと、見える、外がはっきりと遠くまで見える。時刻は4時半。思ったより早い夜明けだった。この機会を逃してはならない。ベットから飛び起きて1階に下り、水を1杯飲んで、うたた寝をしている妻の横を通って、玄関から飛び出した。


※怒涛の後編に続きます。


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ニャンコ大食い選手権

2018年05月06日 | 登場ニャンコ紹介
ニャンコのお世話をしていて思うことは?
食欲というか胃袋の大きさというか、食べる量にずいぶん差があることです。かつてわが家の3匹組は小さな湯飲み茶碗で細々と食べていた。足りなければ追加するが、おかわりの催促はあまりなかったように思う。その後ノラたちとも付き合うようになって、当初出会った家裏のソトチビやみう、店のポンやニャーまではよかったが、画期的にイメージを変えたのがダイフクでした。

               
           かつてのハナ、テツ、くも(右から)の食事風景

大きなドンブリで2回、3回とおかわりする。かつての3匹組の10倍くらいは食べた計算です。1日休んだりすると、翌日に朝晩3杯づつ食べたこともあった。なるほどこれがノラの食い溜めかと感動したもんでした。ダイフクだけじゃない、その後出会ったシャッポ、テンちゃん、モドキも相当な食べっぷりだった。でも、安定して食事が取れるとわかってくると量的には減ってくる。ノラの世界が如何に大変なのか、思い知ったわけでした。

               
                 どんぶりメシのダイフク

一方、ノラ時代から量が少なかったのがニャーとみう。特にみうは例の湯飲み茶碗(最上写真)で半分ほども食べない。そもそもみうは食べ物自体に興味がないのか、ご飯の時間になってもねだられたことがない。後になって偶然見つけたって感じで少し食べるだけ。なるほど、保護者のありがたみがわからないわけだ。

               
          一時期は恰幅がよすぎた(?)モドキは元に戻った

さて、そんなこんなで、本ブログ登場ニャンコの大食い番付というのを作成してみました。自分の評価ですが、病気、不健康、子育て(授乳)中の時期は除外してます。また、時期によって大きく変わった前述4匹は時期ごとにランキング。成長中の子ニャンはそのまま評価。他所でも食べていた可能性を除くため、毎日食べに来ていた頃のみを対象期間としました。数量は1日換算。

               
        保護して体調回復した頃のテンちゃんは度々おかわりも

超横綱(名誉横綱)
1.ダイフク5kg(出会って1年くらい経って常連になった頃) どんぶり4杯(朝晩計)

横綱
2.モドキ5kg(ブランク明けで毎日来るようになった頃)   どんぶり2杯
3.シャッポ4.5kg(保護した頃)                  木桶(ドンブリと同)2杯
4.テンちゃん5kg(保護して病気から回復した頃)      木桶2杯
5.ダイフク5kg(安定して来店していた頃)           どんぶり2杯

大関
6.チビ、ちび太4kg(店にいた頃)                木桶1杯
8.テツ5kg、キー3.5kg                      小椀2杯強
10.モドキ4.5(来店当初と現在)                 ドンブリ1杯弱
   ダイフク(消息を絶つ直前)

関脇
12.シャッポ4.5kg(消息を絶つ直前の頃)           木椀1杯弱
13.イエチビ4kg、リン5kg、灰白くん4.5kg           中椀1杯強

小結
16.ポン4.5kg、ソトチビ4kg、白黄くん4kg           中椀1杯
   テンちゃん(現在)、ハナ4kg、くも4kg

幕内
22.ニャー5kg                            小椀1杯
23.くう3kg                              小椀1杯
24.みう4kg                             小椀1杯弱

※外ネコの体重は推定。
※安定して食べに来たことがないカブキやミセミケは除外。

               
      容器は大きいが(中椀)食べ方がつつましかったみうとソトチビ

自分のイメージでは大関くらいまではついていけるけど、横綱以上になるとやはり驚きです。ちなみに保護している猫たちにはおやつにシーバを10~20粒くらいあげています。保護者が食事中のおこぼれはあげません。気になるのはテンちゃんで、現在食欲がふだいぶ落ちてきた。

               
           リン一家の食事はいまだに大椀で共有です

ところで1日当たりの猫の必要カロリーは、運動量の多い成猫で体重X80Kカロリーと言われています。運動量が少なければ1~2割減、またシニアの場合も1~2割減、子猫の場合は、3kg以上であれば成猫と同じでいいらしい。

一方キャットフードのカロリーは乾物で100g当たり350Kカロリー程度、レトルトなどウェットの場合は乾物の5分の1前後です。上記の容器でいくと、成猫5kgの場合はどんぶり2杯が標準なる。何と、横綱クラスの食欲が標準だと言うのです。つまり、みうの場合は必要量の10分の1の栄養しか摂ってない? ・・となると、果たしてみうは仙人(猫)か。

いずれにしても、彼女はとっても元気です。

               
       上2つがリン一家、下左からみう、ニャー、ちび太のご飯
    (ニャーとみうは全量食べないので、残りは外ネコさんに回します。)


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3匹揃ってネコ散歩 ~ハナたちの思い出~

2018年05月04日 | (故)ハナ
敬愛する作家、庄司薫さんのエッセイに「ぼくが猫語を話せるわけ」というのがあります。
犬派だった作者がどうやって猫に馴染んだのか。その猫とは実は妻である中村紘子さんが連れて来た「タンク」だったと後でわかるのですが、猫との触れ合いの描写はさほど多くはないけど、何とも微笑ましくて愛読した本のひとつでした。実際自分が猫と暮らし始めたときにリードで散歩したり、テツとの対話を試みたのもこの本の影響だったのかもしれない。

今でこそテンちゃんとの散歩は日課だし、ニャーも1日4時間くらいは外だけど、当時(20年近く前)は猫と散歩なんてまったくの常識外。行き交う人に振り返られて気恥ずかしい限りでした。しかも一度に3匹。ニャンコが3匹揃えばどうなるか・・・。

ちなみに、ニャンコはリードのこなし方が上手です。わが家にはワンコもいたけどリードの扱いは猫たちの方がうまかった。一説によると、猫の知能は犬に勝るとも劣らないらしい。なのにどうしてニャンコのリード散歩は難しいのか。しかも複数になったときはその差が歴然。3匹整然と散歩するご近所のワンちゃんたちと比べて、わが家の3匹ときたらもう絶望的に支離滅裂なのでした。

               
                   幼いくものリード初体験
                   (左からハナ、テツ、くも)

そうなんです。一言で言うと猫は協調性がないのです。ハナ、テツ、くもの3匹にリードをつけて玄関から出る。すると、3匹が同じ方向に歩き出すなんてことはまずない。好き勝手に行こうとするかその場にじっとして動かないか。とにかく他の2匹やましてや保護者に合わせようなんて気は毛頭なく、自分の気分が最優先なんです。結局手がつけられなくなって、門を出るまでには普通に散歩したいという気持ちが頓挫する。

そもそも彼らにとって散歩なんてどうでもいいのだ。彼らは道路を歩こうなんて思わない。わが家の周辺は生垣で統一されているので、ともすればその隙間から他所の敷地に入ろうとするわけです。で、回数を重ねているうちに興味のあるお宅が3匹とも同じであることに気がついた。

               
           ハナは傘立てに繋がれて場所移動していました

それで、1匹ずつ順番に移動して同じお宅を渡り歩くことにしたのです。リードをそれぞれのお宅の生垣に掛け替えていく。こっちは行ったり来たりで面倒くさいけど、それだと他の2匹が移動している間に自分の時間を過ごせる。ただ、この方法の問題点は、生垣の前で屈んでもぞもぞと怪しげに見えちゃうこと。勝手に他所の生垣を拝借していたわけですが、小さな町内で、自分は町会長やったりと結構知られていたので、行き交う人にも中の人にも軽い挨拶で済ませていた。

でも夜はダメだったな。まさに不審者そのものになっちゃって。 当時は出張が多く猫たちと過ごす時間も限られていたけど、この猫散歩だけは、最後の最後まで自分の役割だったのでした。

               
                     テツ(左)とハナ
               外に出たときはハナが断然強かった


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