今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

みう追悼 「君のいた時代」

2019年08月16日 | (故)みう(おかあさん)
みう、わが家は今日も相変わらずだよ
みんな暑くてダラダラしてるし
チビたちはドタバタドタバタ疲れを知らない
お前が闘病中に使っていたトイレもそのままだ
ひとつだけ変わったこと
もうこの家には、お前がいない

帰宅すれば真っ先に確認したお前の姿
お前はいつも見えるところにいた
お前の幸せそうな様子を見ることを励みに
これまでやって来たからね

お前との別れがあまりにも突然だったから
いまだに茫然としたままなのに
日が経つにつれてショックが大きくなってくる
これじゃあいつになっても、心の整理がつきそうにない

少し時間はかかっていたけど、お前は回復するはずだった
手足が不自由で移動がうまくできなくても
ひどいめまいで床は波打ち家は回転していても
お前はひたすら耐え、そして頑張った
また以前のように
オジンやみんなと暮らせる日々が来ると信じて
 
眼振再々発したみう、頑張っても頑張ってもぶり返した
 
みう、お前の過去記事を読み返してみたよ
どの記事にも、お前を幸せにする自分の決意が滲み出ていた
お前が倒れる直前の記事も、そんなタイトルだったね
 
自由奔放で足りないものがなかった家裏時代
ソトチビとの蜜月
でもこの家に興味を持って、オジンを信頼して
お前はこの家の子になった
そしてニャーからの隠遁生活、ベッド下の住人
いろいろな苦難を自らの力で乗り越えて
リビングの華、そして主になった

お前が一度だけ家から出ちゃったとき
心配するオジンのもとに自ら帰って来た
嬉しかったなあ
お前もこの家を終の棲家と決めたんだよな
これからいろいろエンジョイするぞ
まさにそんなとき、お前は倒れた

お前の気立てのよさは特筆もんだ
人間でも猫でも、もう2度と出会うことはないだろう
難聴のせいか首を傾げて見つめるお前の姿は
とてもチャーミングだったよ
でもお前は人並み以上の
とてつもない頑張り屋さんだったんだね
 
みう、この家に来てくれてありがとう
たくさんの楽しかった思い出と
このオジンをやる気にさせてくれて
本当に本当にありがとう
命は尽きても、お前は不滅だ
このオジンがこの世にいる限り
 
 
 
 
◆◆追悼文に直接関連した過去記事◆◆
「何がみうに起こったのか ~中枢性前庭疾患について~」
「みうよ、今は幸せかい?」
「大難は小難に、小難は大難に??・・みうの巻」(「ノラと家猫と」カテゴリー)

◆◆思い出の写真集(みうのいた4年間)◆◆
☆家裏時代
(左)車の上からおはようの挨拶が日課 (右)リビングの前が昼間の居場所に(テツがいた頃)
(左)すっかり家裏生活が板についた頃     (右)遊び場はわが家の庭と周辺
(左)脱走ニャーに襲われてショック   (右)運動神経は抜群「気持ちいいんだニャン」
(左)徐々に馴れてきた頃    (右)ご飯も落ち着いて食べるようになりました
(左)寝床1号が小さくなってトイレで寝たことも (右)オジンを見ると条件反射でゴロンゴロン
 
(左、右)保護前日 : 家裏生活の最終日
 
☆ソトチビとのツーショット
 
(左)はじめまして、ソトチビについてやって来た   (右)2度の冬をソトチビと過ごした
(左)ご飯を譲るやさしさから旧名は「おかあさん」 (右)とっても絵になる平和な2匹でした
 
☆家猫に(正式保護)
(左)保護部屋での初日、生活用具一式も        (右)あっ、外にソトチビが
 
☆ニャーからの隠遁生活
(左)ニャーが入れないようあおり止めで固定したドア      (右)怖くて下りれない 
(左)ついにベット下の住人(猫)になった頃        (右)ニャーの睨みに堪える
 
☆改善するニャーとの関係
 
(左)関係好転のきっかけはイエチビ(右上)だった      (右)まだニャーが睨んでる
 
(左、右)かつてニャーが怖かったことがウソみたいに

☆多頭化時代・目立たない存在
 
(左、右)いつも誰かの後ろや物陰にいた頃
 
(左)女組の主導権はリンだった     (右)ピアノ上の定位置もリンに取られた
 
☆リラックス
(左)快心のリラックスポーズ     (右)童心に帰ってじゃれる
(左)初めてオジンの足にくっついたとき        (右)久々のひとり運動会
 
☆「リビングの主」
 
(左)平和な昼寝タイム(みうは一番奥)     (右)首かしげポーズがかわいい
 
(左)外猫が挨拶に来た         (右)おコタにかくれんぼのちび太と
 
(左)リンとみうは紅2点        (右)リビング入室も堂々と
 
(左)キャットタワーにて       (右)テレビの鳥が大きすぎる
 
(左)ピアノの上で          (右)並んで昼寝(窓側がみうの定位置に)
 
(左、右)誰もが畏れるテンちゃんとは一緒にいることが多かった
 
(左)ちび太とキーと       (右)リンとコタツを独占(女子連合)
 
(左)姿勢のよさも特筆もんです       (右)2階の出窓で日光浴
 
☆オジン部屋に根城を変更(発病1ヶ月前)
 
(左)オジンのパソコンラックの下が定位置       (右)昼間はベットを独占も
 
☆発病 : 最後の闘病34日間
 
(左)倒れた翌日は何とか歩けた        (右)2週間後に眼振の再発
 
(左)4週間後に眼振再々発 (右)5週目にはほぼ歩行困難に(それでもトイレから自力帰還)
 
 
◆◆予告編(期日未定)◆◆
みうの闘病記録・その1 「発病以前の3年10ヶ月」(前兆の有無を探る)
みうの闘病記録・その2 「七夕の発病から眼振再発までの2週間」
みうの闘病記録・その3 「その後の3週間と突然の別れ」
 
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何がみうに起こったのか ~中枢性前庭疾患について~

2019年08月11日 | (故)みう(おかあさん)
昨日の午後、みうの葬儀を終えました。今でもみうを失ったことは信じ難く、諦めきれない気持ちだけど、新たに学んだこともあるし気持ちの整理の意味もあるので、いろいろ書いておこうと思います。(長文です)


生前のみう(下はリン)

大切なものを亡くせば悲しいのも淋しいのも当然。でも今の自分を支配しているのは悔恨、悔しいの一語に尽きます。何がって、自分自身の力のなさと非情な運命です。みうを語るならそのカテゴリーの全記事に溢れているように、一にも二にも気立てのよさだ。物静かで穏やかで控えめで奥ゆかしくて他人を優先する。それでいて茶目っ気があっていつも前向き。人間でも猫でも、こんな性格の持ち主に出会うのは初めてだった。(特に「女らしさはみうの華」「もしも人間だったなら」「リビングの華」など参照。) 「女らしさはみうの華」でも書いたように、みうは人間だの猫だのという次元を超えて、最後には幸せにならなければいけない存在だと思っていました。そうでなきゃ、世の中道理が通らない。

しかも、みうはニャーと並んで当ブログの現役最古参だった(3年10ヶ月のお付き合い)。そして自分の腹心だったテツの忘れ形見。テツのカテゴリーでも先日みうの応援を誓ったばかりだ。だからみうには目を掛けていました。別に贔屓するわけじゃなくて、いつも順番が最後で時として諦めてしまうみうが割を食わないように気を配る。難聴のみうにもみんなと同じように家猫生活をエンジョイしてもらいたい、それだけでした。

みうの出棺準備①:トイレ砂2種類、カリカリ、レトルトをまず入れて

そんなみうの人生(猫生)をこんな形で終わらせてしまった。しかも6歳前後(推定)という若さで。悔いが残るのは当然なんです。葬儀の後、一体みうに何が起こったのか調べまくりました。先日書いた「みう、頑張ってます」では、前庭疾患が末梢性であることに疑問を投じながらも信じようとしていた。しかしこういう結末になった以上、(2週間ほどで回復するはずの)末梢性ではなかったことが明白だ。みうの病魔はやはり中枢性前庭疾患だった? しかしこの中枢性についてはどう調べてもよくわからない。稀な病気らしく記述も少ないし学術用語が多いのです。そこで病院の先生に、今回の報告とお礼を兼ねて電話しました。自分としては自分に誤判断や落ち度がなかったか、それだけは確認したかった。

先生は診療中だったが夜遅くなって折り返して頂き、30分近く話をしました。まずその後の経過について説明すると、先生も「やはり中枢性だったね」と。ただみうの場合は耳ダニが相当ひどく炎症を起こしていたため、「まずは内耳炎に起因する(末梢性)前庭障害を疑うのが筋だろう」と。ちなみに、以前に「鼓膜の破損」と言ったのは先生の推測だったが、まず間違いないと。2週間経って眼振が再発したとき、再発ではなく中枢性なのではと思ったそうだ。さらに先生は、その時の確認事項としていくつかの話をしてくれた。


みうの出棺準備②:思い切りお花で飾りました

眼振について、自分の調べでは「水平眼振=末梢性」だったが実際にはそうではないという。垂直眼振や回転眼振は中枢性を示すが水平眼振は末梢性、中枢性の両方の可能性があるのだという。しかし末梢性の場合は頭位(頭の角度)によらない水平性を示すのでわかる。みうの場合、自分はそこまでは確認しなかった。

決定的だったのは先生のその後の話だ。中枢性前庭疾患、つまり脳をやられた場合の特徴としては姿勢反応(反射)の喪失とナックリング異常がある。姿勢反応喪失のうち立ち直り反応(跳び直り反応)の喪失とは、身体を持ち上げて再び接地させるときに手足がなよなよしてうまく使えず、あらぬ状態になって普通の姿勢をとれないことを言う。ナックリング異常とは、同様に接地させるときに手首が内側に折れて肉球が上向きになってしまうこと。実はこれこそまさにみうの最初からの症状そのもの、単なるふらつきに見えなかった自分の不安の根源でした。

おそらく、確信ではないが先生はわかっていたのです。でも自分が(末梢性前庭の)再発だと信じて疑わないので、その可能性無きにしも非ずと強くは言わなかったのでしょう。そうなのでした。この先生は保護者の希望を絶つようなことを言えないのです。そのせいでかつてハナやくもの入院を一縷の望みで続行させ、結果的に看取れず病院で淋しく逝かせてしまった。もちろんこの優しい先生に感謝こそすれ恨むなんてできません・・。 先生との電話の後でネットの記事を調べ直してみると、数は少なく断片的ではあるけど確かに同じことが書かれている。自分がきちんと理解していれば、みうは最初から中枢性前庭疾患だとわかるはずだったのです。ちなみに先生に伺った話のおさらいとして役に立ったサイトを、本記事の下に紹介しておきます。

(葬儀場にて)最後のお別れのひととき

先生との話はまだ続きます。
次に先生から聞いたのは"予後不良"という言葉だった。「中枢性の場合はだいたいが予後不良だからね。」 この言葉はネットで調べているときも時折見かけたが、予測不明のときの逃げ口上みたいであまり気にしていなかった。だが先生に聞いて驚いた。要は治る見込みがなく殆どの場合は死に至る、の意味。つまりみうの場合は初めて倒れたあの七夕の日から、既に助かる見込みはなかった・・・?  しかしまあ、それを知ったところで何かが変わったわけじゃない。いずれにしても自分は出来る限りのことをしたのだから。

でも、本当に治る見込みはなかったのだろうか。それを知るには、今となっては難しいだろうけど原因を突き止めなければならない。耳ダニに起因する内耳炎から前庭障害を起こし、それが脳性(中枢性)のものに進化したという自分の推測は、先生はやんわりと否定した。同時に発症したが原因は別だろうと。みうの場合はまだ若いので脳腫瘍や脳梗塞の可能性は低く、むしろ感染症が原因なのかもしれない。そしてクリプトコッカス(真菌)、トキソプラズマ(原虫)、FIP(伝染性腹膜炎・ウィルス)などの名前を挙げた。多頭飼いのストレスや抵抗力が弱っているときに発症し易い病気だが、みうの場合はいずれも症状的に当てはまらなかった。

先生が言うには、大変な経費と時間と(麻酔などの)リスクをかけて検査して、運よくその原因を突き止めたとしても、完治するのは難しい。強烈な抗真菌剤や抗生物質やサルファ剤を1年以上投与しても効果の判別すらつかないばかりか、むしろ副作用で二次的な問題を生じることが多いそうだ。つまり、だから「予後不良」なのだ。

オジンのメッセージも添えました

電話を終えて、やはりこれはみうの運命だったと思わざるを得なかった。こんなに気立てが良くて健気に生きてきた子に対して、運命は何と非情なことか。その短い人生(猫生)の中で自分と出会えたことが、みうにとってせめてもの幸せだったことを願うばかりです。

みう、こんなに早くお別れが来るなんて思いもしなかったけど
お前は本当によく頑張ったよ
今度はそっちでまた会おう

REST IN PEACE
美 宇

わが家の守り神になったみう(美宇) (右は先日亡くなったテンちゃん)


※タイトルの通り、役に立ったサイトです。
「役に立つ動物の病気の情報」  (「神経の疾患」→「脳の疾患」→「斜頸」の項目)
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みう、力尽きる

2019年08月09日 | (故)みう(おかあさん)
闘病34日目、それはあまりにも突然でつかの間の出来事でした。
今朝6時直前に妻に起こされた。「みうの様子がおかしい」と。飛び起きて階下のリビングに行くと、みうがいつもの場所に横たわっていた。左の後足で耳を掻いている。その足の動きがやけに規則的で力強く、目は逆に空ろだった。ちがう、これは痙攣だ。そう思ってみうを自分の膝の上に乗せた。そのとき、痙攣してたのは両足だったことがわかった。時計は6時ちょうどを指していた。

みうの上半身は落ち着いていたが、手や頭を動かすこともなく目は宙を向いたまま。みうの手足を揉んだり身体をさすりながら妻に状況を確認。妻が5時前に起きてリビングに来たとき、みうは布団から出てお膳の下にいた。不自然な体勢だったので名前を呼ぶと、はっきりと妻の方を見た。そして消え入りそうな声でミュウミュウと鳴いたらしい。そっと抱き上げて布団の上に戻すと落ちついたようだった。しかし6時近くにになって、みうの妙な動きに気付いたという。実のところはわからないが、みうが夜中に痙攣を起こして布団から転げ出た可能性もあると思った。

みうをさすっていると足の痙攣が治まった。少し安堵してそのままさすっていると、背中がひくひくと振動しているのに気付いた。背骨から腰骨のあたりが波打っている。それも痙攣のように思えたが、少し経つと消えた。そしてまた足の痙攣。とにかく抑えてさすって、みうに声をかけて元気つけた。しかし、みうの意識はもう定かではなかったようだ。

膝の上のみうは、朦朧としながらも頑張ろうとしているように見えたのだが・・

昨夜自分が寝たのは2時過ぎだ。みうは自分が抱くと喉を鳴らして喜ぶので、とにかく元気付けようと毎晩遅くまで付き合っていた。1時頃みうをトイレに連れて行くと、4日ぶりにウンチをしたので安堵した。トイレから自分の布団までは自力で戻る。3度目の眼振は治まったけど頭の横揺れがひどく、歩けば1、2歩で横転する。それでもみうは這うよりも高足で歩こうとして、何度も何度も転びながら自分の定位置に戻る。厳しいようだが、寝たきりで細り行くみうの手足を見れば、リハビリが必要なことは明らかだった。ただそのときは、自分の布団に戻らずこのオジンの方に来た。日頃物静かで遠慮深いみうが目で何かを訴えている。もっと一緒にいたいんだな、そう思った。

結局、そのときは小一時間ほどみうと一緒にいました。ニャーとちび太が早く2階で寝ようよと誘ってきたけど待ってもらった。寝る前にみうに飲み水代わりのチュールをあげた。みうの食欲は普段以上まで復活していて、そのチュールもあっという間に舐め終えた。結果的にそれが、みうと心を交わした最後となりました。

倒れる前日のみう :  当時はオジン部屋を根城にしていた

自分の膝の上でみうは静かだった。いや、静か過ぎる。手足を動かしてみると脱力状態で反応がない。目は一点を見たまま。 「まさか・・!」  そう思ってお腹をよく見たが息をしていない。心臓の鼓動もない。妻にライトを持ってきてもらって目に当ててみたが反応がない。みうは、既に臨終していたのでした。時計は6時5分を指していました。

自分にはそれが信じられず、みうをしばらく抱いていた。みうは動かないが固くなってもこない。どのくらい抱いていただろうか、やがてみうの身体を定位置の布団に移し、いつものように猫たちの朝ご飯の支度を、妻はトイレ掃除を始めた。みうの身体は1時間経っても硬直がなく、まだ命があるのではないかと、冷やそうとした妻を遮ったほどだった。しかし2時間近く経つと硬直してきたので、ようやく弔いの準備を始めました。そのときのみうは大量の失禁をしていた。オジンの膝の上ではなく布団の上で。


布団に移してもまだ寝ているように見えたみう

今日は店に用事があって午後から出社。正直なところまだ心の整理がついてないです。実は次の記事のタイトルは「どんなことがあろうとも。」 みうの闘病経過について書き始めていました。少しづつではあるけど病状が改善し、何より諦めずに頑張るみうの姿を見て、希望に満ちた明るい記事になる予定だった。そのために沢山の写真を撮ってあります。それが遺影になるなんて夢にも思わずに。


硬直が始まるまで諦め切れなかった

落ち着いたところでみうの闘病記録と追悼の記事を書きます。でもまずはしっかりとみうを見送ろう。みうの身体は、明日荼毘に付されます。

みうは今、リビングの定位置で眠っています(手前はニャー)

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「あぢ~、」 真夏のレオ

2019年08月08日 | レオ(テンチビ)とココ
それにしても暑いですね。
一昨日は庭の温度計が40℃を超えました。30年の観測で初めてです。この冬には過去最低のマイナス6℃を何日も記録した。まったく最近の気候は狂気の沙汰、というより殺人凶器そのものだ。地球を破壊し、借金のツケを後回しにして今の生活を享受するわれわれ現代人は、おそらく最も罪深い生き物なんだろうな。地球は人間だけのものじゃないのに。今日公表された国連IPCCの警告(特別報告)を、どのくらいの人間が深刻に受け止めているのだろうか。

人間以外の生き物は、暑くてもじっと耐えるだけです。
ノラ猫にフンされたと怒る人もいますが、人間の仕業と比べればかわいいもんです。3年前の夏、当時お店の看板猫だったニャー、シャッポ、チビが通いのダイフクに追われて店にいられなくなるという事件があった。3匹はSCの駐車場に逃げて車の下で過ごす日々が続いた。よく探しに行って連れ帰ったが、アスファルトの路上は車の下とはいえ50℃近い暑さだった。彼らを発見したとき、ひどいときは動けないくらい脱水症状で衰弱していました。アスファルトに限らず、人工のものは必ず普通じゃない環境を造りだすのです。

店前のSC車道を渡るレオ
かつての3匹もこの車道を渡って駐車場に向かった

店内もアスファルトですが透水性を使用、それに緑が多くて頻繁に散水するので温度は幾分低いです。そのせいか最近のレオはあまり店の外に行かなくなった。夜は相変わらず観葉室で寝泊り。施錠しますが、レジ室の床下を通って外に出れるので閉じ込めではない。それでも大体、朝まで観葉室にいます。

観葉室のレオ
それなりに広いので閉じ込められ感は気にならない?

朝になってスタッフが来ると、外に出て自然の風にあたるレオ。ただこの猛暑の中、ほとんどの時間を展示小屋の床下で寝ています。その周辺はよく散水するので床下はなかなか涼しいようだ。今は遊び相手の猫もいないしお客さんも少ないのでちょっぴり刺激不足かな。一方夏休みはお子様のご来店が多く、床下に隠れて寝るのはとても都合がいいわけです。

オジンの足にまとわりつくレオ

昨日あたりは一日中観葉室にいたらしい。観葉室は土間仕様で、クーラーで弱冷房してるし植物に葉水をかけるのでそれなりに涼しいのです。レオはなかなか行儀がよくて観葉室ではトイレもしないし爪研ぎもしません。なのでスタッフの評判も上々。このまま観葉室を中心に過ごすようになれば、テンちゃんの後継看板猫として新たな境地を切り開いていくかもしれません。

店裏のパレットの間で
この場所は風通しが最高にいい

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リンの場合は

2019年08月05日 | リン(旧イエミケ),クウ,キー
わが家を震撼させた粗相騒動も何とか下火になってきました。
とは言え、既に1ヶ月も続いたのだからそうでなきゃ困る。まったく当の猫たちもそうだがよく堪えたものだ。わが家にはニャーのように吐き易い子がいるので嘔吐物の始末には慣れている。まあ、粗相の処理もその延長と思えば・・・なんてそうはいかない。何しろこれでもか、これでもかと、わざととしか思えない状況の連続だったのです。猫は保護者を下部(しもべ)にすると言うけど、まさにその通りでした。

それでもやっぱり、大切なのは原因究明。猫たちの悩みを取り除かない限り保護者もこの問題から解放されない。これまで探ってみて原因はひとつではないと思われた。そこでニャーとちび太の場合をそれぞれ個別に書いてきました。今回は追加でリンの場合です。リンの粗相にもリンならではの事情があって、それはやはりニャーやちび太との関係でした。

今日の主人公は久々のリンです

病み上がりのときは優しく(無関心に?)なったと思われたニャーが、再びリンに手を出すようになった。以前のように敵とばかりに追い回すことはなく、普段は一緒にいることが多い。でも何が気に障るのか、突然リンを睨み始める。そして戦闘モードになると唸り合いも猫パンチもなし、いきなり飛び掛って噛み付くのです。先日は仰向けにされたリンの上に馬乗り。保護者の近くでやられても、あっという間の出来事で防ぎようがない。ただ今のところ、怪我をするほどの大事にはなっていません。

ちび太の場合はやたらとリンを追いまくっても、追いついたところで飛び掛ることはない。じゃれてるわけでもなく、やはりもう少し辛辣なようだ。「こざかしいから消えろ、」といったところでしょうか。大柄なちび太は見つめるだけでも迫力があります。

テーブル下(椅子の上)が定位置だった頃

で、リンは常にこの2匹を警戒している。一時はひたすら隠遁生活に明け暮れていたけど、この気丈な猫はそんなことではひるまない。今では隙を突いてオジンにくっついたり、ひとり運動会に精を出したり、それなりに家猫生活をエンジョイしています。ご飯はこっちが隠れ場(テーブル下)に持っていくし、飲み水は数ヶ所にあるのでさほど困らない。しかしリンの悩みは、トイレにあることがわかってきたのです。

リンにとって以前からトイレは悩みの種だった。冬の間は傍にいるニャーやちび太の目を盗んでオジンの布団の中で寝ていた。しかしトイレに行くことができない。暖かくなって布団に入らなくなると、リンは2階に行くこと自体を諦めた。当時1階のトイレは3個。廊下と和室(保護部屋)に砂トイレ、廊下にはもうひとつシステムがあった。リンはどちらのトイレでもいいのだが、問題はいずれもフード付だったこと。中に入ったときにニャーやちび太に待ち伏せされると出られなくなるのだ。当時人気のあったのは廊下の大型砂トイレだったが、コーナーにあって待ち伏せされ易いトイレだった。

最近はいろんな場所に出没、高いところは大好きです

チキンとキリンが加入してトイレ事情が一気に変わった。みんなが新しい場所を模索する中で、リンもやはりより安全な場所を求めたに違いない。理想的には、ある程度隠れることができて周囲の気配がよく感じられていざとなれば逃げ易い場所。でも家の中となればそうそう理想通りにはいかない。リンはどのトイレも気に入らず、結局洗面所にある水切りマットに着目したのだと思います。

粗相騒動が勃発したときは、粗相の場所は大も小もそれまでトイレのあった廊下と和室に限られていた。しかしあるとき、洗面所のマットがクシャクシャになってその上にオシッコがしてあった。それまでの粗相と異質な感じでした。やがてその犯人がリンだと判明。リンは洗面所と風呂場の入口のどちらのマットにもオシッコをした。袋小路で逃げ場はないけど、開放的で周囲の気配を感じ易いからだろうか。やがてニャーが、その近辺でマーキングをするようになったことは既に書きました。

甘えん坊のクウには未だに優しいお母さんです

この対策として、開放型のシステムトイレを購入して洗面所の足元に置いた。これは実際、人間にとってかなり不便な場所だけど我慢した。しかし何故かトイレではなくその周りにオシッコやウンチまでしてしまう。それでその周囲に吸水シートを敷き詰めた。あとはチップの材質やトイレの向きをいろいろ試して、ようやくリンがそのトイレを使うようになったのです。ちなみに、ニャーもそのトイレをよく使います。

現実的に考えると、ニャーは外に出てる時間もあるしちび太は2階の和室(オジン部屋)で寝ていることが多い。特に夜中は2匹ともオジン部屋だ。なのでリンがトイレに困る機会はそう多くないはずなのだが、やはり何度か待ち伏せされてやな思いするともうダメなんですね。今回のトイレ事情の改変は単に気分転換に過ぎなかった気もするのですが、それはそれで大切なことなんだと思います。

気丈で我慢強い、自身もオジンには甘えん坊の美猫さんです

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