4月以来になるモドキの話です。ただ、肝心のモドキはこのひと月半ほど見ていません。
モドキに関しては申し訳ないというか、後ろめたい気持ちが先行します。その理由はこれまでのモドキの歴史と、その時々の当ブログの記事タイトルが物語っている。
モドキが初めて店に顔を出したのは2年前の春。まだ1才前後の若者でした。当時はテンちゃんがリード生活を始めた頃で、ダイフクがちょくちょく顔を出していた。モドキはその間隙を縫って通いの身ながらも店に定着。昼間は1日中店にいて、店のここかしこでスタッフの気を引き続けた。そのときの記事のタイトルが「店の子になるんだ」(2017.6月)。 しかし当時の殺人的な忙しさの中でスタッフに相手にされず、7月に入るといつしか姿を消したのでした。「モドキよ・・・」(2017.8月)。
若武者の面影が残る一昨年のモドキ(再掲)
半分諦めかけていたその年の11月、モドキは再びやって来た。モドキはすっかり逞しくなっていました。というより、ノラとしての生き方に拍車がかかって来たというか・・。その後のモドキはテンちゃんやちび太のみならず、ダイフクにカブキやミセミケとも時間差等で折り合いをつけて店に通い続けた。ダイフクが消息を絶った1月以降は、相変わらず通いの身ではあったがもう店の一員のような安定感だった。「おじゃましま~す、モドキですゥ」(2018.2月)。 でも当時は消息を絶つ前のダイフクの、後足を引きずって移動する痛ましい姿(事故か虐待か)に気を取られ、モドキまでは気が回らなかった。
春になると、モドキの足は再び遠のいてきた。まず店で食べることが少なくなってきて、そのうち殆ど食べなくなった。やがて来店頻度も減ってきて、来るときは何日か続くこともあるのだが1週間に1回、2週間に1回となり、7月になるとついに来なくなった。当時はカブキやミセミケも消息を絶ち、ちび太はわが家に越していたので店はとっても静かになったのです。しかし、8月になるとモドキは再びやって来ました。「お久しで~す、モドキですゥ」(2018.8月)。
看板猫さながらの振る舞いだった昨年秋
それからのモドキは、あの出会った頃のようにぐんぐんと店に入り浸ってきた。食べるのは相変わらず付き合い程度だけど、1日中店にいてスタッフに存在をアッピール。「ぼくだって店の子だい! ~モドキの夢~」(2018.9月)。 ところがまたしても順番待ちとなったモドキは、11月に入って寒くなってくるとばったり来なくなった。「保護してほしかったの? ~モドキの落胆~」(2018.11月)。 やがて、店には立ち寄らずにSC内を巡回するモドキを目にするようになったのです。「風来坊健在 ~その後のモドキ~」(2018.12月)。
スタッフの気を引こうと一生懸命な昨年秋のモドキ(再掲)
今年になってモドキは1月にまた姿を消したが、3月には現れた。でも店には昔を懐かしむように立ち寄るだけ。特別においしいおやつをあげるとおもむろに食べていく。貫禄がついて、おおらかで、スタッフを怖がる風でもなかった。人の顔を見てはピーピー鳴いていた若い頃とは違って、もの静かでひと声も発しない。何だかノラとしての風格さえ漂わせていました。そのモドキが、先月の初旬にまた姿を消した。
この2月にはレオ(当時はテンチビ)が店に居着いた。とても積極的でピーピー鳴きながらスタッフを追いまわし、あっという間に市民権を得て店を本拠地にしたのです。夜にやって来るモドキとは当初は折り合いがついているように見えたけど、そのうちモドキが「うるさいっ」とばかりにレオを追うようになった。あわや勃発の直前でK君が止めたこともあったが、その数日後の夜、トラックの荷台で寝ていたレオをモドキが襲い、レオは一時歩けなくなるほどの大怪我を負った。それ以来、レオはモドキを避けて夜間は室内(観葉売り場)で過ごさせることにした。モドキが敵役のようだがそうではなく、モドキが店でゆっくりできるようにするための配慮でもあったのです。
昨年暮以降は、店に来てもスタッフとあまり関わらなくなった
先日ご近所に住む猫好きのご夫婦と話をしていたら、最近は白い大柄の猫の代わりに昔のニャーに似た猫が庭にやって来ると言うのです。そのお宅には家猫が多いので挨拶に来るらしい。それでピンときた。白い猫というのはダイフク、ニャーに似た猫というのはモドキだろうと。モドキはダイフクのシマを継いだのかもしれません。SCの裏にコンビニがあって、ダイフクもモドキもそこでの目撃情報がある。彼らにとって貴重な餌場だったのだろうか。しかしそのコンビニは先月閉店した。ノラの生活には、いつ拠り所がなくなるかもわからない危うさがつきものだ。
モドキがノラとして風格を増したといっても、感心どころか複雑な心境になるばかりです。その歴史を振り返ればわかるように、モドキは何度も保護猫になる機会があったのに、レオみたいに最後の一歩を踏み出せなかった。何故なら、こちらが手を差し伸べなかったからです。テンちゃんがいたり家の中が満杯だったりと事情があったにしても、モドキにしっかりと応えることができなかった。その結果としてモドキはノラの道を極めようとしている。それが、自分のモドキに対する後ろめたさの理由でした。
店を通らず迂回して裏に抜けることも (店裏にて)
「これだけノラがいればとても全部の面倒は見きれない」と言うのはいい。総体としてはその通りだ。でも命や人生はそれぞれがひとつの世界であり、ひとくくりなんかにできるはずがない。自分の行動が出会った一匹一匹のノラの人生(猫生)を左右しているのだということを、決して忘れないようにしたいと思うのです。ソトチビしかり。ダイフクしかり。シャッポもしかり。モドキだけでなく決して彼らを忘れない。いつか彼らに再会し、そしてお迎えする日の来ることを願いながら。
事務所前にてくつろぐモドキ(昨年秋・再掲)