今日も元気で頑張るニャン

家族になった保護猫たちの日常を綴りながら、ノラ猫たちとの共存を模索するブログです。

あれから半年経ちました

2020年03月05日 | (故)みう(おかあさん)
正確には7ヶ月です。書き始めてから終えるまで1ヶ月もかかってしまった。
もっともそれまで手をつける気もしなかったので、少しは気分的に回復したのかもしれない。みうの思い出、第一弾です。

2016年8月 テツとみう(当時の名はおかあさん)の貴重な写真
※本記事の写真の説明は本文最後尾にあります

これがいわゆるペットロス? 自分の心を支配したのはみうを失った悲しさよりも寂しさよりも、割り切れないもどかしさだった。理不尽な運命に対するもどかしさ。そして後悔。ふがいない自分自身に対する苛立ち。

9月 テツが外に出るとどこからともなく現れてゴロンゴロン
それは9/25テツ亡き後も、自分(オジン)を見るとしばらく続いた

「もしも人間だったなら」をはじめ、みうのどの記事にも自分の思いが溢れている。気立てがよくて奥ゆかしくて、運命に逆らわずいつも前向きで、周囲を刺激することも怒ることもない。みうがいるだけで心を洗われ、癒され、明日への糧になったのでした。

10月 最後の家猫テツがいなくなって窓を開放することも
すると、みうが家に出入りするようになった

不安もたくさんあっただろう。やりたいこともあっただろう。みうはそんな不安をおくびにも出さず、明るくしたたかに生きる強さがあった。何よりも幸せになるべき存在だとの自分の思いが、みうの記事には浸み渡っている。

10月 いつも外から見ていたキッチンをはじめ2階の隅々まで点検するみう
(テツを捜していたのだろうか)

個々の命にこれだけ入魂してたら保護活動なんてできないよ、と言うかもしれない。追悼文で予告したように、病気の経緯を徹底的に検証した方が後学のためになる?  いろいろあるだろうけど、今はまだ、みうの思い出に浸りたい気分です。

たかがネコに、と思うなかれ。みうはテツとともに、自分がノラたちと積極的に関わり始める強い動機になった猫なんです。

10月末 どうやらテツのいなくなったことに気づいた傷心のみう
(11月後半になるとソトチビがまたやって来てランデブーが始まった)

ニャーに次いで記事数の多いみう。保存した写真数は一番多い。その一連の写真を見直すと、いろいろなことが蘇ってくるのです。本記事の写真はこのブログを始めた頃、テツが旅立ってからニャーを迎えるまでの40日間のみうです。既に家に出入りしていたみう、わが家ではニャーより先輩だったんだ。

11月6日 3日前にやって来たニャーの様子を伺いながら通り過ぎるみう
(この数日後に脱走したニャーがみうを追い回し、2匹の関係が始まった)

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頑張る子ニャン、チキンくん

2020年03月03日 | チキン,キリン,ポニー
この冬チキンお気に入りの寝床です
他の猫たちは興味を示してもチキンには譲る


もとは穴倉式だったのをカスタマイズ
お椀型に変えました
(写真:今は亡きみうのお気に入りだった)


ところが・・・

すっかり気に入って横取りしたのはシロキおじさん
シロキの強みはオニブなこと
イマイチなのはデリカシーに欠けること


せつなそうなチキンはただ見つめるだけ
そうさ、我慢は大人への第一歩
少年から青年へ、チキンはモード変換中


いつもやさしく頼りになる
大好きなシロキおじさんではあるけれど


ここはひとつ、思い切って奪還に挑戦
でも重量級のシロキは頑として動かない


さらに挑戦、また挑戦
何度も何度も挑戦と失敗を繰り返し
そしてついに・・・





なんとも平和なわが家です

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88歳、一人暮らし、猫16匹

2020年03月01日 | ノラたちの幸せを願って
今日の朝刊(朝日新聞)の1面の見出しです。
問題提起されたのは猫の多頭飼育の崩壊。ワイドニュースでも時折取り上げられるようになった。ただ、1面見出しというのは随分な力の入れようだ。おそらく、実際にはかなりの頻度で起こっているのだろう。

掲題の多頭飼育はノラたちをかわいそうだからと保護し続けた結果です。しかしいつの間にか、自分にとってなくてはならない存在になる。ワンちゃんのように保護者に服従しないニャンコたち。気持ちの上では常に対等な彼らだが、しっかりと心を通わして信頼関係を構築することができる。それだけに彼らの好意は人にとって何よりの癒しになり、時として生きる糧にさえなるのです。

他人事ではない、わが家も高齢保護者と8頭暮らしだ

掲題の老人(男性)は介護が必要で相談相手もなく、劣悪な環境で暮らしていた。警察から連絡を受けた介護相談員が動く。そして介護保険の申請と適用。訪問サービスをはじめ各種サービスを受けられるようになった。問題は、ペットの世話が介護保険の適用外なこと。「ネコの生きる権利は守って」と訴える男性。相談員は、猫たちの救済にも動き出す。

つてをたどってボランティア団体やキャットシッターの助けを借り、不妊手術の資金を募り、猫たちを守った。里親募集も始めた。まったく頭が下がる熱意です。

この話はハッピーストーリーとして描かれている。記事はその内容を静かに伝え、思い切った提案をしているわけでもない。しかしこの話をよく読めば、当の相談員が民間のボランティアに支えられつつ私的に活動した結果であって、行政や公的機関のサポートは皆無だった。もし相談員が役人的な人だったら、猫たちが殺処分となった可能性は否定できない。実際、そういう不幸なケースもままあるのだろう。

あと20年は生きてほしい0才児のチキンとポニー
でも看取るより看取られる可能性の方が高い?

アニマルセラピーという言葉が広く知られています。動物たちの癒し効果を治療に使ったり生活意欲向上に役立てたりする活動だ。しかしこの分野は、民間の認定資格は存在するが公的な保証は何もなく、関連する法律もない。唯一適用されるのは動物愛護法だけど、この法律はペット業界の闇(引き取り屋の存在)でわかるように申し合わせたようなザル法だ。日本の法律ではニャンコもワンコも、あくまでも器物扱いなのです。

掲題の老人は何か罪を犯しただろうか。ノラをかわいそうだと思って保護することは悪いことか。認知症を患い、要介護となったのは本人が悪いのか。猫や犬たちを使えるだけ使い、要らなくなったら物のように捨てる。こんな社会が変わらない限り、掲題のような老人はこれからも増える一方なのだと思います。

われわれ日本人も、そろそろ身近な動物たちを真の仲間として考え直し、然るべく法律を立て直す時期に来ているのではなかろうか。

暖かくなると行動が変わってきたモドキ(左)とサクラ
やはり保護しないとノラとの長い付き合いは難しい?

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