1910年にオランダで生まれ、幼少期から豊かなヨーロッパ文化を享受して成長したレオーニは、青年期にはイタリアでブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari 1907-1998)をはじめとする多くのアーティストや文化人と交流し、影響を与え合いました。
板橋区立美術館はレオーニ氏本人の協力により 1996年に日本初のレオ・レオーニ展を開催しました。
2024 Bologna Illustrators Exhibition
本展では、2023年の受賞者であるアンドレア・アンティノーリ (Andrea Antinori. イタリア) による新作絵本「Solo una noche(ある夜に)」の原画をご紹介します。ボローニャ展から羽ばたく若手イラストレーターの活躍をぜひご覧ください。
デぺイズマン(Dépaysement )とは ここにあるはずのないものがあることというシュルレアリスムの手法の1つで 日常から切り離した意外な組み合わせを行うことによって受け手に強い衝撃を与えるものです
※21[日] 定休日 / 最終日は17時まで
会 場 CO-CO PHOTO SALON
東京都中央区銀座3-11-14 ルート銀座ビル 4F
- 序章 テルマエ/古代都市ローマと公共浴場
「デ・キリコ」展が開催されます(2024.4.27~8.29)@東京都美術館
形而上絵画(la pittura metafisica)を興し 後のシュールレアリスム(Il surrealismo)に大きな影響を与えたイタリアの画家・彫刻家 ジョルジョ・デ・キリコ(1888~1978年)の展覧会が開かれます
ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)はギリシャ生まれ 両親はイタリア人です 19才でミュンヘンの美術アカデミーに通い 22才でフィレンツェに移り メタフィジカの最初の絵「L’énigme d‘un après-midi d’automne」(秋の午後の謎)を描きました
「メタフィジカ (Metafisica)絵画」とは 自然の現実を超えて より内面的で神秘的な「第二の現実」という意味に解されます 絵画の表現技法でもって 無意識に属している夢や幻視を描写できるというものです
みどころ:
「デ・キリコ」展は こちら
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昨年は「永遠の都ローマ展」にちなんだセミナーが各イタリア語学校で開催されましたが 今年は形而上絵画のデ・キリコですね!
LCI(吉祥寺)セミナー『デ・キリコとPittura metafisicaの世界』(3/10,3/13)は こちら
日伊協会の特別セミナー『20世紀初頭から今日までのイタリアの芸術 -イタリア人アーティストの世界観の推移』& イタリア語総合コース修了証授与式(2024.3.30)でも デ・キリコを取り上げるようです
イタリア文化セミナー「永遠の都 ローマ(Roma, la città eterna)」を受けてきました(2023.10.26)@吉祥寺LCIイタリアカルチャースタジオ
セミナーは ロムルスとレムスの神話(Il mito di romolo e Remo)から始まりました
ラツィオ(Lazio)は largo(広い)を意味するラテン語 "latus"から来ており 沼地の平野でした
ローマの7つの丘のうち パラティーノの丘にローマは作られました
さてローマ神話の起源です 叙事詩『アエネイス(Eneide)』の作者ヴェルギリウス(Virgilio/70a.C.生まれ)は ダンテの神曲にも案内人として登場する詩人 です 彼は 未完の場合はすべて焼き捨てるように希望していましたが パトロンのアウグストゥス初代ローマ皇帝は 未完のままでの出版を命じました
伝説の起源(Le origini della leggenda) それはトロイア戦争(circa 1250a.C.)にさかのぼります トロイアのパリス王子がスパルタ王メネラオスの妃ヘレネーを略奪したため起きた戦争で トロイアを助けるため ギリシャ神話の登場人物で ダルダニアの王子アエネアース(Enea)が登場しました
ここでクイズ! アエネアースの母は女神で なんとアフロディーテ(Venere)でした😲 女神と人間の子ですね
トロイの木馬でギリシャ人が勝利し アエネアースは父アンキセス(Anchise)と息子アスカニオス(Ascanio)を連れてトロイアの街から逃げ 7年も旅をしてラツィオの海岸にたどり着き ラヴィニウム(Lavinium)の街を作りました
この名前はアエネーアスが婚約者から奪って妻としたラティーノの王の娘ラヴィニア(Lavinia)にちなんでいます
アエネーアスの息子のアスカニオス(Ascanio)がアルバロンガ(Alba Longa)の街を作り(ローマの東南) 子孫のヌミトーレ王(re Numitore)が統治していました
ヌミトーレの弟のアムーリウス(Amulio)は兄から王位を奪い ヌミトーレの娘 レア・シルヴィア(Rhea Silvia)に巫女(ヴェスターレ/vestale)になるよう強制します 処女であることを求められますが 軍神マルスが彼女と交わり 双子のロムルス(Romolo)とレムス(Remo)が生まれます👶
アムリウスの家来は双子を殺すにしのびなく 双子の籠をテヴェレ川に流し 無花果(いちじく)の樹にかかり 雌オオカミ(la lupa)が乳をやり(allattare)育てたというのが ローマ建国神話ですね
ロムルスはパラティーノの丘に レムスはアヴェンティーノの丘に街を作ろうとして争い ロムルスはレムスを倒し 紀元前753年4月21日にローマが建国されました
驚いたことに ロムルスの壁(il muro di Romolo)とロムルスの家(casa di Romolo)が考古学者によって発見されたのだそうです😲
カピトリーノの雌狼/la lupa capitolina
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第2部:『ローマ王政~7人の王たち』I primi Re di Roma
続いて 王政ローマの7人の王についてです:
ローマの7人の王/I 7 re di Roma
古代ローマは 王政ローマ(il periodo monarhico/753a.C.~509a.C.) 共和制ローマ(il periodo repubblicano/509a.C.~27a.C.) 帝政ローマ(il periodo imperiale/27a.C.~476d.C.)に分かれます
この王政ローマを7人の王が治めていました👑
1. ロムルス/Romolo(753a.C.~713a.C.) ラテン人
2. ヌマ・ポンピリオ/Numa Pompilio(713a.C.~670a.C.) サビーニ人
3. トウッルス・ホスティリウス/ Tullo Ostilio (670a.C.~638a.C.) ラテン人
4. アンクス・マルキウス/Anco Marzio (638a.C.~616a.C.) サビーニ人
第2のフェーズ/エトルリア人の王
5. タルクィニウス・ブリスクス/Tarquinio Prisco (616a.C.~578a.C.) エトルリア人
6. セルウィウス・トゥッリウス/Servo Tullio (578a.C.~534a.C.)エトルリア人
7. ルキウス・タルクィニウス・スペルブス/Tarquinio il Superbo (534a.C.~509a.C.) エトルリア人
前半(1~4)は主にサビーニ人の王(re sabini) 後半(5~7)はエトルリア人の王(re etruschi)でした
建国後に女性が不足したこことから ロムルスがサビーニ人をゲームに誘い出し 女性を拉致するという「サビーニ人の略奪(il ratto delle Sabine)」が起きますが サビーニ人と和解してクイリナーレの丘に定住します
エトルリア人の王の時代には ファッションも変化し 貴族の家も変化しました
そして 第7代の王ルキウス・タルクィニウス・スペルブス(superboは傲慢という意味)の横暴な息子が タルキニウス・コッラティヌス将軍の妻ルクレツィアに乱暴し ルクレツィアは自害し 夫と友人ルキウス・ユニウス・ブルトゥスは王に復讐し王は亡命 こうして509年に王政が終わり 共和制が始まりました
このルクレツィアの肖像画は永遠の都ローマ展で見られます
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第3部:『カピトリーノ美術館と代表作品 』 I Musei Capitolini e le opere piu‘ importanti
カピトリーノ美術館/i musei capitolini
そしてカンピドーリオの丘(il Campidoglio)に カピトリーノ美術館が建てられることになりました
ここには紀元前345年 ユノ・モネタ(Iuno Moneta)の神殿が建ち のちに貨幣の鋳造が行われました(monetaは貨幣という意味)
ガリア人のローマ侵入を神殿で飼っていたガチョウ(oca)が告げたため 「忠告する」という名を付され カピトリーノ美術館にもガチョウを称えた部屋があります
そして ミケランジェロがカンピドーリオ広場の再設計(1538)をしたことや 1471年12月15日に 教皇シクストゥス4世Papa Sisto Ⅳ(本名フランチェスコ・デッラ・ローヴェレ(Francesco della Rovere)が ローマ市民に古代彫刻6点*を寄贈したことをきっかけに 世界最古の市民のための美術館としてこのカピトリーノ美術館がクレメンス12世(Papa Clemente Ⅻ)によって1734年に一般公開されたことをお話いただきました
* カピトリーノの雌狼/La lupa capitolina, カミルス/ Camillus, コンスタンティヌスの巨像/il colosso di Costantino(頭部、左手), 球体(世界)/il globo ,棘を抜く少年/Lo Spinario
またこの美術展でぜひ見ておきたい作品の数々をご紹介いただきました
皇帝の描き方に変化(古典的スタイルから現実的スタイルに)が見られたことや 古代ローマの女性の髪形の変遷(シンプルからカール髪のかつらに)等々... とても盛り沢山のセミナーでした💕
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「永遠の都ローマ展」の作品ビデオは こちら ← これによると 「カピトリーノのヴィーナス(La Venere Capitolina)」像がイタリアを出ることはおそらくもうないだろうとのこと😲
LCI文化セミナー「永遠の都 ローマ(Roma, la città eterna)」は こちら
すばらしいセミナーを開催してくださいましたLCI様に 心よりお礼申し上げます
また来年も楽しみにしております😊
Giovanni Piliarvu 写真展『Echi -エキ- 島の響き』に行ってきました(2023.10.18~10.26)@東銀座のCO-CO PHOTO SALON
長いお付き合いの サルデーニャ出身のカメラマン Giovanni Piliarvu氏の写真展に友人と行ってきました😊
Giovanni Piliarvu 写真展『Echi -エキ- 島の響き』
会 期 2023.10.18[水]-26[木]
OPEN 11:00-18:30
※10.22[日] 定休日 / 最終日は17時まで
会 場 CO-CO PHOTO SALON
東京都中央区銀座3-11-14 ルート銀座ビル 4F
Phone / 03-3542-7110
協 賛 マルマン株式会社 Canson Infinity
主 催 Island Gallery
大陸のような島々がある。日本やイギリスのような。
そして、世界隅々にある島々。辺境で、孤立し、どこかで忘れ去られている。 人里離れているからこそ、発見する喜びがある。
グローバル化した世界とは異なる感触を持つ場所へと、窓を開いてくれる。 この展示会では、2 つの島々を選んだ。サルデーニャとアイルランド。
一見、正反対の場所に思えるが、真実は違う。 辺境の状況、孤独な形態、そして先祖の力の強い存在を共有している。 遠い昔の文明と自然の組み合わせ。 (Giovanni Piliarvu)
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パンデミック前に語学学校で開催されたサルデーニャのセミナーに出て以来 Giovanni先生とお会いするのも久しぶりです 先生は時折NHKラジオイタリア語講座にも出演されています
最初 行く前は "Echi"って何だろう?と思っていたのです
Echi? 駅? ← まっさかねぇ~(笑)
それが会場を訪れてみて氷塊しました!
Eco (響き、エコー)の複数形が Echi なのですね!
サルデーニャとアイルランド この2つの島が互いに響き合って織りなす
エコーと言うことなのですね😊
一緒に行った友人が 「Veglia al Crepuscolo」(日の出前)という作品を購入し 一緒に写真を写しました📸
色々迷ったけど 夜明け前の輝きが美しく 部屋に飾っても落ち着けるということで😊
また 先生からは加工前のオリジナルの映像や写真まで見せていただき眼福~💕
私はといえば もう何回も写真展を観に行っていますが 2017年の写真展で 世界遺産でもあるシチリアのシクリ(Sicuri)の写真を初めて買いました📸
そのあと Libisco銀座店でピスタチオとパンプキンのジェラートを食べておしゃべりしてから 銀座をぶらぶら歩き 鳩居堂で寅年のお年玉のポチ袋を買って帰りました~ ← 来年から孫にお年玉やらないと~😲
ピスタチオとパンプキンのジェラート
歩行者天国の銀座も久々に楽しんできました😊
Giovanni Piliarvu 写真展『Echi -エキ- 島の響き』の写真展は こちら (2023.10.26まで)
作品は こちら
セミナー「古代美術とローマ市民ーー教皇シクトゥス4世の寄贈からローマ首都宣言にいたるまでのカピトリーノ美術館」に行ってきました(2023.9.13)@イタリア文化会館
ようやく涼しくなりかけた9月 ひさびさにイタリア文化会館に行き クールでポップでちょっとレトロな都会感覚を日本人&イタリア人のコミックアーティストが描いた「TOKYO ARTE POP トーキョー・アルテ・ポップ──江口寿史×ルカ・ティエリ展」を見てきました
開催中の「トーキョー・アルテ・ポップ」展
作品の数々💕
そのあと 6時からのセミナー「古代美術とローマ市民 ――教皇シクストゥス4世の寄贈(1471年)からローマ首都宣言(1871年)にいたるまでのカピトリーノ美術館――」を聞いてきました
ちょうどこの土曜日からの「永遠の都ローマ」展(東京都美術館/上野)開始に合わせての開催で 会場は満席も満席です!
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立教大学文学部の加藤教授による「イントロダクション:象徴的な場としてのカピトリーノ」に続いて ローマ市文化財監督官プレシッチェ氏の専門的な内容のセミナー「古代美術とローマ市民――教皇シクストゥス4世紀の寄贈(1471年)からローマ首都宣言(1871年)にいたるまでのカピトリーノ美術館」を聞きました
イントロダクションでは 古代における政治・宗教の中心としてのローマとして 7つの丘 紀元前の神殿の数々 カピトリウム*はキャピタルの語源 西暦78年にTabularium/タブラリウム(古文書館)の跡が発見されたこと等を伺いました
* ローマの7つの丘の1つ、カピトリーノの丘に建つこの美術館は 一般市民に公開された美術館としては世界最古のものと言われています
カンピドリオ広場の奥正面は市庁舎 右にはパラッツォ・デイ・コンセルヴァトーリ(コンセルヴァトーリ宮殿) 左にはパラッツォ・ヌオーヴォ(新宮殿)が建っています (Wiki)
ユピテル神殿は キリスト教の広がりとともにやがて機能を停止し破壊されたこと 古代建築の再利用について 初期中世においては 巡礼者のランドマークとなったことなど
そして世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられるカピトリーノ美術館のはじまりは ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世 Papa Sisto Ⅳ(本名フランチェスコ・デッラ・ローヴェレ(Francesco della Rovere)が 1471年にローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼることを伺いました
そして このカピトリーノ美術館とフォロ・ロマーノを天正遣欧使節が訪れ また岩倉使節団が訪れてから今年が150周年であることも知りました
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続く ローマ市文化財監督官プレシッチェ氏のスピーチはとても専門的なもので 通訳の方は疲れも見せず秀逸でした😊
建物内部が美術館として公開されるようになるのは1734年 クレメンス12世の時のことでしたが (アルバーニ枢機卿から多くの美術品を買った) これは一般市民に公開された美術館としては世界最古の事例とされています
ピウス2世(Pio Ⅱ)が 古代遺跡を破壊することを禁じたこと その際 コロッセオの切り石を聖ピエトロ寺院に使ったことは免除したこと それでも古代遺跡の不正流出はあとを絶たなかったとのこと
ローマ誕生のシンボルでもある有名な雌オオカミ(la lupa)のブロンズ像は カピトリーノ美術館のコンセルバトーリオ宮(Palazzo dei Conservatori)に保存されています
また 今回のローマ展で展示される数々の作品についても 多くの写真とともにご紹介いただきました
棘を抜く少年(spinario)←人気で多くのコピーが作られたそうです コンスタンティヌス大帝の巨像の頭部(Colossale di Costantino I 下の写真)や ルーブルで発見された左手(同左) サビーニ人の略奪の石棺等々...
カピトリーノのヴィーナス(la venere capitolina)は 今回は東京会場のみとのこと...
コンスタンティヌス帝の頭部と手
パラッツォ・ヌオーヴォ(新宮)の再整備や語源(サピエンツァ)について
16世紀のカンピドーリオの丘*は マルクス・アウレリウスの騎馬像(statua equestre di Marco Aurelio)を中心に置いて作られたこと
* この丘の上にあるカンピドリオ広場は 16世紀半ばにミケランジェロの設計で整備されたもの(Wiki)
新しく彫像を創るのではなく 台座を創り名を刻むのが主な仕事となった コンセルバトーリ(保存修復家)の活躍等について
パラッツォ・ヌォーヴォ (新宮)の元の名はサピエンツァであること
外観も内部も機能性を保った合理的な建物であること 17世紀に44体の彫像を新たに買い付けたり エジプトの作品の部屋がある等の説明をいただきましたが ナポレオン時代に多くがフランスに流れてしまっていたそうです
* * *
ともあれ カピトリーノ美術館は それまで個人宅にランダムに置かれていた貴重な古代彫刻等の作品を収め ローマの栄華を増し 若者に美術教育を施し 学術的・年代順に作品を展示することで 他の美術館のモデルとなっていったこと またグランドツアー等で 多くの美術を志す若者たちがこぞってカピトリーノ美術館を訪れたこと 18世紀に出された初のカタログの映像や アカデミア・ディ・サン・ルーカとのつながり等について
1838年にグレゴリウス16世が管理権を返還し 1871年にローマ首都宣言がなされ カピトリーノ美術館と命名されたこと等を 貴重な画像とともにご紹介いただき 割れんばかりの拍手とともに終了いたしました
この「永遠の都ローマ」展は カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に 建国から古代の栄光 教皇たちの時代から近代まで 約70点の彫刻 絵画 版画等を通じて 「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介するものです
セミナー「古代美術とローマ市民」は こちら
参考: 「イタリアの都からローマのカピトリーノ美術館」(イル・チェントロのオンラインセミナー/2023.9.17)
このセミナーでは 講師のおすすめとして Centrale Montemartini という 元発電所に移動美術館を作り そのまま別館となった美術館をご紹介いただきました via Ostienseにあり少し離れています それと 昔はブロンズ像が多く金メッキ像はレアで4体のみだったとのこと
素晴らしいセミナーを開催してくださいましたイタリア文化会館様に心よりお礼申し上げます
* この後 吉祥寺LCIのセミナー「永遠の都ローマ」(10/22, 25)にも申し込んでおります😊 ← リポートは こちら
*プレシッチェ氏のインタビュー『「建造物にも集団的記憶」 「永遠の都ローマ展」監修者に聞く文化財保護』は こちら
講演会「新古典主義時代のローマ」を聞きに行きました(2023.6.13)@イタリア文化会館
9月から開催される「永遠の都ローマ展」(於東京都美術館)にちなんだ「新古典主義時代のローマ」という講演会を イタリア文化会館に聞きに行きました:
イベント要旨:
18世紀のローマは変化し続けていました
当時の教皇たちはカトリック教会の普遍主義を広め 教皇庁の権威を高めるために町のインフラを近代化し 建造物を修復し 古典古代を規範とした芸術を普及するという野心的な計画に着手しました
その革新的な取り組みは 公的な博物館の建設や 絵画 彫刻 建築などの国際コンペなど さまざまな分野に及びました
その結果 ローマは新古典主義の中心地となり グランドツアーの主要な目的地となりました
各国から芸術家 旅人 文人が訪れ なかには長期滞在した人もいました
その間 教皇庁の宗教上や政治的な意図にもかかわらず ローマの町は世俗化し そのイメージは大きく変化したのです
この講演会では18世紀初頭からナポレオン時代までの 町に関わる主要なプロジェクトや 社会の変化を分析・検証し ローマのイメージの変遷を辿りました
永遠の都ローマ展より:
永遠の都ローマ ―― 二千年を超える栄えある歴史と比類なき文化は 古代には最高神をまつる神殿がおかれ 現在はローマ市庁舎のあるカピトリーノの丘を中心に築かれました
その丘に建つカピトリーノ美術館は 世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられます
同館のはじまりは ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世が ローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼります
古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻 またローマの名家からもたらされた絵画など その多岐にわたる充実したコレクションは 古代ローマ帝国の栄光を礎に ヨーロッパにおける政治 宗教 文化の中心地として発展したローマの歩みそのものにも重ねられます
* * *
この講演会はまず ローマのカピトリーノ美術館(il museo Capitolino di Antichità)の紹介から始まりました
Clemente XⅠⅠ(クレメンス12世)が1734年に美術館として公開した (一般市民に公開された美術館としては世界最古の事例とのこと)カピトリーノ古代美術館)には古代の彫刻等が置かれており 真の公共施設でした
中でもアレッサンドロ・アルバーニ枢機卿(cardinale Alessandro Albani)のコレクションは 9月のローマ展でも観ることができるでしょう
次に1771年に建てられた Museo Pio-Clementino in Vaticano (バチカン内のピオ・クレメンティ美術館)に移ります
これは クレメンス14世とピウス6世のコレクションによる美術館で ローマ皇帝や ローマ神話の神などの古代彫刻のコレクションが見られます ラオコーン像が有名ですね
18世紀の教皇たちは古代の発掘を促進させました インフラを近代化させ 「ペテロの優越」(主キリストがペトロに与えた権威は永続的なもので ペトロの座を引き継いだ者はキリストに由来する権威を保持し 全教会に対する首位性を有する」とする)というメッセージを送り 教皇たちは世俗の君主としての権利を誇示してゆきました
次に ローマ共和国(Repubblica Romana/1798-1800) フランスからナポレオン軍が侵攻し 教皇ピウス6世はローマから追放されてしまいます
ピウス6世はトスカーナに亡命し ローマにおける教皇の世俗支配は崩壊しました
18世紀のローマは 古典的遺産の博物館と化し 世俗化してゆきます 啓蒙時代から革命の時代へと移ってゆきます
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Le grande città dell'Europa occidentale 西ヨーロッパの大都市
ローマの18世紀初頭の人口は 約140万人でした
トラステヴェレには貧しい人々が集まり 製造業も特になく 1764年には大きな飢饉が起こりました 18世紀のラスト30年にはインフレも起きました
次はインフラの近代化です トレビの泉 スペイン広場の階段 Porto di Ripetta(今はありません)リペッタ港 granaio(穀物倉庫) Piazza di Sant'Ignazioの市民住宅等...
クイリナーレ宮殿前にあるPalazzo della Consulta Kaffeehaus al Quirinal等
公共施設としては Braccio nuovo ospedare s. Spirito(トラステヴェレ) Ospedale Galliccino (トラステヴェレ) 等...
そして宗教施設としては Sagrestia di San Pietro (建築家Carlo Marchionni) サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂(Giovanni di Laterano )(Niolo G)
chiesa di San Teodoro al Palatino S. Pietro e Marcellinoなど...
文化インフラとしての図書館では biblioteca Casanatense(カサナテンセ図書館 ) biblioteca Lancisana(l'Accademia Lancisiana)など
そして 芸術文化インフラとしては カピトリーノ美術館 (Musei Capitolini) の公開図書館
Scuola del nudoという裸体像の学校もあり 9月のローマ展でも観られます
芸術面では 古美術が盛んで romanitas(ローマらしさの証)というコンセプトが主要な点となり ファルネーゼ メディチ バルベリーニ家などが 古美術を集めていったことは有名ですね
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次に グランドツアーです
J.J. Winckelmann という古美術商は 1755年からローマに長期滞在し Alessandro Albani枢機卿という最大のコレクターに仕えるようになりました
発掘そして修復といった古代マニアのメンバー達が ローマからの流出を防ぐために "美術館を開きたい"と情熱を傾けてゆきました
出版物や版画も 自前のローマ印刷術によって普及してゆきました
コロッセオは 異教からキリスト教への流れを示しました ここはローマ時代の殉教の場所でもありました
Museo Sacro in Vaticanoは ベネディクト14世によって造られた初期キリスト教美術館(バチカン)です
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La Roma del Grand tour グランドツアーのローマ
ヨーロッパの上流階級がこぞってローマを訪れ 観光がファッションのようになりました
la Vita degli artisti a Roma ローマに芸術家たちの共同体ができてゆきました 奨学金制度もあったのですね 1666年のフランス・アカデミーの3年間の奨学金などとのこと
画家のPompeo Batoni Gain Hamilton Anglika Kaufmann
彫刻家のBertel Thorvaldsen Antonio Canova等が滞在しました
1789年のローマの人口は 16,3万人と少し増え 流出よりも流入人口が多かったとのこと 女性の数も微増しました
グランドツアーの人たちとは サロンやシアター 遺跡見学等で会えるようになり 宗教色は消えてゆきました 信仰と世俗化に溝ができました
1789年に起きたフランス革命のあと 1798年 世俗(laica)のローマ共和国(Republica romana ) (1798年~1800年)が生まれ ローマにおける教皇の世俗支配は崩壊し 教皇は追放されましたが 1800年6月にローマ共和国は廃止され 教皇国家が復活しました
「ナポレオンのローマ」を標榜し 教皇庁から多くの宝物がフランスに ルーブルに持ち去られてしまいました 貧困化し人口は12万を下りました
Scavi di fori (フォロ・ロマーノの発掘) テヴェレ川岸 クイリナーレ宮殿 アッピア街道等 ローマは世俗的な帝国となってゆきました
1815年のナポレオンの敗北のあと 聖なるローマと世俗のローマが区別されてゆきました
citta' musealizzata (美術館のような街)として 古代 中世 バロックのローマの発見がなされてゆきました
* * *
続く質疑応答では ローマのモニュメントと木々の緑について フランスの侵攻によって教皇は追われたが宗教はなくならなかったことについて ナポレオンは古代ローマ帝国をモデルにしたが イタリアは人文主義の国で liceo classico(古典学校)がある等が語られました
9月のローマ展が楽しみです😊
講演会のお知らせは こちら
「永遠の都ローマ展」は こちら (2023. 9.16~12.10)@東京都美術館
シンポジウム「イタリア都市史研究への挑戦-その軌跡と展望(Una nuoa visione della storia dell'urbanistica italiana ー Tracce e prospettive)」を聞き「イタリア玩具の世界(Giocare a regola d'arte)」展を観てきました(2023.7.7)@イタリア文化会館
この日の午後は5時間にわたる イタリア都市史研究に関する9人の若手研究者たちのシンポジウムを 満席となったアニェッリ・ホールにて聞き 少し早く抜けてから エキシビション・ホールで開催中の「イタリア玩具の世界」展を観てきました:
シンポジウムは 陣内先生の教え子の方達等が なぜこのテーマを研究し 事例をどうとらえ どんな方法論を取ったのか また今後の展望等をそれぞれ発表し それについてコメントをいただくという形式で進められました
ルッカ シエナ フィレンツェ ヴェネツィア またオルチャ渓谷やプーリア アゾロ等の街を 古代と中世 ルネサンス期 近代 そしてテリトーリオに分けて研究されている若手研究者の方達の発表を それぞれの学生たちが遠方から聞きに駆けつけ アニェッリ・ホールは満杯でした!
なぜこの街を研究対象に選んだかというエピソードの中で 私が一番興味を惹かれたのはヴェネツィアです
ヴェネツィア以外のすべての街は 地図を手にどこへでも行かれたが ヴェネツィアだけは 地図を手に歩いても歩いてもなかなか目的地にたどり着けない 道にある「リアルト橋はこちら」「サンマルコ広場はこちら」という「→(矢印)」と地図を頼りに(グーグルマップもない時代!)ようやく目的地にたどり着いたエピソード
そしてそれが この街に住みたい!との強い思いとなり ヴェネツィアの都市研究の道を選んだというお話を聞き 自分も若い頃地図を頼りに 現地のお年寄りに助けられながら3日間 ラビリントの街ヴェネツィアを歩き回ったことを思い出しました
また ヴェネツィアの街にかつてあった劇場を調べた時の苦労談で 図面も写真もまったく現存していないため 古文書館等に足繁く通い 契約書 相続書類 出演していた役者のメモのような手紙まで調べ尽くして研究を仕上げた話 しかも担当者に中に入れてもらえず 何度も何度も足を運んで顔を覚えてもらい ようやく貴重な一次資料を見せてくれるようになったというお話を聞き 研究者の資料収集のご苦労に感じ入りました
また 学生たちに地史学を教える中での副産物もあったそうです 自分の地元を研究しようというテーマを出し コロナ禍でなかなか学業が進まず苦労していた学生たちが 親や祖父母に地元の話を聞くようになり協力を得て 研究も進み 親子の中も改善したというエピソードに大変感銘を受けました
また今はイタリアでは 昔の時代の建築学や都市研究はほぼ出尽くしており 新しい本も出なくなり円熟しきっており ここ最近はテリトーリオやテロワール等が旬のテーマであり ずいぶん変わったとのこと
ラストはテリトーリオがテーマでしたが 長丁場でもあり 以前聞いたことがあったので そのまま図書室に立ち寄り 「イタリア玩具の世界」展を観て帰途につきました
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「イタリア玩具の世界(Giocare a regola d'arte)」展を観ました
「年をとるから我々は遊ばなくなるのではない。 遊ぶのをやめるから 我々は年をとるのだ。」(G.バーナード・ショー)とのパンフレットの冒頭の言葉にあるように かつてイタリアで愛されていた数々の玩具が沢山展示されておりました
昔の時代のイタリアの玩具の展示 中でも「個人蔵」が多くあり コレクターも貴重なのね~と再認識😊
ブリキのおもちゃは 私も小さい頃遊んだこともありとても懐かしかったです ピノッキオ(Pinocchio)は様々な種類の本や人形がありました
トッポ・ジージョ(Topo Gigio)はイタリア生まれなのですよね🐭
なつかしいカリメロ(Calimero)にトッポ・ジージョ💕
フェルトの人形にメリーゴーランド用のVespa♪
シンポジウム「イタリア都市史研究への挑戦-その軌跡と展望」(2023.7.7)のお知らせは こちら
「イタリア玩具の世界」展(2023.6.28~8.23)のお知らせは こちら