いつも暑い夏に原画展に行っていた板橋区立美術館に 涼しい秋にレオ・レオ―ニ展を見に行ってきました♪
事前予約の上で行きましたが バスも少ないことだし あまり予約時間は厳格にしなくとも人数が少なければ入れるみたいです
レオ・レオ―ニ(1910~1999)の一生がわかる展示会で 年代順・テーマ別に全館展示されていました
レオは1910年 アムステルダムにて ダイヤモンドカッター工の父ルイス・レオニと母エリザベト(後にオペラ歌手として活躍)との間に生まれました
家はユダヤ人の裕福な家庭で コレクターの叔父の影響で ピカソやパウル・クレーなどの芸術に囲まれて育ちました
14才でジェノヴァに移住し チューリッヒ大学にて経済学を学びました
1. 旅のはじまり
「黒いテーブル」シリーズ 晩年のレオが子供の頃を回想して描かれた絵から始まりました
絵本原画「フレデリック」 人はパンのみで生きられない というメッセージです
2. ミラノ時代
1931年 21歳のレオは当時18歳のノーラ・マッフィーと結婚します
同時期にイタリア共産党の党員マリネッティと出会い「飛行画家」として認められ 未来派グループに一時期参加しますが 1932年の展覧会以降は ファシズムに傾倒した未来派とは距離を置くことになります
3.エイヤー時代
1939年 29才の時 イタリアのファシスト政権誕生と人種差別法公布によりユダヤ系オランダ人のレオは アメリカ合衆国に亡命します
フィラデルフィアの広告代理店NWエイヤーに就職します ここはヨーロッパの前衛芸術を使った数少ない会社のひとつでした
ニューヨークで複数の新聞社で美術担当編集者 グラフィックデザイナーとして働きながら 美術学校や大学で講義を行い 各都市での巡回展も開きました
1945年にアメリカ国籍を取得し 1953年にはアスペン国際デザイン会議の初代会長を勤めます
8年間勤め 第二次大戦終結後1年の休暇を取ってイタリアに戻り 油彩やモザイクを制作したのち アメリカに戻り退社を決意したとのこと
4. ニューヨーク時代
雑誌フォーチュンのアートディレクター オリベッティ社 MoMA等で働き 1954年 MoMAの広告デザイン展で数々の賞を受賞します
5.政治風刺
妻の父がイタリア共産党創立メンバーでありその影響を受けたため アメリカ政府からマークされていました
今回のこの展覧会では1940~50年代の未発表作品が発見されたとのこと そのひとつ「空気の抜けたヒトラー」(1945年頃)という作品は ヒトラーを痛烈に批判した作品でした
6. 油彩画
ここに展示されている「空気」シリーズは 早逝した二男パオロの魂の形とのこと
7. 想像肖像とプロフィール
実在の人物と架空の人物の肖像画です
8.絵本 ← このコーナーが一番充実していてじっくり鑑賞しました💛
1959年 孫のために作った絵本『あおくんときいろちゃん』で絵本作家としてデビューを果たしました
その時のエピソード: 外で泣き止まない孫に たまたまそこにあった雑誌の青と黄色の紙をやぶいてお話を即興で語ったのが 誕生のきっかけなのだそうです💛
この作品には人種差別へのメッセージが込められていますね
あおくんときいろちゃんが やがては重なると みどりいろになるのですね...
1962年 52才で再びイタリアに戻ります 20年間務めたアートディレクターの仕事に疑問を持ち 人道的メッセージを伝える絵本製作と 絵画を制作するためにイタリアに戻ったとのこと
そしてイタリアで 自身の本のイラストレーターや彫刻の活動を始め 以後およそ40冊の絵本を発表します レオは物語絵本を29冊描き そのうちの12冊はねずみが主人公でした
文字とイラストの「明確な一貫性」が大切であり 絵本を通して平和や友情 自分らしくあることの大切さ 自ら考えて行動する重要性を こどもたちに届け続けていたのですね
絵本原画「スイミー」 これは原画は実は行方不明なのですね 5点現存するのはあとから描いたものです モノタイプという すりガラスに1枚ずつ絵の具を乗せる版画のスタイルが取られました 1枚ずつすべて違っています
絵本原画「ペツェッティーノ」(小さな小片という意味) 自分とは何かをテーマにしたモザイク表現です 自分のパーツが色々変わっても どこからが自分といえるのだろうか?
絵本原画「せかいいち おおきな うち」 見栄を張って大きなものを背負うと身動きが取れなくなる というメッセージ カタツムリの親子が主人公です
移動を運命づけられたユダヤ系オランダ人であるレオの人生哲学ですね
絵本原画「ぼくのだ!わたしのよ!」けんかばかりの3匹のカエルが仲直り いがみ合う無意味さを伝えています
絵本原画「6わの からす」 自然のものはみんなのもの 最後は話し合いでけんかを解決した6わのからす
9. 平行植物(彫刻)
トスカーナの広大な自然にめぐまれた自宅で生まれた 植物をモチーフにしたブロンズ 彫刻群でかなり大きいです 板橋区立美術館にも この後寄贈されるそうです
1970年以来 想像上の植物の構想を練り始め 1976年に「平行植物(Parallel Botany)」の題で学術書の体裁で出版されました
一階のビデオコーナーでは 自宅の庭に様々なブロンズのオブジェがあり 晩年のレオがひとつひとつについて語るシーンが収録されていました
1999年 イタリアのトスカーナ州で89才で死去
ラッダ・イン・キャンティでは名誉市民となり 街の各所に彫刻作品が寄贈・展示されていたそうです
アトリエはボルニャーノの自然豊かなところにありました
10.鳥シリーズ
11. レオの絵本作り
12. レオのアニメ
「フレデリック」 アーティストの使命とは? 英語版にはなかった イタリア語版のラストの言葉: 「僕は拍手はしない 他の人にもしない それぞれが自分の仕事しているだけだ」
スイミーの絵本を 晩年のレオが子供たちに話してきかせるシーンが印象的でした 「この黒い魚は 絵を描く人に似ていると思わない?」というのですね また 何を描いているかを子供に当てさせる問いかけのシーンも興味深かったです
ピアノを弾く晩年のレオ 母がオペラ歌手だったから 音楽と絵の相似性に気づいた ピアノは幼い頃にやめてしまったけれど 今は楽しく弾いているとの言葉に 芸術は分野を超えて共通するものがあると感じました
「多様性」が大切で ものには多くの意味がある ブロンズの彫刻は芸術作品でありながら 時にはテーブル等の生活に溶け込んだものにもなる 知恵の庭は人間社会のようだ
「ものは人が作るからこそ美しい」 地下世界の根っこのオブジェを見せて 地下世界はパワフルだと語るレオ 地上の草も同時に見せなければならないとのこと
「閉じた口にハエは入らない」 含蓄の深い言葉ですね
作家も長く生きると作風もテーマも変わりますね レオの場合は 晩年は植物をモチーフにした「平行植物」というブロンズ彫刻群に行きつきますが 絵本から入った私にはあまり惹かれるものはありませんでした
若い頃は広告イラストレーターとして活躍するも ファシズムの台頭等に疑問を持ち 政治批判を封鎖されたことから 絵本を作り始めて子供たちにメッセージを送り続けたレオの一生が俯瞰できる 貴重な展覧会で 行ってよかったと思います
展覧会は こちら 2021.1.11まで開催されます
西新宿の損保ジャパン美術館の「みんなのレオ・レオーニ展」に行った時のリポート「みんなのレオ・レオーニ(Leo Lionni for everyone ー Reading Leo Lionni, again ー)」展に行ってきました(2019.7.24)@損保ジャパン日本興亜美術館(~9.29)」は こちら
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