星美学園短期大学日伊総合研究所主催「ガリバルディと現代イタリア」公開講演会に行ってきました(2013.7.20)
昨年に引き続きやってきました星美学園短期大学日伊総合研究所主催 第10回公開講演会
今年はガリバルディがテーマとだけあってか 会場はとても入りがよく サークルの友人と二人で聴き入りました
ジュゼッペ・ガリバルディといえば「赤シャツ隊」で有名なイタリア統一運動(リソルジメント)の立役者ですが そのルーツから業績 果ては晩年に至るまでの様々なエピソードを伺い知ることができた貴重な講演会でした
講師の先生は 移民問題等がご専門でいらっしゃるという日本女子大文学部教授の北村暁夫先生です:
1807年にニース(Nizza/当時はサルデーニャ王国領、現在はフランス)に生まれたガリバルディは父親が船員であり 自身も船員としての活動を始め マルセイユで「青年イタリア」へ加入し そこからブラジルへと向かい そこから彼がやがては「ふたつの世界の英雄」となるいきさつについて 当時の南米の複雑な政治状況を含めてご説明いただきました
リオデジャネイロではまだ無名であった彼は イタリアからの移民(亡命者)のネットワークの中で生活し マッツィーニ主義の組織を作るなどして ブラジル人女性アニータと結婚しますが このあたりの記述は自伝と友人による評伝によるもので不明確なところも多いそうです
さて1848年前後にはイタリアではカヴールが「イル・リソルジメント」紙を刊行する(1847年)等 イタリア統一運動への動きが興りますが (この「イル・リソルジメント」(「再興」という意味)と「イタリア統一」とは必ずしも一致はせず、ただしマッツィーニのみはイタリア統一を主張していたそうです) ガリバルディにもイタリア解放のための活動を期待する声が高まり とうとう1848年3月のウィーンでの3月革命勃発とともに 彼はサルデーニャ王国の一員としてオーストリア軍と戦うためニースに到着しますが 敗北を喫してしまいます
その後 ローマ共和国の成立のための戦い 義勇軍を作りフランス軍と戦うもローマ共和国が崩壊し 妻のアニータが死去 そして二度目の亡命生活は残された子供たちの生活を支えるため ニューヨークのイタリア人移民社会に招かれるというものでしたが 彼はのちにロンドンに向かい その滞在中にマッツィーニらと対面します (当時ロンドンは様々な人たちの亡命先でもあったのです)
この時ガリバルディはマッツィーニとイタリア統一の方法論をめぐって対立し決別したとのこと
そしてのちに(少しはしょりますが) 第二次独立戦争への参加のさいに プロンピエールの密約でもって 彼の生まれ故郷のニースがこともあろうにフランスに割譲されることに激怒し その密約を推し進めたカブールと決別したのでした
また シチリア遠征では千人隊を組織して強大なブルボン軍に奇跡の勝利を収め 遠征軍はやがて南イタリアに到達
政治的な駆け引きの中でガリバルディら民主派は カヴールらの穏健派に政治的に敗北をしたこととなり 「テアーノの出会い」という ガリバルディがヴィットリオ・エマヌエ-レ二世を待ち受ける場が設定されますがそれは儀礼的なものであり のちに失意のうちガリバルディはカプレーラ島に戻ります
1861年3月17日にイタリア王国成立宣言がなされるも ローマとその周辺(教皇国家)が残り「ローマか死か」というスローガンが生まれました
アスプロモンテ山中でイタリア王国軍と衝突した際に右足を負傷し その後様々な歴史的な動きを経て 晩年の彼は下院議員となるも体調を崩し 1882年にカプレーラ島で死去します(75才)
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ガリバルディの風貌といえば 南米の生活に由来するポンチョと帽子 そしてトレードマークの赤シャツで それはいろいろな街に建てられた彼の銅像等にも描かれています
しばしばキリストになぞらえられたのも そのカリスマ性を高める上で効果的な演出だったとのこと
また日本では ガリバルディは明治時代の方が今よりも知られていたのは 明治維新とほぼ同時代にイタリア統一という偉業を成し遂げたからとのこと
今のイタリアでいえば2012年7月に カプレーラ島に彼の記念館が作られ ナポリターノ大統領がその開館記念行事に駆けつけたそうです (これはガリバルディの成し遂げたことの再確認という意味で政治的な行動でもあります)
彼の原点は自身が船乗りであり移民経験があること 寄港地でイタリア人のネットワークが作られており それを通じて様々な展開があったこと 等について興味深いお話を伺いました
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続く質疑応答では イタリア移民の歴史について 軍人としては立派だが政治的手腕はどうだったのか 今のイタリアにおけるガリバルディの評価はどうか あるいは映画や本などで取り上げられているか等について 活発な質問と真摯な応答が交わされ さらに勉強になりました
2010年にイタリアで公開されたイタリア映画「われわれは信じていた(Noi credevamo)」についても質疑の中で講師の先生が触れられていました これは私も試写会に行きましたがイタリア人にとっても難解な作品で しかもガリバルディ自身は直接映画の中では登場せず マッツィーニ派の周辺の人々を中心とした展開となっている長編映画です この講演を機会にまた見てみたくなってしまいました
歴史というものは のちの人々の下す評価によってきまってくるものです 最初の理想通りにはゆかないし 一枚も二枚も上手である人物によってその形を変えられてゆき それが後世の人々からどう評価されてゆくのか… また歴史的に無名であった頃のことは実は不明確な点も多く それだけに講談的な面白さも手伝って形成されていったガリバルディ伝の興味深さ… 教科書には載っていない裏のエピソードも含めて 歴史の流れの中で形成されていった大人物の姿に少しでも近づくことができた とても貴重な公開講演会でした
しかしながら 実際にお話を聞いてみなければほんとの面白さはわからないよ!!としか言えません (スミマセン) 書ききれなかったこと その場の臨場感 微妙なニュアンス等 これはその場で講演を聞いた者にしか本当にはわからないものです いつもそうですが...なのでまた来年もぜひ聞きに来ようと思います
この場を借りまして 講師の北村先生 公開講演会を開催してくださいました星美学園短期大学た日伊総合研究所様に 心よりお礼申し上げます
開催のお知らせは こちら
昨年のリポートは こちら
星美学園短期大学のリポートは こちら
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