フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

心理的盲点について

2020年09月12日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

昨日は、人を観察する話でした。

しかし、観察するのはなかなか容易ではありません。

なぜなら、僕たちは自分の見たい情報しか見ないからです。

たとえば、「ボヘミア国王の醜態」でのシャーロック・ホームズとワトソンの会話を引用してみます。

「君の推理の説明を聞くと、簡単で僕にもできそうな感じがするけど、説明されるまで結論が全くわからないんだから情けないよ。僕の目だって君のと同じくらいいいはずなんだが」ワトソンは言った。

「君の場合、見ているだけで観察していないんだ。見るのと観察するのはまるっきり違う。たとえば、君はこの部屋にあがる階段を何度も見ているだろう?」

「何度も見ているよ」

「では尋ねるが、何段あるか知ってるか?」

「階段の数か?知らないな」

「そうだろう。つまり観察しないからだ。僕は17段だと知っている。見ているだけでなく観察しているからだ」

普通の人は、階段の数なんて興味がありません。だから、そこを観察することはない。

僕も最近ちょっと似たような経験があります。

仕事のとき、車に同乗者がいました。彼は言った。「ああ、そこにビル建つんですね」と。

僕はその道を毎日通っているのですが、ビルの建設をしているのに全く気づかなかった。

言われてびっくりしました。ホントだ、ビルの建設をしてる。なんで気づかなかったんだろう。

ただのアホなのかもしれませんが、たんに興味がなかったからだと思いたい。

人間は興味のないことには注意を払いません。

しかし、それは合理的なことで、悪いことではありません。

というのも、脳の情報処理能力には限界があります。

だから、情報の取捨選択をして、認知の負担を軽くしているのです。

そうしないと脳みそはパンクしてしまいます。

ただ、その情報の取捨選択には癖があり、選ばれなかった部分が、心理的盲点になってしまうのです。


この心理的盲点を防ぐ方法がいくつかあります。

まず、興味のないことにも積極的に接してみることです。

興味のある部分にだけに集中してしまうと、盲点が生まれやすいからです。

次に、立場を変えてみる。

たとえば、夫婦の立場を逆転してみる。すると、夫だったら家事の大変さ、逆に妻だったら仕事のストレスがわかったりします。

そうすると、今まで見えなかった盲点が見えてくるでしょう。

最後に、一点に心を集中しないことです。

宮本武蔵の師匠と言われている沢庵宗彭の言葉を紹介しましょう。

どこにも心を置かぬこと。そうすれば心は我が身全体に行き渡り、全体に伸び広がっているから、手が必要なときには手の働きを、目が必要な時には目の働きをかなえ、その必要なところにすべて行き渡っているので、必要に応じて働きをかなえることができる」


では、
認知テストの動画です。

バスケの白チームのパスを数える動画です。

よく見ていないと、わけがわからなくなって見逃します。

挑戦したい人はどうぞ。

コメント (4)
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