昨日は、人を観察する話でした。
しかし、観察するのはなかなか容易ではありません。
なぜなら、僕たちは自分の見たい情報しか見ないからです。
たとえば、「ボヘミア国王の醜態」でのシャーロック・ホームズとワトソンの会話を引用してみます。
「君の推理の説明を聞くと、簡単で僕にもできそうな感じがするけど、説明されるまで結論が全くわからないんだから情けないよ。僕の目だって君のと同じくらいいいはずなんだが」ワトソンは言った。
「君の場合、見ているだけで観察していないんだ。見るのと観察するのはまるっきり違う。たとえば、君はこの部屋にあがる階段を何度も見ているだろう?」
「何度も見ているよ」
「では尋ねるが、何段あるか知ってるか?」
「階段の数か?知らないな」
「そうだろう。つまり観察しないからだ。僕は17段だと知っている。見ているだけでなく観察しているからだ」
普通の人は、階段の数なんて興味がありません。だから、そこを観察することはない。
僕も最近ちょっと似たような経験があります。
仕事のとき、車に同乗者がいました。彼は言った。「ああ、そこにビル建つんですね」と。
僕はその道を毎日通っているのですが、ビルの建設をしているのに全く気づかなかった。
言われてびっくりしました。ホントだ、ビルの建設をしてる。なんで気づかなかったんだろう。
ただのアホなのかもしれませんが、たんに興味がなかったからだと思いたい。
人間は興味のないことには注意を払いません。
しかし、それは合理的なことで、悪いことではありません。
というのも、脳の情報処理能力には限界があります。
だから、情報の取捨選択をして、認知の負担を軽くしているのです。
そうしないと脳みそはパンクしてしまいます。
ただ、その情報の取捨選択には癖があり、選ばれなかった部分が、心理的盲点になってしまうのです。
この心理的盲点を防ぐ方法がいくつかあります。
まず、興味のないことにも積極的に接してみることです。
興味のある部分にだけに集中してしまうと、盲点が生まれやすいからです。
次に、立場を変えてみる。
たとえば、夫婦の立場を逆転してみる。すると、夫だったら家事の大変さ、逆に妻だったら仕事のストレスがわかったりします。
そうすると、今まで見えなかった盲点が見えてくるでしょう。
最後に、一点に心を集中しないことです。
宮本武蔵の師匠と言われている沢庵宗彭の言葉を紹介しましょう。
「どこにも心を置かぬこと。そうすれば心は我が身全体に行き渡り、全体に伸び広がっているから、手が必要なときには手の働きを、目が必要な時には目の働きをかなえ、その必要なところにすべて行き渡っているので、必要に応じて働きをかなえることができる」
では、認知テストの動画です。
バスケの白チームのパスを数える動画です。
よく見ていないと、わけがわからなくなって見逃します。
挑戦したい人はどうぞ。