昨日、埼玉県鴻巣市でブランド化をしていた「こうのとり伝説米」について、今後どうするのかの意見交換をした。
自分としては、真っ先に「このブランドは終わり」という結論を言って、それから意見を聞いてみることにした。
意見を聞くのなら、結論を先に言わなくてもよいのではないかと思うだろうが、ブランド化というものは、そんなに甘くない。
ブランド化をスタートさせてしまったら、後戻りは出来ないし、ましてや今回のように、途中で止まってしまうなんてことは、絶対にあってはならないのだ。
ブランド化をスタートさせてしまったにも関わらず、人員を、4人から2人、そして最後は1人と担当を減らしてしまっていたのだから、農林振興センターとしては、ブランド化を諦めたんだと考える方が自然である。
確かに、農林振興センターとしては、「こうのとり伝説米」だけをしているわけではないので、人も足りないかも知れないが、ブランド化をスタートさせてしまったからには、そんなことは通用しない。
それなら最初から実行しなければ良かったのだ。
「こうのとり伝説米」を終わりにした方が良いと言ったのには理由がある。
何故なら、このブランド化は途中までシッカリと動いていて、地域にも県内にも、ある程度の刺激となって、生産者にも消費者にも、それなりの意識改革の芽が出るまでなっていたのだ。
その途中で止まってしまったのだから、全く動いていないブランド化よりも、末路が悲惨になってしまっているからなのだ。
「こうのとり伝説米」を復活させる方法は、正直言ってほとんど残っていない。
自分としては、このブランド名を降ろしてしまって、新たにブランドを作りなおした方が、早いのではないかと思っているほどなのだ。
なのに、それをもう一度というのなら、今までの数倍以上の努力をしなければならない。
そんなことが、今の農林振興センターに出来るのだろうか。
今回のことで、農林振興センターの部長は、担当を2人と言っていたが、自分としては2人の専属と、2人以上のサポート体制が必要と考えているので、どうしても最低4人以上だと思っている。
しかし、そんな人員配置は、まず不可能。
よって、昨日は、「まず産地に戻って、生産者と農協、そして、ブランド化を始めようとした前任も、全て1回集まって、何故ブランド化をしようと考えたのかから、徹底的に検討しなおしてみる必要がある」と言って、意見交換を終えた。
徹底的に考えてみろ。
それでも駄目なら、潔く諦めた方が良い。
自分としては、真っ先に「このブランドは終わり」という結論を言って、それから意見を聞いてみることにした。
意見を聞くのなら、結論を先に言わなくてもよいのではないかと思うだろうが、ブランド化というものは、そんなに甘くない。
ブランド化をスタートさせてしまったら、後戻りは出来ないし、ましてや今回のように、途中で止まってしまうなんてことは、絶対にあってはならないのだ。
ブランド化をスタートさせてしまったにも関わらず、人員を、4人から2人、そして最後は1人と担当を減らしてしまっていたのだから、農林振興センターとしては、ブランド化を諦めたんだと考える方が自然である。
確かに、農林振興センターとしては、「こうのとり伝説米」だけをしているわけではないので、人も足りないかも知れないが、ブランド化をスタートさせてしまったからには、そんなことは通用しない。
それなら最初から実行しなければ良かったのだ。
「こうのとり伝説米」を終わりにした方が良いと言ったのには理由がある。
何故なら、このブランド化は途中までシッカリと動いていて、地域にも県内にも、ある程度の刺激となって、生産者にも消費者にも、それなりの意識改革の芽が出るまでなっていたのだ。
その途中で止まってしまったのだから、全く動いていないブランド化よりも、末路が悲惨になってしまっているからなのだ。
「こうのとり伝説米」を復活させる方法は、正直言ってほとんど残っていない。
自分としては、このブランド名を降ろしてしまって、新たにブランドを作りなおした方が、早いのではないかと思っているほどなのだ。
なのに、それをもう一度というのなら、今までの数倍以上の努力をしなければならない。
そんなことが、今の農林振興センターに出来るのだろうか。
今回のことで、農林振興センターの部長は、担当を2人と言っていたが、自分としては2人の専属と、2人以上のサポート体制が必要と考えているので、どうしても最低4人以上だと思っている。
しかし、そんな人員配置は、まず不可能。
よって、昨日は、「まず産地に戻って、生産者と農協、そして、ブランド化を始めようとした前任も、全て1回集まって、何故ブランド化をしようと考えたのかから、徹底的に検討しなおしてみる必要がある」と言って、意見交換を終えた。
徹底的に考えてみろ。
それでも駄目なら、潔く諦めた方が良い。