台風11号爆北中、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
ここ湘南地方は自転車活動に手足も出ないほど暴風雨でありまして、珈琲を何杯も飲みながら秘密基地に待機しておりました。
こんな時には秘密基地無線局の大掃除がうってつけ。なんたって無線局があるところは屋根裏部屋。カンカンに晴れ渡った日にメンテナンスを行ったら、基地内で熱中症&ぶっ倒れ確実ですから。
そんなわけで、いろいろ作業をしていたら今まで見たこともなかった写真が出てきましたので、ちょっとだけご紹介を^^;
29年前?30年前?の夏の一コマ。
この年の夏合宿は鳥取→山口。これに連結し清里→鳥取のプライベートランに出かけた時の写真が出てきたのであります!
当時、ものすごく女の子の間で盛り上がっていた清里。コ汚い青年が、ランドナー、サイドバック二個、テント寝袋をかついで中央線を輪行し、韮崎駅で小海線に乗り換えようとしたら山手線顔負けの押せ押せギャル満載状態に驚愕し、一本見送っての清里入り。
自転車を組み立てたら、信州の山々を越え福井から再び食パン列車で輪行し、京都の友人宅に転がりこんだ。二日間遊ばせてもらい、DD51に引っ張られる客車に乗車し鳥取まで輪行。そこから女子2名を含む班合宿の開始。
隠岐の島渡航を含む10日間程女子班を務めあげ、帰りは岡山一泊の鈍行列車プラス新幹線で帰着。こんな行程をこなせたのも若かったからなんですよね^^;
その時の写真をちょっとだけ。
ここは八千穂駅の駅舎。当時は快くテントを張らせてもらったけど、今は絶対に無理でしょうね~
大河原峠・・・・これは確かにきつかった。たぶん押していたと思う。
それにしても、こんな装備でダートを走るなんて今では信じられない^^;
その後、松本で合流したA君と上高地を目指したんだっけ。
おぉぉ、まさに上高地!
恐ろしい釜トンネルを行き来し、平湯峠を越えた。
当時の釜トンネルは信号制御による片側一方通行。信号が青に変わってトンネルに突入するんだけど、バス一台分の幅しかなく、観光バスが追い抜いてゆくとき、トンネルの壁面にサイドバック付の自転車を押し付け、自分も壁に貼り付いてバスが通過してゆくのを待ったのだ。上高地から降りてくるときはバスの後ろに着けばいいんだけど、上高地に向かう上りは、も~最悪。天国に続く地獄のトンネルだった。
このあと、高山のお食事処で日航事故をテレビニュースで知り意気消沈。もう30年近く経つ。
キャンピング車を進めてこちらは五箇郷のユース
昔のYHはこんな出会いもあり楽しかったな~マジに^^
その後、ブナオ峠を征服し灼熱の金沢市街地へおりてゆき、金沢のYHへ投宿。
いきなり飛んでここは隠岐の島
完全に時間が止まっていた空間だった。ビックリしたのは、地元商店で売られていた冷凍豚肉。賞味期限3ヶ月以上も過ぎており、肉の色が変色していたのだ(@@;
合宿中も終盤、津和野駅へ到着。
ここに到着するまで体調を崩してしまっていた。あのブヨ膿全身飛び火になっちゃいましたから。
そうそう、この女子班っていうのはいろいろと気遣いがあったんですよ。特筆すべきは彼女たちの下着の干し方。その方法は絶妙だったのだ。
こうみてみると、やっぱり自分の原点はランドナーだとつくづく感じるんですよね。
あぁぁぁぁぁ、いけない!・・・・ついつい思い出に浸ってしまい、なかなか整正・整理が進まない^^;