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自転車ロードレースやロングライドの話題が中心です。
脊椎関節炎と付き合いながら生活しています。

第11回サロベツ100マイルロードレース (S4)

2014-07-22 17:59:32 | 自転車

日本最北のロードレース、「サロベツ100マイルロードレース」のS4カテゴリに出場させていただいた。
結果はS4で7位という、またしても微妙な結果。

遠い場所でのレースだったので参加しようかどうかとっても迷ったが、チームパンダのYさんが、「ものすごく気持ちの良いコース」と言っていたのを思い出して興味がそそられエントリーした。
その後、どういうコースなのか、ネットで調べてみると、三者三様の書きぶりで、ほぼ平坦に近いという意見もあれば、けっこうきつい登りがあるとか、アップダウンが続いて脚を削られるとか、走る選手の脚質によっても印象が違うので、結局のところどういうコースなのかわからないままだったが、牛乳飲み放題とか、6位まで表彰されるとか、景色が抜群とか、ヨーロッパのレース中継で見るような雰囲気の大会であるということは伝わってきた。

土曜日の朝9:30頃に札幌を出発し、道央自動車道と深川留萌道を通って日本海側に出た。
留萌市内のスーパーで翌朝の朝食を調達して、一息ついたのだが、ここからが遠かった。
小平町でヒルクライムTTのコース(今年は出場します。)らしき場所を通過(左手にあるキャンプ場のところ?)し、さらに北上。いろんな町を通ったけど、信号もなく景色もあまり変わらず、カーナビで表示される残り距離もあまり減らず、道の駅に寄ってみたけど、お土産にするようなものはなく、退屈なドライブを4時間半・・・。

ようやく豊富に入り、そのまま大規模草地へ。
大規模草地は看板があってわかりやすかった。
少し進むと試走の選手達がいたので、選手達に沿って走ってゆくとスタート地点に到着。
エキシビションのTTの表彰式が行われていた。

まずは試走してみた。
サイクリングペースで走って一周45分程度だったが、これがレースならS4の先頭集団は一周32分~34分程度で走ることになると思われる。(試走時の車載カメラ映像があるので、そのうちアップします。)
GARMINで6~7%と表示される登りもあって、登りが苦手な自分的には、かなり厳しいコースだと感じたが、幸いにも登りの距離が短く、下りの勢いを活かせると感じたので、なんとか登りでも先頭集団から遅れないでついてゆけそうな気がした。

運転で疲れたので、ぼーっとしながら一周で試走は終了。
豊富温泉街の宿にチェックインし、ふれあいセンターでぬるめの浴槽に浸かって痛むハムストをじっくり揉みほぐした。
ここの温泉は基本的には食塩泉なのだけど、原油が混じっており、油が湯船に浮いている。灯油のようなにおいがするのが特徴で、全国的にアトピー性皮膚炎に効果があるとのことで有名らしく湯治客も多数滞在しているようだ。
ふれあいセンターでは食事もできるらしいが、自分はレースの前はセイコーマートのホットシェフでかつ丼を食べることを決めているのでセイコーマートへ。幸いにも時間が早かったので売り切れておらず、無事にかつ丼をゲット。
宿に戻ってかつ丼を食らい、プロ野球のオールスターを見ながらベッドでダラダラ過ごした。
翌朝は5:00起床の予定で23:00頃に床についたのだけど、どこからか漂ってくる煙草の煙の臭いが気になってなかなか寝付けず、熟睡感のないまま朝を迎えた。

幸いにも身体が重いというわけではなかったので、テレビを見ながら朝食を食べて、軽くストレッチしてから軽量化完了。
6:00少し前に宿を出発して6:15頃にはスタート地点に到着した。
昨晩からのテント泊、車中泊のみなさんが既に起き出して試走したりのんびりしたり。
軽く走ってから受付を済ませ、検車を済ませて、ドリンクと補給食を用意していつでもスタートできる体制にしてから、コースを3kmほど逆走してからゴールに向かって戻りながら最後のゴールへのイメージを膨らませた。といっても、単独でゴールラインを駆け抜けるイメージしかもっていなかったのだけど、そうそううまく抜け出せるものではなかった。

基本的なルールとして、日本のレースでは車載カメラは禁止ということが審判長に確認してわかった。残念だけど、ルールが変わるのを待とう。

160kmを走るエリートから順にスタートし、いよいよS4のスタート。
号砲と同時に一斉にクリートを嵌める音が響き、皆がスムーズにスタートをきったようだ。
最初の小さな下りは落ち着いたまま進み、飛び出す選手もなく静かなスタートだった。
二周のレースなので、一周目からガツガツアタックがかかるのかと思っていたが、そんなことはなく、集団は最初から牽制状態で、先頭付近で牽いている選手は限られていた。
あまりにもペースが遅いので、ポイント3あたりの少し長めの下りから幌延交差点で左折して平坦に出る直前に軽くアタックをかけて集団を刺激してみたが、一緒に飛び出してくる選手はおらず、振り返ってアピールしてもブリッジしてこようという選手はおらず・・・しばらくFTP走行の後に脚を緩めて集団に吸収された。(レース後にM選手が集団を抜け出して追いかけてくれたことを知った。わかっていれば、もう少し脚を緩めて合流したのに・・・M選手、気付かずごめんなさい。)

このコースは厳しい坂がなく平坦も多くないので、S4レベルならアタックする場所を選べば逃げが成功する可能性が高いコースだと感じた。
アタックポイントは、やはり平坦に入る前の長い下り。(ポイント3あたり)
ここで加速して左折時に減速しないように注意すれば、集団で交差点を左折する際の減速は大きいはずなのでアドバンテージを得ることができるはず。
しかし、1名で逃げられるほどの脚を持つ選手はなかなかいないはず。
ここはやはり5名くらいの逃げ集団が欲しいところだけど、さすがに5名もの逃げ集団ができそうな時は、メイン集団も黙って見逃してはくれないだろう。それだけに、序盤での牽制状態のうちに逃げ集団を形成したかった。

その後も何度か平坦や下りを利用して少し飛び出してみたり先頭を牽いてみたりして、なんとか集団を伸ばそうとするのだけど、振り返ったらスタート時と同じくらいの集団がごっそりと落ち着いて走っており、一人で飛び出しても集団を絞り込むことはできなさそうだと感じた。
「まだみんな後ろにいるよ。」と逃げの誘いをかけてみても、あまり良い反応は得られなかった。

不安材料だった、平坦が終わってゴールまでのアップダウン(ポイント7から10)の登りは、それほど登りに強い選手がいなかったのか、それとも登りで引き離しても平坦で吸収されることを嫌ったのか、牽制が入っていたのかわからないが、登りが苦手な自分でも付いてゆけるペースでクリアすることができた。
(リザルトを去年や一昨年と比較すると、今回のペースが遅かったことがわかる。)

2周目も懲りずに、同じ場所(ポイント3あたり)でアタック。
逃げ切るつもりはまったくなかった。
自分にはスプリント力がないので、ゴール前までに集団をなんとか縦に伸ばそうと試みたのだけど・・・やはり協調して逃げてくれる選手は現れず・・・。

しかし、チャンスが訪れた。
それまでも積極的に前を牽いてレースを牽引してきた十勝のTさんがポイント6あたりで前に出てきた。
Tさんはレースに対する姿勢というか取り組み方が自分と似ているような気がする選手だ。
「S4クラスは前に出て積極的にレースに関わってなんぼ」という考え方が共通している。
我々S4は「初心者」なので、上のカテゴリーに上がる前にレースでいろんなことを経験しておく必要があると思う。
レースで前を牽くこと、アタックをかけること、逃げた選手をチェックすること、ローテーションに加わること等など、いろんな経験すべきことがある。Tさんはすべてをこなしてなおかつ実績を残している尊敬すべき選手だ。
Tさんが前に出てきたとき、後ろを振り返ると、数メートルの距離が空いていた。
チャンスだと思い、「離れた、逃げよう!」と声をかけて加速。
T選手と共に逃げ切るつもりだったが、2名では逃げ切ることはできず、あえなく集団に吸収された。吸収後も集団は落ち着くことなく、選手たちは殺気立っていた。

ポイント9を左折して登り始めてすぐに一人の選手がアタックをかけ、20mくらい先行した。
タイミング的にここでアタックすることを決めていたのだろう。
計画的なアタックに「ヤバイ!」と思ったが、加速してゆく際の走り方を見て容認することを決めた。
しかし、さすがに最終回だけに、他の選手達は逃げを容認することはなく、すかさず別の選手がチェックに入り、後続もそれに続き、逃げは潰された。
アップダウンが続き、登りで少し先頭から離れるものの、平坦や下りで追いついて先頭に出る繰り返しだった。やはり「脚質」の違いはあるのだろう。
ポイント10のあたりで先頭に出た。

ゴールゲートが見える下りで再び先頭に出たときのスピード感と景色の気持ちよさに、思わず「気持ちいい~!」と叫んでしまった。
そのまま緩やかな登りでゴールラインまでスプリント勝負!!
ゴールラインが近付いてくるにつれ、左右に人影が多くなってきて、ゴールラインを超えるときには5~6名に追い越された感じだった。
やっぱりスプリント力がないわ~。
前をひいたりアタックしたりして脚を使っていたからスプリントで沈んだのだと言えなくもないけど、あの程度のアタックや牽引で脚がなくなるのなら、それは弱いということ。まだまだ強化すべき部分はたくさんあることを再認識したレースだった。

ゴールラインを越えて脚を緩めた時に、車体が右方向に傾く感触がして、姿勢を制御しようとカウンターを当てる等試みたが間に合わず、右肩から地面に転倒してしまった。
自分の左側からゴールした選手と絡んでしまったようで、相手の選手の方が擦り傷が多くて痛そうだった。
ゴール後に自分がふらついてしまったのだろうか?巻き込んでしまって申し訳けないことをした。何度か声をかけさせてもらったが、大丈夫とのことだったので一安心。
自分は興奮していたので右肩が痛む以外は多少の擦り傷だけと思い、救護所でばんそうこうを貼ってもらい車に戻って後片付けを進めた。

リザルトを確認して帰路についた。
途中で実家に寄って昼食を食べて札幌に戻った。
時間が経つと、いろいろ痛む部分が増えてきたので、痛み止めを飲んで早めに就寝。
翌朝起床した際には、痛む部分は増えていなかったが、むち打ち症状で肩と首がこわばってしまっているのが辛い。整形外科での診察では骨折はなかったので一安心。
あとは時間が治してくれるはず。

ニセコクラシックとサロベツの二連戦で感じたこととして、アタックするのなら誰かが協調して付いてきてくれることを期待するよりも、レース前に一緒にアタックをかけることについて5~6名に声をかけておくべきだということ。もちろん、その日のレース展開にもよるので約束通りにアタックをかけられるかどうかはわからないけど、うまくはまれば逃げるという意思統一がなされた強力な逃げグループが形成できるのではないだろうか。
先頭集団から遅れてしまって集団に復帰するために頑張るよりも、集団に先行して逃げるために頑張る方が楽しいと思うのだ。
どなたか、一緒に逃げませんか?(笑)


第一回ニセコクラシック 70kmコース (S4)

2014-07-16 06:00:00 | 自転車

7月13日(日)に開催された第一回ニセコクラシックの70kmコースにS4カテゴリーで参加させていただいた。

結果はS4カテゴリーで5位、総合で17位と微妙な順位だったが、目標としていたS4で一桁順位に入れたので満足。
しかし、課題の「登り」は今回も克服できず、2つ目の農道の登りで両脚が攣って大幅にスローダウン・・・ここからはレースというよりサイクリングのようなスピードだった。

当日は4:00に起床、5:00に自宅を出発、蘭越のスタート地点に7:00頃に到着。
既に、多くの選手たちが到着し、自転車を組み立てたり、ウオームアップを始めていたり、レースらしい雰囲気に気持もたかぶった。

車を停めた隣が手稲山で知り合ったSさん。
当時はクロモリのロードバイクで手稲山をゴリゴリと登っていた方だが、今はSPECIALIZEDに乗り、美しい奥様もロードバイクに乗られており、ご夫婦でニセコヒルクライムにも参加されているうらやましい環境の方だ。
今回も奥様がご一緒で、ゴール地点の比羅夫で待っていてくれるという・・・家族の理解って大切。

受付時に予想外の事実を知ることになった。
最初の登り、およそ2kmは「パレードスタート」とのこと。
最初の登りは体重68kgの自分が300W近くで頑張って登って6:30くらいを要するので、それなりに集団がバラけてしまうであろうと予想して、ここが勝負どころではないかと心の準備をしていたのだけど、残念ながら、ほぼ坂の頂上まで先導バイクに蓋をされた状態で集団は一体となって平坦区間に突入することになる。
参加者にレースを楽しんでもらおうという主催者側の配慮なのであろう。最初の坂でちぎれてしまい、残りの70kmを単独もしくは脚の揃わない少人数で走ることの辛さは、次年度以降の参加意欲にも影響するだろう。賢明な措置だと思うとともに、残念でもあった。なぜなら、ここ3週間の週末は、5分程度の登りを300W以上で登り切るトレーニングを続けて来たから。

もう一つ、予想だにしていなかったことは、手負いのSさんから教えてもらった「車載カメラ禁止」ということ。
レース会場で議論してもしょうがないのでスタッフに理由を尋ねることはしなかったが、カメラが脱落して走行に影響を与える危険性が理由なのであれば、それはサイクルコンピュータもボトルも同じ理屈で禁止になるのではないだろうか?車載カメラの方が、よっぽど強固に取り付けられていると思う。
多少は重くなるのだからディスアドバンテージにはなってもアドバンテージにはならないだろうから、有利不利の話ではなさそうだ。
そもそも自転車走行に関係ない物は装備禁止というルールがロードレースの基本的な競技規則に書いてあるのなら、しょうがないかなと思う。
しかし、ツールドフランスでも車載カメラを搭載した映像が公開されている。
この映像はたいへん魅力的で、これまで外側からしか見ていなかったレースを集団内の視点で見ることができる。
ニセコクラシックの魅力を発信する意味でも、参加を検討している選手たちへの参考情報としても、車載カメラの映像が公開されることは、メリットはあってもデメリットはないように感じる。
第一回ということもあり、慎重にこれまでの事例を踏襲して運営することは間違っていないと思うが、第一回だからこそ、チャレンジができたかもしれないし、このレースの魅力を発信するためにも選手による車載カメラの映像が公開されることは大きな宣伝になったと思うのだ。

ロードレースの会場としては、S1~S3の選手たちのスタート地点が別なので、少しさびしい感じもしたが、開会式が行われ、カメラ禁止も明言された。
ここで、「オープン」というカテゴリーが存在することに気が付いた。どうやら北海道車連の登録選手以外の参加者の総称らしい。でも車連のS3以上の選手もいたような気が・・・。

スタートは登り坂からのゼロスタート・・・クリートが嵌まらずにこけてしまうかもと思いながらも、全員無事にスタートできた模様。
速度不安定なバイクに先導され、ときどき集団がブレーキで揺さぶられながら登り坂に突入し、サイクリング以下のペースでジワジワと登った。
頂上が近付いてきたところでリアルスタート!
集団はさほどスピードアップすることもなく淡々と進んだ。

後ろの方から少しずつ前方に上がり、前の選手たちが20名ほどになったところで前方に小さな登りを見つけ、「ここだ!」と800Wで加速し一人逃げ開始。
100mほど先行したところで振り返ったが、集団は落ち着いたまま誰も追ってこない。何度振り返ってアピールしても誰も飛び出してこない。逃げた選手が強い選手だったらどうしよう?という不安はなかったのだろうか?逃げてゆく走りを見て、たいしたことない選手だからそのうち落ちてくると判断されたのだろう。ちくしょー!

向かい風の中、15秒差くらいを維持し続けた。
この間の出力は、平均250W。FTPよりもちょっと下なので、このまま1時間は続けられるはずなのだけど、軽い登りが入ると速度維持するために出力は上昇し、だんだんとタレ始めてくる。
バイクから「後続と15秒差です!」と何度か言われたが、T字路を右折してしばらく走った頃に「10秒差です!」と言われたところで気持ちが切れてしまい、集団に戻ることを決めた。
平坦区間だけでも逃げ切ろうと、少し考えていたところもあったが、向かい風を受けながら逃げてみて一人逃げのキツさがよくわかった。
ロードレースには、やってみなければわからない事がたくさんある。めったに経験できないが、一人逃げもその一つだ。今回で感触はつかめたので、今度逃げられる機会があったら、もう少し長く逃げてみたい。もし、協調して一緒に逃げてくれる人がいれば、精一杯協力していけるところまでいってみたい。

集団内で走行して終盤や登り区間まで脚を溜めておくというのは、ロードレースでは基本的な戦略なので、そこを非難するつもりはまったくない。
個人的には、S4(初心者)レベルでは脚を溜めるとか考えずにどんどん前に行って積極的に走ることが次のステップにつながるような気がしているので、できるだけレースを動かすように積極的に走っているつもりだ。傍から見ると、ただ右往左往しているだけなのかもしれないけれど。

その後も集団が落ち着いたと感じたら小さくアタックをしかけ、集団を活性化させようと動いてみたが、振り返ると、集団はスタート時の大きさのままのような気がして凹んだ。
それにしても、集団内での走行のなんと楽なことか。思わず安住してしまいそうになった。

自分は登りが苦手だ。
ロードレースのコースには必ず登り区間がある。
登りが得意な選手であれば、平坦区間は集団内で脚を溜めておき、登りで差をつけるという走りができるだろう。
登りが苦手な選手はどうすればいいのか?登りを鍛えることはもちろんなのだけど、そう簡単に登りの能力が向上するわけではない。やはり、同じ脚質の選手たちと平坦区間のうちに逃げて差をつけておくこと、あるいはスピードアップして集団を疲弊させることが考えられる。
しかし、今回は単独での作戦だったので、集団に影響を与えることはできなかった。もっと同じ脚質の仲間を増やさなければ協調体制は築けなさそうだ。

というわけで、結局のところ蘭越からの登りを前に、無駄脚に終わった感のある自分の動きだったが、もう一つ大事なミッションが残されていた。

これまで、何度も表彰台に上がったものの、優勝がない一人の選手がいた。
十分に強いのだが、自分の脚に満足せず、自分よりも強い選手が自分より練習していることに恐怖し、自らを鞭打ってトレーニングを続ける尊敬すべき選手だ。
この選手に是非とも勝ってもらいたく、メッセージを伝えたかった。
「勝って!」とか「頑張って!」と言葉で伝えることは簡単だが、それでは軽すぎるし、チームメイトでもない自分からそんなことを言われても違和感があるだろう。
中学生に先頭牽きを引き継がされ、戸惑いながら先頭を走る彼に声をかけた。そして彼の前に出た。
彼は、きっとわかってくれたはずだ。

蘭越に先頭で戻ってきた。
ロードレースやクリテリウムで先頭を走った事がない選手はわからないかもしれないが、先頭を走ることは、風を受けて辛いのはあるが、気持ちが良いものなのだ。
是非とも一度は先頭を牽いてみてほしい。
先頭を牽くことで、自分に足りないものに気づくだろうし、他の選手達への敬意が生まれるはずだから。

自分達の車が川の向こう岸に駐車しているのを右手に見ながら左折してすぐに右折して登りが始まった。
僕の仕事はここまでで終わった。
あとはベストを尽くしてゴールを目指すだけだ。

最初の長い登りは、試走のときよりは楽に走れた。
補給が十分だったためだろう。
斜度がゆるくなったところで手負いのSさんに追いつき、後ろについてもらうよう促した。
やはり脚質なのだろう、斜度がゆるくなると自分の速度は周りよりも速いようで、先行していた選手を次々とパスした。
2回目の登りで脚を攣ることはわかっていたので、下りではペダルをほとんど回さずに惰性で下った。複数で下れば80km/hもあたりまえの区間だが、最高速度は70km/hに達していなかったはずだ。
長い下りから左折して下り切ったところにあるT字路の左折箇所で、後続の選手がまっすぐ突っ込んでいったような気がしたが、無事だったのだろうか?

温存したはずの脚も、やはり2回目の登りで攣り始め、とうとう4カ所(左右の太ももとふくらはぎ)が攣ってしまい、ペダルを上下させることすら難しくなった。
もう自転車を降りるしかないとクリートを外しかけたところで、左手首のミサンガが眼に入った。
娘がレース中の幸運を祈って作ってくれたミサンガだった。
その途端、ふっと脚攣りが軽くなって停車をまぬがれ、なんとか坂を登り切った。
登り切って右折してしばらく下りが続くが、ここでスピードアップすることもできず、なんとか前を走るチームニセコの選手に追いつくことだけを考えていた。
正直言って、このあたりの走行はあまり記憶に残っていない。
黄色い橋の下を通って最後の登りに突入した。もう脚を残す事なんて考える必要はない。歩いてでもゴールできるところまで戻ってきたのだから。
脚を動かせないので、心拍はどんどん下がって楽になってゆくのだけど、いかんせん脚が動かないので前に進まない。
攣って硬くなった脚を必死に上下させて、なんとか最後の登りをクリアして右折。
あとは比羅夫まで一直線だ。
シフトダウンの音に気づいて振り返ると、オープン参加の選手が一人ついていた。彼に「今、何ワットですか?」と聞かれてメーターを見ると、「200W出てないよ。」と答えると、彼は鼻でフンと笑って前に出て牽いてくれた。
ゴンドラ坂に入って「最後がんばろう!」と声をかけたが、彼にはもう脚は残っていなかった。

自分が何位なのかわからなかったが、手を挙げてゴール!
ゴール地点でダウン中の彼に声をかけられ、「たぶん勝ったと思う」と聞いて嬉しかった。

ゴール後、預けた荷物を回収しようとスタッフに声をかけたが、頭の上に「?」マークを出されて、こっちが戸惑ってしまった。
最初の大会なので、スタッフ間の情報共有は未完成だったのだろう。

預けた荷物を無事に回収して、回復のためのスムージーとプロテインバーを流し込んだ。
水分が足りず、500mlの缶コーラを2本と、ミネラルウオーター1本をさらに流し込んだ。
それでも、トイレで小を出すと、ほんのわずかしか出なかった。
脱水症状一歩手前までいっていたのかもしれない。

蘭越へのバスは閉会式が終了して15分後とのことだったので、あまり時間に余裕がない自分は、リザルトを確認してすぐに自走で蘭越へ向かった。30kmないくらいの距離だったとも思うが、向かい風と、それなりに厳しい登り坂に苦しめられ、何度も脚を攣らせてしまい、蘭越の駐車場に到着したのは14:00だった。
結局、レースと合わせると100kmくらい走った事になるのかな。

着替えて自転車を分解して積み込んで、家族へのお土産を買うためにミルク工房へ。
恒例のソフトクリームを食べて一息ついたところで札幌へ向かった。
途中、京極のローソンでアイスカフェラテを買って眠気を覚ましながら順調に自宅へ到着。

FACEBOOKやTwitterで他の選手たちの記事を読みながら、楽しかったな~、来年もまた出たいな、今度は140kmかな?と早くもワクワクし始めたのでした。