SUBGROUND

自転車ロードレースやロングライドの話題が中心です。
脊椎関節炎と付き合いながら生活しています。

第12回 サロベツ100マイルロード S3

2015-07-20 10:01:29 | 自転車

去年に続き、今年もサロベツでのロードレースに参加させていただき、結果はS3で19位でした。

<写真はKGMさん提供>

4月から仕事が忙しく、自転車に乗る時間が少なくなったことが影響しているのか、2月、3月にピークパワーを更新した勢いはどこへやら、これまでは、道新杯では完走がやっと、藻岩はやる気なく完走するのみ、エンガルクリテでは屈辱の周回遅れ、ニセコでは去年の記録を下回るという散々な今シーズンのレースリザルトでした。
それでも、S3残留の目安である30ポイントを既に獲得したことから、「DNFでもいいや」と開き直った気持ちもありました。
なんとなくコンディションが戻ってきつつあるような感覚があるものの、距離を乗っていない不安はあり、しかも去年のゴールスプリント直後の落車事故の恐怖が心の芯に残っている状態で、サロベツは遠い事もあって、どうもモチベーションが上がりませんでした。「エントリーしなければよかった。」と弱音を吐く自分に妻も「やめときなさい!」と厳しいのか優しいのかわからない反応。
稚内に生まれて初めて訪れるという楽しみもあって、なんとか重い腰を上げることができました。

去年のレースでコースはだいたいわかっているので、試走はせず、18日(土)はのんびりと11:00頃に札幌を出発。
道央自動車道から留萌へ抜けて、海岸線を北上し、およそ5時間かけて宿泊地の稚内に到着。ベッドが硬くてなかなか寝付けずに熟睡感のないまま4:45に起床。朝食を食べて、軽量化を完了(朝食を食べたら出る物はすぐに出るのが習慣です。)し、5:45頃にホテルを出発し、6:30頃にレース会場に到着。

受付を済ませ、暑くなりそうな気候のためヘルメットキャップにうんざりしながらコースを逆走してウオームアップ。
今年はS3の参加者が少なかったような気がします。
スタートは8:45。クリートを嵌めるのに手間取っている選手もいましたが、スムーズにレースはスタートしました。

特にスピードアップするわけでもなく集団は淡々と進みました。
少し登りが出てくると走力の差で少し集団が縦に伸びました。
最初の下りから交差点を左折したところでわずかに先頭と差が開きましたが、後続は離れまいとダッシュをかけて、間もなく全員がひと塊となって平坦区間を進みます。
ふと前方をみると数名が飛び出していましたので、自分が先頭に出て少しスピードアップして吸収しようとしましたが、ちょっとしたスピードアップで簡単に差が詰まったため、逃げ切れないというのが集団内での共通認識で、最大で45秒差まで集団内では逃げを容認していました。
この「逃げ」は集団の予想よりも頑張って、2周目の終盤まで逃げ続けました。敢闘賞に値する強い逃げ集団でした。

左折して登りに入ってからも逃げとの差を開き過ぎないように集団は淡々と進みました。時々、逃げとの差が開き過ぎないようにスピードアップのために先頭に出て集団を牽きました。
先頭を牽く選手はいつものように限られており、ローテーションを回すということはほとんどありませんでした。
先頭が少しスピードを緩めると、後方から中途半端に上がって集団が右に膨らんでゆく傾向があり、そのまま前に出てゆかないのはなぜなのか、いつも不思議な気がしています。
そこでとどまっていられると、後続の選手は前に蓋をされた状態になってしまい、前に出てゆけないのです。

サロベツの登りは、登りが苦手な僕でさえ遅れることが無い斜度です。
集団は登りでも大きくバラけることなく進みました。アップダウンが続く終盤ではカーブも多く落車が起きやすいので、できるだけ前へ前へ進み、ゴール前のシュミレーションとして500m手前から少しギアをかけて集団の先頭でゴール前の登りに入りましたが、けっこう頑張って踏んでいても後ろから軽くかわされるので、「これは最後のスプリントはダメだな…」と、この時点で「早がけ作戦」を決めました。
2周目も逃げは続いていましたが、平坦区間で少し差が詰まってきて、終盤のアップダウン区間で集団から少し前に出て、逃げメンバー(3名?)に追いつき、「ガンバロー!」と声をかけましたが、そのまま逃げ続けるというアクションは起こりませんでした。
自分は2ラップ目をトップ通過して写真を撮ってもらおうと少しがんばってゴール前で踏みましたが、やはり軽くかわされました。
後ろを振り返っていなかったので、3周目に入ったところで集団の人数がどれだけ減っていたのかわかりませんでしたが、ほとんどの選手は残っていたのではないでしょうか?
3周目も後半の登り始めまでは、大きな動きは無く集団は牽制状態でした。
一番長い登り区間でH野さんを含む3名ほどが先行したのが見えましたが、自分の場合、ここで頑張ってしまっては足が終わってしまうので、なんとか追いつける距離を保って追走し、少し集団から抜け出して、アップダウン区間の一番てっぺんあたりで3名をとらえました。
そのまま最後まで走り切る自信がなかったので、下りでは脚を緩めてゴール前の「早がけ」に備えました。5、6名が自分より先行していたと思いますが、早めに仕掛ける作戦通り、残り500mの看板が見えた時点では自分が先頭になっていました。
最後の100mにダッシュをかけましたが、キレがなく50mを残して一気に大集団に追い越されてしまい、完全に集中がきれてしまい、踏むのをやめて、「ちくしょー!」と言いながら流してゴールとなりました。
早がけが間違っていたとは思いません。ベストの選択でしたが、気持ちで負けていたと思います。

去年のサロベツでは、同様にゴール前で早がけして捲くられて7位に沈みましたが、最後まで粘って踏んだため、ゴール直後に他の選手と絡んで落車してしまい、右肩脱臼とろっ骨骨折を負い、1ヶ月半ほどトレーニングを休まなければなりませんでした。くしゃみをすると激痛が走り、寝返りもうてない状態で、とても辛かった経験でした。
このことが頭に残っていて、ゴール前の集団スプリントが怖かったのが、今回、ゴール前で簡単に踏むのを諦めた理由の一つです。
去年のリベンジを誓って臨んだレースでしたが、次年度に持ち越しすることになってしまいました。

レース中、知り合いの選手達と話しながら、お互いに励まし合いながら競えた事がとても楽しかったです。来年も参加したいと考えていますが、万が一、S2に昇格していたら「100km」のレースですから、自分にとっては完走も難しい厳しいレースになりそうです。


第2回ニセコクラシック 70km (S3)

2015-07-14 13:04:11 | 自転車

第2回ニセコクラシックに出場しました。
結果は「総合-70位」、「年代別-22位」、「S3-19位」でした。

※年代別は40歳代に分類されていましたので、現時点での年齢ではなく、1月1日の年齢なのかもしれません。

春先からコンディションが上げられず、完走すらあやしい状態での出走でしたが、なんとか完走できました。
タイムは去年の方が速くて、「2:23:32」、今年は「2:27:38」でしたので、やはりコンディションは去年と同レベルにまでは戻っていなかったようです。気温が高かったというのも影響したのかもしれませんが、ゴール後のおしっこの出方からすると去年の方が脱水していました。今回は経口補給水のジェルを背中ポケットに2つ忍ばせて、そのうち1つは飲み切りましたので、これの効果があったのかもしれません。

当日は朝4:00に起床し、5:00少し前に出発しました。
比羅夫には6:30頃には到着し、140kmコースの皆さんがスタートラインに並ぶのと、ほぼ同じくらいの時間に蘭越に向けて自走出発しました。
ミルク工房の少し下の道を進み、つきあたりを右折して少し坂を登った後は、5号線までずっと下りでした。脚を削られることもなく40分と少しで会場に到着し、無事に受付終了。

トイレに行ったり、知り合いと話していたらスタート位置に並ぶということで、カテゴリー別に分かれることもなく、選手たちが続々とスタートラインに並びました。
今回は、本州からの参加者も多く、70kmコースでは、200名以上の選手たちが出場していたようです。
自分は、だいたい真ん中あたりより少し前の位置からのスタート。

スタートは、去年同様に最初の坂の頂上付近までの3kmくらいはパレード走行。
パレード走行の時点で、既に選手達の意識は前へ前へとピリピリした雰囲気が漂っていました。140kmコースの進捗によっては坂の上で一旦止められるというアナウンスもありましたが、結局、止められることもなく、何時リアルスタートがきられたのかわからないうちに、急激に集団がスピードアップしました。ここで置いていかれたら、先頭集団で走ることもなくレースが終わってしまうと感じ、けっこう頑張って前へ前へ出てゆき、先頭が見えたところで腰を落ち着けて様子をみることにしました。

去年は、ここで一気に前に出て15秒差をキープしたまま信号を右折してしばらく単独で逃げていたのですが、今回の集団のスピードは去年よりも速く、知り合いも近くに見つからなかったので、飛び出さずにいつでも先頭に出られる位置をキープして走りました。
それでも、我慢できなくて、何度か先頭に出てしまいました。
問題は、先頭に出て、先頭を交代した後です。うまく車列に戻ることができず、どんどん後ろに下がってゆくことが何度もありました。
先頭に出ようとして途中でやめて車列に戻ろうとした時も、なかなかうまく車列に戻ることができませんでした。そのため、長く一列に伸びた集団の右側にポツンと自分が位置するというダメダメな場面が何度もありました。
このあたりは、もっとコミュニケーションをとってゆかなければダメだと反省したところです。
それにしても、これだけ長く一列に伸びた車列を見たのは、初めてです。
本州からの参加者も多く、レース自体のレベルが上がったからなのだと思いますが、自分の経験不足が出てしまいました。

後半の登りに入ったら自分は遅れてしまうのがわかっていますので、前半になんとかレースを厳しくして、後続を振り落とすことを考えました。
そのためには、後ろに付ききれないくらいスピードを上げることが一番効果がありますので、少しスピードが落ち着いたなと感じた時には、積極的に前に出てスピードを上げることに専念しました。
先頭を牽いていた選手に声をかけて「もっとスピード上げるよ!」と伝えたときの「ええっ!」という声と困ったような表情には笑いました。

集団の人数が多くて、後ろの方までは見通せませんでしたが、35kmの平坦区間でも集団は割れていたようで、スピードアップした効果が出ていたのだと思います。
登りに入る前に位置を下げて、登ってゆく集団を見送りました。
登りに入ってから自分を抜いていった人は数えるくらいしかいませんでしたので、作戦は成功したと言ってよいでしょう。

2つめの登りに入って両足が攣った去年のレースを思い出し、登りに入ってからは無理をせず250W以下をこころがけて淡々と走りました。下りでも極力脚をとめて、2回目以降の登りに脚を溜める作戦でしたが、同じように同じ場所で攣ってしまい、温存作戦は意味がなかったようです。
しかし、収穫もありました。
それまで登りで踏みこんでいたペダリングを、軽いギアに変速してケイデンスを上げたとたんに攣ったのです。常盤から支笏湖へ走るときにも恵庭分岐を過ぎてからの登りで踏みこんで傾斜が緩くなったところでギアを軽くして脚を休めようとしたとたんに攣るという経験を何度もしていますので、踏みこんでいたところからギアを軽くしてケイデンスを上げることに脚攣りとの関係がありそうな気がしていますので、いろいろ調べてみようと思います。
攣ったまま脚を動かしていたため、ふくらはぎとお尻の少し下のあたりの筋肉痛が辛いです。サロベツまでに回復できるだろうか、少し不安です。

両足のふくらはぎと太腿裏側が攣ってしまい、痛みで踏みこめず、止まりそうになりましたが、なんとか痛みに耐えて脚の重さだけでペダルを降ろすことを繰り返して、なんとか頂上まで辿り着くことができきました。
この坂の途中で69歳の選手と話をする機会がありました。
この選手は59歳でエリートに昇格したということです。凄い事だと思います。あと9年後に、自分はエリートに上がるなんてまず無理だと思っています。
50歳になった今シーズンにがっくりと調子を落としている自分が恥ずかしく、あらたな挑戦意欲をもらった気がしています。

この後は、集団で車列を作るわけでもなく、淡々と単独走がゴールまで続きました。
3つ目の坂を登り切って、残り5kmになってからは前を追う気力もなく、ただゴールに向けて走りました。ゴンドラ坂に入ってからもスパートをかけているつもりでしたが、伸びは無く、さびしいゴールとなりました。

リザルトをみると完走しただけのつまらないレースだったように感じますが、レース中の平坦区間は、スピードが速くてとても楽しかったです。残念なのは、ゴール後にサイコンをストップした際に、セーブせずに電源を落としてしまったため、貴重なレース中のデータを失ってしまったことです。今回のように平地区間でのスピードが速いレースは経験したことがなかったので、ピークパワーを更新できていたかもしれず、とても残念に思います。
それにしても、登れないのはまったく改善されませんので、トレーニングがなにか間違っているのでしょう。すぐに解決できる問題ではなさそうですので、今シーズンが終わってからの重点課題とするかもしれません。

ところで、自分の筋肉のタイプに関する遺伝子検査の結果がニセコクラシックの直前に出ていました。予想通り、持久力はそこそこで、スピード・パワー系が強いという結果でした。子供の頃は常にリレー選手でしたし、持久走は嫌いだったので、検査結果は想定内でした。
問題は、「こういう筋肉である」ということがわかったことで、今後は自分はどういう自転車選手を目指すべきか?目標をどっちに向けようか、悩んでいるところです。
超短距離のモエレ沼TTに全てをかけるというやり方も面白そうですし、トレーニングによってはスプリントを残しつつ持久力をアップさせることもできなくはないようですので、もうちょっと登れるようになってロードレースでの上位を狙う方向性もありかなとも思います。しかし、スプリントのトレーニングを久しくやってこなかった脚で、いきなりTTに特化すると言ってもうまくはいかないでしょうし、ゴール前でのスプリントは全く伸びずにいつも沈んでしまうのは、筋肉の性質云々ではなく、走りのメリハリやレース運びがへたくそ過ぎるのでしょう。まだまだ学ぶべきことは多いですね。
この年齢になったら、なんでもかんでもというよりはなにかに特化する事がよいような気がしています。

そういえば、スタート前の会場で「ブログ読んでます」という方に声をかけていただきました。
僕と同じ怪我の経験者ということでした。
怪我に負けず、お互いに頑張りましょう!


コンディション その後

2015-07-05 07:00:00 | 自転車

4月からコンディションが低下して、道新杯では完走がやっと、藻岩は出ただけ、エンガルのクリテリウムは周回遅れ・・・今シーズンのここまでのレース成績は散々な結果でした。

やる気はあるのだけど、睡眠時間を削ってまでトレーニングしようというところまでの意志の強さはなく、朝練するわけでもなく、仕事が終わってから疲れた身体で1時間ローラを回すのがせいぜい。
休日くらいロングや坂を走って刺激を入れようと思っても、今シーズンは休日勤務が多く、なかなか屋外で走るチャンスも作れません。

そんな中、自分のトレーニングの中心である固定ローラー「仮想手稲山ヒルクライム」(Live Trainingを使用)のタイムが良い感じになってきています。
4月から6月中旬頃までは、30分を切ることすらできず、平均出力も240Wを割ってしまう始末でしたが、ここにきてようやく27分台、平均250Wが続けて出せるようになり、復調の兆しかもしれないと喜んでいます。

コンディションが上向いたことを確認するために、手稲山やサンパーク周回や支笏湖など走りたいのですが、休日は土日共に出勤で一日中椅子に座りっぱなし・・・。
このままでは約70kmも走るニセコクラシックとサロベツは完走できる気がしませんが、2週連続のレースを楽しんで走りたいと思います。