ようやく、ここに辿り着きました。
そう、ツールド北海道 市民レースの最上位カテゴリー「Aコース」。
車連登録してから4年目にS2に昇格し、初めての最上位カテゴリーでのツールド北海道への参戦になります。
これまでに知り合った強い選手達に憧れて、「いつかはツールのAコースをこの選手達と一緒に走りたい。」と目標の一つに定めていたイベントに参加することができ、とても光栄です。
距離とルートが少し異なりますが、今回のツールド北海道市民レースAコースは、7月に開催された「ニセコクラシック」と似たようなルートをたどるレースです。
距離が短いからと言っても10数キロ短くなるだけですし、関門時間もニセコクラシックよりも30分以上厳しく設定されているうえに、寒さをも感じたニセコクラシックとは違い気温30度以上でのレースとなり、暑さ対策、特に給水には十分な準備が必要でした。
まさか、満タンのボトルを1本失うことになろうとは…。
シクロスフィアのデータを貼っておきます。
https://cyclo-sphere.com/w/8d78c9bba0425126f8f69b9e342591d6b7388dfafce5dba20ece87e8af1b304e
前日からニセコに移動し、受付を済ませて宿に入りましたが、宿の中はサウナ状態で宿泊者カードに住所等を書いているだけで汗がしたたり落ちるほどの暑さでした。
部屋にエアコンは設置されていませんでしたが扇風機は備え付けられており、扇風機だけでなんとかしなければなりませんでした。
風もなく、窓を開けていても風が入ってくることもなく、汗だくのまま着替えて試走に出かけました。途中でプロの集団とすれ違い、その体つきの違いと、ポジションにみとれてしまいました。
試走から戻っても屋内の気温は相変わらず高いままで、扇風機の前にいないと気分が悪くなりそうなほどでした。
少し涼しくなりたくて、外に出てコンビニまでアイスを買いに出かけました。
アイスを食べながら部屋に戻り、テレビをつけましたが「信号が弱くなっています。」とのメッセージ・・・直前の台風でアンテナが壊れてしまったとのことで、楽しみにしていたサッカーの試合を見ることができませんでした。
汗だくになりながら、用意しておいた夕食を食べて、シャワーを浴びて、翌日のレースに備えて早々に床に入りましたが、暑くて寝れません…。
宿泊者の元気な団体が夜中まで大きな声でしゃべったり、ドタバタと動き回っていたこともあり、ほとんど眠れないまま3:30頃には眠ることを諦め、出発の準備を始めました。
5:00に用意しておいた朝食を食べて、歯を磨いて、軽量化を完了して、ウエアを身に着けて宿を出ました。中途半端に眠るよりもすっきりしていたのかもしれませんが、やはり前日からの暑さで消耗した感じは否めません。
こんなことなら札幌を4時頃に出発するスケジュールの方がよかった…とか、冷房完備のホテルの方がよかったか…とか、諦めの悪い考えが頭をよぎりますが、いまさらそんなことを考えてもしょうがないので、知り合いとあいさつをかわしつつ、バイクを組み立てて、検車を受けて、補給を準備しました。
お盆休み中に痛めた手首にテーピングとサポーターを施し、痛み止めを飲んで、BCAAを飲んで、日焼け止めを塗って、コンディションに関してできることはすべてやりました。
出走できる準備を整え、出走サインを済ませ、スタート位置に並びました。
知り合いが多く、リラックスした雰囲気でスタートを待ちました。
スタートからのパレード走行は落ち着いた雰囲気でしたが、リアルスタートと同時に急加速して集団は縦に長く伸びました。
花園への登りで集団がバラけはじめますが、先頭はまだ視界の中でした。
このあたりで既に「きついな」と感じ始め、ニセコクラシックのときと比べると気温が高いせいなのか、明らかに踏めていませんでした。
ニセコヒルクライムのコースに出てからも調子が上向くことはありませんでしたが、一人旅になることはなく、おなじような走力の選手たちとバラバラになりながらも登りでまとまり、アップダウンをこなし、老古美へ通じる道に出たときに、ふと下を見ると、ボトルが1本なくなっていました。どこかのギャップを踏んだ時に抜け落ちてしまったのかもしれません。1本目のボトルの半分以上を飲んでしまっていたため、ここから先のレースの4分の3を300ml程度のドリンクで乗り切らなければならないという事態に陥ってしまいました。
このレースでは「給水」がない(正確には、COMカーからペットボトルの水をもらうことはできるが、COMカーは自分が走っている位置にはいなかった。)ので、ボトルを失うことは大きなダメージとなりました。
ボトルを1本失ったからと言って、足を緩めるわけにはいきません。
踏めないながらも、老古美駐車場までのアップダウンをチームメンバーを含む数名でこなし、第一関門を門限(9:20)の17分前(9:03)に通過しました。目標として設定したタイム(9:00)よりも3分遅れでの通過でした。
パノラマラインを新見温泉への分岐まで登るルートですが、斜度は厳しくないものの距離が長くダラダラと登り続けるので精神的にきつくなりました。
自分を抜いてゆく選手も、自分が抜くこともなく淡々と登り続け、新見温泉への右折交差点の手前で、知り合いのE本さんに合流できました。
そのままE本さんと一緒にKOMを超えたときに「先頭と15分差!追いつけるぞ!」と応援してくださいましたが、先頭集団との「15分」という差はロードレースでは少人数で挽回可能な差ではないことは明白ですので、少しへこみながらも「まだ15分差」と気持ちを切り替えて下りに突入しました。
前の関門(ケンブリッジ)から次の関門(吉国自然公園)まではほぼ下り基調で、およそ1時間の目標設定でした。下りでE本さんと一緒に回したかったのですが、テクニカルなカーブが続くため車間を開ける必要があり、E本さんと差が開いてしまいました。
第二関門を門限(10:10)の7分前(10:03)に通過しました。目標として設定したタイム(10:00)よりも3分遅れでの通過でした。
しかし、ここからの平坦区間およそ35㎞の3分の1を単騎で走ることになってしまい、かなり脚が削られました。
後続を待つべきだったのかもしれませんが、前に3名ほどが見えていたため、そこまでなんとか頑張ろうとしましたが、追いつくことなく徐々に疲弊してしまい、E本さんとY田さんを含む小集団(5人か6人の集団)に拾い上げてもらい生還することができました。
この集団で平坦区間をローテーションして回し、途中でY田さんからボトルを分けてもらい、なんとか走り続けることができました。
この小集団にはE本さんとY田さんの2名の知り合いが含まれていましたので、安心感があるといいますか、「一緒にゴールまで!」という連帯感が多少のキツさを和らげてくれる効果がありました。
皆がローテーションを飛ばすこともほとんどなく、均等に回して第三関門の豊国橋に向けて進みました。川沿いの道に入ったくらいで脚が攣りはじめ、E本さんに塩サプリを分けてもらいました。
ここまでの間に、マルトデキストリンの自作ジェル、アミノバイタルパーフェクトエネルギーを補給していたため、エネルギーが足りないという感じはありませんでしたが、水分不足が影響してなのか、ニセコクラシックではほとんど攣らなかった足が攣り始めていました。
豊国橋の第三関門を門限(11:10)の10分前(11:00)に通過しました。
登りに入る手前にたくさんのサイクリストが並んでいましたが、Bコースの回収バスを待つ選手達だったようです。
目標として設定したタイム(10:50)よりも10分遅れでの通過でした。
ここまで来ると皆がかなり消耗してきており、日の出に向けて登るルートで前から落ちてくる選手たちもチラホラと現れだしました。
後ろからオフィシャルの車が追いついてきましたので、水をもらおうと声をかけましたが「水は積んでいない」とのことで、がっくりと気落ちしつつジワジワと登り続けました。
試走のときも、ニセコクラシックの時も、さほど辛いとも感じずに登れたルートが、こんなにも辛く感じるとは、気温の高さで消耗が激しかったのだと思います。
E本さんは先に進み見えなくなってしまいましたが、Y田さんとは抜きつ抜かれつ、お互いに口に出して励ましあうことはほとんどありませんでしたが、ゴールまでたどり着こうという気持ちは同じだったと思います。
ようやくパノラマラインに戻ったところで、Y田さんからまたしても水を分けていただき、生き延びることができました。
踏めないまま長い下りをこなし、しばしの涼しさに気を抜いてしまいましたが、黄金温泉からの登りで脚が攣りはじめ、何度もペダルを外して止まろうと考えるのですが、思いとどまって回し続けていました。
そこで、ふと道の脇を流れる用水路の音が耳に入り、ビンディングを外して用水路の水をからのボトルですくって頭から3度ほど被りました。冷たくて震えが来るくらいの気持ちよさでした。水を浴びている間にT田さんとY田さんに追い抜かれ、そのまま彼らに追いつくことはできませんでした。
水を浴びて生き返った勢いもすぐにしぼんでしまい、惰性で下りをこなし、ニセコ駅まで下って登り返すところで後ろから大型バスのエンジン音が・・・「とうとう俺も回収バスに乗ることになるのか」とあきらめかけたところで、バスの表示を見ると「B」と書いてあり、バスとトラックは自分を追い越して、その先で止まっていたBコースの選手を回収していました。その脇をすり抜けて先へ進みニセコクラシックとは違うルートでさらに登り続け比羅夫へ続く道に出ました。
ここからも少しアップダウンが続き、緩い登り基調にうんざりしながらも見慣れた風景にゴールに確実に近づいていることを感じ、最後の力を振り絞って比羅夫坂の交差点まで走りました。
比羅夫坂に左折してゴールラインを見上げた時に、ゴールライン手前で振られている旗の色が「赤」…「チェッカーフラッグ」ではなく「赤」でした。つまり、ゴール閉鎖の関門時間に間に合わなかったということです。
赤い旗を見た瞬間にモチベーションが切れてしまい、ペダルを外して、バイクを押して歩いてゴール近くまで登りました。もうなにも残っていませんでした。
ゴールラインの手前で係員に誘導されるまま大会本部側に移動しました。
大会本部前では同じように完走扱いにならなかった選手たちが互いの健闘を称えあっていましたが、その輪に入ることもできず、駐車場に戻りました。
立っているのさえ辛い状態でしたが、翌日からのトレーニングに気持ちを切り替えて、回復のためにOS1で水分を補給し、プロテインや糖質を補給しました。
座りたかったのですが、座ろうとすると脚が攣りそうになるので立ったまま動けずにいました。
ようやく動けるようになった頃に、チームメンバーの落車を知り、病院に急ぎました。一日も早い回復を願っています。
厳しい気象条件(特に気温)の中でも、きっちりと完走している選手たちもたくさんいるので、自分には足りないものがたくさんあることを再認識しました。
残された時間は長くはありませんが、毎年少しずつでも強くなれるよう、これからも努力し続けてゆこうと思います。