5:00に起床。
朝食は、おはぎを3個、さんまの缶詰を1缶、野菜ジュースを1パック。
少し寒いのでお風呂を入れて温まってから、順調に軽量化完了。
Mさんから、うれしい出産報告(笑)があり、一緒に走れることに喜んだ。
6:00過ぎにホテルを出てRR会場へ出発。
駐車場は既に満車状態で、なんとか端っこにスペースを見つけて車をねじ込んだ。
サドル位置がTT用のままだったのでロード用に修正。平らなところが見つからず、水平を出すのに一苦労。
寒いのでウオームアップオイル(ジンジャー入)を塗って、ジャージーとレーパンに着替えて、ポジションを確かめるために、コースを少し走ってウオームアップ。
車に戻って来てから、補給食を背中ポケットに入れ、ドリンクをボトルに詰め、いつでも走れるように準備完了。
開会式にはバイク持参で、すぐにスタート地点に並ぶように待機。
開会式終了後に、それらしき場所に陣取ってスタート待ち。
Aグループがスタート。
Bグループは特にカテゴリーごとの整列が指示されているわけでもなく、S3もS4も入り混じって区別はなかったので、前の方でスタートを待った。
スタートはスムーズだった。
最初は、パレード走行だが、反対車線を使って前に出ようとする選手がどんどん押し寄せてくるので、のんびりしているわけにはいかず、いつでも緊急事態に対応できるように集中してリアルスタートを待った。
リアルスタートが切られ、皆が一斉に加速を始めた。
S4クラスのロードレースでは、いつもそうなのだが、最初から強烈にスピードアップすることはなく、余裕をもってついてゆける範囲で集団は進んでいった。
事前の情報では、S3の一部の選手たちが最初からに逃げをうつということだったので、それに乗ることをレース序盤最大の目標にしていたが、そのような動きは無かった(自分が知らないだけか?)らしく、平和に集団は進んでいった。
あれだけの大集団(300名くらい?だったので、)だからなのか、なかなか安定せず、常に不安定でブレーキをかける頻度が多かった。
そのうち接触事故が起こるだろうから、できるだけ前の方にポジションを移動したいのだが、道幅いっぱいに広がった集団、しかも右側車線の方が詰っているため、なかなか前に上がれずにいた。
誰かがブレイクしようと加速するわけでもなく、平和なまま集団は黙々と進んでいった。
最初の下り坂手前でようやく前が開けたので集団前方に上がり、下りで加速した選手に追いつくように下った。
この下りで集団は縦に伸びたが、平地で徐々にまとまって元の大集団に戻っていった。
このままでは、落車が発生する可能性が高いと感じ、反対車線を使って一気に集団の前に出て、そのままの勢いで50mくらい前に出てみた。何度も振り返ってアピールするが、誰一人として追いかけて来ず、しばらく走ってから脚を緩めて集団に合流した。
交差点を右折するところで、後方からガツッと接触音が聞こえたので、振り返ると、見覚えのあるジャージーと自転車が左側に吹っ飛ぶように落車しているのが見えた。
後でわかったことだが、骨折の重傷だったとのこと。
左車線の集団の前の方で走っていても、右側車線を使って前に上がってきた選手たちが、そのまま最前列に入ってくることなく左車線の先頭から自転車5台分くらい後方に離れた位置から前には出ようとせず、しかも、反対車線での先頭を牽くことが嫌なのか、どんどん右側車線から左側の集団の列に割り込んでくることが繰り返されていたため、接触を避けようとすると、いつのまにか集団の後方に追いやられてしまい、なんとか前に出ても、またしても後ろに追いやられる繰り返しだった。
集団の先頭に出る気が無いのであれば、走行禁止の右側車線を常用してまで集団の前の方に上がってくる意味はないと思うのだけど・・・。
そんな矢先、道の駅手前で、ふらついた選手が右隣の選手によしかかり、そのまま落車。
(たまたま、誰かの車載カメラの映像に落車の瞬間が映っている。)
多数の選手が巻き込まれ、バイクを壊してリタイアする選手もいた大きな落車になった。
自分もブレーキが間に合わず、転倒こそしなかったものの、ストップしている選手に突っ込んで、スポークとクイックが絡んでしまい、再出発に手間取ってしまった。
幸いにも、先頭集団が落車に気づいて速度を緩めて待ってくれたため、先頭集団に復帰することができた。
道の駅を左折してしばらく走ると、軽い登りが始まったが、集団は加速することなく淡々と進んだ。
知り合いのS3のSさんが先頭に出ているのが見えたので、加速して合流。S3のY氏やK氏も一緒に集団を引き離そうとしたが、まったく集団は離れない。このコースレイアウトでは、簡単に逃げが決まることはなさそうだと意見が一致し、集団に戻ることになった。
それでも、Sさんは前を牽くので、一緒に牽かないわけにはいかず何度か先頭を牽いたり、加速したりして集団の活性化を試みたりして遊んでしまった。
どうも無駄に脚を使ってしまう癖は何とかしなければと思う。
レースは大集団のまま淡々と進み、時々補給のために最後尾まで下がったり、先頭に出たりして無駄に脚を使いながらレースは終盤へと進んでいった。
小さな登りが繰り返されるあたりで、集団は大きく縦に伸び、遅れる選手も目立ち始めた。
途中の小さな登りでTさんがチェーンを落としてストップしていた。声をかけたが、止まることはできなかった。このとき、一緒に集団に戻ろうと強調する懐に深さが僕にあれば、トラブルに合うこともなかったのかもしれない。
なんとか集団の最後尾で登り切ってほっとした瞬間、「ペキン!」という音とともに、タイヤが踏んだ物体が右側に飛んでゆくのが見えた。「あ、パンクする?」とヒヤッとしたが、数秒はなんの変化も感じなかった。
しかし、すぐにタイヤからゴツゴツ感を感じ、リアタイヤを見るとペチャンコになっていた。
このままゴールまで走ってやる!と気持ちだけは高揚していたものの、ペダルの重さにすぐに意気消沈してしまった。
前を見ると、集団は左に曲がりながら坂を登り木々の向こう側に消えていった。
あの登りは、自分がアタックする予定だった登り…これだけ離れたら、もう追いつけないよな、と意気消沈し、呆然と空を見上げているとTさんが声をかけてくれて我に返った。
後ろを振り返ると、ニュートラルカーが走ってくるのが見えた。後輪を外して頭上にかざしながら必死にアピールした。
「なに?パンク?リア?何速?」と矢継ぎ早の質問に「11速です。」と答えると、「ラッキーだったね、最後の1本だよ。」とホイールを貸してくれた。
自分のリアホイールをニュートラルに預けて走りだした。もう、前は誰も走っていない。何人に抜かれたのかもわからない。だけど、前へ前へ、とにかく前へ進むことだけを考えてペダルを回した。
途中で3名の小集団に追いついたので、「一緒に回して行こう!」と協調して走り始めるものの、スピードが上がらないので、たまらず自分が前を牽く形でゴールを目指した。
そのうち、10名程度の集団が追いついてきたので、これに乗っかりゴールまで。
「この順位でも、最後はスプリントするんだよね!」と威勢のいい選手がはっぱをかけた。その言葉に触発されてラストの直線は頑張ることができた。
3日目のクリテリウムには参加しないため、今シーズンの僕の自転車レースは終了した。
パンクでストップしていた時間を考えると、ゴールした順位は思いのほか良い順位だった。
ゴール後に充実した笑顔で集まって話している自転車仲間の輪に入ってゆけず、ニュートラルに預けたホイールを回収し、ちゃじさんと「いっぴん本店」で豚丼を食べて、和栗のモンブランを購入して帰路についた。
楽しいシーズンでした。
1年間、ありがとうございました。