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自転車ロードレースやロングライドの話題が中心です。
脊椎関節炎と付き合いながら生活しています。

ツールド北海道 2013年 市民レース Bコース 2ndステージ

2013-09-29 16:31:41 | 自転車
1stステージ13位の結果に満足して気分を良くしていたが、背筋の張りがどうにも辛く、ニセコからの帰りの車でカーブの度に背中が痛んだ。
家に帰って夕食を食べていても、風呂に入っても、背筋の張りと痛みが消える事はなかった。
強く揉むと気持ちいいのだけど、揉み過ぎると翌日に力が入らない感じになるのが嫌でストレッチとアンメルツでケアした。

翌朝、3:30に起床して後輩を乗せて4:40に出発・・・後輩がゼッケンを忘れたとの事で引き返したタイムロスを取り返すべく、いつもより速度を上げてニセコに向かった。
途中、雨が降ったり止んだりを繰り返し、ニセコ方面の雲の厚さに気分を重くしながらも、スムーズにニセコまで走ることができ、6:30に駐車場に到着。昨日の出発前のドタバタを繰り返さないように事前準備はばっちりで、雨に濡れる事もなく1号車に二番乗りで乗ることができた。
車中では神恵内までの1時間くらいは目をつぶって身体を休めていたが、雨が降っている事は感じていた。
神恵内に近づき今日のコースを逆走するあたりまでくると、コースの様子を確認しておきたくて身体を起こした。
トンネルに入ったときに、試走時に感じたのと同じように、その暗さに恐怖を感じた。

スタート地点に到着し、路面が濡れている事にテンションを下げながら自分の自転車がトラックから出てくるのを待った。
一台ずつトラックから出てくる他の選手達のバイクを眺めるのが楽しかった。
バイクを受け取って出走サインと計量を済ませ、開会式会場のあるセンターの建物の2階に陣取った。
お腹がすいてきたのでバナナを食べたりゼリーを食べたり、トイレに行ったり、知り合いと話したり、開会式までの長い時間はあっと言う間に過ぎてしまった。
開会式ではすぐ近くに東北大学トライアスロン部のジャージを着た選手達・・・この選手達のうちの一人とは平地区間で一緒に走ったのでよく覚えていた。同行者らしき美しい女性ローディーの左足の落車傷をよく覚えている。この女性ローディーは1stステージで表彰台に上がっていたはず。海岸線を集団から遅れて独走していたところを3名のパックで拾って走ったが、いつのまにかちぎれていた。

開会式が終わって選手達がスタート地点に並びはじめた。
後輩と一緒に並んでスタートを待った。
背筋の張りと痛みの対策として痛み止めをスタート前に飲もうと思っていたのだけど、すっかり忘れてしまっており、走りはじめたら飲んでいる暇もなくそのままになってしまった。
Aコースの選手達が先にスタートしていたが、トンネル内で落車があったためBコースのスタートが遅れるとのアナウンスがあった。
間もなくBコースもスタート。
最初はパレードとのことだったが、いつリアルスタートになったのかわからないまま周りの加速につられて自分も加速。
スタート直後は選手達の走行速度がバラバラなので、先頭付近まで上がってゆくためには左右をかき分けて進んでゆかなければならないが、自分よりも速い速度で後ろから追い越してゆく選手もいるし、雨で路面が滑りやすいので、前後左右に細心の注意をはらいながら少しずつ前に出て行った。
少しずつ対向車線も使って前に行くこともできたが、ときどき対向車がくることもあって躊躇しているうちに、トンネル区間に入った。
トンネルに入ってしばらくは前の選手もよく見えていたのだけど、しばらく走ると前後左右が分からないくらい真っ暗になってしまった。
間もなく前の方で落車と思われる音と叫び声が聞こえてきたので、前方で落車が発生したと思い必死で前を凝視した。
不自然な形のシルエットが見えたので、ブレーキを握りながら右へ右へ自転車と人を避けるように流されて行った。対向車線の壁が近づいてきて目の前に先導バイクが停車しているのが見えて「ぶつかる!」と思ったが、ギリギリでストップする事ができ、落車している選手達が気になりながらもトンネルから出る事だけを考えて加速した。「後輩は落車に巻き込まれなかっただろうか?」心配だったが後ろを確認している余裕はなかった。
100mほど前に見えている先頭集団に追いつく事だけを考えて、周りに声をかけながら必死で回した。
走行速度に差がありすぎるのか、なかなかうまくローテーションは回らない。
少し休ませてもらったら積極的に先頭を牽いたが、気がつくと後ろは離れてしまっていて独走状態が多かったのは誤算だった。
この平地でここまで脚を使ってしまう事になろうとは・・・。
もう少しで集団の最後尾に追いつくことができるところまで上がってきたときに、独走でも一気に追いつく事ができたはずだが、後続を待ってしまった。ここでできた先頭集団との差を埋める事ができなくなろうとは、このときは考えてもいなかった。
近くに見えていたはずの先頭集団がだんだん離れて行っている事に気がついたときには既に遅く、限られた選手しか先頭を牽かない集団では、先頭集団の速度を上回る事はできなかった。
後輩が追いついてきた。落車は停車して避ける事ができたとのこと。

海岸線を離れ、左折して山に向かう直線・・・先頭集団に残っていたらアタックするはずだった場所だ。
東北大のトライアスロン部の選手が積極的に前を牽いた、
自分も前を牽いたが海岸線で脚を使いすぎており、長くは牽けなかった。
途中で後輩が先頭を牽いたときについてゆけず、中切れしてしまいそうになり、思わず「速すぎる!!」と声を上げてしまった。
情けない事だが、これが現実。
右折してからは積極的に前に出た。登り区間に入れば遅れてゆく事がわかっているので、できるだけ平地区間で差を付けておこうと思ったのだが、後ろを振り返ると5mくらいしか差がついていなかった。

左折して、いよいよ登りが始まった。
背筋は相変わらず痛い。登り始めるとますます痛い。
登り区間に入ると選手は縦にばらけはじめた。
同じ速度で走る選手はおらず、抜くか抜かれるかだった。
追い抜いて行った選手も、傾斜が変わると逆に自分が追い抜くこともあり、なんとなく親近感が出てきてお互いに声をかけあうようになった。
下りでスピードに乗って下っても前に選手は見えなかった。
国道に出る手前で右折して厳しい登りが始まった。
少しずつ落ちてくる選手をパスしながらジリジリと登り続けた。
不思議と背筋の張りと痛みは気にならない程度に回復していた。いや、麻痺していたのかも。(笑)
カーブを曲がって見える先が頂上であることを祈りながら登った。祈りは何度も裏切られ、「まだか、まだか・・・」と売り切れそうな脚を必死で回して登り続けた。
辛くて前を見える事ができなかったが、ふと顔を上げると、手を叩く音がする。
聞き覚えのある声と姿。
1stステージ5位のSさんが応援してくれていた。
後輩との差を確認すると、優しい2さんは「う~んと、2分くらいかな?」と気を遣ってくれた。
応援で力が戻ってきた。
試走で見覚えのある場所にさしかかったときに、「ああ、ここまで戻ってきたんだ。もう少しだ、がんばろう。」と思った。
知らない選手にも声をかけて応援してくれた観客のおかげで、なんども救われた。
登り切った。一番厳しい区間を登り切った。
もう、あとは走り慣れたニセコヒルクライムのコースまでの少しの登りだけだ、と自分を奮い立たせて走っていると、後ろから追いついてきたWAKASAジャージの選手に声をかけられた。
神仙沼で協力して走った選手だった。覚えていてくれたのだ。
あの後、いい調子で走っていたが落車して下りが怖くなってしまったとのことだった。
一緒にゴールまで行きたがったが、下りでビビっている選手と一緒に走るのはちょっと怖かったので、先に行かせてもらう事にした。

追い付いてきた別の選手が「回して行きましょう」と誘ってくれたが、自分が前に出たときに「やばい、もう脚が残ってないかもしれん。」と言い残して切れて行った。

ニセコヒルクライムのコースまで戻ってきた。
ここからしばらく下りだったが脚は緩めずに回した。
花園に右折するときに後ろを振り返ると、後続は100m以上後ろだった。
このまま追いつかれずにフィニッシュしたいと思い、下りも脚を休めずに回した。
前に2名選手が見えているので、追い付くべく踏んだ。
アップダウンがあるように見える道も、実際にはそれぞれが短いので勢いで超える事ができた。
T路路の信号を右折していよいよ残りは数km。
前も後ろも選手はまばら。
沿道で応援してくれる観客が多くなってきた。
2名の選手と声を掛け合って前に出たときに左の太もも裏が攣ったが、少し脚を緩めて回復させた。
ローソンが見えた。
右折して登り終えればゴールだ。
前に2名の選手が見えたので、ギアを上げて踏んだ。
想いっきり踏んだ。こんなに力が残っていたのかと自分でも驚くほどだった。
ギリギリで先着。

ゴールゲートの近くで先にゴールしていたYさんとFさんに挨拶してから駐車場に戻った。
後輩がベンチに座ってツイートしていた。
預けた荷物を受け取って自転車を片付けていると、隣りの車は任天堂さんだった。
Sさんが車で戻ってきたので応援のお礼をして一緒に昼食へ向かったのだが、14:00を過ぎていたため、お目当ての3軒はいずれも閉店。
イートインのパン屋さんで食事をしながら、Sさんが2ndステージに出場しなかった事を悔やんでいた。
Sさんの力なら上位一桁台の順位は確実なので、ほんとうにもったいなかったと思った。

食事を終えてからリザルトを確認にスタート地点に戻った。
すっかり選手の姿も見えなくなり寂しくなったスタート地点に張り出されていたリザルトを見てがっくり。
28位という数字に力不足を感じた。
後輩は12位。
やはり、登れないと勝負にならない。
28位では満足感を得られない。
冬の間は、重いギアを踏んで登れるように鍛え直さなければ。

自分はモエレのクリテリウムは出場しないので、この2ndステージで今年のツールを終えた。
S4でもなんとかやってゆけそうな感触を掴んだものの、結果としてはものたりない中途半端な結果に終わってしまった。
トレーニング環境(時間帯や時間)を変える事は難しいけれど、トレーニングの質を高める事は出来るかもしれない。


ツールド北海道 2013年 市民レース Bコース 1stステージ

2013-09-21 06:45:28 | 自転車
「S5」で出場したニセコヒルクライムは、自己ベストを更新して40分を切り、順位は「9位」で過去最高位。
この年齢になっても、毎年記録を更新し続けられている事に満足していた。
「S5」での走りに手応えを感じながら今年も「S5」でエントリーしたツールド北海道市民大会の参加確認証が届いたが、なぜか参加カテゴリーが「S4」になっていた。車連に連絡してみたが、要領を得ない回答で「後ほど連絡します。」とのことだった。結局、連絡は来なかったが、車連からの発表でニセコヒルクライムで登録選手中1位であれば昇格するとのことがわかり納得。
「S4」は自分の半分以下の年齢の選手もたくさんいるし、「初心者」という位置づけとはいえ実力者も多く含まれており激戦のグループ。自分が勝負に絡む事はないけども、より上のレベルで走れることに喜びを感じた。

1stステージは、2度の試走により、コース把握はばっちり。
1度目の試走で失くしてしまったspeedplay用のクリートカバーを、2度目の試走のときに「あそこで落としたのでは?」と思っていた神仙沼の駐車場の芝生エリアで発見できたのはラッキーだった。

1stステージも2ndステージも、登坂の苦手な自分には厳しいコースであることはわかっていた。
ニセコヒルクライムや手稲山のタイムで考えると、1stステージの最初の登りでは先頭の山頂通過時間から2分~3分は遅れることになるはず。得意の平坦や下りで差を詰めるとしても、集団で走るスピードで相殺されてしまい、せいぜい1分~2分詰められるかどうか。
1stステージには大きな登りが3つある。もちろん下りもあるが、登りで遅れた分を取り戻せるほどの平坦の距離はないし、下りでは単独でも集団で走るスピードと同じくらいの速度は出せるが、差は詰められない。
だからといって登りで頑張りすぎると下りや平坦で回す足も残らない心配もある。一方で、ロードレースは先頭集団から遅れた時点で勝負は終わるのだから、脚を温存する意味がないこともわかっている。しかし、S5から昇格したばかりでS4の勝負に絡もうなどおこがましいと考えるようになり、レースを楽しむ事も重要と考える事にした。

9/13(金)は休日勤務の振替休日で昼頃にニセコに向けて出発。
14:30頃に受付場所に到着し、時間前でも受付してくれたのだけど・・・僕のゼッケン番号の袋がなくてスタッフは大慌て。
前後の袋をよくよく見てみると、同じ番号と名前が貼ってある袋が2つあって、そのうちの一つの中身は僕の名前とゼッケン番号が入っていた。会社の後輩の分も受付完了。
受付を終えて車に戻りスマホを見ていると、TwitterやFACEBOOKでお世話になっている武田さんも受付を終えたらしい事がわかり、あたりをうろついいてみたものの見つけることができず・・・。
そのまま札幌へ戻り、車に自転車を積んで翌日の準備は万端。

9/14(土)
自転車を始めたばかりの会社の後輩と一緒に5:00に札幌を出発。
若者は自転車歴は短いが、登山やランで日頃から鍛えており僕よりも速い。お世辞で「平地は先輩の方が速い」とか言っているけど、そんなことはない。
7:00頃に駐車場に到着したが、雨が激しく降っており、坂では雨水が川のように流れていた。
そんな中、トイレに行ったり自転車を組み立てたりにてこずって、バスに乗るまでにウエアも靴も雨でぬれてぐっちゃぐちゃ。
バスでは補助席に座ったのでスタート地点までのんびり眠ることができなかったが、隣の座席には美しい女性ローディーが座っていて、得した気分になった。(この方は表彰台に登った実力者)

バスがスタート地点の老古美に到着するころには、空も明るくなり始めていた。
雨があがってから少し登ってウオームアップをしたけども、スタートまではまだまだ時間があるので、さっさと自転車を並べて駐車場でのんびり。
顔見知りと自転車談義で盛り上がったり、トイレに行ったり、リラックスして過ごすことができた。
今回は自家製ウオームアップオイルを軽く塗布してみた。ジンジャーを含んだスイートアーモンドオイルで、冷えると痛みが出てしまう右膝には特に念入りに擦り込んでおいた。このおかげで、レース中に膝が痛くなることはなかった。

暑いくらいに陽が射して、路面はすっかりドライになった。
Aグループが通過して、いよいよBグループのスタート。
駐車場から右折して出るときに外へ外へと追いやられ、あやうく接触落車するところだったが、まっすぐ走り始めると周りも落ち着いて加速を始めたので自分もマイペースで少しずつ前に上がっていった。
間もなく路外に転落している選手を見つけたが、大丈夫だったのだろうか?
1kmも進んでいない地点で、既に先頭はどこなのかわからなくなってしまったので、他人のペースに合わせずに自分のペースで進んだ。

途中で落車によりステムがずれたまま走っている選手から「アーレンキーを持っていないか?」聞かれたが、あいにくレースのときは工具を携帯していなかった。
この選手とは、下りに入るまでの間ずっと抜きつ抜かれつで進んだ。

少し斜度が緩んだ区間では速度をあげて前の選手をどんどん追い越して行けるのだけど、斜度が増してくると逆にどんどん追い越されてしまう・・・。やはり登りは苦手だ。
神仙沼の手前からの平坦区間では、ほとんど前後に選手が見えなかったが、WAKASAジャージの選手に声をかけて平坦区間を牽くかわりに下り直前の登りを牽いてもらうことになった。
この選手に下り前の登りを牽いてもらったことで速度を落とさずに下りに入ることができたので、とても助かった。
この選手は、2ndステージの花園の手前でも声をかけてくれて、1stステージで一緒に走ったことを覚えていてくれたらしいが、落車して下りが怖いとのことだったので、一緒にゴールまで走りたかったが、下りを一緒に走るのは避けたくて置き去りにしてしまった。

少しガスがかかって前が見えにくいものの、ようやく長い下りが始まった。
あきらめかけていた先頭集団への合流だが、下りが始まった時点では「追いつける!!」と思っていた。
しかし、脚をぶん回して下っても下っても前にも後ろにもほとんど選手が見えない。
追いかける相手が見えないと、気力も湧き上がってこない。
モヤモヤしたまま左折して細い道へ突入。
下り切ったところで少しの間だけ平坦があるものの、ローテーションして速度を上げるほど周りに選手がいなかった。

登りが始まって、降ってくる選手をパスしながら淡々と登りをこなし、頂上付近で3人の若い女性の応援を受けて俄然やる気が復活。(笑)
このあたりになると、選手たちに疲労の色が濃く見え始めていた。自分も同じ。
平坦でも下りでも爆発的なスピードで追い越して行く選手はもうおらず、レースが終盤にさしかかっていることを実感した。
色鮮やかな黄色の橋の下をくぐり、最後の登り区間に入ると周りの選手たちの登りのスピードも勢いがなくなり、顔を上げている選手もほとんどいなかった。
登り切って右折してからは周りにほとんど選手がおらず、ゴールまでの息詰まる攻防を思い描いていたので少し拍子抜け。
ゴンドラ坂を左折してゴールまでの登り・・・もう後ろを振り返る力も残っていなかったし、前を追い越そうという気力もなかった。
ヘロヘロになりながらも、完走できたことにガッツポーズ!!
スタート地点で見送った苫小牧エンデューロを一緒に走った自転車仲間(Sさんと後輩の若者)と再会。
彼らは先頭グループだったとのことで、タイム差は2分~3分だったので、やはり登りでできた差は埋めきれなかったのだ。

後片付けをしてからとりあず昼食へ。
「ニセコジンギスカン」で季節の野菜入りラムカレーを食べた。
ボリューム満点で、かぼちゃとジャガイモが最高!!
ミルク工房でソフトクリームを食べてお土産を買って、比羅夫に戻ってリザルトを確認。
Sさんは5位、後輩の若者は9位。
先頭グループで走れたということをうらやましく感じ、やはり登れないと勝負できないことがわかり、冬の間のトレーニングの課題が決まった。
自分は13位で、去年のS5での5位よりも順位を落としたが、S4でもなんとかやっていけるのではないかと少しだけ自信になった。
家族の反応は・・・「それっていいの?わるいの?」・・・微妙。(笑)

しかし、背筋が辛い・・・高負荷で走った後に必ず感じる背筋の張りと痛み・・・。
2ndステージは厳しい戦いになりそうだ。
またまた中山峠を越えて札幌まで戻り、2ndステージに備えて、背筋にアンメルツを塗りこんで早めにベッドにもぐりこんだ。