広州の繁華街ではとまっているエスカレーターをよく見かける。
どういうわけか知らないけど、しょっちゅう故障するらしい。日本ならさっさと修理するのだろうけど、ここは中国なのでそのまま何日間もほったらかしの場合もよくある。しかたないので、みんなとまったエスカレーターを階段代わりに使っている。
僕はとまったエスカレーターに乗る時、なぜかいつも途惑ってしまう。条件反射というやつだろう。エスカレーターを見た瞬間、こちらの脳みそはエスカレーターのスピードに合わせるように足へ指令を出し、自然と歩幅が大きくなって足が速くなる。これではいけないと思うのだけど、足が勝手に動いてしまう。
エスカレーターは動かないから、ステップへ乗り移ったとたん、一瞬、体がふわっと浮いたような感じになって、足がもつれるとまではいかなくてもぎくしゃくする。それでようやく、僕の脳みそはこれではいけないと気づき、さっきの指令を修正するようだ。僕は呪縛が解けたようになって、やっと普通に歩ける。はたから見ればおかしな格好をしているのだろうなと思うとすこし気恥ずかしい。
この間、僕とおんなじような人を見かけた。彼はすこし前のめりになりながら歩幅を広げてとまったエスカレーターへ乗ったのだけど、その瞬間、足がよろめいた。彼には申し訳ないのだけど、あんな不恰好なことをするのは僕だけでないと知ってほっとした。ほんとうに安心した。仲間がいるというのは心強い。
それにしても、とまったエスカレーターを見た瞬間、僕の意識は「とまっているぞ」と気づいているのだから、脳みそもそれなりの指示を足へ出してスムーズに歩けるようにしてくれてもよいではないか。でも、なぜかままならない。とまったエスカレーターをしっかり見ているのにもかかわらず足の運びをそれに合わせられないとは、僕の体はいったいどういう仕組みになっているのだろう? 不思議だ。
たんに僕の運動神経が鈍いだけなのかもしれないけど、幼い頃からすりこまれた条件反射は変えようがないのかなあ。我ながら、困ったものだ。
この原稿は「小説家なろう」サイトで連載中のエッセイ『ゆっくりゆうやけ』において第18話として投稿しました。『ゆっくりゆうやけ』のアドレスは以下の通りです。もしよければ、ほかの話もご覧ください。
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